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カルカス

c0051620_21312128.jpg 行きつけの洋食屋「マッシュポテト」には、近くの練馬文化センターで開かれるコンサートや催し物のポスターが貼ってあります。山ノ神がプラハに行っているので、一人で「ブーちゃんライス」を食べた後にポスターを眺めていると、ボリビアから来日する「ロス・カルカス」というグループが、フォルクローレのコンサートを開くとのことです。フォルクローレについては、「花祭り」とか「コンドルは飛んで行く」しか知らないド素人なのですが、世界のいろいろな音楽を生で聴いてみたいと常々思っております。わが敬愛するチェ・ゲバラが亡くなった地・ボリビアからはるばる来て下さることだし、チケットを購入して練馬文化センターに聴きにいってきました。
まずは公式サイトから、彼らの紹介を引用します。
愛しいボリビアの魂
 70年代からボリビアのコチャバンバで活動を始めた「ロス・カルカス」が不動の地位を得たのは、80年代初頭の「ワ・ヤ・ヤイ」Wa Ya Yayの大ヒットでした。80年代初めに初来日を果たし、これがキッカケになって日本の中にボリビア・フォルクローレ・ファンが急増し浸透していきました。1992年、フランスから突然出現したグループ「カオマ」により「ランバダ」が世界中に大ヒット。セクシーなダンスと共に一時は社会的現象にまでなったこの曲は、「ロス・カルカス」の「ジョランド・セ・フエ」(泣きながら)の盗作と判明して、一躍作曲者のゴンサロとウリーセス・エルモッサ兄弟が注目されるようになりました。以後「ランバダ」のオリジナルのグループとして、世界的に脚光を浴びることとなりました。
 ところがこのグループの精神的支柱だったウリーセスの突然の死によって、グループは低迷しましたが、日本人チャランゴ奏者の宍戸誠や創設者の息子ゴンサロJr.などの加入によって「新生カルカス」として歩み始め、かつての輝きを取り戻しています。未だにアンデス・フォルクローレ・グループとして№1の、結成47年の円熟味を加えた「永遠のロス・カルカス」が再上陸、日本のファンの心に永遠の記憶を残すことでしょう。
 客席はほぼ満員、年配の方が多かったのですが、固定したファンがかなりいるようです。そしてメンバーが舞台に登場、ボーカリスト、ギタリスト、管楽器奏者二人、チャランゴ奏者、そしてベースとドラムスの七人です。なおチャランゴを弾くのは、カルカスに憧れてボリビアに渡り、研鑽を積んでメンバーとなった宍戸誠氏です。
 聴いていて気持ちが良い、素敵な音楽でした。多彩で歯切れのよいリズム、哀愁と情感に溢れたメロディ、そして一番気に入ったのが管楽器群の音色です。フォルクローレでは、笛のことをビエントス(風)と言うそうです。蘆でつくった縦笛のケーナ、細い縦笛を何本も並べ結んだサンポーニャ、いずれもとても魅力的な音色でした。息(人間)と風(自然)と音楽が一体となったような音と溢れるような情感で、我が心を揺さぶってくれたガストン・グアルディア氏の演奏には頭を垂れましょう。
いずれも素晴らしい演奏でしたが、「K’illa Khoyllu」(キリャ・コイリュ)というインストゥルメンタル・ナンバーのドライブ感とスイング感には聞き惚れました。もちろんヒット曲の「Wa Ya Yay」(ワヤヤイ)と「Llorando se fue」(泣きながら)も、客席と一体となったノリノリの演奏でした。ただ、客席に対して手拍子を促すのはいかがなものかと思います。身も心も音楽に乗れば、自然と手拍子を叩くものでしょう。

 世界には、こんな素敵な音楽がまだまだあるのでしょうね。世界は、何と多様で、何と豊饒なことか。フォルクローレ、アルゼンチン・タンゴを生で聴いたので、次はぜひポルトガルのファドを聴いてみたいものです。
by sabasaba13 | 2019-05-30 06:22 | 音楽 | Comments(0)

『カメラを止めるな!』

c0051620_21273346.jpg 知り合いの映画ファンが口を揃えて、『カメラを止めるな!』を絶賛します。しかし好事魔多し、劇場で見る機会を失してしまいました。無念。しかしDVDが発売されていることを知り、さっそく購入。自宅のテレビで、山ノ神と二人でさきほど鑑賞しました。

 面白かった… まだ余韻に浸っております。ほんとうに面白かった…

 とりあえず公式サイトからあらすじを転記します。
 とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に本物のゾンビが襲いかかる! 大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。
 “37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル!”……を撮ったヤツらの話。
 映画全編をワンシーンで繋ぐ試みは、ヒッチコック監督が『ロープ』で行いましたが、アイデアの秀逸さで上田慎一郎監督に軍配を上げましょう。お見事でした。
 あまり饒舌に称賛するとネタがバレてしまうので、気をつけて慎ましやかに三点だけ語りたいと思います。

 まず主人公の映画監督と娘の描き方が秀逸でした。監督は気が優しくて腰が低いのはいいのですが、周囲に気を使い妥協してしまいます。それに対して映画監督修行中の娘は、己の求める映画を撮るために、周囲との軋轢も意に介しません。当然衝突する二人ですが、やがて娘の姿勢に感化されて、父も少しでも良い映画を撮ろうと努力するようになります。そう、おやじのビルトゥングス・ロマンですね。ちょっとジーンとしました。

 次に、こんなに意表をついた切り口とひねりの利いたアイデアで、しかもかなりの(たぶん)低予算で、これほど面白い映画が作れるとは! 有名俳優をキャスティングしたり、コンピュータを利用したりして、観客を動員しようとする映画が巷にあふれるなか、爽快感さえ覚えます。映画がもつ無限の可能性に、あらためて眼を開かれた思いです。

 そして最後に…本作を見て、映画をつくりたく、あるいは映画製作に関わりたくなりました。監督、脚本、演出、撮影、大道具小道具、衣装、俳優、それぞれが役割を果たし、時には一人で何役もこなし、時には議論をし時には喧嘩をし、さまざまなトラブルやアクシデントを乗り切り、みんなで一致協力してより良い映画へと鍛え上げていく。利潤のために人間が部品として扱われるこのご時世ですが、それぞれが細胞として映画という生命を生かしていく彼ら/彼女らの姿に羨望する覚えました。ある意味、本作は映画と映画人へのオマージュかもしれません。

 奥歯にもののはさまった言い方しかできないのをもどかしく思います。申し訳ない。でも一見の価値がある映画です。心からお薦めします。知人にむりやり見せて、前半部で「つまらん」と言われたら、ニヤリと笑って「お楽しみはこれからだ」と呟くのが無情の愉しみです。

 余談です。映画つくりの快楽を描いた漫画、細野不二彦氏の『あどりぶシネ倶楽部』(小学館)も佳作です。こちらもお薦め。
by sabasaba13 | 2019-05-28 06:23 | 映画 | Comments(0)

『セロ弾きのゴーシュ』

c0051620_1826365.jpg 山ノ神に誘われて、故高畑勲氏が監督したアニメーション映画、宮澤賢治原作の「セロ弾きのゴーシュ」を練馬区立生涯学習センターホールで見てきました。チェリストの末席を汚す者として、そして賢治ファンの一人として、見逃すわけにはいきません。いただいた資料より、あらすじと映画の紹介を引用します。
 ウダツのあがらぬ職業楽士ゴーシュは、内気で劣等感が強く、いつも楽長にしかられていた。仲間との交流もない彼は毎晩、家を訪れる動物たちを相手にセロを弾いてやる。いつしか動物たちとの対話の中から、彼の心はほぐれていき、町のコンサート発表会ではソロを弾くまでに、腕をみがき、人間としても成長していくのだった。

 高畑勲監督のアニメーション「セロ弾きのゴーシュ」は、杉並にあった小さなアニメーション制作会社オープロダクション(代表 村田耕一)が、高畑勲監督を招いて宮沢賢治の同名の原作を5年がかりでアニメーション化した自主制作作品です。完成は1981年。企画を、後に「風の谷のナウシカ」の作画監督を務める小松原一男、原画を才田俊次、美術を椋尾篁、音楽を間宮芳生が担当している。原作に登場する架空の音楽「インドの虎狩り」「愉快な馬車屋」は、間宮芳生がこの作品のために新たに作曲。高畑勲監督は、「私たちにとって主観的には青春映画でもあります」と述べ、作品のパンフレットには「自立に向かって苦闘している中高生や青年達にもぜひ観てもらいたい」と記しています。劇場公開は1982年ですが、1981年度の大藤信郎賞を受賞しています。
 会場はほぼ満席、いつもながら感じるのですが、若者の姿があまり見られません。関心がないのか、経済的困窮ゆえかは分かりませんが残念です。
 さてはじまりはじまり。寺井つねひろ氏のチェロ演奏と梶取さより氏のお話、「セロ弾きのゴーシュ」上映、高畑勲監督と親交のあったイラン・ グエン氏によるトークという三部構成でした。
 アニメーション冒頭の朴訥な題字は、弟の宮沢清六氏によるものだそうです。オーケストラが発表会で演奏する曲目については、原作では触れていないので不明です。ヒントは指揮者が言う「トォテテ テテテイ」というリズムだけです。NHK-FMの「きらクラ!」の「まりさん、たのもう!」コーナーで募集すれば曲名が分かるかもしれません。それはともかく、高畑氏はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と設定しましたが、大正解でした。この映画の最大の魅力は、音楽とアニメーションの幸福なマリアージュです。自然の美しさと恐ろしさを見事に音楽で表現した名作「田園」と、それを生き生きと活写するアニメーション。この曲は大好きなのですが、この映画で新しい魅力を教えてもらえた気がします。イラン・ グエン氏は、“ディズニーの「ファンタジア」は、アニメのために音楽を利用したが、本作は逆”と指摘されましたが、もはや利用する/利用されるという関係ではないですね。融合です。
 ストーリーも一工夫されています。主人公のゴーシュは、原作では中年男性という設定ですが、高畑氏は彼を青年に変えました。そして音楽に悩むと同時に、周囲の人たちと打ち解けない孤独な青年として描きました。動物(自然)に励まされながら苦悩を突破して、見事な演奏、そしてアンコールで何と彼が独奏をします。観客や団員の喝采を受けた彼は、その夜の打ち上げに参加します。ここは原作にはないシーンですね。ちなみに原作は下記のとおりです。
 曲が終るとゴーシュはもうみんなの方などは見もせずちょうどその猫のようにすばやくセロをもって楽屋へ遁にげ込みました。すると楽屋では楽長はじめ仲間がみんな火事にでもあったあとのように眼をじっとしてひっそりとすわり込んでいます。ゴーシュはやぶれかぶれだと思ってみんなの間をさっさとあるいて行って向うの長椅子へどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。
 するとみんなが一ぺんに顔をこっちへ向けてゴーシュを見ましたがやはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。
「こんやは変な晩だなあ。」
 ゴーシュは思いました。ところが楽長は立って云いました。
「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。 一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」
 仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云いました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうからな。」楽長が向うで云っていました。
 その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
 そしてまた水をがぶがぶ呑みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。
 そして美しい団員の女性と二人、窓辺に寄って空を無言で見上げます。ゴーシュの未来を祝福するような、素敵なシーンでした。
 イラン・ グエン氏によると、高畑氏は「生きる喜び」を生涯のテーマとしたそうです。この映画を見て納得しました。音楽を通して、アニメを通して、自然や動物を通して、そして若者を通して、「生きる喜び」を確かに受け取りました。ありがとうございます、高畑勲さん。

 なお宮沢賢治関連の史跡等を、これまでいくつか渉猟してきました。稚内にある「宮沢賢治文学碑」、詩碑「中尊寺」、盛岡市内にある銅像、花巻にある宮沢賢治記念館・生家・お墓、そして羅須地人協会です。よろしければご笑覧ください。

 余談です。『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』(新潮文庫)の中で、「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ」と団員を厳しく指導する指揮者のモデルが斎藤秀雄だと著者の中丸美繒氏は推定されていました。上京した賢治が、斎藤が指揮する新交響楽団の練習風景を見学していたことは間違いないようです。
by sabasaba13 | 2019-05-26 07:50 | 映画 | Comments(0)

『主戦場』

c0051620_22112976.jpg 『主戦場』という映画が面白そうです。山ノ神は野暮用があるため、一人で渋谷の「シアター・イメージフォーラム」へ見に行ってきました。まずは公式サイトから、紹介文を転記します。
 あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人YouTuberのミキ・デザキを、おそらくご存知ないだろう。ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心を掻き立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった。
 慰安婦たちは「性奴隷」だったのか? 「強制連行」は本当にあったのか? なぜ元慰安婦たちの証言はブレるのか? そして、日本政府の謝罪と法的責任とは……?
 次々と浮上する疑問を胸にデザキは、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(弁護士/タレント)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)、吉見義明(歴史学者)など、日・米・韓のこの論争の中心人物たちを訪ね回った。さらに、おびただしい量のニュース映像と記事の検証と分析を織り込み、イデオロギー的にも対立する主張の数々を小気味よく反証させ合いながら、精緻かつスタイリッシュに一本のドキュメンタリーに凝縮していく。そうして完成したのが、映画監督ミキ・デザキのこの驚くべきデビュー作、『主戦場』だ。
 映画はこれまで信じられてきたいくつかの「物語」にメスを入れ、いまだ燻り続ける論争の裏に隠された“あるカラクリ”を明らかにしていくのだが??それは、本作が必見である理由のごくごく一部に過ぎない。
 さて、主戦場へようこそ。
 おじゃまします。まずはこの映画をつくった監督の意図を、プログラムから引用します。
 私は制作過程で、この問題に関して影響力のある多くの人物に話を聞きました。おそらくこの方たちは、同じ場所に座って議論をすることはないだろうと思います。なにせ、率直に言って、彼らはお互いをひどく嫌い合っていますから。ある意味、論争の場は私の頭の中にあったと言えるでしょう。否定論者と慰安婦を擁護する側の双方が、自分たちの視点が正しいと私を説得しようとしていましたから。映画を観てもらうことで、皆さんの頭の中も「戦場」になるでしょう。しかしそれと同時に、映画を観た後に皆さんがさらに混乱してしまうという事態も避けたかったので、できる限りこの複雑な問題を紐解いていこうと、細心の注意を払いました。そうすることで、映画を観た人が最後には、この問題に関しての情報と知識を得ることができたと感じてもらえるように心がけました。
 そう、主戦場とは、この映画をみている観客の頭の中なのですね。そこで戦ってくれた皆さんを紹介します。
トニー・マラーノ(a.k.a テキサス親父)、藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)、山本優美子(なでしこアクション)、杉田水脈(衆議院議員/自由民主党)、藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州の弁護士/日本のテレビタレント)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会)、イン・ミョンオク(ナヌムの家の看護師/元慰安婦の娘)、パク・ユハ(日本文学者)、フランク・クィンテロ(元グレンデール市長)、林博史(歴史学者)、渡辺美奈(アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館)、エリック・マー(元サンフランシスコ市議)、中野晃一(政治学者)、イ・ナヨン(社会学者)、フィリス・キム(カリフォルニア州コリアン米国人会議)、キム・チャンロク(法学者)、阿部浩己(国際法学者)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)、植村隆(元朝日新聞記者)、中原道子(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター)、小林節(憲法学者)、松本栄好(元日本軍兵士)、加瀬英明(日本会議)
 いやはや、見事な構成の映画でした。大きく言って、慰安婦は性奴隷であったことを肯定する論者と、否定する論者に分けられると思います。慰安婦の実態や総数、強制連行の有無、歴史教育などさまざまな論点について、両者へのインタビューをかみ合わせながら、豊富な映像と事実の検証をおりまぜて論争をくっきりと浮かび上がらせるその手腕には脱帽です。例えば…
ケント・ギルバート-彼女たちは性奴隷ではなく売春婦でした。自由だったんですよ。まあ…すべてのケースで完全に自由だったわけではありませんが…奴隷ではありませんでした。実際、多額の金を稼いでいました。

藤木俊一-奴隷がね、銀行通帳に、もしくは郵便局の通帳にね、家が5軒分も買えるくらい貯蓄があったわけですよ。奴隷って貯蓄できるんですか?

(監督ナレーション) 歴史修正主義者が引き合いに出すのは元慰安婦のムン・オクチュ氏の銀行口座の明細書だ。一見、確かに多額の貯金があるようにみえる。

吉見義明-ムン・オクチュさんの回想を読んでみますと、業者はまったくお金をくれなかった、あるいはほとんどくれなかったと言っています。で、そのお金は軍人、特に将校からチップとしてもらったというふうに言っています。将校たちがチップとしてなぜ一見高額と思われるお金を渡すかというと、ビルマはものすごいインフレなので、たとえば500円とか1000円持っていてもほとんど何も買えない。持っていてもしょうがないのでチップとして渡すということがあったわけですね。

櫻井よしこ-ただ、新聞広告などが今も残っていますね。慰安婦募集、そこのところに多くの女性が詰めかけたということも事実ですので、私は今言われている女性たちの問題の本質は性奴隷ではなかったと思います。

林博史-この資料というのは、朝鮮総督府の基本的機関紙にあたる新聞ですけれども、つまり慰安婦にされるような女性たちは、まず読んでいないわけです。これは基本的に業者向けなんです。ですから、業者向けに出しているので果たしてこの通りに、実際にそれだけの給料を払うかわからないですが、まずはここから言えるのは、年齢はたとえば17歳以上とか18歳以上というふうになっていますね。つまり未成年者なんですよ。ですからもうひとつの、未成年者は慰安婦にしなかったというのは嘘だということがはっきりわかりますよね。
 さて、私の軍配です。上記のやりとりからも分かるように、肯定論者側の理路の方がしっかりとしており、論拠も実証的なものに思えます。対して否定論者側の説明はやや雑ですね。よって私は、慰安婦は性奴隷であったと判断します。
 もう一つの決定的な理由は、映像から感じた両者の印象の違いです。笑みを浮かべながら饒舌に語る否定論者と、慎重に言葉を選びながら真摯な表情で語る肯定論者。人間の本性まで暴いてしまう、映像というのものは恐ろしいものだとつくづく思いました。もしかすると監督の狙いもそこにあるのかもしれません。中でも?然としたのは、否定論者であり、「日本会議」と深く関わる加瀬英明氏が、ニコニコと屈託なく笑いながら、肯定論者の著書・論文を読んだことがないと答えた場面です。否定論者たちの底の浅さを思い知らせてくれた見事なインタビューでした。

 というわけで慰安婦論争に関する知識や情報を得、日本やアジアのより良き未来を構想するうえで必見の映画です。最近読んだ『国民国家と戦争 挫折の日本近代史』(加藤聖文 角川選書593)にこういう一文がありました
。 歴史とは国民としての「誇り」を抱かせるためにあるのではない。そんなことは国民国家の基礎が不安定などこかの国がやればよいことであって、成熟した国民国家がやるべきことではない。失敗したことを直視し、同じ失敗をしないためにどうするべきかを学び、そしてどのような国家を自分たちが創っていくべきかを考えるためにある。(p.211)
 うーむ、もしかすると日本は不安定で未熟な国民国家なのかもしれません。その国民をまとめあげるためには“日本人であることの誇り”という接着剤が必要であり、それを傷つけるような歴史は直視したくないというのが否定論者諸氏の思いなのかな。たとえ同じ失敗を繰り返すことになっても。
 それにしても、ここまで否定論の粗雑さを描いて、ミキ・デザキの身に危険が及ばないのかと心配になります。映画作家・想田和弘氏が、こう記されていましたが、同感です。
 必見の映画だが、内容については書きたくない。なるべく先入観を持たずに、真っさらな目で観てほしいからだ。同時に、この勇気ある監督の身の安全を本気で心配してしまう。それほど問題の核心に切り込み、火中の栗を拾っている。それほど日本は危ない国になっている。
 なお本作で一番衝撃的だったのは、韓国に留学している女子大学生が、インタビューに対して「慰安婦? 知らない」と意味もなく笑うシーンです。心胆が寒くなりました。何が可笑しい?

 余談その一。慰安婦のモニュメントである「少女像」のことが、映画の中で触れられていました。テキサス州グレンデール市の少女像建設をめぐって、日系アメリカ人の右派が像の撤去を求めて裁判を起こし、それを日本会議や安倍政権が全面的に支援したそうです。ちなみに裁判は否定派の敗訴が確定。けれども、作者であるキム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏ご夫妻がどんな思いを込めてこの像を制作したのか、知らない人も多いのではないでしょうか。よろしければ拙ブログをご覧ください。

 余談その二。否定論者の一人として本作に登場した杉田水脈衆議院議員について、松尾貴史氏が語った『違和感のススメ』(毎日新聞出版)を最近読みました。性的少数者(LGBTなど)の方たちについて、「生産性がないので税金で支援するのはおかしい」と語った方ですが、他にもいろいろな問題発言をされているのですね。
 保育施設が不足している問題については、「待機児童なんて一人もいない。待機しているのは預けたい親でしょ」などと語っている。(p.79)

 また、杉田議員は性暴力の被害を訴えている女性ジャーナリストについて、「女として落ち度がある」と言っている。(p.79)

 また、財務省の事務次官による女性記者へのセクハラについては、その騒ぎを「現代の魔女狩り」と評し、「男女平等は絶対に実現し得ない、反道徳の妄想」という、前近代的で野蛮な妄言も吐いている。(p.80)

 有権者は牢記して、選挙の時に必ず考慮すべきことだろう。こんな人物を国会議員として許容している国民だと、諸外国から思われてしまうことに強い羞恥心を覚える。一刻も早く議員を辞職して、願わくば人権に影響する職業には就かない欲しい。彼女こそ議員として「非生産」であり、国民の金で養うべきではない。(p.80)
 なお前述の少女像裁判について、「少女像のために日系人の子どもたちがいじめられている」と発言していましたが、まったく根拠のないものであることが映画で指摘されています。
 やれやれ、こういう人物を、中国ブロックで比例単独で1位に据える自民党の見識を疑います。と同時に、その政党に政権を与えている有権者や棄権された方々の見識も。
by sabasaba13 | 2019-05-24 06:22 | 映画 | Comments(0)

『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』

c0051620_18221723.jpg 私の大好きなビル・エヴァンスのドキュメント映画、『タイム・リメンバード』が公開されるというビッグニュースを知りました。これは何がなんでも見たい。山ノ神を誘って、「アップリンク吉祥寺」へ見に行きました。ほぼ満席でしたので、ジャズの人気はさほどなくなってはいないようです。一安心。若者が多かったのが意外でしたが、たいへん嬉しいことです。人気投票やお金のためではなく、音で美を表現したいという高い志をもった音楽家は、世代を超えて支持されるものと確信しております。
 さて、はじまりはじまり。数々の名盤を残したジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス(1929~80)の51年の生涯を辿ったドキュメンタリー映画です。幅広い分野でドキュメンタリーを撮ってきたブルース・スピーゲル監督が、8年の歳月を費やして制作しました。ビル本人の肉声や映像・写真、演奏シーンを中心に、彼と共演したジャズマンたちへのインタビューをまじえて、「時間をかけた自殺」とも言われる彼の人生を再現していきます。そのインタビュイーの顔ぶれが凄い。トニー・ベネット、ジム・ホール、ポール・モチアン、ゲイリー・ピーコック、ボブ・ブルックマイヤー、ジャック・ディジョネット… 綺羅星の如き名プレイヤーたちの映像を見られただけでも来た甲斐があったというものです。それにしても、端正な容姿とリリカルな演奏からは想像もつかないほど、凄絶な人生だったのですね。放埓な女性関係と重度の薬物中毒、兄や愛人の自殺、はじめて知ったことばかりでした。彼を奈落の底へ落としたのは麻薬だと思いますが、あれだけの技術と才能を持ちながらなぜ麻薬にのめりこんでいったのか、その探求があまりなかったことに物足りなさを感じました。プログラムに掲載されていた監督の話に、そのヒントがあるような気がします。黄金のトリオを組んだ、ドラマーのポール・モチアンへのインタビューです。
 「知っているかい?」とポールは言いました。「ビルは自分がすばらしいピアノ・プレイヤーだと思っていなかった。才能があると思っていなかった」
 「私は彼に言ったよ。“君の才能はすごいよ、何を言っているんだい?”」
 「ビルは委縮することもあった」とポールは言いました。「それを乗り越えるために、セッションをした」
 萎縮? あれほどの才能と技術がありながら、何を恐れていたのでしょう。彼が麻薬に溺れた理由はこのあたりにありそうです。映画の最後で、歌手のトニー・ベネットが、エヴァンスから「美と真実を追求し、他のことは忘れろ」とアドバイスを受けたそうです。美と真実… 美はわかりますが、彼にとっての真実とは何だったのでしょうか。たしか映画の中で彼は、「1音を弾くごとに、自分が見えてくるんだ」と言っていたのですが、本当の自分を音楽で表現することではなかったかと想像します。口で言うのは簡単ですが、これは至難なことでしょう。本当の自分とはどういうものか。それが醜く卑小なものだったらどうするのか。おそらく彼は一切の妥協を排して自分を凝視し、それを音楽で表現しようとして、その重圧にしばしば押しつぶされたのではないか。そして麻薬へと逃避したのではないか。

 この映画のもう一つの見どころは、何と言っても素晴らしい演奏のシーンです。鍵盤に食い入るように前かがみとなる独特の姿勢から紡ぎ出される美しいメロディ。あれは、本当の自分と対話しようとしているのかもしれません。とくに、スコット・ラファロ(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)と組んだ黄金のトリオの映像には、感無量でした。三者が三様に自己を表現しながら、一つになって対話をしているかのような見事な演奏。中でも、低音弦楽器奏者の末席を汚す者として、スコット・ラファロの演奏には脱帽です。卓抜なテクニックと類まれなる歌心、私が憧れるミュージシャンの一人です。スピーゲル監督は、下記のようなポール・モチアンの話を紹介してくれました。
 私がインタビューした多くの人たちは、とても嬉しそうにビルのことを話してくれたのですが、ポールはもっと話したくて、ビル、スコット、ポールが『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』をライブ録音した、1961年6月11日の運命的なギグについても語ってくれました。その日曜日には、何か魔法のようなとても美しいことが起こったのです。トリオ・レコーディングについてのビル、スコット、ポールそれぞれの違ったビジョンが頂点を迎え、音楽への異なるアプローチがありました。それぞれの楽器が、彼らの音楽の中で互いに依存せずそれぞれがソロをとるなかで、楽器の新たなそしてより新鮮な独自性が生まれました。音楽は進化の新たな章を奏でたのです。
 「私たちは2週間ぶっ続けでヴァンガードで演奏した。多くの夜、トリオのサウンドは素晴らしいもので、本当に新たな極みに到達した。その運命的な日曜日のレコーディング・セッションの最後、ギグが終わると、私たちは微笑んでいた。新たなトリオに不可能はなかった。悲劇が数週間後に起こるなんて誰だって思いもしなかった」
 この時のライブ演奏が、『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』と『ワルツ・フォー・デビイ』という二枚のレコードで聴けるとは何て幸せなのでしょう。ありがとう、オリン・キープニューズさん。しかし、その数週間後に、スコット・ラファロが交通事故で亡くなるという悲劇が起こり、このトリオは消えてしまいます。

 音楽の素晴らしさとジャズの奥深さを堪能できた映画でした。お薦めです。
by sabasaba13 | 2019-05-22 07:19 | 映画 | Comments(0)

かもめ

c0051620_913673.jpg アントン・チェーホフの戯曲や短編小説は文庫でよく読んだのですが、実際の演劇は見たことがありません。常々、彼の脚本による舞台を見てみたいものだと思っていたのですが、ようやくその思いが叶いました。新国立劇場の芸術監督・小川絵梨子氏と演出家・鈴木裕美氏が全キャストをオーディションで選考して、『かもめ』を上演するそうです。小川氏は、作品を中心に据え置いて、作品に必要な俳優と出会うためだと言っておられますが、たいへんなご苦労だったでしょう。これはぜひ見てみたい。山ノ神を誘って、初台にある新国立劇場で観劇してきました。なおイギリスの劇作家・トム・ストッパードによる英訳版を翻訳して使用していますが、小川氏によると、リズムが良く会話体が多いというのがその理由です。まずはあらすじを紹介します。
 ソーリン家の湖畔の領地。彼の妹である女優のアルカージナと愛人の小説家トリゴーリンが滞在している。アルカージナの息子コンスタンティンは恋人のニーナを主役にした芝居を上演するが、アルカージナは芝居の趣向を揶揄するばかり。コンスタンティンは憤慨しながら席を外すが、アルカージナは、ぜひとも女優になるべきだ、とニーナをトリゴーリンに引き合わせる。ニーナは、トリゴーリンに名声への憧れを語り、徐々にトリゴーリンに惹かれていく。コンスタンティンは自殺未遂を引き起こし、さらにはトリゴーリンに決闘を申し込むが、取り合ってすらもらえない。モスクワへ戻ろうとするトリゴーリンに、ニーナは自分もモスクワに出て、女優になる決心をしたと告げ、二人は長いキスを交わすのだった。
 2年後、コンスタンティンは気鋭の作家として注目を集めるようになっている一方で、ニーナはトリゴーリンと一緒になったものの、やがて捨てられ、女優としても芽が出ず、今は地方を巡業している。コンスタンティンがひとり仕事しているところへ、ニーナが現れる。引き留めるコンスタンティンを振り切り、再び出て行くニーナ。絶望のなか、部屋の外へと出て行くコンスタンティン。そして…
 さすがに自らこの舞台にあがりたいと望んだ俳優のみなさんたち、熱気にあふれる演技でした。それにしても摩訶不思議な劇です。主人公が誰なのか、よくわからない。悲劇なのか、喜劇なのか、よくわからない。幾重にも連なる一方的な恋愛。自分のことは雄弁に語るのに、人の話を聞こうとしない登場人物たち。想像力をかきたてる衝撃的なラスト・シーン。
 『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(光文社古典新訳文庫)の書評でも紹介したのですが、チェーホフの不思議な魅力を読み解いた訳者・浦雅春氏の解説が秀逸なので再掲します。都会に住む花形作家であるという事実に居心地の悪さを感じ、何かというと脚を引っ張り合う気取った文学仲間にも馴染めず、底意地の悪い批評家たちに嫌悪感を覚えていたチェーホフは、そのような文学的な垢を洗い流すために流刑地・サハリンへと旅行をしました。浦氏によると、チェーホフにとってサハリンでの体験は大きな衝撃だったようです。閉ざされた流刑地サハリンにおいて、彼はロシア自体が「閉ざされた」サハリン島にほかならないこと、いや人間の存在そのものが「閉ざされた」ものであることを発見します。その結果、精神病棟に、屋敷に、自分の殻に、狭隘な考えに閉じ込められた人物たちが彼の戯曲にしばしば登場するようになります。
 そして、幼い少女が何の罪の意識もなく売春に走り、人間と家畜がひとつ床に雑居するサハリンの言語を絶する現実に、チェーホフは「あらゆるものを意味づける神=中心の喪失」を再確認することになります。彼は、それを「人間の条件」として受け入れる眼を獲得しました。その結果、彼の戯曲からは、主人公の視点によって成立する世界がなくなります(「主人公の喪失」)。事物、人間、思想、思念がすべて等距離にながめられる起伏のないのっぺりとした空間。意味づける中心がない世界と、自己に閉じ込められた個人、よってそこには会話は成立しません。よってチェーホフ劇は、累々たる言葉の屍が積み重なる「ディスコミュニケーションの芝居」となります。しかし浦氏曰く、それはコミュニケーションへの渇きにほかならない。言葉にはならないけれど、誰かにわかってもらいたい、きっとわかってくれるはずだ、それはもはやコミュニケーションではなく「祈り」に近い。ただその切なる願いも、チェーホフは醒めた目で突き放してしまいます。『かもめ』のラスト・シーンのように。
 “累々たる言葉の屍”がより積み重なる今だからこそ、チェーホフの芝居は人を惹きつけるのかもしれません。『三人姉妹』、『ワーニャ伯父さん』、『桜の園』もぜひ観てみたいものです。
 以前に、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるリゾート地・オパティアで、チェーホフの胸像を見かけました。よろしければご笑覧ください。
またしこしこと集めてきた、チェーホフの言葉も紹介します。
 小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である。

 君は人生とはなんぞやと訊ねてきているが、それは、ニンジンが何かと訊ねるのと同じことだよ。ニンジンはニンジンであって、それ以上のことはわからない。

 神には脇にいてもらおう。いわゆる偉大な進歩的な理想には脇にいてもらおう。人間からはじめよう。それが誰であれ―主教、百姓、百万長者の工場主、サハリンの徒刑囚、食堂の給仕であれ―人間に対して優しくし、思いやりをもとう。人間を尊敬し、憐れみ、愛することからはじめよう。それなしにはなにもはじまらない。

 世界はすばらしい、ですが、ただ一つすばらしくないものがある、それはぼくらです。

 過ちを犯すよりは、だまされている方がいいのだ。

 欺瞞こそ生存競争で最も確実な期待できる手段である。

 風邪を引いても世界観は変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状だ。

 嘘を吐いても、人人は信じる。ただ権威をもって語れ。

by sabasaba13 | 2019-05-20 07:35 | 演劇 | Comments(0)

戦禍の記憶

c0051620_18165092.jpg 大石芳野氏の写真展『戦禍の記憶』が、東京都写真美術館で開かれていると知り、山ノ神といっしょに見てきました。氏は、戦禍や内乱など困難な状況にありながらも逞しく誇りをもって生きる人びと、そして土着の文化や風土を大切にしながら生きる人びとを主なテーマとした写真を撮り続けられている方です。まずは展覧会の趣旨を、チラシから転記します。 
20世紀は「戦争の世紀」といわれます。二度にわたる世界大戦で人類の危機とでもいうべき大量の殺戮と破壊をもたらした後も安寧を迎えることはなく、米国、旧ソ連を軸とする東西の冷戦に起因する朝鮮戦争やベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻などが勃発しました。21世紀を迎えてもなお、世界のどこかでひとときも収まることなく戦争が続いています。
 戦争の悲惨な傷痕に今なお苦しむ声なき民に向きあい、平和の尊さを問いつづける大石芳野。広島や長崎、沖縄、朝鮮半島に大きな傷を残している太平洋戦争の後遺症をはじめ、メコンの嘆きと言われるベトナム、カンボジア、ラオスの惨禍、そして民族や、宗教・宗派の対立で苦しむアフガニスタン、コソボ、スーダン、ホロコースト…。本展では約40年にわたり、戦争の犠牲となった人々を取材し、いつまでも記憶される戦禍の傷にレンズを向けてきた作品約150点を展覧します。
 JR恵比寿駅から徒歩10分ほどで写真美術館に到着。館内に併設されている「MAISON ICHI」というパン屋さんでサンドウィッチと珈琲をいただいてから、鑑賞をしました。

第1章 メコンの嘆き
 ベトナムでは、アメリカ軍が散布した枯葉剤による後遺症に苦しむ人びと。カンボジアではポル・ポト政権によるジェノサイド政策の犠牲者。ラオスでは、ベトナム戦争でアメリカ軍が投下した爆弾の不発弾が大量に埋蔵され、その爆発によって傷ついた人びと。大石氏のカメラは、彼ら/彼女らの心に寄せるように向き合います。見ていて心が痛むのは、やはり傷ついた子供たちの姿です。氏曰く、「全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそこここにある」(目録p.47)。カート・ヴォネガットは『追憶のハルマゲドン』(早川書房)の中で「子供たちを殺すことは―“ドイツ野郎(ジェリー)”のガキどもであろうと、“ジャップ”のガキどもであろうと、将来のどんな敵国のガキどもであろうと―けっして正当化できない」と言いましたが、同様に子供たちを傷つけることはけっして正当化できないと、胸に刻みましょう。

第2章 民族・宗派・宗教の対立。
 ソ連による侵攻、アメリカによる攻撃、そして部族間の内戦が続くアフガニスタン。廃墟となった首都カブールで、必死に生き延びようとする人びとの姿が心に残ります。セルビアによる攻撃や弾圧にさらされるコソボ。きっとこちらを見据えるギゼルという少女の写真から、目を逸らすことができませんでした。
 セルビア側についたロマ人のギゼル(9歳)。一家は、戻ってきたアルバニア系勢力に家を燃やされた。「何も悪いことはしていないのに」。(p.91)
 そして豊富に埋蔵される資源をめぐる民族紛争が起こり、ダルフール地方では200万人以上の人びとが死と追放の憂き目にあったという南スーダン。
 章の最後は、ホロコーストの現場と生き残った方々の写真です。“何も悪いことはしていないのに”、ユダヤ人やロマ人であるというだけで、殺された人びと。人類はここから何を学んだのか、学ばなかったのか。民族や部族や宗教が違えば、殺してもかまわないという状況が、いまだ続いていることに慄然とします。

第3章 アジア・太平洋戦争の残像
 そして日本が深く関わったアジア・太平洋戦争によって、傷つけられた人びとの写真です。731部隊の現場と目撃者、中国残留邦人、従軍慰安婦、ヒロシマ・ナガサキの被曝者、沖縄戦を生き延びた人びと。伊江島で見つかった子供の小さな頭蓋骨の写真には、下記のキャプションがありました。
 自然壕が防空壕の役割を果たしたが、住民と日本軍が共用したので悲劇も絶えなかった。戦争で最も被害を受けたのは子どもたち。すべて大人に責任があると訴えるような子どもの頭蓋骨が伊江島の壕から現れた。(p.166)
 展覧会のタイトルを、“戦火”ではなく“戦禍”としたところに大石氏の意思を感じました。戦争のおぞましさは、戦闘中に傷つき殺されるだけではなく、その後も様々なかたちでずっと人びとを苛むということだと思います。枯葉剤、不発弾、悲嘆、憎悪、悔恨、まさしく禍です。それを防ぐためには、戦禍にあった人びとの姿を記憶すること、伝えること、そして心を寄せることが大切なのだというメッセージを受け取りました。この目録をときどき見つめ、お手軽・お気軽に戦争をしようとする輩に抗っていきたいと思います。
 なお本展でいちばん心に残ったのが、アフガニスタンのカブールで撮影されたオミッドという10歳の少年を写した二枚の写真です。私も山ノ神も、はじめは同一人物だと気づきませんでした。左の写真は、暗い目をして、パチンコで捕った小鳥を弄ぶ無表情のオミッド。右の写真は、ノートを広げて明るく微笑むオミッド。目に光があるのがはっきりわかります。キャプションはこうです。
 オミッド(10歳)の父親は戦死し、貧しさゆえに学校に通えない。パチンコで小鳥を捕って遊ぶ。(p.78)

 学校へ行きたいというオミッド。入学の手続きを手伝い、通学を始めた。丸刈りになって、毎日学校が楽しくて一日も休まない。(p.79)
 目録に掲載されていた藤原聡氏の解説によると、寂しそうに遊んでいるオミッドを見かねた大石氏が、証明写真を撮りに連れて行き、入学手続きの手助けをしたそうです(p.10)。微かですが、未来への希望を感じさせてくれる写真でした。世界中の子どもたちが安心して学校へ通い、友だちと遊び学び、そして戦争は自然現象ではなくそれによって利益を得る者が起こす人為的な禍であることを知ってほしいと切に願います。
by sabasaba13 | 2019-05-18 08:16 | 美術 | Comments(0)

新・正午浅草

c0051620_118680.jpg 劇団民藝が、永井荷風を主人公とした『新・正午浅草 荷風小伝』(作・演出=吉永仁郎)という劇を上演するとの情報を得ました。荷風ファンの末席を汚す一人として、これは見逃せません。おまけに今年は荷風生誕140年にして没後60年です。山ノ神を誘いましたが所用のために無理とのこと、独りで出かけることにしました。劇場は「紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA」、新宿タカシマヤ・タイムズスクエア南館の七階にあります。初日のため、かなり客席はうまっており何となく華やかな雰囲気でした。まずは公式サイトより、あらすじを引用します。
 昭和32年秋の昼下がり、市川市八幡。独りで暮らす77歳の荷風が、書斎にもち込んだ七輪に木片をくべて、野菜入りの自称釜飯をつくっている。そこへかつての愛妾お歌が久しぶりに訪ねてくる。お歌はわびしさに驚くが、荷風は2千万円の預金通帳を入れたカバンを置き忘れたことも面白おかしく語ってみせる。思わずお歌の視線はカバンへ。思い出話はやがて40年書きついだ日記へと移り、名作「?東綺譚」の娼婦お雪との日々がよみがえる…。
 何といっても、永井荷風(本名は壮吉)役を演じた水谷貞雄の見事な演技に脱帽です。頑固で、へそまがりで、女好きで、狷介で、辛辣で、でも優しそうでどこか憎めない荷風の風貌がよく伝わってきました。最後のほうになると、まるで荷風がよみがえって眼前にいるような気すらしてきました。
 冒頭で、荷風が“まつざきこうどう”の本を読みながら、老人が若い娘と寝るのは良いが子どもをつくってはいかんと独り言をつぶやく場面がありました。今にして思うと、「家庭を持たずに自由に生きる」という荷風の生き様を象徴した言葉なのですね。なお“まつざきこうどう”という方はどこかで聞いた覚えがあります。今調べたところ、松崎慊堂という江戸時代後期の儒学者で、渡辺崋山の師匠だった方でした。
 猫と遊びながら“釜飯”と自称する怪しげな料理をつくっているところに、かつての愛妾お歌が訪ねてきます。そして彼の日記『断腸亭日乗』を見つけ、荷風に読んでもらうところから劇は展開していきます。日記に出てくるエピソードの場面と、今現在の荷風の部屋との往復、よくできた脚本です。息子に社会的な地位と名誉を期待する厳格な父・久一郎(伊藤孝雄)と、それをかわしながら自由に生きようとする飄々とした荷風、この親子のやりとりが面白いですね。でも父に勧められた結婚を断れず、また尊敬する恩師・森?外に頼まれた慶応義塾大学教授の職を引き受けるなど、義理堅い一面もあります。とは言っても、父が亡くなるとすぐに離婚し、?外が亡くなるとすぐに職を辞してしまうのが荷風です。
 軍靴の音が鳴り響く時代になると、荷風は軍国主義を忌み嫌い、不服従・非協力の姿勢を貫きます。『断腸亭日乗』に下記の一文があるように。
 軍部の横暴なる今更憤慨するも愚の至りなればそのまま捨置くより外に道なし。われらは唯その復讐として日本の国家に対して冷淡無関心なる態度を取ることなり。(1945.5.5)
 劇では友人と共に馴染の静かなカフェを訪れて、持参したドビュッシーのレコードをかけてもらう場面がありました。彼は、フランスでドビュッシーの生演奏を聴いたことがあるのですね、羨ましい。なお現在からこの場面に転換するときに流れた曲は、ピアノ曲「夢」でした。そこに居合わせたのが菊池寛、国策に協力する彼を荷風は嫌い店から立ち去ります。
 そして日記は、玉ノ井で出会った娼婦お雪のことに触れますが、そう、『?東綺譚』のモデルとなった女性ですね。荷風に恋心を抱き結婚を申し込むお雪、自由に生きるために優しく断る荷風、そして傷心を押し隠して健気に明るく振る舞うお雪。しっとりとした良い場面でした。苦界にありながらも懸命に生きようとするお雪を、飯野遠が見事に演じていました。
 ふたたび現在へ、お歌は借金を申し入れますが、荷風にやんわりと断られて立ち去ってしまいます。自由と孤独のなか、誰にも看取られずに死んでしまう荷風…
 なお題名の「正午浅草」は、晩年の『断腸亭日乗』がほぼ毎日この一文のみ記されていることからつけられました。浅草にある「アリゾナ」でいつも昼食をとっていたのですね。空襲の際も、この日記だけは持ち出した荷風。たとえ四文字とはいえ、その日にしたこと/あったことを日記に書き残すことが、彼にとって生きる証だったのかもしれません。

 老境を迎えつつある私としては、いろいろと考えさせられたお芝居でした。演出家のピーター・ブルックに「演劇とは、自分と他人とが違うということを確認していく作業です」という言葉あるそうですが、荷風とは違う自分なりの老い方に思いを馳せるよいきっかけとなりました。
 なおあえて注文をつければ、国家や社会に対する痛烈な批判者であった面をもっと取り上げてほしかったと思います。荷風の視線は、今だからこそ必要ではないのかな。『断腸亭日乗』からいくつか紹介します。
 日本人は何事に限らず少しく目新しきものの盛になり行くを見れば忽恐怖の念を抱く。島国根性今以て失せやらぬものと見えたり。今日の時勢を見るに女給踊子の害の如きはたとへこれありとなすも恐るるに足らず。恐るべきは政治家の廉恥心なきことなり。社会公益の事に名を托して私欲を逞しくする偽善の行動最恐るべし。(1929.9.19)

 日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行もこれを要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起ることなり。然りしかうして個人の覚醒は将来においてもこれは到底望むべからざる事なるべし。(1936.2.14)

 昏暮土州橋よりの帰途銀座食堂にて晩餐を命ずるに半搗米の飯を出したり。あたりの客の様子を見るに、皆黙々としてこれを食ひ毫も不平不満の色をなさず。(以下十三行半切取。一行抹消)国民の柔順にして無気力なることむしろ驚くべし。(1939.12.2)

 日本人の口にする愛国は田舎者のお国自慢に異ならず。その短所欠点はゆめゆめ口外すまじきことなり。歯の浮くやうなお世辞を言ふべし。腹にもない世辞を言へば見す見す嘘八百と知れても軽薄なりと謗るものはなし。この国に生まれしからは嘘でかためて決して真情を吐露すべからず。富士の山は世界に二ツとない霊山。二百十日は神風の吹く日、桜の花は散るから奇妙ぢゃ。楠と西郷はゑらいゑらいとさへ言つて置けば間違はなし。押しも押されぬ愛国者なり。(1943.7.5)

 歴史ありて以来時として種々野蛮なる国家の存在せしことありしかど、現代日本の如き低劣滑稽なる政治の行はれしことはいまだかつて一たびもその例なかりけり。かくの如き国家と政府の行末はいかになるべきにや。(1943.6.25)
 壮吉さん、その行末が今なのですが、何てことはない、政治がさらに低劣で滑稽なものになり、即位と改元に沸き立つ国民はさらに柔順になっただけです。

 余談です。倉科遼の原作、ケン月影の作画による『荷風になりたい 不良老人指南』(小学館)という漫画があります。ケン月影が描く女性がみな同じ顔であることに辟易しますが、荷風の生涯を要領よくまとめています。
by sabasaba13 | 2019-05-16 06:15 | 演劇 | Comments(0)

河鍋暁斎展

c0051620_1341966.jpg 映画『金子文子と朴烈』を見に行くときに駅構内のポスターで知った河鍋暁斎展、山ノ神とともに訪れてきました。場所は六本木、東京ミッドタウンのガレリア3階にあるサントリー美術館です。ミッドタウンの桜も八分咲き、たくさんの人びとが詰めかけてスマートフォンで写真を撮っていましたが、展覧会会場も大混雑なのかな。まいったなと懸念したのですが杞憂でした。閑古鳥が鳴くほどではありませんが、牛歩の如き速度で列は流れていきます。
 まずはチラシの紹介文を引用しましょう。
 多様な分野で活躍した画鬼・河鍋暁斎、その画業については、長らく諷刺画や妖怪画などに焦点が当てられてきました。しかし近年の研究により、駿河台狩野家の伝統を受け継ぐ筆法と、独特な感性をもとに活躍の場を広げていった姿が明らかになりつつあります。
 卓越した画技を持っていた暁斎は、着色と水墨の両方を使いこなし、仏画・花鳥画・美人画など、多岐にわたるジャンルで優れた作品を遺しました。
 本展では、国内の名品およびイギリスからの里帰り作品を含む約120件によって、幕末・明治の動乱期に独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望するとともに、先人たちの作品と真摯に向き合った暁斎の作画活動の一端を浮き彫りにします。
 “その手に描けぬものなし”というサブタイトルとは、よくぞつけたもの。天馬の如き彼の筆は、天衣無縫にさまざまなものを描き尽くします。真面目な仏画、艶っぽい美人画、笑いをさそう風刺画や動物画、身の毛もよだつような残酷な絵や幽霊の絵。ただ見惚れるのみ。
 気に入った作品をいくつか紹介しましょう。水墨画の技の冴えを見せてくれるのが「枯木寒鴉図」。枯れた枝に屹立し、前方をきっと凝視する一羽の烏の凛とした佇まいに、思わず背筋が伸びます。筆と墨だけで、その烏の姿を通して“孤高”をこれほど完璧に表現した暁斎、脱帽です。
 「美人観蛙戯図」は、団扇を手に涼をとる妙齢の美人を描いています。彼女が微笑みながら見つけているのは、足元で遊んでいる蛙たち。「鳥獣戯画」を換骨奪胎したものでしょう、相撲をとったり、腕組みをしたり、煙管をくわえたり、子蛙を背負ったりと、さまざまな蛙の姿を生き生きとユーモラスに描いています。真面目な美人画と空想的な鳥獣戯画の合体、これぞ暁斎。
 思わず緩頬してしまうのが「貧乏神図」。ぼろぼろの服を着て渋い面の貧乏神は、もうこれ以外の姿は想像できないようなリアルさです。よく見ると、足元には注連縄でつくられた結界があり、彼がそこから出られないようになっています。おまけに表装もわざとぼろ布を使った手の込みよう。
 「大仏と助六」は、遊び心にあふれた絵です。縦長の紙に大仏の顔左半分を描いた大胆不敵な構図。しかも助六が踊りながらその鼻の穴に入ろうとしています。鼻道と花道の駄洒落なのですね。これが宴席で頼まれて即興で描いた絵(席画)だというのですから驚きです。
 仰向けに浮かぶ鯰に乗った猫と、曳き舟のように長い髭を引っ張る二匹の猫を描いた「鯰の船に乗る猫」は諷刺画です。当時、政府の高官をその髭から鯰になぞらえたそうです。また国家を揺るがす地震を引き起こすという意味もあったようです。その鯰を手玉にとる猫たち、その意気やよし。なお暁斎は、1870(明治3)年、40歳のとき、書画会で描いた作品が政府高官を嘲弄したとして投獄されましたが、こうした作品なのかもしれません。
 暁斎がますます好きになってしまう、素敵な展覧会でした。

 なおカタログに、暁斎の弟子であり友人でもあった建築家ジョサイア・コンドルが寄せた追悼文が載っていたので転記します。
 (暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。(p.194)
 彼の画業をよく理解し、そして敬愛の念をこめた素晴らしい追悼文ですね。
 余談ですが、暁斎が生まれた古河、彼が訪れた須坂の訪問記を上梓してありますので、よろしければご笑覧ください。
by sabasaba13 | 2019-05-14 06:20 | 美術 | Comments(0)

『金子文子と朴烈』

c0051620_21514851.jpg なぬ! 『週刊金曜日』の映画評を見たら、目が点になりました。『金子文子と朴烈』という映画が作られた、しかも韓国で。そもそも金子文子とはどんな女性か。拙ブログでも触れましたが、『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会 高文研)にある簡にして要を得た紹介文を再掲します。
金子文子(1903~26)-朝鮮人と連帯し天皇制国家と闘った日本人

 金子文子という人を知っていますか。1923年の関東大震災の際、朝鮮人の朴烈(パクヨル)とともに検束され、皇太子(のちの昭和天皇)を爆弾で殺そうとしたとして「大逆罪」に問われて、死刑判決を受けた女性です。
 文子は横浜で生まれました。家柄を誇る父が「婚外子」(法的な結婚をへないで生まれた子)であった文子の出生届を出さなかったため、正式に小学校に入学できないなどの差別を受けたり、父に捨てられた母の再婚などのため文子の少女時代は不幸でした。9歳の時、朝鮮に住む父方の親戚の養女となりましたが、権威的なその家でひどくいじめられました。三・一独立運動を目撃した時、強者に抵抗する朝鮮の人たちに「他人事とは思えないほど感激した」といいます。
 16歳で養女を解消されると、実父が勝手に結婚を決めたため、その圧力を逃れて東京で苦学しているときに社会主義・無政府主義などに出会いました。そしてこれまでの体験から「一切の権力を否定し、人間は平等であり自分の意思で生きるべきだ」という思想に到達しました。さらに、さまざまな法律や忠君愛国・女の従順などの道徳は「不平等を人為的に作るもので、人々を支配権力に従属させるためのしかけである。その権力の代表が天皇である」と考えました。
 19歳の時、日本帝国主義を倒すことを志す朴烈と同志的な恋愛をして一緒に暮らすようになり、「不逞社」を結成します。朝鮮の独立と天皇制の打倒を志す二人は、爆弾の入手を計画はしますが、実現できないうちに検束されました。
 若い二人は生き延びることよりも、法廷を思想闘争の場にしようと考えて堂々と闘いました。死刑判決後、政府は「恩赦」で無期懲役にしましたが、文子はその書類を破り捨て、3カ月後、獄中で自殺しました。23歳でした。民族や国家を超えて同志として朴烈を愛し、被抑圧者と連帯し、自前の思想をつらぬいた一生でした。(朴烈は1945年に解放されました) (p.84~5)
 一体どんなふうに彼女を、そして朴烈を描いたのだろう。これは是が非でも見に行かなければ。あまり気が乗らない様子の山ノ神を無理に誘って渋谷のシアター・イメージフォーラムに行きました。地下鉄副都心線に乗ると、駅構内に「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」という、サントリー美術館のポスターがありました。うわお、これも見たい。河鍋暁斎展は次の日曜日に行くことにしました。
 まずは映画の公式サイトから、あらすじを引用します。
 1923年、東京。社会主義者たちが集う有楽町のおでん屋で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心を奪われる。この詩を書いたのは朝鮮人アナキストの朴烈。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独さに共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として共に生きる事を決めた。ふたりの発案により日本人や在日朝鮮人による「不逞社」が結成された。しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は、関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。朴烈、文子たちも検束された。社会のどん底で生きてきたふたりは、社会を変える為、そして自分たちの誇りの為に、獄中で闘う事を決意。ふたりの闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。
 監督はイ・ジュンイク、パンフレットを購入して彼は尹東柱(ユン・ドンジュ)を描いた『空と風と星の詩人』という映画をつくっていることも知りました。これもぜひ見てみたい。
 「不逞社」の人たちがラジオ放送を聞き(※放送開始は1925年)、水野一人に全ての責を帰すなど史実と違うところも一部ありますが、おおむね歴史的事実に基づいたわかりやすい内容になっています。二人を弁護した布施辰治が登場するのも嬉しい限りです。
 この映画の見どころは、単純に日本の国家権力と民衆による朝鮮人虐殺を糾弾するのではなく、強大な国家権力にしたたかに抗う二人の若者の姿です。朝鮮人虐殺を糊塗するために、大逆罪を犯そうとした朝鮮人が実際にいたことをアピールしようとする日本政府。そのためには何としてでも裁判を成立させなくてはならず、その弱みにつけこんで二人はさまざまな要求をつきつけます。仲睦まじく寄り添う二人を写真に撮らせる(※いわゆる怪写真事件)、あるいは民族衣装で法廷に出ることを要求する。華やかな民族衣装で出廷した二人は、裁判をまるで結婚式のように仕立て上げてしまいます。
イ・ジュンイク監督は、プログラムの中でこう語っておられました。
 本作を通して、私は一人の青年の純粋な信念に光を当てたかった。そして今日の世界に生きる私たち全員に問いかけたかった。日本植民地時代の朴烈のように、私たちは世界と真正面から向き合っているだろうかと。
 そう、朴烈と、直接には触れていませんが金子文子の二人の姿を通して、世界と、そして権力と真正面から向き合おうという監督からのエールがびしびしと伝わってきました。
主役の二人を演じた俳優の演技が素晴らしい。ふてぶてしく、したたかに、ユーモラスに権力と闘いながらも時に憂愁の影がよぎる朴烈を、イ・ジェフンが見事に演じ切っていました。それに輪をかけて素晴らしかったのが、金子文子を演じたチェ・ヒソです。獄中で文子が書いた手記『何が私をこうさせたか』(筑摩叢書286)の中で、彼女はこう綴っています。
 「ああ、もうお別れだ! 山にも、木にも、石にも、花にも、動物にも、この蝉の声にも、一切のものに…」
 そう思った刹那、急に私は悲しくなった。
 祖母や祖父の無情や冷酷からは脱せられる。けれど、けれど、世にはまだ愛すべきものが無数にある。美しいものが無数にある。私の住む世界も祖母や祖父の家ばかりとは限らない。世界は広い。
 母の事、父の事、妹のこと、弟のこと、故郷の友のこと、今までの経歴の一切がひろげられたそれらも懐かしい。
 私はもう死ぬのがいやになって、柳の木によりかかりながら静かに考え込んだ。私がもしここで死んだならば、祖母たちは私をなんというだろう。どんな嘘をいわれても私はもう、「そうではありません」といいひらきをする事は出来ない。
 そう思うと私はもう、「死んではならぬ」とさえ考えるようになった。そうだ、私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらねばならぬ。そうだ、死んではならない。
 私は再び川原の砂利の上に降りた。そして袂や腰巻から石ころを一つ二つと投げ出してしまった。(p.84)
 世界の美しさと広さを認識する感受性、弱者・貧者への共感と連帯感、強者・富者への批判と憤怒、そうしたものを併せ持った金子文子という多面的で自立心の強い女性を、きわめて魅力的に演じていました。時には怜悧な小悪魔のような、時には清楚な少女のような、時には強健な闘士のような文子を演じ分けたその力量には脱帽です。ちょっとした表情やしぐさや視線で文子の多面性を表現したその演技には、鳥肌がたつほどに見惚れてしまいました。
彼女の演技だけでも必見の映画です、お薦め。

 それにしても、韓国映画の豊饒さと質の高さには驚いてしまいます。その理由の一端が、『週刊金曜日』(№1223 19.3.8)に載っていた、片山慎三監督へのインタビューでわかりました。(聞き手:中村富美子)
 日韓の映画業界の体質の違いにも敏感だ。売れ筋の原作で観客動員を見込む日本の映画業界の傾向に対し、韓国では「結末がわかっているようなものを作って何が面白いんだ、という考え。2~3年かけ、お金もかけてオリジナル脚本をちゃんと書く。だから全然違う。それが悔しかったです、韓国映画を見ていて」。
 それは国の文化政策の差でもある。脚本執筆中は無収入が普通の日本と、申請すれば国からの援助があって生活費に充てられる韓国。「それでヒットしたら興行収入を国に還元し、それがまた将来の支援へと回される」。この循環が、韓国映画の質を支えている。(p.50)
 嫌韓を叫んでストレスを発散させる方々にこそ、ぜひ見ていただきたい映画です。韓国から学ぶべきことは、けっこうありますよ。
by sabasaba13 | 2019-05-12 06:46 | 映画 | Comments(0)