8月10日の「朝日新聞DIGITAL」に、『横断歩道、止まらない車 「五輪対策」で警察が摘発強化』という興味深い記事がありました。東京オリンピック・パラリンピックを1年後に控え、信号機のない横断歩道で一時停止しない車の取り締まりを警察が強化しているという内容です。運転免許を持っていないので知らなかったのですが、道路交通法では車やバイクの運転者に対し、横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいたら一時停止し、道を譲るよう定めているのですね。これを怠った場合、反則金(6千円~1万2千円)など行政処分が科せられるとのことです。
ヨーロッパに行って気持ちの良いことの一つは、横断歩道を渡ろうとすると、車が必ず即時に止まってくれることです。これにはほぼ例外はありません。それに引き換えわが日本では、自動車が傍若無人に走り、横断歩道で待っていても止まってくれる車はほぼ皆無です。それを警察が取り締まる気配も(これまでは)微塵もありません。なぜドライバーは車を止めないのか。警察はなぜそれを取り締まらないのか。そもそもなぜ日本の行政や社会は、こんなに自動車を優遇するのでしょうか。 それと関連して、最近読み終えた『高度成長 日本を変えた6000日』(吉川洋 中公文庫)に下記の一文がありました。 東京では、1958年「騒音防止条例」の強化によって車のクラクションを制限することになったが、その際「交通騒音の元凶」として虎ノ門-新橋一丁目間など都電四路線の廃止が決まった。都電そのものがうるさいというわけではない。ノロノロ走る電車が車のクラクション騒音を引き起こすというわけである。昔ながらの速度で走っていた都電にしてみればとんだとばっちりだったに違いない。しかし時速13キロで走る都電の乗客数は、1955年(昭和30)をピークに漸減していた。オリンピックを前に、建設省の「都電は邪魔だ。早くはずせ」という方針を受けて都電は急速に姿を消していくことになる。(p.57~8)高度経済成長期より、国を挙げて自動車を優遇してきたことがよくわかります。こうしてみると、ローカル線やバス路線など公共輸送機関の廃止も、自動車を利用せざるを得なくさせるための政策だったのかもしれません。その目的は、おそらく自動車産業の発展、ひいては日本の経済成長を促すことにあったのでしょう。そして経済発展のためには、多少の犠牲もやむを得ないという考えが官僚・政治家や企業にあったのだと思います。いや、犠牲が出ることは重々承知、それを前提として経済発展を最優先させるということでしょう。前掲書に、歴史学者の色川大吉氏が、水俣病裁判の終結によせて書いた一文が紹介されていました。 水俣病は日本が高度成長をなしとげ、国民が豊かになった代償として起こったものではない。順序は逆である。このような惨たんたる犠牲を平然と見過ごし、利益追求を優先させた社会の体質があったから高度成長ができたのである。(『朝日新聞』 1996.7.3 夕刊) (p.209)そして「弱者・少数者を犠牲にして経済を発展させる」という政策や社会のあり方は、明治維新以降今に至るまで、近現代日本を支える根幹であったことも看過できません。『近代日本一五〇年 -科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書1695)の中で、山本義隆氏はこう述べられています。 歴史書には「慢性的な輸入超過により巨額の貿易赤字を抱えているなかで、輸出総額の5%を占める産銅業は重要な外貨獲得産業であり、日本最大の産出量を誇る足尾銅山に対して操業停止措置はとられなかった」とある。自動車交通がスムーズにいくために、待つことを余儀なくされる歩行者も、小さな犠牲者だと思います。それが改善されるのなら喜ばしいことですが、それが外国人旅行客のためというのには無性に腹が立ちますね。日本人の安全などどうでもいいわけか。日本政府のお里が知れますね。自動車によって発生する社会的費用を企業や運転者に負担させて歩行者を守り、近隣諸国との友好関係を保ち、自然災害に対して十全な対策を立て、最低賃金を増額して非正規雇用を減らすなど労働条件を向上させ、福祉政策に力を入れて社会的弱者を守り、原子力発電所を即時全廃する、それが私たちにとって真の「安全保障」ではないでしょうか。しかし安倍政権はそうした「安全保障」については一顧だにせず、「安全保障」のためと称して、F-35ステルス戦闘機(一機、約130億円)やオスプレイ(一機、約100億円)をアメリカから爆買いすることに血道をあげています。ま、多くの有権者がこの御仁を支持し、多くの有権者が棄権しているわけですから、自業自得ですね。 そんな話を山ノ神としていたら、彼女曰く「オリンピックが終わったら、どうせまた横断歩道で止まらなくなるわよ」。鋭い。 追記です。先日イタリア旅行をしてきましたが、やはり横断歩道に立つと例外なくどの車も止まってくれました。アマルフィの写真です。 ![]() ▲
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| 2019-08-31 06:23
| 鶏肋
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![]() 閑話休題。それにしても、あのど派手なロックン・ローラーに、映画のモチーフとなるような出来事があるのでしょうか。百聞は一見に如かず、山ノ神を誘ってユナイテッドシネマとしまえんで見てきました。まずは公式サイトから、あらすじを転記します。 イギリス郊外ピナー。家に寄りつかない厳格な父親と、子供に無関心な母親。けんかの絶えない不仲な両親の間で、孤独を感じて育った少年レジナルド・ドワイト。唯一神に祝福されていたのは彼の才能―天才的な音楽センスを見出され、国立音楽院に入学する。その後、寂しさを紛らわすようにロックに傾倒する少年は、ミュージシャンになることを夢見て、古くさい自分の名前を捨てることを決意する。新たな彼の名前は「エルトン・ジョン」だった。何といっても、映画全編にちりばめられた珠玉の名曲に魅了されました。驚いたのは、吹き替えではなく主演のタロン・エガートンが実際に歌っているのですね、見事な歌唱力です。そして度肝を抜くような派手な衣装と眼鏡を身につけての演奏やパフォーマンスも、まるで本人と見紛うごとし。またミュージカル仕立てにして俳優が交替で歌ったり、エルトンがロケットになって空へ飛び、聴衆が宙に浮くなどの特撮を駆使したり、外連味溢れる演出も楽しめました。 そして光が強ければ、影もより暗くなる。この陽気で元気なパフォーマンスの影には、かれの苦難に満ちた人生がありました。両親からの愛情を十分に与えられなかった少年時代。ホモセクシュアルという性向。心の傷を癒すためにアルコールに浸り、薬物や買い物に依存するようになります。やがて友人もマネージャーも去り、妻とも離えん婚してしまいます。どん底のなか、大きなコンサートの直前に彼が選んだ行動が… というわけでたいへん面白い音楽映画でした。さきほど、ごそごそとCDラックからエルトン・ジョンのCDを引っ張りだしていま聴いているところです。この映画を見た後で、彼が歌うバラードを聞くと、身を裂くような切なさがこめられているような気がしてきました。お薦めの一本です。 ▲
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| 2019-08-30 07:02
| 映画
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![]() なかでも「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータ」は実演でぜひ聴いてみたいものだと常々思っておりましたが、なかなかその機会がありませんでした。しかし念ずれば花開く、前橋汀子氏による全曲演奏会があるという情報を入手。ただイタリア旅行から帰国した日の翌日、しかも場所は横浜のみなとみらい大ホール。ジェット・ラグで寝てしまいそうだなあ。逡巡しましたが、せっかくの機会なので、山ノ神を誘って聴きに行くことにしました。 調べてみると、練馬から有楽町線-副都心線-東横線を経由して直通の列車がありました。約50分でみなとみらい駅に到着、ここから歩いて数分でホールに着きました。これは便利。まずはパンフレットから、「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータ」についての解説を転記します。 1717年、それまでヴァイマル公国の楽師長を勤めていたバッハはケーテンに移り、アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長に就任、レオポルト候に仕えた。レオポルトは1710年から長期にわたった欧州旅行に出かけた際、オランダのデン・ハーグでは4か月弱の滞在中に12ものオペラを鑑賞し、ローマでは当時イタリア留学中であったドイツ人の音楽家ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェンを雇い観光の案内をさせ、旅行から帰ったかと思えば早速宮廷楽団を設立する等、大変な音楽愛好家として知られており、その主君に仕えた「ケーテン時代」のバッハは、主に教会カンタータといった宗教曲を作曲した「ライプツィヒ時代」とは違い、ブランデンブルク協奏曲、平均律クラヴィーア曲集第1巻、管弦楽組曲といった純器楽による傑作を次々と生み出した。無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータもこの頃に作曲されており、重音奏法を限界まで駆使することによりヴァイオリン1本にも関わらずバッハらしい対位法が実現され、音楽的にも技巧的にも極めて高度な作品集として今日まで知られている。このケーテン時代はバッハにとっても、彼の家族にとっても幸せで充実した時期だったようです。『バッハの思い出』(山下肇訳 潮文庫)の中で、アンナ・マグダレーナ・バッハがこう語っています。 それからやがて夕日を浴びながら家路につき、疲れた子供たちを寝かしつけてしまうと、もうわたくし自身もへとへとになって、安らかな気持でセバスティアンの傍らに腰をおろし、彼と手を組み合わせ、頭を彼の肩にのせて休むのでした。これこそ、神さまがケーテンの私たちに贈って下さったこのうえない幸福の日々なのでございました。(p.91)そして前橋汀子氏が舞台に登場、艶やかなその姿には思わず見惚れてしまいました。なおプログラムですが、前半はソナタ第1番、パルティータ第1番、ソナタ第3番。二十分間の休憩をはさんで後半はソナタ第2番、パルティータ第3番、パルティータ第2番という構成です。 ソナタ第1番の厳かなアダージョが鳴り響くと、もうバッハと前橋氏の織り成す小宇宙に引き込まれてしまいました。分厚い低音、華やかな高音、主題を浮かび上がらせる技巧と解釈、劇的なダイナミクスの変化、素晴らしい。私事ですが、今、チェロのレッスンで重音の練習に取り組んでいます。これが実に難しい。二本の弦をかすれずにしっかりと弾きながら、主旋律を際立たせなければなりません。弓の角度と力の入れ具合を完璧に決めないと音楽にならないのですが、至難の技です。この重音を駆使してフーガをいとも自然に流れるように弾くのですから、プロの凄みを思い知りました。前半の演奏で圧巻だったのは、ソナタ第3番第2楽章のフーガです。解説には、4声部にわたるフーガで、ヴァイオリンによる多声音楽の究極とありましたが、ただただその壮大さに圧倒されました。 ここで休憩。ときどき横を見て山ノ神が寝ていたら起こしてあげようと身構えていたのですが、食い入るように演奏に没入していました。もちろん私も同様でした。後半に入っても緊張感は途切れず、見事な演奏が続きます。そして私の大好きなパルティータ第2番、終曲のシャコンヌが始まると、「ああもうすぐ終わってしまうのか、やだな」という思いに包まれます。 Brava! 一階最後列だったので後ろをはばかることなく二人でスタンディング・オベーションをしました。ああ、聴きに来てほんとうによかった。なお12月21日(土)にトッパンホールで、同じプログラムの演奏会が開かれます。もう一回聴きに行こうかな。 せっかく横浜まで来たのですから、中華街で夕食をとりましょう。東横線で「元町・中華街」まで行き、中華街にあった「一楽」という中華料理店で飲茶セットをいただきました。前菜、春巻き、麻婆豆腐、肉まん、エビ餃子、焼売、ごはんのセットで1500円。いろいろな料理を少しずつ食べられてよろしゅうございました。素晴らしい音楽の話に花を咲かせて、美味しい料理に舌鼓を打つ。至福のひと時ですね。 ▲
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| 2019-08-29 06:50
| 音楽
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正しい思考は正しい行動をみちびき、欺瞞と妥協にみちた人生は生きるにあたいしない。(アラン)
不統一で乱暴な筆跡は不統一で乱雑な思考を生む。訂正や加筆は構成力の欠如にすぎない。(アラン) 勝利を手にするのはみずから戦う者だが、これから利益をひきだすのは権力者だけだ。(サン=ジュスト) 職人のもっとも単純な天分が自分の利用する材料を自在にあやつるのは、ニュートンのごとき精神が軌道の距離・質量・公転を計算して惰性的な天体を予測するのと変わらない。(プルードン) これ以上苦しまずにすむように、こうした生活におけるもっとも強い誘惑、もうなにも考えまいとする誘惑に屈したくなる。(シモーヌ・ヴェイユ) 隣接する独房に収容されているふたりの囚人が、壁によって遮られていると同時に、壁を叩いて合図ができるように、隔絶は疎通の手段となろう。(シモーヌ・ヴェイユ) 人間は金銭を裁判官と死刑執行人とし、金銭は不正で残酷な裁判官にして死刑執行人となった。(シモーヌ・ヴェイユ) 人間は万物の尺度である。(プロタゴラス) 理性をそなえた存在は、いかなる障碍もおのれの仕事の材料たらしめて、そこから益をひきだしうる。(マルクス・アウレリウス) 運命の女神は暴力的な人間の意にしたがう。(俚諺) 人民にたいしては、これを甘言でおだてるか、あるいは抹殺するかである。軽微な障害には復讐してくるが、重大な障害であれば復讐できないからだ。つまり障害を加えるのであれば、復讐される怖れのないかたちでおこなうにかぎる。(マキアヴェッリ 『君主論』) たったひとりの子どものたった一滴の涙という代償ですむとしても、そんな代償を払うことをぼくは断固として拒絶するね。(ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟』) ぼくはどうしても理解できないね。どうやって隣人を愛するというのか。ぼくの考えでは、愛することができないのは、まさしくこの隣人という代物なのだ。遠くにいる連中なら愛せないこともないがね。(ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟』) ▲
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| 2019-08-28 06:55
| 言葉の花綵
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先日、南イタリア・シチリア旅行から帰ってきました。幸い好天に恵まれて、美しい自然や素晴らしい遺跡を堪能することができました。
いつの日にか旅行記を上梓するつもりですが、とるものもとりあえず、写真を掲載しました。楽しんでいただければ幸甚です。 青の洞窟 ![]() ポジターノ ![]() アマルフィ ![]() ポンペイ ![]() マテーラ ![]() アルベロベッロ ![]() アルベロベッロ ![]() タオルミーナ ![]() タオルミーナ ![]() アグリジェント ![]() パレルモ ![]() ▲
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| 2019-08-27 08:39
| 海外
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![]() 「日本の素朴絵」展を三井記念美術館で見たときに、いろいろな展覧会のチラシを物色していると、あるチラシに載っていた版画に目が釘付けとなりました。黒と白の鮮烈な対比、切れ味鋭い描線、これはただものではない。作者は、サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ。メスキータ…寡聞にして初めて聞く名前です。東京ステーションギャラリーで彼の展覧会が開かれてるそうなので、これはぜひ見てみたいものです。まずは公式サイトより、彼についての詳細な紹介を転記します。 知られざる画家の全貌 ―メスキータ、4つの疑問当日、山ノ神を誘ったのですが、所用があるので行けないとのこと。一人で東京駅丸の内北口にある東京ステーションギャラリーに行ってきました。意外と入館者が多かったのにはすこし驚きましたが、ま、あれだけインパクトのあるチラシですから納得です。それではじっくりと拝見いたしましょう。実際の作品を見ると、圧倒的な存在感に目を奪われました。黒と白の強烈な対比、ソリッドな描線、考え抜かれた構図、粗密を細心かつ大胆に使い分けた彫りなど、木版画にこれほどの表現力があることが伝わる作品群です。動物や幻想を描いたものもいいのですが、私は「うつむく女」「トーガを着た男」「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」など人物を描いた作品に心惹かれました。なおヤープは彼の息子で、ポスターやチラシにも使われている作品です。紹介文にもあった通り、ユダヤ人であるメスキータは、1944年1月31日夜、妻、息子とともにナチスに拘束され、妻とメスキータは3月11日にアウシュヴィッツで、息子ヤープは20日後にテレージエンシュタットで殺されました。やりきれない最期です。 というわけで、素晴らしいアーティストと出会えました。まだまだ私の知らぬ優れたアーティストはたくさんいらっしゃることでしょう。その出会いのためにも、健康で長生きしなくては。 ▲
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| 2019-08-26 07:28
| 美術
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![]() 坂本繁二郎(1882‐1969)は福岡県久留米市に生まれます。同級生に青木繁(1882‐1911)があり、互いに切磋琢磨する青年期を過ごしています。20歳で青木を追うように上京。小山正太郎の主宰する不同舎に学び、展覧会出品作が数々の賞を受けるなど順風満帆な画業をスタートさせます。39歳の時に渡仏し3年間の留学生活を終えると、その足で家族の待つ久留米に帰ります。以降、画壇の煩わしさを避け、郷里にほど近い八女にアトリエを構え、文人のごとき作画三昧の生活を送ることとなります。戦後になって、九州の彼の地で戦前と変らぬ穏やかさをたたえた作品を制作し続けていた坂本が"発見"されます。坂本の人となりと作品は瞬く間に人々の注目と喝采を浴びる存在となり、74歳の時に文化勲章を受章するにいたります。喜ぶべきか悲しむべきか、来館者は少なく、じっくりと鑑賞することができました。牛、馬、自然、人物を描いた絵もいいのですが、やはり真骨頂は静物画でした。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という彼の言葉どおり、題材は身の回りにある何の変哲もない物ばかりです。能面、箱、本、卵、柿、茄子、植木鉢、毛糸、人形、鋏、モーター… なおモーターは変哲がありますが、これはモーター会社に依頼されたそうです。さすがに描くのには苦労したそうですが、それでもちゃんと一幅の絵になっているのはさすがですね。 ぬくもりを感じさせる暖かいタッチと色、静謐な雰囲気など、実に魅力的な静物画の数々でした。さらに描く対象の配置や置き方を変えて、全体の構図についても細心の注意を払っていることがわかります。一番気に入った絵は「達磨」です。目は黒丸、口はへの字に結んだ愛くるしい達磨の人形を、暖色系の色で描いた作品です。後ろには図案化された「起」という字が描かれていますが、「七転び八起き」というメッセージですね。解説によると、知り合いの飲食店主人が苦境に陥ったときに、彼を励ますために描いたそうです。また、帰郷を歓迎してくれた裁縫学校女子生徒のために描いた「鋏」という作品もあります。彼は、絵というものが、画家の気持ちを伝え、相手を励ましたり喜ばしたりする力があると信じていたのでしょう。心が静かにあたたまる、喜ばしい展覧会でした。 もし彼が生きていたら、山ノ神を励ますために「ピアノ」という作品を依頼したかったのですが、どんな絵を描いてくれたことでしょう。叶わぬ夢なので、「達磨」の絵葉書を買って、そっとピアノの上に飾っておきました。 ▲
by sabasaba13
| 2019-08-25 09:06
| 美術
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![]() 日本では昔から、様々な形式の作品に緩やかなタッチでおおらかに描かれた絵が残っています。それらは「うまい・へた」の物差しでははかることのできない、なんとも不思議な味わいを持っており、見る人を虜にします。以前に、府中市美術館で「へそまがり日本美術」という、とてつもない展覧会を見て腹の皮がよじれるほど大笑いしたのですが、同じ趣旨のようですね。これも面白そうです。山ノ神といっしょに三井記念美術館に行くことにしました。 場所は日本橋、インターネットで調べると、すぐ近くに辰野金吾設計の日本銀行本店があります。もしや事前に申し込めば見学ができるのではと思ったのですが、調べたところ当日の見学は外観のみ、内部の見学はできないとのことでした。無念、再訪を期しましょう。昼食はもちろん「たいめいけん」、ゆるい絵を見て緩頬したあと、肉汁あふれるメンチカツに舌鼓を打つ、至福のひと時を過ごせそうです。 地下鉄銀座線の日本橋駅で降りて美術館に向かいテクテクあるいていると…「さばしゃぶ」という看板が目に飛び込んできました。もしかしたら、鯖をしゃぶしゃぶで食べるということかな。ビンゴ。島根県産の海鮮料理店「主水」というお店でした。うーむ、メンチカツを取るか鯖を取るか、苦渋の決断を迫られることになりました。山ノ神は「どうでもいいわよ」と風馬牛の佇まいですので、私の一存にかかっています。ハックルベリー・フィンよろしく、"私は、息をこらすやうにして、一分間じつと考へた。それからかう心の中で言ふ。「ぢやあ、よろしい」"…鯖にしましょう。 まずは展覧会を鑑賞。ゆるい埴輪・人面土器・仏像を展示する「立体に見る素朴1」、イノシシを抱えてドヤ顔の埴輪が気に入りました。「素朴な異界1」で展示されていたのは「地獄十王六道図」、ゆるキャラ風の獄卒が愛らしいですね。「絵巻と絵本」で展示されていた「かるかや」はまるで子供が描いた絵、腰がへなへなとくだけ落ちるような脱力感にあふれています。「庶民の素朴絵1」では、勧進に使われた曼荼羅などが展示されていましたがいま一つ。素朴絵の王道とも言うべき大津絵を展示しているのが「庶民の素朴絵2」。「素朴な異界2」では「十王図屏風」に脱力させられました。いいかげんに描かれた亡者と、やる気なさげに仕事をする獄卒の対比が面白いですね。「知識人の素朴絵1」は、江戸時代中期に茶人・俳人が自覚的に描いた素朴絵が展示してありましたが、こちらもいま一つ。「知識人の素朴絵2」は僧侶・プロ・アマチュアが描いた素朴絵を展示、このコーナーが一番楽しかったですね。白隠、仙厓、尾形光琳、尾形乾山、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、富岡鉄斎といった大物のゆるい絵を堪能いたしました。そうした巨人たちの間で、ピカリと光る二枚の素朴絵がありました。まずは禅僧・南天棒による「雲水托鉢図」、目は点、口は横棒、おおらかにデフォルメされたかわいい托鉢僧たちが、縦一列になって来たり去っていきます。もう一枚が浮世絵師・耳鳥斎(にちょうさい)が描いた「大黒と福禄寿の相撲図」。福禄寿の長い頭を抱えた大黒を、福禄寿が吊り出すところをユーモラスに描いています。目は点、口は横棒で書かれた大黒の、なんともやるせない表情がいいですね。締めは、円空、木喰の彫った仏像を展示する「立体に見る素朴2」。この二人が彫った仏像に対峙すると、つい芸術作品と見て身構えてしまいますが、本来は庶民のための素朴な仏であったのですね。こちらも少し脱力して拝んだほうがいいのかもしれません。 「へそまがり日本美術」の常軌を逸した脱力感には及びませんでしたが、なかなか面白く楽しい展覧会でした。 そして「主水」へ寄って、さばしゃぶをいただきました。ミディアム・レアの鯖を食べるのは初めてですが、たいへん美味しうございました。ただお代が1800円と少々高いわりには量が少なく残念。鯖が高級魚になってしまったようですね。でも我が家でもこれはできそう、出汁を工夫すれば新しい世界が開けてきそうです。 ▲
by sabasaba13
| 2019-08-24 13:26
| 美術
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残暑お見舞い申し上げます。
日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらくイタリア旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。アイスランドのスコガフォスです。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2019-08-17 07:29
| 鶏肋
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国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」を主催した愛知県が、8月3日に、「平和の少女像」(少女像)が出品された「表現の不自由展・その後」企画展示全体を中止させました。
徴用工問題に加えて、これに関しても感情的な発言がされていますが、やはり事実に基づいて冷静に考えましょう。そもそも作者は、なぜこの少女像をつくったのか。なぜ傍らに椅子を置いたのか、なぜ彼女のかかとは地から浮いているのか。AbemaTIMESによると、『Abema的ニュースショー』が少女像の作者の一人であるキム・ソギョンさんに取材を申し入れたところ、「日本の報道では私たちの正しい意図が伝わっていない」などと取材に応じられない旨、そして、取材を受けないことを詫びる気持ちが書かれた手紙が送られてきたそうです。さらにソギョンさんは「少女像は反日の象徴ではなく、平和の象徴であることを知らせるために展示会への参加を決意した。しかし、日本の報道では(少女像は)反日の象徴として映っていた。不快に思うという人がいるのも事実。しかしその不快さは、河村市長の言う"国民全体の総意"なのかは疑問です」と複雑な心境を明かし、今回の中止の決断に対して反論されたそうです。 この少女像および従軍慰安婦問題については、以前に拙ブログに掲載しましたので、読んでいただけると幸甚です。その第4回で紹介した、作者であるキム・ウンソンさん、キム・ソギョンさん夫妻のことを紹介した「神奈川新聞」(2015.1.28)の記事を再掲します。 いすに腰掛けた等身大の少女像は静かに前を見据える。穏やかな表情は見る者を鋭く射すくめるようにも映る。2011年、韓国・ソウルの日本大使館前に建てられた「平和の碑(少女像)」。旧日本軍の従軍慰安婦を模したもので、日本では「反日の象徴」と反発する向きもある。「悲劇が再び起きないよう平和を願って作った」。韓国人彫刻家、キム・ウンソンさん(50)、キム・ソギョンさん(49)夫妻は込めた思いをやはり静かに語った。間近で見ると、はだしの少女はかかとをわずかに浮かせていることに気付く。膝の上の両の拳はぎゅっと握られ、左肩には黄色い小鳥が乗る。(中略) 一見しただけでは分からないが、かかとはすり切れているのだという。「大変だった人生を象徴している。遠くに連れて行かれ、故国に戻ってきても居場所がない人もいたから」 ソギョンさんが説明を始めた。なぜこの「少女像」に対して過剰な感情的反応を起こす方が多いのか、この話を聞いて、この像を謙虚に見つめているとわかるような気がします。言葉にできないような下劣で卑劣で低劣な犯罪的行為をこの静謐な少女像に糾弾されているようで、心底から怯えているのでしょう。『普遍の再生』(井上達夫 岩波書店)で紹介されている、大沼保昭さんの言葉を再掲します。 過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中のどこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めるものであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない。私たちの優れた到達点を率直に評価し、同時に過ちを認めるごく自然な姿をもつ国家こそ、私たちが愛し誇ることのできる日本という国ではないか。私はそう思う。(「日本の戦争責任と戦後責任」 『国際問題』 501号 2001年12月号) (p.68~9)そう、自称愛国者の私としては、この日本が過ちを認めない恥知らずな国になってほしくないのです。失敗や過ちから学ぶことをしないから、この国はいまだに失敗と過ちを繰り返し続けているのではないでしょうか。 ▲
by sabasaba13
| 2019-08-16 07:35
| 鶏肋
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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