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2019年参議院選挙 2

 今回の参議院選挙で憂慮したことが、投票率の低さに加えてあと三つあります。

 一つ目。当選した参議院議員における女性の割合が、相も変わらず低いこと。当選者124人中、女性は28人、つまり約23%しかいません。四人に一人以下という体たらくです。中でも政権与党の低さが際立っています。自民党は57人中10人(約18%)、公明党は14人中2人(約14%)でした。政府が唱える「男女共同参画社会」など口先だけ、些末な決定には女性を参加させるが、国策を決める国権の最高機関からは女性を(目立たぬように)締め出すつもりでしょう。なお当選議員における女性の比率が高かったのは、立憲民主党の17人中6人(約35%)、共産党の7人中3人(約43%)でした。

 二つ目。参院選候補者の応援演説をする安倍上等兵にヤジを飛ばした人を、警察官が排除した事件です。これは二回起きています。7月15日、JR札幌駅前で、聴衆の男性が演説中の首相に「安倍やめろ、帰れ」と連呼。別の場所の女性も「増税反対」と叫びました。警官数人が2人をそれぞれ取り囲み、身体をつかんで後方へ連れていった事件。もう一つが7月18日、大津市のJR大津京駅前で応援演説をしている首相にヤジを飛ばす男性を、警備の警察官らが会場後方で囲んで動けなくした事件です。警察が法的根拠もないまま、主権者が為政者に抗議する声を奪う。まともな民主国家だったらあり得ない、許しがたい暴挙です。
 この事件が起きた理由は、二つ考えられます。まず官邸からの有形無形の指示か圧力があった。あるいは警察が忖度(kiss ass)して独自の判断で起こした。再発防止のためにも、徹底した調査報道で真相を明らかにするのがジャーナリズムの使命です。期待しています。なお北海道警は、ヤジが公職選挙法違反(選挙の自由妨害)にあたる「おそれがある」としていましたが、現在「事実確認中」と見解を変えたそうです。おそらく右往左往しながら、いつもの手でみんなが忘れるのを、息をひそめて待っているのでしょう。
 いずれにせよ、官邸がすぐにこの事件に対して批判や非難をしていない以上、首相がこの暴挙を黙認していることは明らかです。もうこれだけで自民党を歴史的な惨敗に追い込むのが主権者の責務だと思うのですが、そうはなりませんでした。無念です。

 三つ目。これが最も重要で深刻な事態だと考えますが、若者の投票率の低さです。全体の投票率は48.8%でしたが、年齢別では、18歳が34.68%、19歳が28.05%。嗚呼、なんたるちあ。煎じ詰めたところ、政治に対する無関心に起因すると思いますが、海外の識者も日本の若者のアパシーには驚いたようです。例えば、雨傘運動で中心的役割を果たした学生団体「学民思潮」メンバーの周庭(アグネス・チョウ)氏が、初来日後のフェイスブックに次のように書き込まれたそうです。
 日本はかなり完璧な民主政治の制度を持っているが、人々の政治参加の度合い、特に若者のそれはかなり低い。日本に来て、私は初めて本当の政治的無関心とは何かを知った。
 また、ベネトンの写真家トスカーニが、原宿で日本の若者200人と話した結果こう語ったそうです。
 世界中でこれほど悩みもなく生きているのは彼らだけではないか。そして彼らは社会にも世界にもまったく関心がないし、なにも知らない。私には、彼らが天使に見えてきた。その天使は、これからわれわれが迎えようとしている悲劇を予告する天使のようだった。
 「政治とは、社会に対する価値の権威的配分である」という、D.イーストンの有名な定義がありますが、若者はなぜ"社会に対する価値の配分"に関心がないのか。若者たちが政治に無関心なまま社会の主軸になっていけば、投票率も低迷し(30%前後!?)、組織票をもつ自民党・公明党が権力の座に居座り続けるという悪夢を見ることになります。このことについては、日本の未来のためにも本気で考えなければなりません。
 と思っていた矢先に出会ったのが、yahooニュースで掲載されていた室橋祐貴氏(日本若者協議会代表理事)の意見です。氏は、若者には、民主主義の経験がない、つまり自分が参加することで状況を変えた経験がないということを挙げられています。長文ですが、重要な指摘だと思いますので一部を引用させていただきます。
 そして何より、2016年以降「主権者教育」が本格的に始まったにもかかわらず、10代の投票率が大幅に下がった(以前の20代よりも低い)という事実は大きい。現状の「主権者教育」が抱える問題は多いが、最大の問題は、"使える"ものになっていない点だ。文部科学省が定める主権者教育の目的は、「単に政治の仕組みについて必要な知識を習得させるにとどまらず、主権者として社会の中で自立し、他者と連携・協働しながら、社会を生き抜く力や地域の課題解決を社会の構成員の一人として主体的に担うことができる力を身に付けさせること」、簡単にいうと、自ら社会の問題を考え、行動していく主権者を育成することだ。
 しかし実際には、問題解決の手段として、「選挙」に偏り過ぎており、多くは「仕組み」にとどまる。過去に成立した法案がどういう問題を解決するものなのかも教えられない。もちろん、実際の法案成立過程や各党の違い、政治家が日々何をしているかも、教えられることはほとんどない。模擬投票を実施している学校もあるが、多くは架空の政党・候補者であり、せっかく本物の選挙があるのに、わざわざ架空の題材を作っている。(下記で述べるような制約がある中で、その努力自体は褒められるべきだが、実にもったいない)
 ドイツなどの国々では、小学生の頃から、問題解決の手段として、「市役所への連絡方法」、「メディアへの連絡方法」、「デモの手順」など、段階にあった方法を教えられる。ノルウェーでは、中学校の社会科などの授業の一環で、子どもたちが各党の「選挙小屋」を回り、候補者やその支援者に直接質問し、各党の違いなどをまとめる。そして、選挙があれば、本物の政治家(候補者や青年部)を学校に招いて、討論会を行っており、本物の政党・候補者で模擬投票を行う。
 日本では討論会どころか、本物の政治家に会う機会もほとんどない。「よくわからない人たち」もしくは(スキャンダル報道などによって)「イメージの悪い人たち」がやっているものに対して、急に「興味を持て」と言われても、普通に考えて無理だろう。
 このように、海外の主権者教育(政治教育)では現実社会で"使える"ものになっているが、日本ではそうなっていない。(他の教科も同様かもしれないが) この背景の一つには、「政治的中立性」に関する考え方の違いがある。
 文科省は2015年10月の主権者教育に関する通知(高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について)で、「議会制民主主義など民主主義の意義、政策形成の仕組みや選挙の仕組みなどの政治や選挙の理解に加えて現実の具体的な政治的事象も取り扱い、…具体的かつ実践的な指導を行うこと」を明記している。
 しかし一方で、「学校は、…政治的中立性を確保することが求められるとともに、教員については…公正中立な立場が求められており、…法令に基づく制限などがあることに留意する」と「政治的中立」を強調し、「教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること」としている。本来、誰もが政治的に「中立」であることは難しい。しかし現状の教育現場では、もし「政治的中立」から逸脱すれば、教育委員会や政治家から指摘される。そのため、この「政治的中立」を守るために具体的な事象を扱わない、先生は意見を述べない、のが正解 (現実)になっている。結果的に、上記で述べたように制度などの話にとどまり、ほとんど"使える"ものになっていない。
 他方、ドイツなどは、多様な意見を扱うことで「政治的中立」を担保しており、討論会などでは、全ての政党を招く(イデオロギーによる「拒否」は禁じているが、先方が自主的に欠席する場合など、出席は必須ではない)。
 ドイツの政治教育の指針になっている「ボイテルスバッハ・コンセンサス」では、意見が分かれる現実の政治問題を扱う際には、対立する様々な考え方を取り上げて生徒に考えさせ、その上で生徒一人ひとりの意見を尊重すること。これが守られていれば問題ないとされている。逆に言うと、意見が分かれる問題について、その真ん中の立場を探したり、そもそもそういう難しい問題を扱わないというのでは政治教育は成り立たないと考えられているということでもある。ただ日本の文科省や政治家が懸念しているように、先生が特定のイデオロギーに「誘導」することはあり得るかもしれない。そうした懸念がないのか、筆者がドイツ視察に訪れた際に、高校の校長先生に聞いたところ、(校長が答える前に!)生徒が手を挙げて、下記のように答えたことが強く印象に残っている。「先生が特定の方向(思想)に誘導しようとしたら、他の先生や親に相談するし、自分たちで判断できる」(ドイツの高校生) 逆に言えば、日本は「生徒は自分で判断できないから、意見が分かれるものは遠ざけよう」という考えが根底にあるように思える。(典型的なパターナリズムだ)
 しかし残念ながら、こうした「問題」があるにもかかわらず、自民党はこの「政治的中立」をより強化しようとしている。2019年参院選では、「教育の政治的中立性の徹底的な確立」として、下記の公約が掲げられている。

 間違っても学校教育に政治的なイデオロギーが持ち込まれることがないよう、教育公務員の政治的行為の制限違反に罰則を科すための「教育公務員特例法」の改正、及び法の適用対象を義務教育諸学校限定から高等学校などに拡大する「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」の改正。(出典:自民党 総合政策集2019 J-ファイル)

 ただでさえ日本は政治をタブー視する風潮が強く、「無色透明な」主権者教育の現場をさらに萎縮させたいのか、それははたして「主権者教育」なのか甚だ疑問である。
 政治報道と主権者教育の問題点を見てきたが、何より重要なのは、民主主義というのは「知識の獲得」ではなく、「実践」するものであるということだ。つまり、いくら教室で具体的な政治事象を学ぼうが、「民主主義」を経験しなければ、その意義や価値を実感することはできず、そうした場に参加しようと思えない。筆者が何度も書いているように、日本の若者の「政治的関心」は高い一方で、「自分が参加することで変えられる」と思っていない現状を見ると、こちらの方が重要だろう。
 例えば、スウェーデンやドイツなどでは、生徒が先生・校長らと対等に学校の校則や授業内容、給食の内容などについて話し合い、意思決定に関わる機会が確保されている。日本では、そもそも学校が民主主義になっておらず(学校だけではなく多くの会社や家庭もだが)、学校内のルールである校則なども基本的には上から決められており、遵守することばかりが重視されている。根本的には、こうしたパターナリズム的な考えをやめて、子ども・若者をきちんと社会の一員として対等に意見を尊重していく。そうした小さな積み重ねが、結果的に投票率向上にも繋がっていくだろう。選挙前だけ「投票に行こう!」と呼びかける、小手先の対処法ではもう限界だ。ずっと「子ども扱い」しておいて、有権者になって選挙に行かなかったら「最近の若者はー」と嘆く。そうした態度はあまりに無責任である。主権者教育や政治報道だけではなく、社会全体も変わっていかなければならない。「民主主義の危機」とも言える、低投票率となった今回の参院選を大きな転換点とすべきだ。
 斎藤美奈子氏が、『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマー新書)の中で述べられているように、本来「政治的中立」などありえないはずです。
 政治参加の第一歩は、あなたの「政治的なポジション(立場)」について考えることです。政治的なポジションは、結局のところ、二つしかありません。「体制派」か「反体制派」か、です。「体制」とは、その時代時代の社会を支配する政治のこと。したがって「体制派」とはいまの政治を支持し「このままのやり方でいい」と思っている人たち、「反体制派」はいまの政治に不満があって「別のやり方に変えたい」と考えている人たちです。
 さて、あなたはどちらでしょう。どっちでもない? あ、そうですか。そんなあなたは「ゆる体制派」「ぷち体制派」「かくれ体制派」です。どっちでもない、つまり政治に無関心で、特にこれといった意見がない人は、消極支持とみなされて自動的に「体制派」に分類されます。先にいっておきますが、政治的な立場に「中立」はありえません。(p.19)
 "政治的中立"という美名のもとに、教師や若者を「ゆる体制派」へと囲い込み、「反体制派」の芽を摘む。あるいは、使えない無味乾燥な政治教育を学校で施し、政治への興味・関心を失わせる。結果、若者たちの足が投票場から遠ざかり、組織票を有する自民党・公明党の議席が増える。そして自民党・官僚・財界という鉄のトライアングルが盤石なものであり続ける。ブラービ。
 「政治的中立」と使えない政治教育の強制は、このトライアングルによる深謀遠慮に基づいた策略だと考えざるをえません。日本はそう簡単に良くなる国じゃないということを前提に、それではどうすればよいのでしょうか。ドイツの「ボイテルスバッハ・コンセンサス」を参考に、政治教育のあり方を考え直す。学校における決定権に生徒を参与させて、積極的に発言・行動すれば価値の配分を変え、状況を改善できるという経験を積ませる。これについては『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』(新評論)という好著があります。また教育学者のアルフィ・コーン氏も、『報酬主義をこえて』(法政大学出版局)の中で、次のように述べられています。
 ここでわれわれの問題にとってより重要なことは、子供の社会的、道徳的発達を促すのに自律がいかに大切かということである。われわれがしょっちゅう目にするのは、子供には「自己訓練」とか「自分の行動に責任を持つ」ことが必要だと力説するおとなが、子供に指図ばかりしているという馬鹿らしい光景である。本当は、子供たちに自分の行動に対する責任をとらせたいのなら、まず責任を、それもたっぷりと、与えるべきなのだ。子供が決定のしかたを学ぶのは、実際に決定してみることによってであって、指示に従うことによってではない。(p.373)
 そして何より、子どもや若者は、大人の言うことを聞いて育つのではなく、大人の行動を見て育つもの。私たち大人が、積極的に政治的発言・行動を行ない、状況を少しでも良くしていけば、必ず彼ら/彼女らは凝視してくれるはずです。いやそう信じるしかありません。

 日本人、いや人類にとって残された唯一の希望は子供です。"子供を救え…" (『狂人日記』 魯迅 岩波書店)
by sabasaba13 | 2019-07-30 06:48 | 鶏肋 | Comments(0)

宇都宮編(5):宇都宮(15.12)

 それでは松が峰教会へと向かいましょう。「日本専賣公社指定 煙草小賣所 栃木縣小賣人」という古いホーロー看板があったので、とりあえず撮影。しばらく走ると、やっと歩道の一部が自転車用レーンとなりました。
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 松が峰教会は、スイス人の建築家マックス・ヒンデルの設計によって1932(昭和7)年に竣工したカトリック教会です。壮大な双塔と大谷石の外壁が印象的な、堂々たる教会建築でした。
 次は宇都宮タワーへと行きましょう。途中で、『ブラタモリ』日光編のPRポスターがありました。はい、私も愛聴しております。床屋さんの顔はめ看板を撮影してしばらく走ると宇都宮タワーに到着。
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 展望台を併設したテレビ中継塔で、高さは89m。「日本一の地平線が一望できる展望台です」と豪語しているので、190円を払ってエレベーターで展望台までのぼってみました。うーむ、確かに宇都宮市街や日光の連山を一望できますが、「日本一」という評価については判断を留保します。コスト・パフォーマンスから言えば、のぼって損はありませんでしたが。
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 それでは宇都宮大学へと参りましょう。途中にあったのが旧篠原家住宅、店舗と蔵が一体化した重厚な相貌が印象的な古い商家です。解説を転記します。
 篠原家は奥州街道口の豪商で、江戸時代から第二次世界大戦までは醤油醸造業・肥料商を営んでいた。明治28年(1895)に建てられたこの店蔵は、店舗と住居部分を一体化した蔵造りになっている。市内の店蔵の中で、改造がほとんどされておらず、かつ、石蔵を伴って残されているものは数少ない。
 住宅の一階部分の両側には、厚さ約8cmの大谷石が貼ってあり、この店蔵の特色になっている。帳場の奥に約45cm角のケヤキの大黒柱がある。これは二階の大広間(20畳敷き)の床柱を兼ね、さらに棟木まで延びており、建築的に大変珍しいものである。全体的に装飾性は少ないが、よい材料を贅沢に使っており、美しく豪華に造られている。なお、石蔵三棟のうち最も古いものは、嘉永4年(1851)に建てられたものである。
 宇都宮大学へと向かう道は自転車用レーンがなく、自動車を避けるため車道と歩道を交互に走るゴキブリ走法を余儀なくされました。「Cycle City」という謳い文句が泣きますよ、善処を期待します。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2019-07-28 07:26 | 関東 | Comments(0)

宇都宮編(4):宇都宮(15.12)

 それでは宇都宮に戻って餃子をいただくことにしましょう。ふたたび観光案内所に行ってお薦めの店を訊ねると、駅ビルに「宇都宮みんみん」という餃子屋さんがあるそうです。よろしい、そちらで食べることに決定。午前11時ちょい過ぎなのでお客もまばら、待たずに席に着くことができました。行列に関する大仰な注意書きが貼ってあったので、人気の店なのでしょう。
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 ヤキ(焼餃子)2人前とスイ(水餃子)1人前にライスがついた「ダブル・スイ・ライス」を注文。さすがはご当地B級グルメとして人口に膾炙する宇都宮餃子、ジューシーな具と、それを包むヤキのパリパリした皮とスイのモッチリした皮の競演、たいへん美味しうございました。
 腹も満ちたし、それではジテ公にまたがって宇都宮を彷徨しましょう。まずは1933(昭和8)年に建てられ、空襲に耐えて生き延びた宇都宮聖ヨハネ教会へ。設計は上林敬吉、日光の「真光教会」(栃木県)や「聖アグネス教会」(京都)、「弘前昇天教会」(青森県)を建てたジェ―ムズ・マクドナルド・ガ―ディナーの影響を強く受けた方だそうです。鉄筋コンクリート造りですが、壁面に使われている大谷石が味わい深い風情を醸し出しています。全体のフォルムも、落ち着いた雰囲気で親しみが持てました。
 そして六道辻へ。ここは戊辰戦争のとき激しい戦場となった場所で、幕府軍の死者を哀れんだ付近の住民が、1874 (明治7)年に建立した戊辰戦役戦士の墓があります。ウィキペディアによると、新暦1868年5月11日と15日に行なわれた宇都宮城の攻城戦です。宇都宮藩兵をはじめ野州世直しを鎮圧するために武蔵板橋から宇都宮に派兵された東山道総督府軍を中心とする新政府軍と、下総市川の国府台から次期戦闘地日光廟へ向けて行軍中の伝習隊を中心とする旧幕府軍の間で起きた戦役で、この戦いの結果、城下の建造物の多くが焼失したそうです。なお宇都宮観光コンベンション協会のホームページに「宇都宮の戊辰戦争」という詳細な散策記事があるので、よろしければ参考にしてしてください。私は今見つけて、地団駄を踏んでいます。じだんだじだんだ。
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 なおこのあたりでは、大谷石を使った蔵をよく見かけました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2019-07-26 06:13 | 関東 | Comments(0)

2019年参議院選挙

 参議院選挙の結果が明らかになりました。改憲勢力は議席数の3分の2に届かず、自民党は66から56へと議席を減らすも、自民党・公明党で参議院の過半数を制するという結果でした。朝日新聞DIGITALによると、自民党は比例区で、前回と同じ19議席を獲得したにもかかわらず、得票数は2011万票から大きく下げ、1800万票前後にとどまりそうな模様です。棄権者も含めた全有権者に占める割合を示す比例区の絶対得票率も、第2次安倍政権下での国政選挙で過去最低の17%を切る可能性もあるとのことです。ほとんど報道されないのですが、自民党が敗北したことで溜飲がすこし下がりました。安倍上等兵は勝ち誇ったドヤ顔でテレビに出演していますが、「でも10議席減ったのでしょう」とインタビュアーがつっこんでくれないのが不満です。
 それなのに比例区50議席のうち、38%を獲得した計算になります。朝日新聞はその原因を、低投票率にあると分析していました。そう、今回の参議院選挙の投票率は50%を切り、戦後二番目に低い48.8%という惨憺たる数字となりました。うーむ、二人に一人が、日々の暮らし、格差の問題、増税と年金、辺野古新基地や原発事故の被災者、日本の未来について関心がないわけだ。そして行政府に対策を丸投げすれば何とかなると高をくくっているわけだ。やれやれ。

 それにしてもこの異様な低投票率の原因は何なのでしょう。この二週間、気がついたのが、街がいつもと変わらないことです。賛否はあるでしょうが、選挙カーが走り回り候補者の名前を連呼するあの騒がしさが選挙の高揚感や非日常感を盛り上げてくれて嫌いではありません。しかし今回は選挙カーをあまり見かけませんでした。そのため選挙のことを忘れた人もいるのではないでしょうか。投票率を低く抑えるために、政府が規制をかけた…ということはないでしょうね、まさか。
 ニュースでも選挙のことがあまり報道されませんでした。画面にひっきりなしに出てくるのは京都アニメの火事、吉本興業、ジャニーズ事務所のニュースばかり。内閣情報調査室がメディアに圧力をかけて選挙に関するニュースを抑制させた、あるいはメディアが投票率を低くしたい官邸の意向を忖度(kiss ass)した…ということはないでしょうね。
 そしてこれは先ほど見たNHKニュースで知ったのですが、投票所の数が以前より十数%減少し、午後8時前に投票締め切った自治体が全体の35%あったそうです。理由は、自治体の統廃合、過疎化、職員不足といった点にあると分析していました。
 さらに『東京新聞』(2019.7.22)に、下記の社説が掲載されていました。
 十七日間の選挙戦を振り返ると、建設的な政策論議というよりは対立する政党や候補をののしったり、さげすむ場面が目立った。
 特に首相は、立憲民主、国民民主両党などに分かれた旧民主党勢力を「毎年首相が代わり、不安定な政治、決められない政治の下で重要課題は先送りされた。あの時代に逆戻りをさせてはならない」と繰り返し攻撃した。
 選挙だから舌鋒が鋭くなるのは仕方ないにしても、政治指導者が敵対勢力を執拗に攻撃し、分断をあおるような手法の危うさに、そろそろ気付くべきではないか。
 低投票率の背景には、有権者がそうした不毛なののしり合いを嫌気した面もあるのではないか。
 なるほど、ライバルを執拗にののしり、有権者の嫌気を喚起して投票所から足を遠のかせる。こうなると投票率を落とすための確信犯的行為です。
 以上のように、投票率が異常に低い理由はいろいろと考えられますが、碩学・内田樹氏は、有権者が投票に虚無感を持つよう、国会への嫌悪感や軽蔑の念を抱かせ続けた政権与党のたゆまぬ努力の成果であると、見事に喝破されています。『週刊金曜日』(№1159 17.11.3)所収の『「議会制民主主義はもう機能していない」という印象の刷り込み』から一部を引用します。
 株価が乱高下するように議席数が乱高下する政治制度の方がなんだか好ましいと導入時には多くの日本人が思った。だが、導入して20年経ってわかったことは、小選挙区制は複雑系ではなかったということである。それはある条件さえクリアすれば組織票において相対的に優る政党が勝ち続ける決定論的システムだった。「ある条件」というのは低投票率である。それゆえ、巨大な組織票と集票マシンを装備する政権与党にとって選挙戦での主たる関心はいかに無党派有権者に投票させないかというものになった。(p.10)

 だから政権与党はどうやって投票率を下げるかに工夫を凝らしてきた。最も有効なのは「議会制民主主義はもう機能していない」と有権者に信じさせることである。(p.10)

 今の有権者たちは国会とは選良たちがその見識と雄弁を披歴して国家の大事を議する「国権の最高機関」であるとはもう信じていない。そこには口汚い罵倒や詭弁や嘘や暴力の場であり、官邸が用意した法案を「審議するふりをする」アリバイ作りの場であるという印象を私たちはメディアを通じて日々刷り込まれている。
 この「立法府は機能していない」という印象の刷り込みに安倍内閣ほど熱心に取り組んだ政権は過去にない。総理自身積極的に国会でヤジを飛ばし、詭弁を弄し、答弁をはぐらかし、ことが面倒になると強行採決をし、解散し、召集を先送りして、国会が「役に立たない」機関であるという印象を広め続けた。(p.11)

 国民が立法府に対して嫌悪感や軽蔑の念しか抱けず、投票行動に虚無感を持つようになれば政権与党はわずかの得票差で小選挙区で常勝できる。この事態は熟慮とたゆまぬ努力の「成果」なのである。
 立法府が「国権の最高機関」として威信を失えば、行政府が事実上国権の最高機関になり、官邸の発令する政令が法律に代わる(これが自民党改憲草案の「緊急事態条項」のかんどころである)。そうなればすべての社会制度が官邸の意のままに動く、効率的な「株式会社のような統治システム」が完成する。それこそ自民党が改憲を通じて実現しようとしている「夢の政体」である。
 若い有権者たちが自民党に好感を持つのは、自民党が作ろうとしているこの政体が彼らにはなじみ深いものだからである。
 若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない。トップが方針を決めて、下の者はただそれに従う。経営方針の適否はマーケットが判定するから、従業員はそれについて意見を求められることもなく、そもそも意見を持つ必要もない…というのが彼らが子どものときから経験してきたあらゆる組織の原理である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だった。彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても、私たちはそれを責めることができない。
 構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、組織のトップは成員たちの間から互選され、その言動の適否についてつねに成員たちのきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今どきの若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、「そんな空想社会をめざすなんて頭がおかしいんじゃないか」と冷笑するのは考えてみたら当然である。
 なんだか悲観的な総括になったが、原因がわかれば対処のしようもあるはずである。だが、それについて語るためには紙数が尽きた。(p.11)
 それにしても、それにしてもですね。この六年ほどを振り返れば、安倍政権の本質があらわに見えてこないものでしょうか。特定秘密保護法、安保法、「共謀罪」法など、国会議事堂を市民が取り囲む中での法案の強行採決。反対意見に耳を傾けず、時間をかけての議論を嫌い、「数の力」で押し通す政治姿勢。旧民主党政権を「悪夢」とこきおろすなど、批判勢力に対する強い口調での攻撃。病的な虚言癖。降格や左遷を恐れて首相の意向の忖度に走る官僚たち。首相の爪牙となってメディアをコントロールする内閣情報調査室。沖縄の民意を無視しての辺野古新基地の建設強行。福島原発事故の被災者の無視と放置。大企業・富裕者の優遇と困窮者の冷遇。教育・福祉の切り捨て。中国・韓国・北朝鮮への敵視。アメリカの属国としての振舞いを恬として恥じない廉恥心の欠落。
 内田樹氏と北原みのり氏の思いを、私も共有します。
『「安倍晋三」大研究』 (望月衣塑子 KKベストセラーズ)
【内田樹】 でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではありません。嘘をつくことに心理的抵抗にない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのほうです。いったい何を根拠にそれほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらのほうが理解が難しい。(p.209~10)

『週刊金曜日』(№1200 18.9.14)
【北原みのり】 でも(安倍晋三でございます。まさに、いわば、その上で、はっきり申し上げたいのでございます。あの、あの、あのですね、委員長、ヤジがうるさいので注意して下さい!)
 すっかりあの喋り方に慣れてしまった6年間。言葉使いは丁寧なのに、攻撃的で、中身なく、嘘くさく、質問者が女性だとにたにたと笑う醜悪さと暴力性を漂わせるあの人の言葉。限られた人生だというのに、6年も、こんな人が権力を振るう世界に生きてしまっている。いったいどこからやりなおせば、よかったのだろう。(p.20)

by sabasaba13 | 2019-07-24 06:21 | 鶏肋 | Comments(0)

宇都宮編(3):大谷(15.12)

 とりあえず、自転車を借りて大谷を訪ねてから宇都宮に戻って食することにしました。「Cycle City 走れば愉快だ宇都宮」という看板がありましたが、レンタサイクルのサービスも充実しています。観光案内所で教えてもらった西口駐車場に行くと、普通自転車は1日100円、電動アシスト自転車は1日300円という、格安のお値段で借りられます。後者の自転車を借りて大谷へ向かいますが、問題はソフト面ですね。果たして自転車が走りやすい道路環境か否か。残念、自転車専用道路はおろか、専用走路帯もなく、悪魔の機械に怯えながらの走行でした。関係者各位には、自転車のための環境整備をぜひ整えていただきたく善処を希望します。
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 二十分ほどペダルをこぐと、大谷石の町、大谷に到着です。こちらには、天狗の投げ石、平和観音、親子がえる、大谷寺、大谷観音、大谷資料館、大谷景観公園などの見どころがありますが、以前に訪れたことがあるので省略。大谷公会堂のみを見て宇都宮に戻ることにしました。
 さすがは大谷、大谷石でつくられた建物が其処此処で見られます。多孔質軽石凝灰岩の風合いには、枯淡な味わい深さを感じます。フランク・ロイド・ライトが惚れこんで、帝国ホテルで多用したのもさもありなん。ただ雨に弱く、雨漏りがしばしば起こってホテルの方々は閉口したそうですが。
 そしてひさしぶりのフェイス・ハンティング、三波伸介の「びっくりしたな、もお」を思い出しました。
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 旧大谷公会堂は、まるで神殿のような風格の建築です。解説を転記します。
 この建物は、大正末期から昭和初期にかけて、城山村在郷軍人分会の主唱により、公会堂として建築され、村議会、芝居、演劇、映画などの会場として多目的な利用を経て、昭和29年の宇都宮市への合併後は、宇都宮市所有の倉庫になっています。すでに国登録有形文化財に登録されている「カトリック松が峰教会」などの大規模な建物は、一般的に鉄筋コンクリートの躯体に張石仕上げが施されているところですが、この建物は宇都宮特産の大谷石を積み上げることにより、構造躯体として用いられています。小屋組みは「キングポストトラス」と呼ばれる工法で組まれており、建築当初は桟藁葺きであったといわれます。
 正面妻側には「ピラスター」と呼ばれる4本の付け柱が建てられ、柱の表面には、ロマネスク建築に用いられる幾何学的な文様が彫り込まれ装飾されています。特に2本の柱は地上から通しの形になり、最高部は約7.4mにも達するなど、「造形の規範」となっている貴重な歴史的建造物といえます。

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by sabasaba13 | 2019-07-22 06:22 | 関東 | Comments(0)

宇都宮編(2):宇都宮(15.12)

 西口ペデストリアンデッキに出て眼下の街並みを睥睨すると、さすがは宇都宮、餃子の看板が満艦飾のように林立していました。その中で異彩を放っていたのが「駅弁発祥の地 宇都宮 松廼家(まつのや)」という看板です。へー、私の大好きな駅弁はここ宇都宮から始まったのか、知りませんでした。
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 通説によると、1885(明治18)年7月、宇都宮駅で地元の旅館が、ごま塩をまぶしたおにぎり2個とたくわんを竹の皮で包み、販売したのが駅弁の始まりとされるそうです。がんばれ、松廼家さん、いつの日にか「とりめし」をいただきます。片隅にいながら存在感のある「つくね寄せ」にも会いたいし。
 そしてこちらのあったのが人口に膾炙する「餃子像」です。解説プレートから転記します。
 この像は、「餃子の街・宇都宮」のシンボルとして、TV東京「おまかせ山田商会」(H5~H6年放送)の番組企画で餃子の皮に包まれたビーナスをモチーフに、地元産大谷石を使い制作されたものです。
 それにしても、なぜ宇都宮で餃子がさかんに食べられるのでしょうか。宇都宮観光コンベンション協会の公式サイトに、その由来が載っていたので引用します。
 各家庭の餃子消費額が15年連続全国1位となった宇都宮。市内には約30店の餃子専門店があります。宇都宮がそのような餃子の街となったのは、市内に駐屯していた第14師団が中国に出兵したことで餃子を知り、帰郷後広まりました。また、宇都宮は夏暑く冬寒い内陸型気候のため、スタミナをつけるために餃子人気が高まったとも言われています。
 日本軍は何度も中国に出兵しているので、これではいつの頃か判然としません。『日本の歴史を旅する』(五味文彦 岩波新書1676)によると、日露戦争時という説が有力とのことです。
 だが宇都宮の食文化では最近は餃子が有名であって、これは戦前に満州から帰ってきた人が広めたものといわれる。日露戦争の最中の明治38(1905)年に第十四師団が結成され、満州軍の第三軍のもとに配属され、その師団が戦後になって宇都宮に置かれるようになったことがきっかけだった、という説が有力という。(p.167)
 由緒はさておき、宇都宮餃子、ぜひいただきましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-07-20 08:10 | 関東 | Comments(0)

言葉の花綵193

 犀の角のようにただ独り歩め。(『スッタニパータ』)

 私たちが、普段の暮らしのなかで忘れてきた、見ないようにしてきた大事なものを、精神障害という病気を通して、教えてくれている人たちなんだね。あの人たちは嘘を言ったりとか無理をしたりとか、人と競ったりとか、自分以外のものになろうとしたときに、病気というスイッチがちゃんとはいる人たちだよね。(『浦河ペテルの歩みから』)

 われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている。(ブレーズ・パスカル 『パンセ』)

 国家が毀れても社会は存続する。(鷲田清一)

 命に近い仕事ほどお金は動かない。(周防大島の農業者)

 権力者の言葉のインチキに針を刺す。これこそ詩人のやるべきことです。(アーサー・ビナード)

 世界の映像を裏返さないかぎり、永久に現実を裏返すことはできない。イメージから先に変われ! (谷川雁)

 こんなものでも何かの役に立つかもしれない。(レヴィ=ストロース)

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ (茨木のり子)

 いつからか
 国土というものに疑いを持ったとき
 私の祖国と呼べるものは
 日本語だと思い知りました (石垣りん)

 この世にはお客様として来たのだから
 まずいものもおいしいと言って食べなくちゃ (某女子学生)

 詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ。(リルケ 『マルテの手記』)
by sabasaba13 | 2019-07-18 06:17 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『新聞記者』

c0051620_1852060.jpg 最近、『記者たち』、『スパイネーション/自白』、『共犯者たち』、『ペンタゴン・ペーパーズ』など、国家権力と闘う気骨あるジャーナリストの映画を立て続けに見ました。韓国やアメリカに比べて、日本ではこうした映画が見当たりません。気概に溢れるジャーナリストがいないわけではないと思うのですが、ほんとうに残念です。
 と思ったら、『新聞記者』という、映画が公開されました。公式サイトからストーリーを引用します。
 東都新聞記者・吉岡(シム・ウンギョン)のもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、真相を究明すべく調査をはじめる。一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。二人の人生が交差するとき、衝撃の事実が明らかになる! 現在進行形のさまざまな問題をダイレクトに射抜く、これまでの日本映画にない新たな社会派エンタテインメント! あなたは、この映画を、信じられるか―?
 これは是が非でも見てみたい。さっそく山ノ神を誘って板橋のイオンシネマに行きました。平日の昼間だというのにほぼ満席だったのには驚きました。冒頭、東京新聞記者の望月衣塑子氏、元文部科学省事務次官の前川喜平氏、元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏による鼎談が、テレビで放映されている場面がありました。これでこの映画が本気で、安倍政権の暗部を暴こうとしているのが否が応でもわかります。また劇中で首相の姿はおろか、名前もいっさい出てこないのも見事なアイデアです。下手に"鈴木首相"や"佐藤首相"などと仮名を使って役者に演じさせると、リアリティが薄れます。官邸からの攻撃に対するガードを固めながらも、この首相は安倍晋三氏以外の者ではありえないと確信させる演出でした。
 愚直に粘り強く真実に迫ろうとする吉岡記者を演じたシム・ウンギョンも良い演技でした。彼女の「私たち、このままでいいんですか」という言葉は忘れられません。首相の政敵を潰すという職務と、正義感・倫理感との葛藤に悩む官僚・杉原役の松坂桃李も見事な演技でした。
 大学新設計画に隠された驚愕すべき秘密、計画を記したファイルを隠し撮りする緊迫したシーンなど、エンタテイメント映画としても十分に楽しめました。ところどころでハンディ・カメラの手振れ感を効果的に使い、その場に居合わせているかのような臨場感と、不安感・緊張感を醸し出しています。
 そしてこの映画のほんとうの主人公は、内閣情報調査室(内調)かもしれません。反政府運動を監視するために参加者の顔を撮影し、首相の政敵を社会的に抹殺するためにフェイク情報を流し、官邸に利するためにSNSを炎上させるなど、その下劣さとおぞましさには吐き気を催しました。内調を体現する多田部長(田中哲司)の、冷血で凄みのある演技も光りました。あの凡庸で愚昧な首相を支えているのは、こうした有能な官僚たちなのだなと得心しました。「民主主義なんて形だけでいいんだ」という多田の言葉は、多くの官僚たちが共有している思いでしょう。われわれが民衆にコントロールされるのではなく、その逆であるべきだ、と。
 なお『しんぶん 赤旗 日曜版』(19.7.14)に、板倉三枝記者による河村光庸(みつのぶ)プロデューサーへのインタビューが掲載されていたので、引用します。
 企画が具体的に動き出したのは2年前。直接のきっかけは、官邸による元TBSワシントン支局長のレイプ疑惑もみ消し事件でした。安倍晋三首相と親しい人物です。被害者は元支局長への逮捕令状が出たにもかかわらず、逮捕が見送られたと告発しています。
 「異常事態が起きていると思いました。権力はここまでやるのかと。この間、政権がひっくり返ってもいい大事件が何度も起きています。にもかかわらず誰でもわかるようなウソで終わりにしている。それはどのような仕組みでそうなっているのか、まず知ってほしいと思いました。
 焦点をあてたのは安倍政権の下、暗躍しているといわれている官邸直轄の情報機関「内閣情報調査室」(内調)。安倍政権が最も触れてほしくないことがここにある、と感じたからです。
 「調査でわかったのは、この国の警察国家化です。内調が公安を使ってさまざまな情報を吸い上げ、官邸がそれを政敵つぶしに利用している。かつては多様性が自民党の特徴だったのに安倍首相は一元化をはかり、少数の側近による官邸独裁政治を進めています」 (中略)
 「公開を参議院選挙の公示前にすることは企画段階で決めていました。皆さんが政治に関心を持ち始める時期。自民党の方にもぜひ見てほしいですね」
 なお『週刊金曜日』(№1232 19.5.17)に掲載された森功氏のインタビューによると、内閣情報調査室(内調)トップの北村滋内閣情報官は、公安警察出身の官僚なのですね。(p.22) 下記のような分析がありましたので紹介します。
-具体的に「弊害」とは。
 官邸が政権を守ろうとするあまり、官僚の人事権を掌握した上で霞ヶ関からネガティヴな情報が漏れないように統制を強めた結果、官僚がメディアの取材に答えにくくなっているのです。というか、取材に応じなくなりましたね。実名もそうですが、匿名でメディアの取材に応じると、すぐ内部で「犯人探し」が始まるようになった。「誰がしゃべったんだ」と。さすがに公安を使うことはないようですが、以前は官僚としての気概で政権の政策や人事を批判するような勇気のある人たちがいました。ところが、官邸がそうした官僚に目星を付けて呼び出すようなことも行なわれています。もともと官僚は時の政権の顔色をうかがって仕事をするのですが、その度合いがひどくなってもはやブレーキが利かない状態です。杉田(※内閣官房)副長官が、霞ヶ関を強権的に抑え込んでいるためではないでしょうか。

-そういう官邸のやり方が、森友・加計両疑惑を生んだ。
 まったくその通りで、「安倍一強」の歪みでもあるのですが、行政が間違っても官邸の思うようにすべてが進んでいき、問題を問題としてはっきりさせることができなくなっています。問題が起きても、安倍首相を守るためにはどうすればいいかという機能が優先して働いて、実際に何が起きたかの事実解明が押さえ込まれてしまう。森友学園疑惑にしても、これは明らかに財務省の背任行為であり、公文書の偽造という重罪まで行なわれているのに、それが上からの指示だったのか、あるいは忖度であったのかすらよくわからなくなっています。

-杉田・北村両氏は安倍首相を守っているつもりかもしれませんが、政治が腐りますよね。
 問題が起きても事実関係がはっきりしないので、自浄努力が進みませんから。厚生労働省の毎月勤労統計調査の改竄問題にしても、明らかに「アベノミクス」の失敗を隠すためにやったと思われますが、実際になぜそうなったかは見えてこない。国民にすれば、「安倍政権に何か問題がある」と薄々気が付いても、実際はよくわからないので「仕方がない」とあきらめるような心理に陥ってしまいます。

-安倍首相が、この2人の官僚に指示してやらせていると?
 いや、そうではないでしょう。そもそも安倍首相は政策に強くないですから。むしろ、杉田・北村両氏が首相の意向を汲んでやっている。首相のトップダウンではないし、かといって首相を無視して官邸の官僚が好き放題しているのでもありません。ただ、2013年に成立した特定秘密保護法は以前から外事公安畑の悲願で、北村内閣情報官が安倍首相に進言していたという経緯があります。首相自身は「支持率が下がる」と、乗り気ではなかったようですが。

-戦争法(安保関連法)もそうですが、この両氏は権力が暴走する怖さを知らないのでは。
 警察官僚とはそんなものですよ。むしろ、自分たちの権力がまだ足りないくらいのことを思っているのでは。本来なら警察官僚が前のめりになる傾向を抑えることに政治の役割があるはずなのですが、今時の政治家は勉強しませんからね。政治の側の官僚に対するチェック・アンド・バランスができていない点が、憂慮すべきと思っています。(p.23)
 この映画で忘れられないシーンの一つが、内調に所属する官僚たちの働きぶりです。エリート然としたスーツ姿の官僚たちが、私語も交わさず笑顔も見せず、首相の政敵を抹殺するためにコンピュータのディスプレイを凝視ながら黙々とキーボードを叩くその姿には恐怖すら覚えてしまいました。まるでゲームをしているような様子で倫理に悖る行為を平然とこなす官僚たち。昨今における官僚たちの、首相への"忖度"ぶりを象徴するような姿です。余談ですが、『同調圧力』(望月衣塑子/前川喜平/マーティン・ファクラー 角川新書)の中で、ファクラー氏はこう述べられていました。
 外国人には摩訶不思議に感じられる「忖度」だが、映画やテレビドラマを含めた日常生活でよく使われるスラングのなかに似たようなものがある。
 そのひとつが「kiss ass」だ。おべっかを使う、ゴマをする、あるいは媚びへつらうといった行為を揶揄するときに用いられる。イエスマンを揶揄する単語としても、意味が通じるだろう。(p.145~6)
 官僚たちが何の痛痒も葛藤もなく、首相の尻の穴に接吻ができるのか。『「安倍晋三」大研究』 (望月衣塑子 KKベストセラーズ)の中で、内田樹氏が見事な分析をされているので紹介します。
 安倍マイレージ・システムでポイントを貯めたいなら、政府の政策の適否についての評価はしない、ということです。首相を支持すると必ず良いことがあり、反対すると必ず悪いことがある。そして、誰でもが「それは良い政策だ」と思えるような政策を支持するよりも、「それはいくらなんでも…」と官僚たちでさえ絶句するほど不出来な政策を支持するほど与えられるポイントは高くなる。だから、高いポイントをゲットしようとすれば、官僚たちは「できるだけ不出来な政策を、できるだけ無理筋の手段で」実現することを競うようになる。森友・加計問題で露呈したのは、まさにそのような官僚たちの「ポイント集め」の実相だったんじゃないですか。
 安倍政権はこの六年間でほんとうに見事な仕組みを作り上げたと思います。自分でやっているのはただ査定することだけなんです。そうすると、官僚たちが高いスコアを求めて、自主的に官邸が喜びそうなことをやってくれる。別に特高や憲兵隊が来て、反対派を拉致して、拷問して…というような劇的なことが起きているわけじゃないんです。でも、官邸の覚えがめでたい人たちは、政治家でも、官僚でも、ジャーナリストでも、学者でも、必ず「いい思い」ができる。これはほんとうに正確な人事考課が行われています。(p.254~5)
 というわけで、日本における政治の劣化とおぞましさを見せつけてくれる、必見の映画です。一人でも多くの人が見て、投票所に足を運んでくれることを切に望みます。結局、政治がここまで堕落したのも、あの御仁に権力を与え続けている有権者の責任ですから。前掲書で内田氏はこう述べられています。
 でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではありません。嘘をつくことに心理的抵抗にない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのほうです。いったい何を根拠にそれほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらのほうが理解が難しい。(p.209~10)
 追記です。exciteニュースによると、この映画の女性記者役決定がたいへんに難航したそうです。最初は女優の宮崎あおいや満島ひかりにオファーしていたのですが、この映画に出演すると"反政府"のイメージがついてしまうため断られたとのこと。大手事務所に所属の女優さんは誰もやりたがらなかったそうです。だからしがらみのない韓国人の女優さんに決まったというのですね。マイナス・イメージを恐れただけなのか、あるいは官邸からの有形無形の圧力があるのか。ぜひ知りたいところです。このままだと国家権力と闘う気概にあふれた映画の主演俳優はすべて外国人になってしまいます。
 その意味では、主演男優を引き受けた松坂桃李氏は称賛に値します。こういう俳優をみんなで応援していきたいものです。
by sabasaba13 | 2019-07-16 06:17 | 映画 | Comments(2)

宇都宮編(1):宇都宮(15.12)

 2015年の師走、旅の虫が疼いて宇都宮への一日旅行をしてきました。テーマは、餃子を食べること、石造教会の優品を見ること、そして大谷石で造られた大谷公会堂を見ること。事前に調べた月見草のように人知れずひっそりと咲く物件や、現地で出くわした奇妙奇天烈な物件にも目を配りましょう。後は野となれ山となれ、持参した本は、『ひとはなぜ戦争をするのか』(A・アインシュタイン/S・フロイト 講談社学術文庫)です。

 師走好日のとある日曜日、幸い天気も良く、気ままな徘徊が楽しめそうです。JR湘南新宿ラインに乗って宇都宮に向かっていると、車窓から大谷石造りの倉庫に掲げられた「栃木のかんぴょう」という看板を見かけました。そうか、栃木県は干瓢生産日本一なんだ。栃木県の公式サイトから引用します。
 栃木県は国産かんぴょうの9割以上を生産する日本一の産地です。7月から8月は生産の最盛期に当たり、かんぴょう農家では連日、夜が明ける前からユウガオの実を細長くむいて竿に干し、真夏の太陽で一気に干し上げる作業が行われています。
 お寿司の「かんぴょう巻き」のイメージが強いかんぴょうですが、各種ミネラルや食物繊維を豊富に含んだヘルシーな食材として、みそ汁の具やサラダ、煮物など幅広い料理に使われています。
 かんぴょう巻き、いいですね。最近、コンビニエンス・ストアの店頭に「恵方巻」とやらの広告がよく出ていますが、なぜあのような無粋で華美な巻物を欲する人が多いのでしょう。理解できません。私としては、「巧言令色鮮し仁」的なかんぴょう巻きを買います。

 宇都宮駅に着いたのが午前九時半ごろ、構内で顔はめ看板を見つけました。これは幸先がよろしい。
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 駅構内にあった観光案内所に立ち寄って、地図や観光パンフレットをしこたまいただきました。余談ですが、宇都宮のマスコットは「ミヤリー」です。市の花であるサツキの冠をかぶった妖精をモチーフとし、宇都宮の「ミヤ」と妖精フェアリーからと名づけられたそうな。
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by sabasaba13 | 2019-07-14 08:56 | 関東 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(17):帰郷(15.12)

 地下鉄の車内に「京の水道水 世界最高水準 うるおいのしずく、あなたへ。 京都市上下水道局」というステッカーが貼ってありました。いつまでも「水と安全はタダ」の国であって欲しいと思います。しかし、そうも言っていられない状況となってしまいました。そう、2018年12月6日、水道法が改正されました。人口減少などで水の使用量は減り、一方で古い施設の更新や耐震化などへの対応など、経営環境が悪化していることへの対応です。今回の改正では、自治体が施設の所有権を持ったまま、運営権を民間企業に売却する「コンセッション方式」と呼ばれる手法を採用することになりました。さあこれから一体何が起こるのか? 最近読んだ『日本が売られる』(幻冬舎新書)の中で、堤未果氏が"水道ビジネス"に言及されています。
 世界中のどこでやっても、じゃぶじゃぶ儲かる水道ビジネスは、「開発経済学」の概念を全く新しいものに上書きしてゆく。
 開発とはもはや、「そこに住む人々の生活向上と地域発展のため」ではなく、「貴重な資源に市場価値をつけ、それをいかに効率よく使うか」という投資家優先の考え方になって行った。
 世界銀行やアジア開発銀行(ADB)、アフリカ開発銀行などの多国間開発銀行とIMFは、財政危機の途上国を「救済する」融資の条件に、必ず水道、電気、ガスなどの公共インフラ民営化を要求する。
 断ればIMFはその国を容赦なくブラックリストに載せるため、途上国側に選択肢はない。
 国際金貸しカルテルの親玉であるIMFのブラックリストに載せられたら最後、援助国の政府や金融機関は、もうその国に援助をしなくなるからだ。
 この手法により、水の民営化は南米やアフリカ、アジアの国々に広がっていった。前述したボリビアや、90年代の韓国、最近では金融危機でIMFに支援を要請したギリシャも同様だ。
 多国間開発銀行は財源不足の水道を抱える国に対し、まず公共水道事業の一部を民間企業に委託させ、それから水道の所有権や運営権を企業に売却できるよう法改正させる。
 その際、国民が疑問を持たないよう「民営化こそが解決策だ」という全国キャンペーンを展開させることも忘れない。
 彼らは水道だけでなく、「医療」「農業」「教育」の民営化を世界各地に広げるべく、尽力し続けている。
 世界銀行の評価セクションには、この手法を使われた多くの国が、水の水質や安定供給に対し大きな不満を表明しているというデータが届いていた。だがそうした当事者たちの声が問題になることはなかった。同行の「民間開発戦略」はあくまでも「投資家のための環境改善策」(民営化、競争、規制緩和、(企業の)所有権強化)であり、そちらの方がはるかに優先順位が上なのだ。(p.18~9)
 氏曰く、「自国民の生活の基盤を解体し、外国に売り払う」動きです。こういうことをする輩は普通「売国奴」と呼びますが、どういうわけか国民から支持されているのですね。なぜなのだろう? そして話は水だけではありません。いま、土、種、食、牛乳、農地、森、海、築地、学校、医療、老後、個人情報などが企業に次々と売られようとしています。このままだとこの国は、さまざまな災厄が降りかかり、秩序が崩壊し、非常に粗野な、毎日を生きていくための場所に変貌してしまうのではないでしょうか。その時に、なぜそのような貧困化が起きたのか、だれの責任なのかという過酷な事実に向き合わず、違う対象に怒りと憎悪を向けて、より悲惨な結果を招いてしまう。そう、第一次世界大戦後のドイツ人が経験したことですね。持参した『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』(リチャード・ベッセル 中公新書)に、奇しくも下記のような叙述がありました。
 第一次世界大戦によって、ドイツは上品とは言い難い、非常に粗野な、「毎日を生きていくため」の場所になってしまった。当然のことながら、さまざまな面で幅広い憤懣が生じる。秩序の崩壊を目の当たりにしたドイツ人は、降りかかった災厄を誰のせいにすべきか、矛先を探した。祖国がなぜ戦争に突入し、戦い、貧困化したかという過酷な事実に向き合うのではなく、ふたつの対象に怒りの目を向けたのである。国外では、屈服したドイツにヴェルサイユ条約という容認しえない「絶対的命令」を押しつけた連合国に、そして国内では、ドイツを背後からひと突きにしたとされる人々に。(p.16~7)
 歴史から学びましょう。歴史は何をしたらよいかは教えてくれませんが、何をすべきでないかは教えてくれます。手遅れにならないうちに。

 京都駅ビルの11階にある京料理「田ごと」で、鯖寿司とうどんのセットをいただきました。そして「蓬莱551」の長い長い行列に並んで豚まんを購入。京都駅20:02発の「のぞみ416号」に乗って豚まんを頬張りながら帰郷の途につきました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-07-12 06:21 | 京都 | Comments(0)