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沖縄の「NO」 2

 辺野古新基地建設に、沖縄の人びとが「NO」をつきつけたというこの事実について考えると、さまざまな疑問がわいてきます、いやわかなければなりません。なぜ新基地は沖縄につくらなければならないのか、他の都道府県では駄目なのか? 新基地をつくる目的は何か? 海兵隊は何のために沖縄にいるのか、ほんとうに日本国民の安全保障のためなのか? さらに言えば在日米軍は何のために日本にいるのか、ほんとうに日本国民の安全保障のためなのか? なぜ沖縄にこれほどの米軍基地が集中しているのか、攻撃に対する脆弱性は考慮しないのか? 米政府・米軍および日本政府はなぜ普天間基地の危険性を放置しているのか? なぜ日本の主権を侵害している日米行政協定を日本政府は改正しようとしないのか? アメリカの公文書で明らかになっている米軍に関するさまざまな密約をなぜ日本政府は認めないのか、なぜ国民はそれに対して批判をしないのか? もう頭の中は"?"で一杯です。
 こうした疑問について調べ、考えないと、真の解決策も見出せないでしょう。それをしようとしない知的怠惰と、沖縄の人びとの苦しみに関心をもたない倫理的怠惰が、いま、この国に瀰漫しているようです。ちなみに福島原発事故の被害者・犠牲者の方々に対する態度も同様ですね。東京オリンピックや嵐の解散で大騒ぎしている場合ではないと思うのですが。
 個人的に、冬籠り前の栗鼠のように、この問題に関するいろいろな本を集めて読んできました。その一部を、すべて引用で恐縮ですが紹介したいと思います。歴史的な思考と、複眼的な視点を得るための一助になれば幸甚です。
『要石:沖縄と憲法9条』 (C・ダグラス・ラミス 晶文社)
 知念ウシが考えたイメージを借りよう。それを、「日本がもし100人の小学校だったら」と呼ぶことにする。その学校の百人の小学生が、99対1で、つまり、とても民主的に、決定をする。つまり、その一人が75個のランドセルを背負って、あとの99人が残りの25個を背負う、という決定だ。その一人が、「重いから、ちょっと手伝ってくれ」というと、99人が「それどころじゃない。私たちはランドセル反対運動をやっているので、それが実現するまで待ちなさい。自分の苦しむを人に押し付けることは、よくないだろう」と答える。ところが、その99人の「反ランドセル運動」は、実はあまりやられていないのだ。なぜなら、75個を他の一人に背負わせているため、ランドセルの重みをあまり感じないからだ。(知念ウシ 『ウシがゆく』 沖縄タイムス社)
 その75個のランドセルとはもちろん、沖縄にある米軍基地のことだ。沖縄に75%を背負わせていることで、本土にとって日米安保条約がほとんど無視していいぐらい、軽いものになった。その軽さと、本土日本の反戦平和運動の軽さとはつながっているだろう。つまり、日本社会の現実逃避を可能にするため、沖縄に頼ってきた。
 ところが最近の沖縄は、日本の矛盾した意識が崩れないための「要石役」を断り始めたようだ。これまで動かなかったものが、動き出すかもしれない。(p.257~8)

『ウシがゆく』 (知念ウシ 沖縄タイムス社)
 アメリカは本当は普天間も辺野古もいらないのではないか。しかし、日本政府から引き出せるだけのものを取ってから撤退しようとしているのか。例えば、自衛隊基地の米軍による使用、在外米軍基地(たとえばグアム)での米軍費用の日本負担とか。
 また、普天間基地、辺野古移設を手放せば、アメリカの基地帝国が揺らぐ、ということもあるかもしれない。私たちが思っているほど、アメリカ帝国は強固ではないのかもしれない。なるほど、ならば、このヒステリックな反応が理解できる。普天間・辺野古は要石なのだ。それを抜くと一気に崩れてしまう。波及効果を恐れているのかもしれない。沖縄が勝利すれば、アメリカ帝国と戦っている他の地域の民衆へ勇気と希望を与えてしまう、と。(p.278~9)

『沖縄と米軍基地』 (前泊博盛 角川oneテーマ21)
 (※元日本政策研究所長のチャルマーズ・ジョンソン) 普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのはまったく問題ではない。日本政府はどんどん主張して、米国政府をもっと困らせるべきだ。これまで日本は米国に対して何も言わず、従順すぎた。歴史的に沖縄住民は本土の人々からずっと差別され、今も続いている。それは、米軍基地の負担を沖縄に押しつけて済まそうとする日本の政府や国民の態度と無関係ではないのではないか。同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本人はなぜ立ち上がろうとしないのか、私には理解できない。もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう。日本政府は米国の軍需産業のためではなく、沖縄の住民を守るために主張すべきだ。(p.106)

 同報道を契機に「辺野古基地は自衛隊のためという腹づもり。だから基地の規模も大きいし耐久年数も長い頑丈なものをつくろうとしている」との見方も出ています。沖縄県内の米軍基地では、「米軍再編」合意に基づき08年からキャンプ・ハンセンで陸上自衛隊の共同使用が行われ、嘉手納基地などでも共同訓練が模索されています。
 沖縄にとっては、米軍駐留問題だけでなく、自衛隊という別の軍隊の駐留、自衛隊基地問題も今後新たな課題として浮上しそうです。(p.110)

 普天間移設問題では、名護市辺野古への新基地建設に反対する市民・住民らが建設を前提にした国の環境調査を、体を張って阻止しましたが、その際、手を焼いたとはいえ防衛省は反対運動の威圧のために掃海母艦を沖縄に派遣しています。自衛隊が米軍の基地を建設するために、軍事力を自国民に行使する、ついに自衛隊は大砲を自国民に向けるという重大な事態までも沖縄では起きているのです。しかも、女性やお年寄りも含む武器を持たない丸腰の国民に対してです。自衛隊という軍隊は、「何から何を守っているのか」という問いに対する答えが垣間見える出来事です。外国軍隊の基地建設のために、自国民に対して軍事力を行使する。かつて日本軍に虐殺された経験を持つ沖縄県民です。自衛隊も旧日本軍と変わらぬ体質、軍隊の本質を露呈したとして、この「事件」を、沖縄の新聞は糾弾しました。(p.202~3)

『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』 (矢部宏治 文/前泊博盛 監修 書籍情報社)
 そもそもこの話(※普天間基地返還)の始まりは、1995年に起きた少女暴行事件だったはずです。沖縄県民の怒りに危機感をつのらせたクリントン政権が、自分から水をむける形で橋本首相に普天間返還を提案させたのです。それがいつのまにか、うまく話をすりかえられて、辺野古に巨大な基地をつくらなければ普天間が返ってこないというような話になっている。だいたい辺野古での基地建設は、1960年代から米軍内で検討されていたプランだそうです。だからいかなる意味においても、絶対に「移設」ではありません。世界一危険で、近い将来絶対に閉鎖しなければならないボロボロの基地(+α)と、辺野古につくる新品のピカピカの基地を「交換」しようという話しなのです。
 もちろんアメリカ側の思惑だけで、こういう日本人をバカにしたような計画(移転費用+新基地の建設)ができるとは思えません。日本の官僚が論理的に反対すれば通るはずがないからです。だいたい米軍再編計画の第1原則は、「望まれないところには基地を置かない」となっているのですから。
 事実、2011年にウィキリークスが暴露したアメリカの外交文書を見ると、鳩山政権の普天間返還交渉のなかで、防衛省と外務省の生え抜き官僚たちがアメリカのキャンベル国務次官補(元国防次官補)に対し、「(民主党政権の要望には)すぐに柔軟な姿勢を示さない方がいい」(高見沢・防衛政策局長)など、完全にアメリカ側に立った発言をくり返していたことがわかっています。密室での交渉とはいえ、なぜそんなことが起こるのか。
 ひとつは…、米軍の存在自体が抑止力と位置づけられているため、いつまでもいてもらわなければ困ると本気で思っているからでしょう。もうひとつは「天皇メッセージ」のところで見たように、米軍の存在が現在の国家権力構造(国体)の基盤であることを、彼らがよくわかっているからでしょう。豊下教授の研究を援用すれば「天皇を米軍が守る」、そして戦前と同じく「その周囲は官僚が支える」、これが戦後日本の国体〔(天皇+米軍)+官僚〕であり、この体制は明治以来の「天皇の官吏」としての官僚たちの行動原理(絶対的権威のもと匿名で権力を行使する)にぴたりとはまったわけです。
 とくに昭和天皇が亡くなったあと、現在の天皇陛下は政治的行為から完全に距離をとっておられますので、国家権力構造の中心にあるのは「昭和国体」から天皇を引いた「米軍・官僚共同体」。米軍の権威をバックに官僚が政治家の上に君臨し、しかも絶対に政治責任を問われることはない。だから鳩山元首相の証言にあるように、官僚のトップが堂々と首相の指示を無視して「アメリカとの関係」を優先する。これが平成の新国体なのでしょう。
 では彼らはどうやって実際に政治家を支配しているのか。その力の源泉は、彼らが「条約や法律を解釈する権限」を独占していることだそうです。ひとつはこれまで見てきたようなアメリカとの条約やさまざまな密約、もうひとつは政治資金規正法など、非常に定義があいまいな法律の有罪ライン、こうした政治家の運命を決めてしまうような重大な問題について、最終判断を下す権限を官僚がもっているため、失脚したくない政治家は官僚におもねるしかないのです。岸・池田・佐藤・田中と、政治が金で動いた昭和の時代は、もっぱら大蔵官僚の権力にスポットライトが当たっていましたが、平成の新国体の中心にいるのは、そうした法律の解釈権をもつ外務官僚と法務官僚のようです。(p.254~5)

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 (矢部宏治 集英社インターナショナル)
 しかし、もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、それは沖縄の歴史上初めて県民が、米軍基地の存在をみずから容認するということになってしまう。それだけは絶対にできないということで、粘り強い抵抗運動が起きているのです。
 もしも日本政府が建設を強行しようとしたら、流血は必至です。日本中から反対運動に参加する人たちが押し寄せるでしょう。
 それなのに、なぜ計画を中止することができないのか。
 先ほどの1957年の秘密文書を見てください。
 「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持しつづける権利も、米軍の判断にゆだねられている」
 こうした内容の取り決めに日本政府は合意してしまっているのです。ですからいくら住民に危険がおよぼうと、貴重な自然が破壊されようと、市民が選挙でNOという民意を示そうと、日本政府から「どうしろ、こうしろと言うことはできない」。オスプレイとまったく同じ構造です。
 だから日本政府にはなにも期待できない。自分たちで体を張って巨大基地の建設を阻止するしかない。沖縄の人たちは、そのことをよくわかっているのです。(p.73~4)

『自発的対米従属 知られざる「ワシントン拡声器」』 (猿田佐世 角川新書)
 これまで述べてきたことから、日本政府や日本の既得権益層は「対米従属」の姿勢を表では装いながら「ワシントン拡声器」を使って、実は自分らの望む政策を推進していることが、おわかりいただけると思う。
 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認のように、自分たちに都合のいい声をワシントンに取りに行き、それを「アメリカの声」として利用する。
 原発問題では、自分たちに都合のいい「早く再稼働せよ」という声だけを選択して利用し、自分たちに都合の悪い「再処理継続への懸念」の声は拡散しないようにする。
 TPP問題のように、自分たちで「推進の声」を増幅し、「アメリカの声」として拡散させる。
 沖縄の基地問題のように、著名な知日派のなかに「辺野古移設とは別の案の検討が必要だ」という声があっても、拡声器のスイッチを切り、まるで存在しないかのようにしてしまう。
 それぞれ問題の分野は異なるが、基本的な仕組みは同じであり、メディアもこれに加担してきた。
 「アメリカの声」とは何なのか? 「アメリカ」とはいったい誰なのか? どんな意図があって、誰がその「声」を流しているのか? 別の「声」もあるのではないか?
 さまざまな疑問が出てくるのが、戦後七十年間続いてきた既存の日米関係だ。その関係は、「共犯関係」とも言える、いびつなものだ。
 自分たちに都合のいい「声」が発せられるようにと、知日派を擁する主要シンクタンクや大学などに何億という資金を提供しているのは日本政府であるが、もとをただせば、その資金は国民の税金から出ている。こうした仕組みが日本国民にまったく知られていないのは、あまりに民主主義的ではない。
 日本政府や日本の既得権益層が知日派を利用するメリットはいくつもあるが、なによりも、「費用対効果」も「時間対効果」がとても高いということがあげられる。であるからこそ多額の資金を政府が容易に振り向けるのである。
 日本の政策に多大な影響を及ぼしていることをもって、アメリカの知日派を批判する人も日本には多いが、一歩引いて考えれば、別に彼らが悪いわけではない。知日派が日本に対して、自国アメリカの利益として最善だと思うことを「こうしてほしい、ああしてほしい」と言うのは、ある意味アメリカ人としてしかたのないことである(それがアメリカという国が進めるべき政策かどうかという点についての批判はありえるが)。これら知日派は、日本から資金を得られるからといって自分の意見を変えているわけではなく、日本から資金や情報を得、日本から発言の機会を得、その結果、日本に関心を持ち続けるインセンティブを得て効果的に発信し続けているだけなのである。日本からの資金提供により、もともと彼らが持っている価値観を曲げて発言しているわけではないだろうことは、私も承知している。
 むしろ、自ら「対米従属」を選びながらそれを隠し続け、従属させられているような振りをしてきた日本政府のほうに問題がある。
 その政府を選んでいるのは私たち日本国民である。私たちがこのような実態をしっかりと把握したうえで異議を唱え、いびつな共犯関係を正すために行動していかない限り、今後もこの構図は変わらないであろう。(p.122~4)

『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』 (乗松聡子編著 金曜日)

【言語道断の新基地計画 差別と戦利品扱い根源に ジャン・ユンカーマン】
 この映画(※『沖縄 うりずんの雨』)を制作するにつれて見えてきたことは、辺野古の問題の根源には、この米国にとっての「戦利品」という理解と、日本の沖縄に対する差別が相互に教化し合う形で存在するということだ。日沖、米沖間の関係のこのような性質がなければ、沖縄にさらにもう一つの基地を造るなど考えつきもしないだろう。このような言語道断の計画は、他に解釈のしようがない。(p.161)

【「醜い日本人」仲間へ 乗松聡子】
 むろん沖縄の人権が守られないのは日米安保条約のせいだけではなく、日米安保条約を維持し、その具体的な負担を沖縄に押し付け続けている日本の責任である。沖縄への基地集中を許し、また新たな基地建設を黙認し、沖縄の声に耳を傾けないか他人事として知らんぷりしている多くの日本人の責任である。2015年、総工費2520億円かそれ以上と見込まれた2020年東京オリンピック用の新国立競技場建設計画に「金がかかりすぎる」と反対の嵐が巻き起こり、新聞やテレビは連日トップ扱いで報道した。元オリンピック選手が涙ながらに反対を訴えるシーンも全国に流れ、世論の重圧に耐えきれないかの如くに同年7月17日、安倍首相は計画の白紙撤回を発表した。
 かたや辺野古新基地の総工費は「少なくとも3500億円」と政府は発表しており、米側の情報をもとに、1兆円に上るという指摘もある。同じ国家的プロジェクトでも、辺野古基地よりも予算的に低いものを「お金をかけ過ぎた」との全国的な世論が巻き起こって計画を変更させることが可能なのだという現実を、沖縄の人々は見せつけられた。辺野古の基地建設については、いくら沖縄から声を上げても大勢の日本人は他人事として素通りし、報道したとしても概して「沖縄がわがままを言っている」というような報道しかせず、新国立競技場計画を変更したような勢いの世論が起こることはないからだ。国家で起こる「多数決の暴力」が全国世論レベルでも起こっている。(p.10~1)

『週刊金曜日』 №1219 19.2.8

【辺野古「反対者リスト」を警備会社が作成 国の関与の疑いが濃厚に 渡瀬夏彦】
 さて、ここで取り上げたいのは。政府による人権侵害、市民運動弾圧の恐ろしさが、すでに沖縄において、殊に新基地建設ゴリ押しの現場において、露骨な形で常態化している問題だ。14年の着工以降、不当逮捕者が50人を超えていることも恐ろしい事実だが、プライバシーの侵害も看過できない問題だ。
 1月28日と29日、『毎日新聞』は1面でスクープ記事を掲載した。それは、16年5月に『沖縄タイムス』が報道した事実に関する詳報記事と言ってよいものだった。
 辺野古・大浦湾の海上警備を担当するライジングサンセキュリティーサービスという会社(沖縄での子会社の名はマリンセキュリティー)が、14年から辺野古新基地建設強行に抗議し海上行動に参加してきた市民の顔写真入りリスト60人分を作成したという大問題。
 『毎日新聞』はこのリストを入手した上で警備会社の幹部社員に取材するなど、事実の検証を進めた。その「反対者リスト」に学歴、家族構成などの情報を克明に記された人もいる。警備会社は『毎日新聞』の取材に「沖縄防衛局調達部次長」から指示があったことを示唆している。
 ただ防衛局側は「指示」の打ち消しに躍起で、16年8月には安倍内閣としても、仲里利信衆議院議員(当時)の質問主意書に対して「『リスト』を保有しておらず、お答えをすることは困難」との答弁書を閣議決定している。(p.5)

 本日の一枚、2003年8月に山ノ神と訪れた辺野古です。
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by sabasaba13 | 2019-02-27 06:25 | 鶏肋 | Comments(0)

沖縄の「NO」 1

 辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票で、反対の民意が明確に示されました。まずは、安倍首相の城狐社鼠、作家の百田尚樹氏によって「絶対つぶさなあかん」と罵倒された沖縄の二つの新聞社、「琉球新報」と「沖縄タイムス」の社説を熟読して、これまでの経緯を理解し、沖縄の人びとの思いに真摯に耳を傾けましょう。
県民投票で反対多数 埋め立て直ちに中止せよ  (琉球新報社説 2019.2.25)

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票で、反対の民意が明確に示された。特定の基地建設を巡り、民主主義で定められた制度によって県民が自ら意思表示をしたのは初めてだ。2月24日は沖縄の歴史の中で特筆すべき日になった。
 法的拘束力がないにもかかわらず、有権者の過半数が投票し、43万人を超える人々が新基地建設にノーを突き付けた。この事実を政府が無視することは断じて許されない。
 政府はこの結果を尊重し、新基地建設工事を直ちに中止すべきだ。市街地の真ん中にある米軍普天間飛行場は、県内移設を伴わない全面返還に方針を転換し、米側と交渉してもらいたい。まずは県民投票の結果をありのままに米国に伝え、理解を求めることだ。
 地元が反対する場所に基地を置くのは米国にとっても得策ではない。沖縄側の意向をくみ取る方が賢明だ。
 県民投票をせざるを得ないところまで沖縄を追い込んだのは、米国追従の姿勢を崩さず、知事選の結果さえ顧みない安倍政権だ。その背後には、沖縄に基地を置くのは当たり前だと思い込んでいたり、あるいは無関心であったりする、多くの国民の存在がある。
 県民投票を機に、基地問題を自分の事として考える人が全国で増えたのなら、投票の意義はさらに高まる。
 普天間飛行場の返還が具体化したのは1995年の少女乱暴事件がきっかけだ。米軍基地の整理縮小を求める世論の高まりを受け、5~7年で全面返還することを日米両政府が96年に合意した。
 当初示された条件は、普天間のヘリコプター部隊を、嘉手納飛行場など県内の既存の米軍基地内にヘリポートを建設し移転することだった。それが曲折を経て大規模な基地建設へと変容していった。
 23年前の県民投票で基地の整理縮小を求める強い意思が示された。だが今日、多くの県民の意向に反し、新たな米軍基地の建設が進められているのは由々しき事態だ。
 政府は辺野古移設が「唯一の解決策」と繰り返し述べているが、それは安倍政権にとっての解決策という意味しか持たない。新基地を建設したとしても普天間が返還される確証はない。「5年以内の運用停止」の約束をほごにしたように、さまざまな理由を付けて返還が先送りされる可能性が大きいからだ。
 さらに、建設工事の実現性も大きく揺らいでいる。予定地の軟弱地盤に対応し7万7千本のくいを打つ必要があるが、水深90メートルに達する大規模な地盤改良工事は世界的にも例がない。建設費は県が試算した2兆5500億円よりも、さらに膨らむ。
 沖縄の民意に反するばかりか、膨大な血税を浪費する荒唐無稽な工事と言わざるを得ない。玉城デニー知事は今回示された民意を足掛かりにして、断固たる決意で政府との交渉に臨んでほしい。


[辺野古「反対」7割超] 計画断念し代替策探れ (沖縄タイムス社説 2019.2.25)

 信念や確信、悩みや戸惑い。3択のどちらに投じられた票にも、それぞれの思いが込められているはずだ。県民投票の結果を厳粛に受け止めたい。今こそ「辺野古」を巡る対立と分断に終止符を打つ第一歩を踏み出す時である。普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票が24日、すべての市町村で実施された。 投票率は52・48%。反対票は、賛成票と「どちらでもない」票を合わせた数を大幅に上回り、投票資格者の4分の1を超えた。新基地建設に反対する玉城デニー知事は、県民投票によって今後の政策推進の原動力を手に入れたことになる。反対票は、昨年の知事選で玉城知事が獲得した過去最多の得票を上回り、40万の大台に乗った。
 辺野古埋め立てについて、県民投票で沖縄の民意が明確に示されたのは、今度が初めてである。このことは安倍政権の強引な埋め立て政策が民意によって否定されたことを意味する。軟弱地盤の改良工事に伴う「工事の長期化」という点からも、県民投票で示された「明確な民意」という点からも、新基地建設計画は、もはや完全に破たんした。政府は直ちに工事を中止し、県と見直し協議に入るべきだ。

 戦後、基地優先政策の下で自己決定権をないがしろにされてきた県民にとって、投票結果の持つ意味は大きい。米軍基地の整理縮小や日米地位協定見直しの賛否を問う1996年9月の県民投票は、労組が発案し主役を担う労組主導の運動だった。今回、署名活動を中心になって担ったのは、さまざまな立場の市民である。とりわけ対話を求める若い人たちの取り組みは、幅広い層の共感を呼んだ。昨年9月の県知事選で玉城知事を誕生させた「新しい政治」を求めるうねりは県民投票に引き継がれていたのである。
 政府の強引な土砂投入に対し、国内外から工事停止を求める声が相次いだ。ハワイ在住県系4世のロブ・カジワラさんが始めた米ホワイトハウスの請願サイトへの電子署名は、21万筆を超えた。県民投票に法的な拘束力はないが、だからといって、政府がこの結果を無視することは許されない。稲嶺恵一元知事も仲井真弘多元知事も、「軍民共用」「15年使用期限」、普天間飛行場の「5年以内の運用停止」などの条件を付して辺野古移設を認めた。だが、政府はいずれの条件も一方的にほごにし、説明責任すら果たしていない。地盤改良工事に伴って事業費が大幅に膨らむのは確実だ。工期の長期化も避けられなくなった。にもかかわらず、政府は工期も事業費もまだ明らかにしていない。県民投票に対して「静観」の姿勢を示した自民、公明支持層からも埋め立て「反対」の声が数多く示された。政府はこの事実を真剣に受け止めなければならない。

 衆参で3分の2を超える議席にあぐらをかいて、上から目線で工事を強行することは許されない。政府は、埋め立て工事を強行することで「もう後戻りはできない」というあきらめの空気を広げようとしたが、県民感情を逆なでしただけで、期待していたほどの効果は生まなかった。沖縄戦後史への深い理解なくして辺野古問題の解決策を見いだすことはできない。安倍内閣の政権運営は安定している。トランプ米大統領との相性の良さは抜群だ。安倍内閣が持つこの政治的資産は、辺野古問題を終わらせることにも、沖縄を犠牲にして米国への従属を深めることにも、いずれにも活用可能である。安倍首相の賢明な判断を求めたい。辺野古新基地建設計画を断念し、普天間の早期返還に向け、日米協議を開始すべきだ。
 "トランプ米大統領との相性の良さは抜群"という痛烈な皮肉には、思わず緩頬してしまいました。同じ穴の狢ということでしょうか。それはさておき、"沖縄戦後史への深い理解なくして辺野古問題の解決策を見いだすことはできない"という一文には、強く共感します。二言目には「普天間飛行場の危険性除去」を繰り返し、辺野古新基地の建設を強行する安倍首相ですが、それでは訊きたい。これまでずっとその危険性を放置し黙認してきたのは誰なのか、と。それは自民党政権と外務官僚ではないのか。それを口実にして沖縄に新基地を建設するとは、「盗人猛々しい」という俚諺そのものです。
 その危険性は、日本の外務省は現在、世界でただ一ヵ国だけ、「駐留外国軍(米軍)には原則として、受け入れ国(日本)の国内法は適用されない」という理解不能な立場をとっていること、つまり現実としての「占領体制」がいまだに継続していることに起因しています。(『知ってはいけない 2』 矢部浩治 講談社現代新書 p.68~70) なぜそうなってしまったのか、その歴史的経緯を知らないと安倍首相の無恥な言説にころりと騙されてしまいます。
 歴史を知らないとどうなるのか。今読んでいる『歴史という教養』(河出新書003)の中で、片山杜秀氏はこう述べられています。
 そのとき、あなたの言葉は、時間と空間の厚みを失って安っぽくなり、あなたの行動は独りよがりになって説得力を失い、あなたの事実認識は前例を知らないのでやること起きることを何でも新しいと錯覚し、あなたの思考は歴史と経験の厚みを持たないので何事も場当たり的になり、あなたが成功や失敗に学ぼうとしても、それが起きるスパンをとらえ損ね、成功と失敗の決定的瞬間のイメージしか持たないので何も学べず、かえって大きく間違え、あなたの態度は物事の生成のスパンを間違えるので忍耐も我慢も欠き、刹那の変化に溺れて、あなたのアンテナは短絡という"悪認識"から逃れられず、危機も危機と思わず、好機も好機と思わず、あなたは因果関係の見えないアンバランス・ゾーンの中に堕ちて行くのです。(p.35~6)
 安っぽい言葉、独りよがり、場当たり的言動、不勉強、忍耐と我慢の欠如、短絡的思考… あれ? 誰かさんを思い出しますね。よっぽど歴史を知らないのですね。マイケル・ムーア監督の言を借りれば、その御仁は空から降ってきたわけではありません。彼は、私たちそのものです。もし彼を排除しようとするのなら、私たち自身の振る舞いを変えなければなりません。

付記一。安倍首相は、反対7割超の結果を「真摯に受け止める」姿勢を示したそうです。真摯に受け止めて、新基地建設を強行したら、その姿勢は"真摯"とは言えません、断じて。この御仁は、言葉や論理の重要さにまったく頓着していないようです。ただその場を誤魔化し、言い逃れをし、自己を保身するための言葉の濫用。

付記二。百田尚樹氏の「絶対つぶさなあかん」発言は、2015年6月25日、東京の自民党本部で行われた勉強会「文化芸術懇話会」においてなされたそうです。佐藤優氏のブログによると、そこで彼は、「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」とも発言したそうです。悪徳不孤、必有隣。

 本日の一枚、2003年8月に山ノ神と訪れた辺野古です。
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by sabasaba13 | 2019-02-26 06:27 | 鶏肋 | Comments(0)

タンホイザー

c0051620_21553473.jpg ワーグナーは大好きです。壮麗な音楽と雄大な物語のコラボレーションには、身も心も打ち震えてしまいます。これまでも「リエンツィ」、「ニーベルングの指輪」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「トリスタンとイゾルデ」と聴いてきましたが、新国立劇場オペラパレスで「タンホイザー」が上演されると知り、矢も楯もたまらず山ノ神を誘って聴きにいきました。指揮はアッシャー・フィッシュ、演出はハンス=ペーター・レーマン、独唱はトルステン・ケール(T)、リエネ・キンチャ(S)、ローマン・トレーケル(Br)、演奏は東京交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団です。
 開演は土曜日の午後二時。わくわくしながら待っていると、幕が開き、あの魅力的な「タンホイザー序曲」が威風堂々と鳴り響きます。舞台には巨大な白い柱が林立し、移動したり色を変えたりして洞窟や領主の館や大聖堂を表現します。光や映像など最新技術を駆使した豪華な舞台装置に一安心。禁断の地ヴェーヌスベルクの洞窟で官能に耽り戯れるタンホイザーと女神ヴェーヌスですが、その衣装がそれなりに豪華なものでこちらも一安心。いや実はですね、ウィーン国立歌劇場で「リエンツィ」を見た時に、舞台装置は無機的な現代風、歌手がジーンズとスニーカーで登場したことにいたく落胆しました。やはり身銭を切って見ているのですから、日常を忘れさせてくれる演出をしてほしいものです。なおパンフレットに演出したハンス=ペーター・レーマンの、次のような言葉がありました。我が意を得たり。
 ただし、私は、作品が現代の諸問題につながることを示すために、人物をジーンズ姿で登場させたり、キャンプ場に置いてみたりはいたしません。そんなふうに演出しなければ作品の現代性に気づかないほど観客が愚かだとは、私は思っておりません。
 二人のまわりで新国立劇場バレエ団のメンバー扮する妖精たちが踊っていますが、素敵なバレエも楽しめるなんて幸せ。でも禁断の地であるだけに、もう少し官能的な踊りでもよかったかな。この場面でタンホイザーが歌う「ヴェーヌス讃歌」は、変調をくりかえしながら愛が高揚していくかのようです。か、い、か、ん。しかしタンホイザーは快楽に溺れる日々に満たされないものを感じてこの地を去ることを決意し、聖母マリアの名を叫びます。すると場面はヴァルトブルク郊外の谷間に一転、牧童の笛と歌が聴こえてきます。牧童を演じた吉原圭子氏の声がなんと美しいことよ。ビロードのような高音に聞き惚れてしまいました。はい、贔屓にさせていただきます。そこにローマへ向かう巡礼の一行が現われ、タンホイザーは罪の意識にとらわれます。新国立劇場合唱団が歌う荘厳な「巡礼の合唱」が素晴らしい。見事なアンサンブルと感情表現で、私の心身に積もった世俗の塵芥が洗い落とされていくようでした。「カルメン」の時も感じたのですが、この合唱団の力量には脱帽です。男声合唱を聴いて、美しいと思ったのは稀有なる体験です。最近、某合唱団に入った山ノ神も絶賛していました。そこへ狩りの帰り領主ヘルマンと親友ヴォルフラムが通りかかり、タンホイザーは宮廷に復帰することになりました。

 ここで25分の休憩。紫煙をくゆらしながら第1幕の余韻にひたろうと喫煙所のあるテラスに行こうとすると…撤去されていました。係の方に訊ねると、すこし離れたところにあるテラスに移動したとのこと、やれやれ全面禁煙ではなく幸甚でした。煙草に百害あるのは承知の上、堅気の衆に迷惑をかけないよう世間の片隅で吸うようにしているのですが、ここまで邪険にされると少々腹立たしくなります。『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎 ベスト新書99)の書評でも書きましたが、他の有害な物質への対応とあまりにも差があり不公正ではないかと感じます。例えば、最近読んだ『日本が売られる』(堤未果 幻冬舎新書)に下記の一節がありました。
 雑草も虫も全滅させるグリホサートの威力は凄まじく、使い始めて数年は農薬の使用量が少なくて済むが、ここには大きな問題があった。
 前述したように、使い続けると進化して耐性を持つ雑草が出現し、今度はそれを枯らすためにもっと強い除草剤を使うという悪循環で、農薬の量が増えてゆくのだ。
 2000年5月にアメリカ農務省が発表した報告書によると、過去5年で米国内の農薬使用量は大きく跳ね上がり、中でもグリホサートは他の農薬の5倍も増えていた。
 除草剤の量が5倍に増えれば、その分アメリカからの輸入遺伝子組み換え大豆に残留する農薬も多くなり、日本の安全基準に引っかかってしまう。この発表が出た同じタイミングで、日本政府はアメリカ産輸入大豆のグリホサート残留基準を、しっかり5倍引き上げた。これで残留農薬が5倍に増えた大豆は、何の問題もなく引き続き日本に輸入される。
 日本政府のきめ細かい協力姿勢は、米国アグリビジネス業界を大いに満足させたのだった。(p.67~8)
 安倍伍長率いる自民党政権が、私たちの"安全保障"など屁とも思っていないことがよくわかります。
 いかんいかん、タンホイザーの話だった。

 第2幕。ヴァルトブルク城内で、タンホイザーは恋人のエリーザベトと喜びの再会を果たします。そして歌合戦のために騎士や貴婦人たちが続々と集まってきます。この場面で演奏されるのが「行進曲」、私が一番聴きたかった曲です。舞台袖から現れて徐々に数が増えていく騎士・貴婦人に扮した合唱団、ああこれだけの人が歌ってくれるのかと思うだけでアドレナリンがびしびしと分泌してきます。色とりどりの衣装に身を包んだ騎士・貴婦人たちの集団が次々と現れて並び、そして歓喜が爆発する大合唱。もう一大絵巻ですね、素晴らしい演出でした。それにしても、これほど気持ちを高揚させ元気づけてくれる音楽があるでしょうか。中でも次のフレーズがいいですね。
Freudig begr?ssen wir die edle Halle, wo Kunst und Frieden immer nur verweil', wo lange noch der frohe Ruf erschalle.
 喜びてわれらは尊き殿堂にあいさつを送る。ここに芸術と平和は永遠にとどまれ! 喜ばしき叫びよ、長く響け!
 もう一度聴きたいな、アンコールで演奏してくれないかな。
 さて歌合戦ですが、領主は「愛の本質」という課題を歌い手に与えます。ヴォルフラムたちは精神的な愛を讃えて歌いますが、タンホイザーは反発して「ヴェーヌス讃歌」を歌い、快楽としての愛を礼賛します。一同は驚き、タンホイザーに剣を突きつけ殺そうとします。そこへエリーザベトが進み出て、彼の命を救うよう訴えます。すると遠くから微かに聴こえてくる荘厳な「巡礼の合唱」、思わず厳粛な気持ちになってしまう感動的な場面です。我に返って悔恨するタンホイザーに、ローマへ行って法王の許しを得るよう領主は命令します。"Nach Rom! (ローマへ!)"と叫びながらタンホイザーは走り去っていきます。

 25分の休憩の後、第3幕。ヴァルトブルク郊外の谷間で、エリーザベトとヴォルフラムがタンホイザーの帰還を待っていると、「巡礼の合唱」とともに巡礼たちが戻ってきますが、彼の姿はありません。彼女は自分を犠牲にして彼を救ってほしいと聖母マリアに祈り、去っていきます。そしてヴォルフラムは、彼女の祈りが聞き届けられるよう星に向かって「夕星の歌」を歌います。切なく高貴な歌ですね。
 するとやつれはてたタンホイザーが現われ、教皇の許しを得られなかったと語ります。絶望し慟哭するタンホイザー、彼を再び快楽の園へと誘う女神ヴェーヌス、必死で彼を引きとめるヴォルフラム、この三者のかけあいは、息が詰まるほど劇的でスリリングです。しかしヴォルフラムが「エリーザベト!」と叫ぶと彼は我に帰り、女神は消え去ります。そしてエリーザベトを納めた棺が彼の前に置かれると、彼は棺にすがって息絶えます。最後に神と奇蹟を讃える「巡礼の合唱」が歌われますが、すべてを浄化するような清らかな調べに心癒されました。そして幕。

 指揮も、オーケストラも、歌手も、合唱団も、バレエ団も文句なし。極上のひと時を過ごすことができました。多謝。今度は「ローエングリン」を聴きたいですね。

 付記。山ノ神が購入したパンフレットに、末延芳晴氏が寄稿されていました。彼によると、永井荷風がアメリカにいた時に、ワーグナー、ことに「タンホイザー」に心酔し、それをモチーフにして『旧恨』(『あめりか物語』所収)という短編小説を書いたそうです。へえ、今度読んでみましょう。荷風は娼婦イデスとの快楽に溺れており、『西遊日誌抄』(1906.7.8)にこう記しているとのことです。
 余は妖艶なる神女の愛に飽きて歓楽の洞窟を去らんとするかのタンホイゼルが悲しみを思ひ浮べ、悄然として彼の女(ひと)が寝姿を打眺めき。あゝ男ほど罪深きはなし。

by sabasaba13 | 2019-02-24 08:10 | 音楽 | Comments(0)

函館・札幌編(40):新千歳空港(15.9)

 そして日本国憲法を殺したこの「統治行為論」を生みだしたのが、1959(昭和34)年12月16日に、最高裁が出したひとつの判決でした。さらにこの判決は、米軍の事実上の治外法権を認め、さまざまな人権侵害をもたらす「法的根拠」をつくりだしてしまいました。さらに驚くべきことに、この裁判は、実は最初から最後まで、アメリカ政府の意を受けた駐日アメリカ大使のシナリオどおりに進行していたのです。日本では憲法が機能していない、その陰にはアメリカの暗躍があった、この恥ずべき歴史的事実がなぜ知られていないのでしょう。
 とても重要なことですので、長文ですが、『検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉』 (吉田敏浩+新原昭治、末浪靖司 創元社)から引用します。
 …始まりは1959年3月30日、「砂川事件」に関して東京地裁で言いわたされた、「米軍の日本駐留は憲法第九条に違反している」という一審判決でした。この判決に強い不満を持ったアメリカ政府が、当時のマッカーサー駐日アメリカ大使を通じて、それを早急にくつがえすため、ひそかに日本政府と最高裁の中枢にまで政治的工作と内政干渉の手をのばしたのです。
 マッカーサー大使は、当時の自民党・岸信介政権の藤山愛一郎外相ら外務省高官、田中耕太郎最高裁長官と秘密裏に連絡をとりあい、密談を重ね、最高裁で「米軍の日本駐留は違憲ではない」という逆転判決を得るためにさまざまな工作をおこないました。
 そして、なんと田中最高裁長官はマッカーサー大使に、最高裁での裁判日程や判決内容の見通しなどを報告しながら裁判を進めていたということが、前述のアメリカ政府解禁秘密文書によって立証されることになったのです。「憲法の番人」と呼ばれ、公明正大であるべき最高裁の名を、実は長官自らが汚していたのです。
 その後、1959年12月16日に、田中長官が裁判長をつとめる最高裁大法廷では、アメリカ政府の望みどおりの逆転判決が言いわたされることになりました。
 ここで強調しておきたいのは、田中耕太郎・第二代最高裁長官がその職にあったのは、まだ占領中の1950年から、安保改定があった1960年までということ。つまり彼は日本の独立回復後、最初の最高裁長官だったのです。その田中長官がアメリカからの内政干渉を受け、その意向に沿って行動していたわけですから、日本の最高裁は憲法の定める司法権の独立が侵された大きな歴史の汚点を背負っているのです。
 本書をお読みになったみなさんが、この事実を知って驚き、同時に強い怒りをお感じになることを心から望んでいます。この問題を放置しつづけるかぎり、日本がまともな法治国家になることも、人びとの基本的人権が十全に保障されることもありえないからです。普通の国なら、おそらく問題の全容が解明されるまで、内閣がいくつつぶれてもおかしくないような話なのです。
 最高裁への他国(アメリカ)政府の介入という問題に加えて、この判決はもうひとつ、きわめて重要な影響を戦後の日本におよぼすことになりました。それは米軍基地の存在を違憲ではないとするためのロジックとして、「〔安保条約のような〕わが国の存立の基盤にきわめて重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題については、憲法判断をしない」という「統治行為論」が使われたことです。その結果、政治家や官僚たちが「わが国の存立の基盤にきわめて重大な関係をもつ」と考える問題について、いくら市民の側が訴えても、最高裁は憲法判断をしなくてもよくなった。政府の違法な権力行使に対し、人びとの人権をまもるべき日本の憲法が、十分に機能できなくなってしまったのです。まさに「法治国家崩壊」というべき状況が生まれてしまったのです。
 近年、日本政府による憲法違反の事例は、米軍基地問題だけにとどまりません。日本経済をアメリカと日本の多国籍企業のために改造しようとする密室のTPP交渉、米軍と自衛隊の合同軍事行動のための秘密保護法制定、アメリカと共に戦争のできる国にするための集団的自衛権の行使に向けた解釈改憲など。その背後にはいずれもアメリカの利益と、それに呼応して自らの地位を維持しようとする歴代政権および官僚たちの思惑が見え隠れしています。
 そこには日米両政府の一種の「共犯関係」が成立しているといっていいでしょう。アメリカ政府が日本の外務大臣や最高裁長官などとひそかに接触し、望み通りの判決を出させた1959年の最高裁での「砂川裁判」は、そのような構図のいわば原型といえるのです。
 そして、自民党・安倍政権はなんとこの「砂川裁判」最高裁判決を、集団的自衛権行使の正当化のために持ち出しています。しかし、同判決は集団的自衛権を認めているわけではなく、全くのこじつけです。しかも、この判決はアメリカ側の干渉による黒い霧におおわれているのです。(p.2~4)
 アメリカに尻尾を振って司法への容喙を赦し、「統治行為論」によって憲法を殺し、日米地位協定によって主権を奪われても、蛙の面に小便、平気の平左。♪これが日本だ、わたしの国だ♪ その底無しの深淵を覗き込むと足がすくんでしまいます。どこまで堕ちてゆくのだろう。

 そして新千歳空港に到着、小腹がへったので「北海道ラーメン道場」内にあった「けやき」に入って、札幌味噌ラーメンをいただきました。お土産として、ロイズとモンシェールのコラボレーション、「堂島プリンスロール」を購入。
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 10:30発のANA056便に搭乗し、空路羽田を目指します。東京が近くなると、雲に隠れて頭だけが出ている富士山が見えました。まるでこの国の低劣さに、恥じ入っているようです。そういえば、この先には横田ラプコンがあるのでしたっけ。首都上空の管制権を米軍に握られ、首都の近くに米軍基地が置かれている国、♪これが日本だ、わたしの国だ♪
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-22 06:23 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(39):恵庭(15.9)

 「狸の湯 ドーミーイン札幌ANNEX」に戻り、山ノ神と合流。チェックアウトをして地下鉄に乗って札幌駅へ行き、JR千歳線に乗り換えて新千歳空港へと向かいます。途中に「恵庭」という駅がありましたが、ここが恵庭事件の舞台となった地なのですね。重要な事件ですので、日本大百科全書(小学館)から転記します。
 自衛隊法が民間人に適用された初の事件であり、4年間の全訴訟過程において自衛隊(法)の合憲・違憲が争われた。1962年(昭和37)12月11日北海道石狩支庁(現石狩振興局)管内の恵庭町(現恵庭市)の自衛隊島松演習場内で、牧場経営者野崎兄弟が演習用通信線数か所を切断した。演習場付近ではすでに1955年以来ジェット機の射撃訓練、大砲実弾演習によって難聴や家畜の乳量・受胎率低下などの被害が続いており、野崎兄弟はたび重なる抗議のすえ、万策尽きてこの挙に出たものであった。事件は当初通常の器物損壊事件として捜査されたが、1963年3月札幌地検が自衛隊法第121条違反(防衛用器物損壊)として起訴するや、自衛隊の違憲性を問う裁判として注目を集めた。以降、判決まで40回にわたる公判で、多数の憲法学者と400人に及ぶ大弁護団が自衛隊違憲論を展開し、地裁の憲法判断が期待された。しかし1967年3月の判決は憲法判断に触れず、両被告の行為が自衛隊法第121条の構成要件に該当しないとして無罪を言い渡した。検察側の控訴放棄で判決は確定したが、新聞は「肩すかし判決」と評した。
 ったく、日本の司法ときたら腰が引けまくりですね。しかし同じ北海道で、1969(昭和44)年に、夕張郡長沼町に自衛隊の地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」基地を建設するため、政府が国有林の保安林指定を解除したことに端を発し、自衛隊が合憲か違憲かをめぐる長沼ナイキ訴訟が起こります。1973年、一審の札幌地方裁判所(福島重雄裁判長)は原告の訴えを認め自衛隊を違憲とし、かつ国民の「平和的生存権」擁護の立場から保安林指定解除処分の取消しを命ずる画期的な判断を下しました。いわゆる"福島判決"です。しかし二審の札幌高裁も、最高裁も、一審判決を破棄しました。その際に、自衛隊が違憲か否かという高度に政治的な判断は司法審査の範囲外であるとする「統治行為論」を展開しました。行政府や立法府が違憲と疑われる行為をしても、それが"高度に政治的な判断"だと裁判所が認定すれば、憲法違反という判断をしない。これが日本国憲法を安楽死させた「統治行為論」、立憲主義の墓碑銘(epitaph)です。国家権力という怪物を縛る鎖、国家権力というライオンを入れる檻が、ほとんど機能していないのが日本という国家です。政府にとってこれほど楽な国はないですね、何をしても憲法違反に問われないわけですから。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-20 06:24 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(38):札幌(15.9)

 朝目覚めてカーテンを開けると、爽やかな晴天です。ただ残念ながら新千歳空港10:30発の便しかとれなかったので、どこにも行かずにすぐにホテルを発たなければなりません。朝の散歩がてら日本キリスト教団札幌教会(旧札幌美以教会堂)を見にいきませんかと山ノ神を誘うと、「行かない、寝てる」と即答。らじゃあ。
 佐藤製薬のマスコット「サトちゃん」に挨拶をして少し歩くと、道の彼方に赤レンガの北海道道庁旧本庁舎が見えました。
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 大通公園には、「さっぽろオータムフェスト」の出店が建ち並んでいました。生産者や料理人、醸造者などの作り手を紹介しながら北海道全域の農産物・海産物を販売するお祭りだそうです。その近くに「家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きてあるらし」という吉井勇の歌碑があったのには、これまで気がつきませんでした。彼が1955(昭和30)年に札幌を訪れたときに残した「北遊小吟」五首のうちの一首だそうです。
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 青空を突き刺すように屹立するテレビ塔を通り過ぎ、その先にある創成川を渡ると日本キリスト教団札幌教会がありました。八角柱の尖塔と青い屋根がチャーミングな愛らしい教会です。
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 ほんとうは久しぶりにイサム・ノグチ作のブラック・スライド・マントラを訪れたかったのですが、そろそろ出発の時間です。ホテルに戻りましょう。途中にあった北陸銀行札幌支店に、北海道と北陸の関係を紹介するポスターが貼ってあったので後学のために転記します。
 蝦夷地が北海道となった明治以降、政府はロシアに対する警備や資源開発を目的として北海道の開発に着手。やがて全国的に北海道への移住が本格化していった。中でも中心となったのは北陸であり、1886(明治19)年から1922(大正11)年までの37年間で、富山県、石川県、福井県からの移住戸数は約10万7千戸。全移住者の20%余りを占めている。これに伴って北陸の言葉や風習が道内各地に伝わっていった。勤勉で粘り強い北陸人気質は、開拓の最前線でいかんなく発揮され、現在でも代表者が北陸三県出身である道内有力企業の数は、170社以上に上っている。

 北前船は、船の重心を安定させるために積んだ石を各地に残したが、金沢の兼六園のシンボル徽軫灯篭(ことじとうろう)もその一つ。北前船主で加賀藩の豪商、木谷(きや)藤右衛門が寄進したといわれる。藤右衛門はのちに、北陸銀行前身である金沢第十二国立銀行の頭取を務めた。
 へー、あの有名な兼六園の徽軫灯篭は、北前船のバラストだったんだ、知りませんでした。
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 「モダン仏壇」という看板がありましたが、どんな仏壇なのだろう? 見てみたいものです。狸小路を歩いていると「札幌国際短編映画祭」「難民映画祭」というポスターがありました。こちらも興味ありますね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-18 09:17 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(37):モエレ沼公園(15.9)

 それではモエレ沼公園に行って、ライトアップされた「海の噴水」を見ることにしましょう。私は以前に見たことがあるのですが、山ノ神は未見。ぜひ見せてあげたく思います。開始時刻は午後六時半、現在の時刻は四時半なので余裕の吉田健一で着けると思ったのですが…甘かった。乗り込んだバスが渋滞に巻き込まれ、なかなか右折できません。大幅に時間をロスして新札幌駅に到着。さてここから札幌駅へと向かいますが、選択肢はJRと地下鉄の二つです。前者の空港快速は10分で着きますが一時間に四本。地下鉄は20分かかるが頻繁に出ています。一か八か前者を選択したところ、5分後に快速がありました。乾坤一擲の賭けに勝利。
 札幌で地下鉄東豊線に乗り換え環状通東駅へと向かいますが、17:45発のバスに乗らないと間に合いません。環状通東駅に着いたのは17:44、やる気満々の山ノ神はエスカレーターを脱兎の如く駆け上りますが、片方のゴム底がないので滑って前のめりに転んでしまいました。ぶちゃ。可哀そうに額・肘・膝を強打、額にはブッチャーのようなギザギザの傷痕が… 思わず腰が引けた小生を叱咤激励し、先陣を切る山ノ神。やれやれ、辛うじてバスに間に合いました。
 「モエレ沼公園東口」にて下車して速足で十分ほど歩くと、噴水に到着したのがジャスト18:30。セーフ。
 そしてライトアップされた「海の噴水」を鑑賞。イサム・ノグチが手がけた、直径48mの噴水芸術です。千変万化する水と、それを鮮やかに照らす様々な色の光、見惚れているうちにあっという間に十五分間が過ぎました。
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 バス停に戻り、やってきたバスに乗って環状通東駅に戻ります。途中、車窓から「洋服の青山」の「スーツ販売着数世界№1」という看板が見えました。そして地下鉄東豊線に乗って札幌駅へ。午後八時半に「炭焼き成吉思汗やまか」を予約してありますが、まだ時間があるのでJRタワー展望室T38に上がって札幌の夜景を楽しむことにしました。
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 まあ何ということもない平板な夜景でしたが、入場料720円は高いですね。
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 そして「炭焼き成吉思汗やまか」へ、席が全てうまるほどの人気店、予約をしておいてよかった。手切り生ラム・ラム肩ロース・マトン肩ロースがセットになった「盛り合わせ」を注文、癖や臭みのないジューシーなジンギスカンを堪能しました。餃子のような「羊(ラム)のパリパリ焼」も美味しいですね。
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 ホテルへ戻り、余市で買ったウイスキーをナイト・キャップにして就寝。さあ明日はいよいよ最終日です。
by sabasaba13 | 2019-02-16 06:23 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(36):「夷酋列像」展(15.9)

 さあそれではじっくりと拝見しましょう。前述のように、「クナシリ・メナシの戦い」の際に、松前藩が鎮圧のため武力などを背景に協力させたアイヌの有力者たちの肖像です。威風堂々とした風貌、頑強な体躯、鋭い眼光、豪華な蝦夷錦、思い思いのポーズをとる十二人の長たちとのご対面です。弓をひくシモチ、槍をもつイコトイ、鹿を背負うノチクサ、犬を連れたポロヤ、子熊を連れたイニンカリ、巨躯のツキノエ… その圧倒的な存在感を、あますところなく活写した波響の筆の冴えにも脱帽。そして何よりも胸を打たれたのは、アイヌに対する畏敬の念が絵にほとばしっていることです。未開な民族として侮蔑し見下す視線は、片鱗も感じられません。彼らを頤使した松前藩の威光を世に知らしめるために、実見以上に立派に描いた可能性もあるでしょうが、絵を見ているととてもそうは思えません。アイヌたちを対等な人間として描ききった波響に敬意を表したいと思います。ほんとに見にきてよかった。

 なお気になる点がひとつあります。実は2013年に納沙布岬を訪れたときに、「寛政の蜂起和人殉難墓碑」という碑に出会いました。碑文を転記します。
 寛政元(1789)年5月、国後島とメナシ(現在の標津町付近)のアイヌの人々が、当時この地域の場所請負人であった飛騨屋久兵衛の支配人らに脅かされて、僅かな報酬で労働を強いられ、やむなく蜂起し和人七十一人を殺害した。
 松前藩は、ノッカマップ(根室半島オホーツク海側)にアイヌの人々を集め蜂起の指導者三十七人を処刑した。このできごとは、"寛政クナシリ・メナシアイヌ蜂起"と称されている。
 この墓碑は、死亡した和人七十一人の供養のために文化9(1812)年に造られたと刻まれているが、誰がどこで造り、どこに建立しようとしたか、なぜ浜に打ちあげられていたかは、明らかではない。おそらく海上輸送の途中で船が難破し海中に没していたものと推定される。
 それが、造られてから丁度百年後の明治45年、納沙布岬に近い珸瑤琩の港で発見され、現地墓地入口に建立されていたが、昭和43年、国後島を望むこの地に移設したもので、当時の歴史を物語る重要な史跡である。
 この「クナシリ・メナシの戦い」については、観光案内所でもらったパンフレットに詳しい説明がありましたので、こちらも紹介します。
 蜂起直前のクナシリ・メナシ地方のアイヌたちは、過酷で強制的に働かされ続け、さらに番人の暴力、脅迫が続き、いつ何が起こっても不思議ではないという状況となっていました。そんな中、1789年(寛政元年)に国後島のサンキチが病気になり、和人から酒をもらって飲んだところ死んでしまいました。その後サンキチの弟マメキリの妻が和人から食べ物をもらい食べたら死亡し、アイヌの人々は毒殺されたと思い、国後や対岸の目梨(標津付近)にいた飛騨屋の家人や松前藩の役人達を次々に殺しました。蜂起したアイヌの人々は130人、殺された和人は71人にのぼりました。
 これを知った松前藩は260人の侍をノサップ岬に近いノツカマップに派遣しました。ノツカマップの大首長シヨンコやクナシリの大首長ツキノエ、アッケシの大首長イコトイらが松前藩に協力的であったため、松前藩との前面衝突は避けられましたが、戦いに関わった指導者ら37人がノツカマップで処刑されました。
 そう、どう見ても非は和人のほうにあります。しかしツキノエ、イコトイら大首長たちは松前藩に協力して仲間を見殺しにしてしまった。犠牲を最小限にするための苦渋の選択だったのか、松前藩による狡知なdivide et impera(分割統治)策によるものなのか、あるいは自己の利益のためにすすんで走狗となったのか。絵に描かれた、一抹の翳りのない威風堂々とした姿の内には、どのような思いがあったのでしょうか。気になるところです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-14 06:24 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(35):北海道博物館(15.9)

 部屋にミニボトルのセットを置いて外へ出ると小糠雨がふりだしています。地下鉄東西線で新さっぽろへ、バスターミナルへ行くと、午後二時でもうバスはない! なんたるちゃ。今さら後へは引けないので、タクシーで博物館へ行くことにしました。ところが運転手さん、北海道博物館は「開拓の村」の中にあると断言して、私たちを下ろします。あれ? 「開拓の村」の近くにあるはずだが。ま、地元のタクシー運転手さんの言うことですから間違いはな…あった。掲示されていた地図を見ると、ここからかなり離れたところにあります。やれやれ、雨の中、600mほど歩いて戻るはめになりました。おまけにタクシーから降りるとき、山ノ神の古い「ニューバランス」のゴム底が剥落してしまいました。やれやれpart2。
 やっとのことで北海道博物館に辿り着き、入場券を購入し、念のため受付の方にバスの有無を確認すると、あるとのこと。どういうこと? なお大混雑で20分待ちと言われましたが、思いの外すぐに見ることができました。
 まずはAIR DO機内誌『ラポラ』の特集記事を、後学のために転記しておきます。
 北海道南西部の桜の名所、松前町にある法源寺に眠る画人・蠣崎波響が、12人のアイヌの有力者を描いた「夷酋列像」。この原画は長く行方不明だったが、1980年代にフランスのブザンソン美術考古博物館で11点が見つかり、今月北海道博物館で公開される。海を渡った経緯は今も謎のままだ。
 「夷酋列像」は「絹本着色」という、絹地に濃淡の彩色を施す技法が使われていて、1枚のサイズはおよそ縦40cm×横30cm。モデルの人物は一人一人が強い個性を放っている。描かれているのは1789(寛政1)年、アイヌの人びとが幕府や商人たちの圧制に堪えかねて蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」の際に、松前藩が鎮圧のため武力などを背景に協力させたアイヌの有力者たち。この戦いの翌年、松前藩主・道廣は、波響に命じて彼らを描かせた。
 波響は松前家の生まれだが、家老の蠣崎家に跡継ぎがなかったため養子となり、生涯家臣として藩を支えた。藩主の道廣は異母兄に当たる。幼少のころから画才が認められ、叔父の勧めで浮世絵や漢詩など、さまざまな文化が花開く江戸へ出て、絵師の建部綾足(あやたり)や宋紫石(そうしせき)、後に大原呑響からも絵を学んだ。また、詩人としても優れた作品を残している。
 「夷酋列像」を完成して以降、他藩の絵師によって模写されるほど、波響の名声は京都や江戸の文化人に瞬く間に広まった。一方松前家は、北方の警備体制について幕府から疑念を抱かれ、1807(文化4)年に奥州梁川(やながわ)へ領地替えとなってしまう。この時波響は大名などからの注文に応じて大量の絵を描いてはその代金で藩の財政を支え、1821(文政4)年、松前家は奥州梁川から旧領松前への復領を果たした。
 晩年の波響は60歳で職を退き、花鳥風月を愛し、好きな絵を描き続けた。かつて京都では円山応挙に学び、酒井抱一、松村呉春、村上東洲らと交遊した波響は、豊かな画風を確立していた。人柄は温かく、野菜を届けてくれた農家へのお礼に、扇面に絵を描いて感謝の気持ちを伝えたという。

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by sabasaba13 | 2019-02-12 06:23 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(34):札幌へ(15.9)

 やってきたバスに乗り込み、いざ出発。車窓から風景を楽しみながら札幌へと向かいます。「北星学園余市高等学校」という看板がありましたが、全国から高校中退者や不登校経験者などを含む多様な生徒を受け入れている高校ですね。素晴らしい。そういえば、自民党所属の衆議院議員、あの義家弘介氏の出身校でもあります。日教組や戦後教育を敵視し、森友・加計問題では安倍上等兵を思いっきり擁護し、朝鮮学校への補助金に反対し、教育勅語精神の必要性を唱え、日本軍が慰安婦を強制連行したとする主張を否定し、選択的夫婦別姓制度の導入に反対している、日本会議国会議員懇談会所属のあの御仁です。やれやれ。ちなみに彼を選出したのは神奈川16区の有権者の方々です。
 そして「フゴッペ洞窟」という看板が見えました。続縄文時代の岩陰遺跡で、壁面のいたる所に人物や動物、船など原始的な図像が陰刻されていることで知られています。見学したいところですが、路線バスゆえにそうもいきません。無念。
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 やがて左にきれいな海と迫力ある断崖が織りなす絶景が見えてきました。
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 おっこれは珍しい、「教習中」という貼り紙のあるバスを見かけました。新米の運転手さん、怖そうな教官に負けず頑張ってくださいね。ふたたび小樽駅前を通り過ぎ、高速道路に乗ります。「銭函(ぜにばこ)」という出口の表示がありましたが、縁起が良いのでこの駅の切符が人気があると聞いたことがあります。
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 そして札幌駅前バスターミナルに到着。これから「夷酋列像」を見に北海道博物館に向かいますが、ミニボトル6本セットの重さが肩に食い込みます。みしっ。山ノ神に泣きを入れてホテルへ寄ってもらいました。エレベーターを待っていると、待ち時間つぶしのための「本日の豆知識」という掲示がありました。
コーヒー・紅茶のカップに受け皿がつくのはなぜ?

 スプーンをおくため…では、ありません。
 18世紀頃のイギリスでは、紅茶を飲むときカップから受け皿にあけて、冷ましながら飲む習慣があったそうです。当時の受け皿は今よりもっと深いものを使用していたそうなのです。
 フランスでも、このような習慣があったようですが、この飲み方はちょっと無作法だったようで、労働者階級のやりかたと非難されていたのです。さすがにこの飲み方の習慣は無くなったのですが、受け皿だけが残ってしまったようです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-10 07:27 | 北海道 | Comments(0)