<   2020年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

中澤誠氏講演会

 調査報道。権力側の提供する陳腐な情報をそのまま垂れ流すのではなく、権力にとって都合の悪い事実を徹底的に調べて発信する報道です。『スパイネーション/自白』のチェ・スンホ監督は、インタビューでこう述べられています。
 当たり前のように嘘をつきまくり、捏造が明らかになっても責任を取らない組織を放っておいたら、いつか捏造された情報で国全体を滅ぼすことが起こるかもしれません。そうなる前に徹底的に立て直すべきです。
 そう、権力による嘘と情報の捏造を徹底的に調べ、それを市民に伝える。ジャーナリズムの存在意義はここにあります。しかし昨今の状況を見ると、権力に媚びすり寄り、その意思を忖度するジャーナリズムが何と多いことか。その中で気を吐いているのが、東京新聞社会部調査報道班です。      
 「東京新聞 記者のつぶやき」の中で、社会部調査報道班の藤川大樹氏がこう語っておられます。
利権の温床となる税と予算をチェック
 昨夏(※2018年)、社会部内に調査報道班が立ち上がり、「税を追う」というキャンペーンを展開しています。キャップ以下4人のチームです。
 キャンペーンはその名の通り、私たちの税金が適正に使われているかを調査して報じるというもの。第1弾は、第二次安倍政権発足以降、7年連続で過去最大を更新し、「聖域化」しつつある防衛費を取り上げました。本年度の防衛予算は5兆2574億円に上ります。
 取材から見えてきたのは、米国政府から兵器を調達する「FMS(対外有償軍事援助)」の急増です。FMSには、自国で生産できない高性能の兵器を調達できるという利点がある反面、価格は米側の「言い値」になりがち。オスプレイやイージス・アショアなど、政府が高額な米国製兵器の購入を次々と決定する裏で、自衛隊の現場では、戦闘機などの消耗部品の補充が後回しにされるなど、しわ寄せが及んでいる実態が浮かび上がりました。
 政治とは極論すれば、税をどこから徴収し、予算をどう配分するか、ということに行き着くと思っています。それは時として、利権の温床にもなります。これからも税の使途を厳しくチェックしていきます。
 その取材が結実した新書『兵器を買わされる日本』(東京新聞社会部 文春新書1244)を読み終えて、日本政府の税の使い方があまりにもひどいことに憤怒していたところ、偶然、報道調査班のメンバーである東京新聞社会部の中澤誠記者の講演会が練馬で開かれるという情報を得ました。権力の監視というジャーナリズムの責務を全うせんとする現役記者の話を聞ける機会なんて、めったにありません。互いに見合わす顔と顔、山ノ神も同じ気持ちのようです。ぜひ聞きにいきましょう。
 なお主催は「〈語やびら沖縄〉もあい練馬」は、四年前にオスプレイの沖縄配備に反対するために立ち上がったグループで、沖縄と本土の関係を変えていきたいという思いで活動をされているそうです。

 当日、会場となった練馬区役所多目的会議室に行くと、嬉しいことにほぼ満席。残念なことにほとんどが白髪頭ばかりで、若者の姿を見かけません。資料代500円を払って空いている席にかろうじて座り、壇上を見ると、「辺野古の米軍基地の建設に2兆5千500億円! 際限なき税金投入の闇を追う」という垂れ幕がさがっています。そして中澤氏が登場、温厚ですがしっかりとした口調で講演が始まりました。タイトルは『税から問う「辺野古」』、講演前半のテーマは、膨張する防衛費とその主因である米国からの兵器「爆買い」です。その核となるのが、FMS(Foreign Military Sales 対外有償軍事援助)という、米政府を窓口に米国メーカーから兵器を購入する制度。高性能の兵器が買えるというメリットはあるのですが、価格は米国の言い値で納期も米国の都合次第という大きなデメリットもあります。なんと当初99億円だったF35が、なんだかんだと理由をつけられて170億円になったそうです。その金額も半端ではありません。新型輸送機オスプレイ17機で1737億円。イージズ・アショア2基で2700億円。ステルス戦闘機F35Aが105機で1兆2678億円。無人偵察機グローバルホーク3機で581億円。その結果2020年度防衛予算は過去最大の5兆3133億円、兵器ローン(後年度負担)もさらに膨張して過去最大の5兆4310億円。思いやり予算も13年ぶりに2000億円を上回ったそうです。
 これは私の余談ですが、FMS(Foreign Military Sales)を「対外有償軍事援助」と訳すところに、日本の官僚のしたたかさと姑息さを痛感します。「対外武器販売」なのにね。アメリカによる武器の押し売りを断われないことが、よほど後ろめたいのでしょう。ま、でも、言葉を言い換えて自分に責任のある事態を糊塗するのは、昔から官僚のお家芸ですから、その伝統が今も続いているということですね。古典では、退却→転進、自爆攻撃→玉砕、敗戦→終戦、占領→進駐。新作では、共謀罪→テロ等準備罪、カジノ法→IR法などなど。それはそれとして、官僚たちが性懲りもなく、言葉を操って真実を隠蔽するのを許している責任は、一般市民の無関心と無知にあると思います。官僚に真の言葉を使わせなければ、彼ら/彼女らは何度でも蛮行を繰り返すでしょう。レベッカ・ソルニットは、『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)の中でこう言っています。
 そのものを真の名で呼ぶことにより、わたしたちはようやく優先すべきことや価値について本当の対話を始めることができる。なぜなら、蛮行に抵抗する革命は、蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まるのだから。(p.108)
 閑話休題。後半のテーマは辺野古新基地と税です。これは権力の暴走で、対岸の火事ではない。おかしいことはおかしいと言わないと、辺野古で起きていることが東京や大阪でも起こる。その暴走を許す背景には「辺野古」は地方の問題という本土の鈍い感覚であるという鋭い指摘がありました。具体的な問題点として、次の三点を指摘されました。①工費も工期も明確にしないまま着工。防衛相は「3500億円以上…」と答弁したそうです。②コストを度外視。③軟弱地盤が判明しても工事を続行。これらはいずれも公共事業ではあり得ないことで、普天間基地返還ではなく辺野古新基地建設が目的だと考えざるを得ないと述べられました。
 ②のコストを度外視して湯水のごとく税金を投入した事例として、中澤氏が指摘されたのが三点です。(1)埋め立て土砂「岩ズリ」は赤土まじりの規格外品なのに、良質石材の倍額。1?当たり前者は4750円、後者は1万1290円です。防衛省の内規では3社から見積もりをとらねばならぬが、このケースでは1社で、その会社の言い値で購入。岩ズリ購入だけで1856億円かかりました。(2)際限なき警備費。1日当たり2000万円、完成までに1700億円と試算。会計検査院も「2億円弱払い過ぎ」と指摘。国の単価を使わず業者の見積もりのまま、海上警備を発注。赤嶺政賢衆院議員は「県民を黙らせることが予算の最大の要件なんだ」と言ったそうです。(3)契約変更の乱発による工費膨張。77事業のうち66件で契約変更があったそうです。
 そして③軟弱地盤が判明しても工事を続行しているという問題です。防衛省に提出された海底の地質調査結果(2014~16年)では、地盤強度を示すN値が「0」。しかし防衛省は事実を伏せたまま17年度に護岸工事に着工し、これを政府が認めたのは2019年1月でした。計画の大幅変更により工費は2・7倍の9300億円、工期も倍。基地完成後も沈下が続くので、コストは「工費9300億円+維持費α」となるようです。

 とにかく「辺野古ありき」の帳尻合わせが横行しているということも、いくつか指摘されました。例えば、土砂の規格を沖縄県に無断で変更した事例です。埋め立て土砂、赤土の許容割合を、沖縄県への埋め立て申請時には「概ね10%前後」としたのに、県に無断で工事発注時に「40%以下」と変更しました。より質の悪い土砂に変え、しかも県の立ち入り検査すら認めていません。
 また「海面下70m以深の地盤強度は、非常に固い粘土層」だと防衛省は主張し、70mまで地盤改良すれば大丈夫だとしています。実は現有の作業船では70mが限界なのですね。最深90mの地点でも地盤は軟弱だというデータを、防衛省は「信頼度が低い」と不採用して別地点のデータから類推しました。自ら調査をすればよいのに、やらない。ところが、実はやっていたというのが当日(2020.2.8)の東京新聞の記事でした。

 また軟弱地盤の存在により設計を変更せざるを得ませんが、それには沖縄県の承認が必要です。ただ県は承認しない公算が大きいので、法廷闘争をにらみ、設計変更の正当性を担保するための演出として防衛省が立ち上げたのが有識者会議「技術検討会」です。しかし委員のうち少なくとも3人が、受注業者から寄付金をもらっています。副委員長の大谷順氏[熊本大副学長・地盤工学会会長]は不動テトラから120万円、青木伸一氏[大阪大院教授]は東洋建設から300万円、渡部要一氏[北海道大院教授]は東洋建設から150万円、準大手ゼネコンから50万円を、それぞれ寄付として受け取っています。
 そして地盤改良の報告書を作成したコンサル3社に、防衛省OB7人が天下りしていることも指摘されました。辺野古の常連業者である日本工営https://www.n-koei.co.jp/は受注13件のうち、随意契約11件、落札率99%が10件。この会社には、防衛省OB3人、横田防衛事務所長が理事として、北関東防衛局調達計画課係長が従業員として、北関東防衛局管理部長が嘱託として、それぞれ天下りをしています。
 ちらつく辺野古利権にむらがる防衛省の官僚、建設業界、自民党、技術者・研究者によって、「原子力ムラ」ならぬ「辺野古ムラ」が形成されていることを最後に指摘されました。

 ここで15分の休憩。資料にはさんであった質問票を提出すれば、後半に中澤氏が回答してくださるそうです。
 そして後半の始まり。質問への回答や意見を、私の文責でまとめていくつか紹介します。「辺野古新基地建設は、公共事業として異常。あるオンブズマンが"辺野古は治外法権"と言った」「日米両政府の考え方にちぐはぐ感を覚える。ある議員がアメリカ議会に行って意見を聞いたら、辺野古にあまり関心がないようだった」「防衛省に取材に行くと"米軍との関係なので言えません"と言われる」「辺野古に関するスクープをしても、驚くくらい主要紙のフォローがない。地元紙(琉球新報・沖縄タイムス)だけが取り上げても官邸はびくともしない。人の輪を広げて、同業メディアと協力していきたい。主要紙が取り上げれば官邸の目の色も変わる」「上(アメリカ)には媚びへつらい、下(辺野古)には横暴な安倍政権には問題がある。それを食い止めるには、やはり選挙が有効。選挙の際の判断材料をひとつでも増やしたいという思いで取材をしている」「望月衣塑子記者が冷遇されないのは、読者からの激励が社に届くからだ」「辺野古新基地問題の解決は、法廷闘争では望みが薄い。政府の横暴を止めるには、世の中の大きな声が必要。新国立競技場も、世の中の声が暴走を食い止めた」「メディアの体質を変えるには、みなさんがメディアに意見を伝えることが必要。声をあげてほしい」

 これで講演会は終了。会場にあった署名用紙に、内容を確認のうえサインをし、カンパ1000円を係りの方に手渡して帰宅の途につきました。
 権力の暴走に対する憤怒と、それを監視し、人びとに伝えるというメディアの責務への自覚が、びしびしと伝わってきた素晴らしい講演会でした。メディアの劣化が進行するなか、中澤氏のような記者と、それをバックアップする新聞社が存在することに勇気づけられた思いです。そしてメディアの劣化を食い止めるためには、受け取り手である私たちが、メディアを励まし、メディアを叱ることが大事だとあらためて感じ入りました。よーし、こまめにメールを送ることにしましょう。なお資料の最後に「情報提供やご連絡・ご相談がございましたら、以下のメールアドレスまでお願いします」という言葉とともに、中澤誠氏のアドレスがあったので、転記しておきます。
Nakzw.m1@chunichi.co.jp

余談その一
 辺野古や高江での米軍基地反対運動の中心となって尽力されてきた山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の講演会も、以前に聞いてきました。よろしければご照覧ください。

余談その二
 たぶん偶然なのですが、講演会当日の「東京新聞」一面が、中澤氏が書いた記事でした。以下、引用します。
辺野古、70メートル超も「軟弱」 地盤調査、防衛省伏せる (「東京新聞」 2020.2.8)

 沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設を巡り、埋め立て予定海域で防衛省の想定に反し、海面下七十メートルより深い海底の地盤が「軟弱」であることを示すデータが検出されていたことが分かった。「七十メートルまで地盤改良すれば施工可能」という同省の設計の前提は、根底から覆る可能性が出てきた。同省は「業者が独断で行った調査で信頼性が低い」としてこの実測データを採用せず、調査した事実すら伏せていた。(中沢誠)
 海底の軟弱地盤の存在は着工後に判明し、粘土層は最深部で海面から九十メートルにまで達すると指摘された。防衛省は地盤改良の必要から設計変更の準備を進めているが、工事の助言を得る有識者会議にもこのデータを示していなかった。
 「軟弱」を示すデータが検出されたのは、軟弱地盤が九十メートルまで達していると指摘された「B27」地点。防衛省から委託された業者が現場で土を採取し、地盤強度を計測。その結果によると、七十メートルより深い地盤でも地盤強度の区分で六段階のうち二番目に軟らかい地盤に該当した。
 データは、防衛省が二〇一九年三月に国会へ提出した一連の調査結果の巻末資料として、英文で表記されていた。防衛省はデータの存在を伏せ、これまで「B27点では強度の試験をやっていない」と国会や本紙の取材に答えていた。
 防衛省はその一方で、B27地点の地盤強度を最長七百五十メートルも離れた別地点のデータから類推し、「七十メートルより深い地盤は非常に固い」とし、七十メートルまで地盤改良すれば基地建設は可能と結論付けている。
 B27地点には巨大な護岸が設置される。真下の地盤が軟弱だった場合、護岸が沈下したり傾いたりして基地として機能しない恐れがある。防衛省はB27地点の実測データは「信頼性が低い」として採用せず、設計変更の検討に当たっても考慮に入れていない。
 防衛省の設計変更案では工期が倍の十六年、総費用は当初計画から三倍近い九千三百億円と見込む。

◆工事の根拠覆す実測値
<解説> 防衛省が基地建設を進めるのに不利なデータを伏せていた背景には、「辺野古ありき」で工事を強引に進める政府の姿勢がある。
 安倍晋三首相は昨年一月の国会で「施工実績が豊富な工法で、工事は可能」と強調した。その根拠とした地盤の強度は、最深部のB27点とは異なる地点のデータから導いた類推値だ。今回明らかになった「軟弱」を示すデータは、B27地点の実測値であるにもかかわらず、無視された。
 B27地点では別の強度試験のデータでも、基礎地盤として望ましい強度を下回っていたことが昨年三月、本紙報道で明らかになった。防衛省はこのデータも同じように「信頼性が低い」と採用していなかった。
 一兆円近い税金を投じる世界でも例のない難工事にもかかわらず、あえてリスクを低く見積もる防衛省の対応は、工事を強行するための帳尻合わせに映る。
七十メートルより深い地盤も「軟弱」だったとすれば、基地建設すら危ぶまれる事態だ。防衛省はいま一度立ち止まって、計画を再検討するべきだ。(中沢誠)

◆業者が独断実施
<防衛省整備計画局のコメント> B27地点での地盤強度の試験結果は把握していたが、隠す意図はなかった。この試験は防衛省が指示したものではなく業者が独断で実施。試験方法も簡易的なやり方だったので、設計の検討には使えないと判断した。防衛省が指示していない調査データが報告されていた理由は分からない。

 本日の一枚です。
中澤誠氏講演会_c0051620_6375369.jpg

by sabasaba13 | 2020-02-26 06:06 | 講演会 | Comments(0)

第五福竜丸と五輪

 ある日、購読している「東京新聞」をポストから取り出したら、一面の見出しが目に飛び込んできました。驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機、都立第五福竜丸展示館を、東京五輪・パラリンピック期間に合わせて休館するそうです。以下、当該記事を引用します。
五輪パラ期間・前後 第五福竜丸館休館 競技会場すぐそば (「東京新聞」 2020.2.9)

 米国によるビキニ環礁水爆実験で一九五四年に被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)が、東京五輪・パラリンピック期間に合わせて休館する。展示館がある夢の島公園はアーチェリー会場となり、警備で園内の通路が封鎖され、展示館に行くのが困難になるためだ。核廃絶に取り組む市民からは、国内外から観戦客らが訪れる絶好の機会に、核兵器による被害の悲惨さを伝えられないことを惜しむ声が上がっている。(北條香子)
 展示館は七六年に開館し、船の実物を展示。昨年四月に改修工事を終えてリニューアルオープンしたばかりだ。入館無料で、公園を訪れる人らが気軽に立ち寄って核による被害の実態を学ぶ場となっている。
 五輪・パラリンピックでは、展示館南側にある陸上競技場でアーチェリーの本選、同じく南東のアーチェリー場で予選が開かれる。
 展示館が休館するのは七月三日から。五輪開会式は七月二十四日だが、大会組織委員会の広報担当者によると、五輪の開会式前から競技会場周辺を封鎖して危険物などがないかを細かく確認し、安全な状態を保つ必要があるという。公園内にある熱帯植物館も同様で、いずれもパラリンピック閉会式翌日の九月七日まで休館する。
 都オリンピック・パラリンピック準備局の担当者は「競技会場となるアーチェリー場は既に工事で使えないが、展示館や植物館などは大会直前ぎりぎりまでアクセス路を確保する努力をしている」と話す。展示館を管理運営する公益財団法人「第五福竜丸平和協会」は休館中、展示パネルなどを全国に貸し出す方針。
 戦争と平和の問題を考える連続講座を都内で開いている立川市の元高校教員竹内良男さん(71)は「セキュリティーの問題として片付けていいのか。展示館のすぐ近くが競技会場になるからこそ、開館するべきだ」と求める。
 五輪・パラ期間中、競技会場に近接などする他の公共施設の対応は分かれる。
 カヌー・スラローム会場が隣接する葛西臨海公園サービスセンター(江戸川区)によると、大会期間中、葛西臨海水族園などは営業する。重量挙げなどが行われる東京国際フォーラム(千代田区)内にある相田みつを美術館は、六月二十二日から十月五日まで休館する予定。
 何という愚行でしょう。核兵器や放射能の恐ろしさを世界中に発信する、またとない好機だというのに。深読みすれば、宗主国であるアメリカの立場を擁護するために、この事件をなかったことにしたい/忘れてほしいという政権中枢の意図があるのではないか。
 さらにぜひとも指摘しておきたいのは、これは単に第五福竜丸が被曝したという事件にとどまりません。『核の海の証言 ビキニ事件は終わらない』(山下正寿 新日本出版社)によると、他にも1000隻を超える漁船や貨物船が被曝したと推定され、さらにアメリカ政府は、ロンゲラップ島民をわざと避難させずに被曝させ放射能が人体に与える影響を研究するという人体実験を行いました。(p.140~3) また日本政府は、原子炉や原子力技術をアメリカから得たいがため、1955年1月に「見舞金」200万ドル(7億2000万円)を受け取り、アメリカの法的責任は一切問わないという政治決着がなされました。(p.114) この見舞金の一部は第五福竜丸乗組員だけに渡され、その結果、被災した他の船員や漁業関係者から怒りや妬みを買い、二重の苦しみを背負うことになりました。これは他の被災船員から孤立させれば、「第五福竜丸事件」として処理でき、それ以上問題は広がらないという日本政府の策略ですね。結局、他の被災船に関する調査は行われず、「被爆者手帳」も支給されず、健康障害と高額の医療費に悩まされ、多くの方がガンで亡くなりました。(p.183) それに先立つ1954年12月、日本政府はマグロ放射能検査中止を閣議決定し、その結果マグロ漁船は、ビキニ・エニウェトク環礁近くの危険区域に、核実験期間中であっても進入して操業しはじめました。もちろん日米両政府による警告はありません。多くの漁船員が被曝し、後年にガンで亡くなる方が続出することになります。また汚染マグロは日本の港に水揚げされ、放射能検査を受けることなく食卓にのぼりました。その汚染マグロを一年間冷凍室に保管して、ハム・ソーセージにして販売した大手企業もあったそうです。(p.157~8)
 なお米国は、中部太平洋上でキャッスル作戦後に行った87回の核実験のうちほとんどが春季から夏季にかけて行ないましたが、この時期は、中部太平洋上のマーシャル諸島、日本、フィリピン、メキシコ、中央アメリカも雨季です。この時期に大気圏内核実験を行えば、これらの地域の放射性降下物は増える一方、米国の放射性降下物は減るという判断をしたのだろうと、山下氏は推察されています。(p.126)

 核兵器をより進化させて軍事的優位に立ち、そのために大量の被曝者が出るのを承知の上で数多の核実験を行なってきたアメリカ政府。その核の傘に入ってアジア諸国に睨みをきかせ、できうれば自らも核兵器を所有したいと欲望する日本政府。その両者の共犯によって引き起こされ、隠蔽されたのがこの事件の本質だと思います。とくに後者は、"世界唯一の被曝国"を売りにして国際的なイメージアップを図ってきたのですから、この事件に関心を持つ人が増え、日本政府が放射能被害をなかったことにしようとした事実が暴かれて流布されるのは困るでしょう。福島原発事故でも性懲りもなく同じことをしているのですから、なおさらです。山下正寿氏も、前掲書のなかでこう述べられています。
 ビキニ水爆実験で「死の灰」は成層圏に達して一年以上も北半球全域に降り、ストロンチウム90、セシウム137などの放射能汚染が続き、発ガン率(ヨーロッパ放射線リスク委員会統計、6500万人のガン、小児、胎児死亡)を高めた原因と言われている。特に、日本の小児ガン死亡率が核実験にそって高まり、1968年には戦前の七倍となっている。
 福島原発事故の放射能汚染による内部被ばくの影響を予測にあたって、この「キャッスル作戦」の記録とマーシャル諸島の被災者、ビキニ被災船員の健康調査分析が重要になるだろう。
 今後もっとも注意しなければならないことは、東電・政府などが「原発事故で死亡した人はいない」と強調し続けて、放射線被災との因果関係を消し去ろうとすることである。高いレベルの放射線に長期間さらされる危険性のある原発労働者、ガレキ処理労働者、農民、漁民、潜水夫などや、低レベルでも影響を受けやすい子どもたちに病状が出た場合に、専門医によって精密検査を実施することと、その後の健康追跡調査が求められる。これをしなければ、放射線被ばくによる大規模な「完全犯罪」を許し、ビキニ事件の二の舞となる危険性も考えられる。(p.231)
 五輪パラリンピック期間中、第五福竜丸展示館を休館とした主因はここにあると考えます。何も起こりはしなかった…

 過去に上梓した、第五福竜丸関連の記事を紹介します。焼津市歴史民俗資料館の「第五福竜丸コーナー」、乗組員だった大石又七氏の講演会、「原水爆禁止運動発祥の地」記念碑、岡本太郎作「明日の神話」、ベン・シャーン絵/アーサー・ビナード詩の『ここが家だ』、そして第五福竜丸展示館です。

 本日の一枚です。
第五福竜丸と五輪_c0051620_12472288.jpg

 訃報です。第五福竜丸の元乗組員、池田正穂(まさほ)さんが2月20日午後4時16分、胃がんのため静岡県藤枝市の病院で逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。氏は、この休館のことを知っていたのでしょうか。もし知っていたら、どんなお気持ちだったのでしょうか。いたたまれない思いです。
by sabasaba13 | 2020-02-24 06:15 | 鶏肋 | Comments(0)

信州編(11):長野(16.8)

 もしかしたら復旧しているかもしれないという淡く甘い期待を胸に、ブロンプトンをころがして軽井沢駅の改札に行くと、「屋代~坂城間雨により運転を見合わせております。その為軽井沢発の列車の到着・発車も未定となっております。大変申し訳ございません」という手書きの看板が出ていました。散財となりますがやむを得ない、新幹線に乗って長野へ向かいました。お足と車窓を流れる風景、失うものも大きいけれどもやはり新幹線は速い。30分ほどで長野駅に着きました。長野駅も、しなの鉄道の復旧を待つ方々でごった返していました。ま、無事に宿に着けただけでも諒としましょう。
信州編(11):長野(16.8)_c0051620_11263780.jpg

 駅近くにあるコンフォートホテル長野にチェックインをし、ブロンプトンと荷物を部屋に置いて、ホテルの近くにあった「戸隠」というお店で蕎麦をたぐりました。
信州編(11):長野(16.8)_c0051620_11265547.jpg

 そして酒屋で地酒とビールを購入して部屋へ戻り、シャワーを浴びて一献傾けながら明日の旅程を思案しました。当初の予定は、本日は旧軽井沢とタリアセン、御代田、長野市、野尻湖を訪れ、明日の予定は朝一番で川田宿を自転車で訪れ、長野市の近代化遺産を見学し、姨捨の棚田に行き、安曇野にあるちひろ美術館を見学して、松本市内を彷徨して同地に泊まるというものでしたが、大幅に狂ってしまいました。まあ小田実曰く「人間古今東西ちょぼちょぼ」、旅程なんてこんなものです。酔眼で資料やパンフレットを見ながら、とりあえず川田宿、長野市、旧軽井沢のヴォーリズ建築と中軽井沢の市村記念館を訪問、野尻湖を見て松本に移動、ということにしましょう。そうこうしているうちに睡魔にジャーマン・スープレックス・ホールドをくらったらしく、意識がいつの間にかなくなっていました。
by sabasaba13 | 2020-02-22 07:23 | 中部 | Comments(0)

信州編(10):小諸(16.8)

 さてこれからどうしましょう。引き際が肝心、今夜の塒がある長野まで行き、ゆっくりと蕎麦でもたぐりますか…と思いきや、雨が上がったではありませんか。時刻は午後四時少し前、こうなると色気が出てきました。強行軍ですが、小諸に戻って事前に調べた布引電気鉄道の廃線跡をたどり、中軽井沢に行き市村記念館とヴォーリズ物件をまわっちゃいましょう。
 ブロンプトンを折りたたみ、ふたたびしなの鉄道に乗り込んで小諸へ。懐古園の門を撮影して、持参した地図を頼りに廃線跡を探すとそれらしき道がありました。Here we go ! なお布引電気鉄道とは、小諸駅と布引観音を結ぶ目的で1926(昭和元)年に開業しましたが、なんと国による免許失効によって1936(昭和11)年に廃業したそうです。凄い鉄道ですね。さる情報によると、橋脚の残骸がまだ残っているということなので、それを拝みにいきましょう。
 さすがに80年以上も前に廃業した鉄道なので、往時を偲ばせる物件は残っていません。いかにも線路跡の雰囲気を感じさせる緩やかにカーブする下り道を気持ちよく疾走しましたが、よく考えれば戻らないといけないのですね。やれやれ、帰りはずっと上り道か。
 そうこうしているうちに川の近くに出ましたが、己の不徳のなすところか、鵜の目鷹の目、あたりをよく見たのですが橋脚らしき物件が見当たりません。しかたがない、退却しましょう。なだらかな上り道を、変速機を駆使しながらうんせうんせと走り、小諸駅に到着しました。
信州編(10):小諸(16.8)_c0051620_11184944.jpg

 「布引伝説発祥の地 牛に引かれて善光寺詣り」という顔はめ看板があったので撮影。ブロンプトンを折りたたみ軽井沢行きの列車に乗るために小諸駅に行くと…なんと、戸倉付近で降雨計が壊れるほどの大雨が降っているため、しなの鉄道が不通となっていました。駅員さんに代替交通を訊ねると、小海線で佐久平まで行き新幹線に乗り換えるしかないとのこと。うーむ、万事休すか。しかし時間と料金を考えると、タクシーで軽井沢に戻るのも一案です。うーむ、どうしよう。駅前にあった喫茶店「こぶし」で香り高い珈琲をいただきながら一人作戦会議。
信州編(10):小諸(16.8)_c0051620_1119728.jpg

 ちなみに私、スマート・フォンは持っておりませんので詳細な情報を入手することはできません。最後に頼るのは己の勘のみ。よろしい、タクシーを利用しましょう。駅前で客待ちをしていたタクシーにお願いして折りたたんだブロンプトンをトランクに入れてもらい(こういう時にも便利です)、中軽井沢に向かってもらいました。中軽井沢で市村記念館を、旧軽井沢に行ってヴォーリズ物件を拝見しようという腹づもりでしたが、少し走ると激しい驟雨に見舞われました。これで試合終了、完全撤退です。軽井沢駅まで行ってもらい、新幹線で長野まで行くしかありません。なお運転手さんが同情してくれて5500円でメーターをとめてくれたのには感謝感激雨霰。ディスプレイを借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
by sabasaba13 | 2020-02-20 06:20 | 中部 | Comments(0)

言葉の花綵201

 血は、けっして人類の一般の事業をまえにおしすすめるために流されるのではない。反対に、人類の一般の事業は、流血にもかかわらず前進するものであって、けっして流血の結果として前進するのではない。流血の責任者はどこでもつねに、理性と真理との代表者ではなく、無知と停滞と無権利との擁護者であった。ある歴史的人物がおそるべき殺戮者であったと立証すること…は、この人物が人類の敵であったこと、この人物の示した手本がなにびとにとっても、またなにものにとっても、弁明の材料とはなりえなかったと立証することを意味する。(ピーサレフ)

 私有財産の廃止により、真の、美しい、健全な個性があらわれる。物や、物の象徴(貨幣)を蓄積するために、一生を浪費する人はなくなろう。人は、生活することになるだろう。生活するとは、この世で一番まれなことなのだ。たいていの人は存在しているだけなのだ。…現代の世界は、苦しみから、また苦しみにもとづく悩みから脱却したいと望んでいる。現代は、その方法を社会主義と科学とに頼っている。現代の目的は、個性が歓喜をとおして、自己を表現することだ。この個性は、在来のどんな個性よりも、さらに大きく、豊かで、美しくなろう。(オスカー・ワイルド)

 わたしがアントニヌス家の一員であるかぎりは、わたしの都市、わたしの国というのは、ローマであるが、わたしが人間であるかぎりにおいて、わたしの祖国は世界なのだ。(アウレリウス)

 弱い者にたいしてかくも強い国家は、病気や死の原因がむらがっている暗い工場のなかで、弱い者を保護するには無力だろう。…人間は人間を虐待し、生命の体液をすっかりしぼりとるだろう。しかし安穏無事な国家はいうのだ-「自由を黙認しよう」。そうだ。もっとも強い者が、もっとも弱い者を圧迫し、おしつぶす自由、殺人組織の自由を、である。(クレマンソー)

 なに! 諸君は一国民全体をテコにもち、自由と理性を支点にもっていながら、しかも地球をひっくりかえせないというのか! (ダントン)

 われわれがルンペンとちがって、余暇をほしがるのは、それによって自分の好きなことを、よりたくさんしたいからです。それはドレイが獣的な強制のもとに仕事をしなければならないのとは、まったくちがいます。ルンペンは余暇をむだに使ってしまいますから、みじめなのですが、われわれは、その余暇を用いて幸福になろうと思っているのです。忘れないでいただきたいのは、余暇は休息ではない、ということです。休息は睡眠のように、しなければならないものであります。本当の余暇とはわれわれの好きなことをする自由であって、なにもしないということではないのです。(バーナード・ショウ)

 私も過去の事実をのべ、未来に期待して、仕事を続けよう。(司馬遷 『史記』)
by sabasaba13 | 2020-02-18 20:05 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『カツベン!』

『カツベン!』_c0051620_17164286.jpg 山ノ神から、周防正之監督の最新作が面白そうという話を聞きました。「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」「ダンシング・チャップリン」といった佳作を世に送り出してきた周防監督ですから期待できるでしょう。しかもタイトルが『カツベン!』、サイレント映画時代に活躍した活動弁士をテーマとする映画とのこと、これは楽しみですね。さっそく、山ノ神と一緒に、「ユナイテッドシネマとしまえん」で見てきました。

 まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 子どもの頃、活動写真小屋で観た活動弁士に憧れていた染谷俊太郎。"心を揺さぶる活弁で観客を魅了したい"という夢を抱いていたが、今では、ニセ弁士として泥棒一味の片棒を担いでいた。そんなインチキに嫌気がさした俊太郎は、一味から逃亡し、とある小さな町の映画館〈靑木館〉に流れつく。靑木館で働くことになった俊太郎は、"ついにホンモノの活動弁士になることができる!"と期待で胸が膨らむ。しかし、そこには想像を絶する個性的な曲者たちとトラブルが待ちうけていた! 俊太郎の夢、恋の運命やいかに…!?
 ウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のような、テンポがよくドライブ感にあふれた映画でした。ロマンスあり、アクションあり、サスペンスあり、笑いあり、はじめから最後まで、憂世の瑣事を忘れてスクリーンに没入してしまいました。やはり映画はこうでなくてはいけない。
 一癖二癖ありそうな、うさん臭く魅力的な登場人物も映画を盛り上げてくれます。靑木館館主の凸凹夫婦(竹中直人・渡辺えり)、酔漢ですが異様に存在感のある活動弁士・山岡秋聲(永瀬正敏)、靑木館のライバル・橘館の館主で極悪非道で冷血な橘重蔵(小日向文世)などなど。私が一番好きなのは、職人肌の映写技師・成河(浜本祐介)です。当時の映写機はクランクを手で回して映すので、映画の場面に合わせて微妙にその速度を変えるのが技師の腕の見せどころだったのですね。またクランクを足で回しながら食事をとるという神業も見せてくれました。
 なかでも特筆すべきは、主人公・染谷俊太郎役の成田凌です。感情豊かに映画の登場人物になりきるその活動弁士ぶりには舌を巻きました。さぞや猛練習をしたのでしょうね、お見事でした。ヒロインの栗原梅子(→沢井松子)役を演じた黒島結菜も、凛とした佇まいと芯の強さで魅せてくれました。
 そして全編を貫くのが、映画への愛です。観客も含めて、みんな映画が好きで好きでしようがないという気持ちがびしびしと伝わってきます。周防監督による、映画へのオマージュともいうべき映画でした。

 なお迂闊にも気づかなかったのですが、本編に登場する無声映画はすべて周防監督がつくったオリジナルのものだったのですね。しかも『椿姫』のマルギュリット役を草刈民代、アルマン役を城田優、『金色夜叉』のお宮役を上白石萌音、『南方のロマンス』のヒロインをシャーロット・ケイト・フォックスが演じるという豪華版。観客への挑戦状ともいうべき、こうした遊び心も楽しいですね。
by sabasaba13 | 2020-02-16 07:18 | 映画 | Comments(0)

『パラサイト』

『パラサイト』_c0051620_1783642.jpg ポン・ジュノ監督の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が滅法面白いという映画評をいくつか読みました。カンヌ国際映画祭では、審査員満場一致でパルムドールに選ばれたようだし、韓国映画の質と志の高さは常日頃痛感しているし、よろしい見にいきましょう。先日、山ノ神を誘って「ユナイテッドシネマとしまえん」に行ってきました。まずは公式サイトから、あらすじと監督のコメントを引用します。
 過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、"半地下住宅"で 暮らす貧しい4人家族だ。
 "半地下"の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ"普通の暮らし"がしたい。
 「僕の代わりに家庭教師をしないか?」 受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。"受験のプロ"のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった--。
 パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…"半地下住宅"で暮らすキム一家と、"高台の豪邸"で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく--。

 違った環境や状況に身を置く人々が、同じ空間に一緒に住むことは容易ではありません。この悲しい世界では、共存や共生に基づく人間関係が成り立たず、あるグループが他のグループと寄生的な関係に追いやられることが増えています。
 そのような世界の真っ只中で、生存をかけた争いから抜け出せずに奮闘する家族を誰が非難したり、"寄生虫"と呼ぶことができるでしょう?
 彼らは初めから"寄生虫"であったわけではありません。彼らは私たちの隣人で、友人で、そして同僚だったのにも関わらず、絶壁の端に押しやられてしまっただけです。
 回避不能な出来事に陥っていく、普通の人々を描いたこの映画は「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」であり、激しくもつれあい、階段から真っ逆さまに転げ落ちていきます。
 この止めることのできない猛烈な悲喜劇に、みなさまをご招待いたします。
 評判にたがわず、見事な映画でした。貧困と格差という深刻なテーマを、これほど面白く恐ろしい映画にしたポン・ジュノ監督の力業には首を垂れましょう。
 前半では、日の当たらない半地下住宅に住むキム一家の貧困ぶりを、まるで饐えた臭いが漂ってくるようにリアルに描きます。その象徴が、部屋の一番高いところに設置されたむきだしの便器です。実は「貧者にしみついた臭い」というのが、後にモチーフの一つとなるので、監督も相当苦心して撮影されたことと思います。
 そして中盤になると舞台は一転、日の当たる高台にある豪邸に変わります。芝生の庭、広い部屋、しゃれた調度、半地下住宅とは残酷なまでに対照的です。そこに住む社長の娘の家庭教師として雇われたギウは、彼の家族に寄生して「普通の暮らし」をしようと考えます。息子の家庭教師として姉を招き入れ、運転手を追い出して父を、家政婦を追い出して母を招き入れます。そのためにキム一家はさまざまな手練手管を駆使しますが、その手口がお見事です。学生証の偽造からはじまって…あとは見てからのお楽しみ。そしてパク社長一家に寄生(パラサイト)することに成功したキム一家。(このあたりまではネタをばらしていいでしょう) 富裕な家族と貧しい家族の奇妙な交錯、その中で交わされた二つの言葉が印象に残りました。「一線」と「臭い」です。パク社長が、運転手のギテクにかけた言葉が、「君は一線を越えないところがいい」。そしてパク一家が気づく「切り干し大根のような臭い」、つまり半地下住宅に住む貧者に染みついた貧困の臭い。貧困になった人間は、臭いが染みつきそこから一生抜け出せない/抜け出すな、という韓国社会の残酷さが伝わってきました。いや日本でもそうだな、萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言を思い起こしました。
 ここまででも、優に一本の映画がつくれるぐらいの面白さですが、これ以降のスリル、サスペンス、スラップスティック、そしてスピード感は超弩級のものです。何度息を呑み、腰が浮き、手に汗を握ったことか。もちろんネタはばらしません。

 「道化師と悪役のいない猛烈な悲喜劇」、監督のこの一言がこの映画を語りつくしていました。悪人は一人も登場しないのに、結果として互いを傷つけてしまう。悪いのは、人が人に寄生しないと維持できないシステムにあるのではと考えてしまいました。なかでも人を最もスポイルするのは、富者が貧者に寄生して蓄財をすることではないでしょうか。雇用されて働く以外に選択肢がなく失業したら生きていけない貧者を、「自己決定」「自己責任」という言葉で目隠しをしながら過重な長時間労働へと追い込み、莫大な利潤を得る。そして、貧者同士の憎しみ、貧者の富者に対する怒りが社会に瀰漫する。それを映画的な面白さとともに、見事に描いたのが本作だと思います。私の個人的な解釈ですが、そうしたさまざまな解釈を許し、かつそうするよう刺激する、きわめて懐の深い映画です。本年度アカデミー賞を受賞したのも頷けます。

 それにしても韓国映画が絶好調ですね。『タクシー運転手』、『1987、ある闘いの真実』、『共犯者たち』、『スパイネーション/自白』、『金子文子と朴烈』など政治や社会や歴史に関する重要なテーマと、映画としての面白さが両立しているところに、敬意を表します。これに比べると日本映画にはやや見劣りを覚えざるを得ません。その違いはどこから生まれたのか。『週刊金曜日』(№1223 19.3.8)に掲載されたインタビューの中で、片山慎三監督はこう話されていました。
 日韓の映画業界の体質の違いにも敏感だ。売れ筋の原作で観客動員を見込む日本の映画業界の傾向に対し、韓国では「結末がわかっているようなものを作って何が面白いんだ、という考え。2~3年かけ、お金もかけてオリジナル脚本をちゃんと書く。だから全然違う。それが悔しかったです、韓国映画を見ていて」。
 それは国の文化政策の差でもある。脚本執筆中は無収入が普通の日本と、申請すれば国からの援助があって生活費に充てられる韓国。「それでヒットしたら興行収入を国に還元し、それがまた将来の支援へと回される」。この循環が、韓国映画の質を支えている。(p.50)
 オリジナルの優れた脚本を書こうとする映画業界の意気込み、それを支える観客と行政。この差なのでしょう。とくに脚本家を財政的に支える文化政策には驚きました。金は出さずに口を出す、どこかの国とは大きな違いです。本年度アカデミー賞でメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞したカズ・ヒロ(辻一弘)氏が、記者会見での「日本の経験が受賞に生きたか」という質問に対して、「こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って、米国人になった」「(日本の)文化が嫌になってしまったし、(日本で)夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」と答えたそうですが、彼が日本を見捨てた理由もこのあたりにあるかもしれません。
 大風呂敷を広げると、映画の件も含めて、韓国から学ぶべき点は多々あると思います。例えば、『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版)の中で、内田樹氏が韓国の教育についてこう述べられています。
 韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思受けれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ3年ほどの招聘元は韓国の教育監である。「教育監」とは見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。
 数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教育経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。(p.47)
 また『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健 祥伝社新書226)の書評でも紹介したように、日本からもたらされたパチンコによる事件や事故、実害(家庭の崩壊、自殺、窃盗、業界団体からの政治家への賄賂)が多発した韓国では、メディアと市民が一体となってパチンコ廃止運動を展開し、これに行政・政治家・裁判所も動きを合わせ、2006年に完全廃止としました。
 もちろん韓国が日本から学ぶべき点も(たぶん)あると思いますが、日本が韓国から学ぶべき点も多々あります。質の高い映画をつくれる環境、自由な雰囲気の教育、社会の問題に関心を持ちその解決に向けて立ち上がるメディアと市民。「嫌韓」などという安易な動きに惑わされず、日韓両国の諸相を虚心坦懐に見つめ、互いに学ぶべきところは学んでいけたらいいな、とつくづく思います。

 追記。前述の書評を読み返していたら、『朝鮮日報』の社説に次の一文がありました。
 現政権は、人生に疲れた無力な庶民に働き口や働きがい、貯蓄の喜びを提供する代わりに、ギャンブルという麻薬を与えた。賭博は常に財産や人生を台無しにする大多数と、その多数の犠牲による利益を得る少数の人たちとの関係で成り立っている。(p.42)
 なるほど、この指摘は「IR推進法(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律)」、俗称「カジノ推進法」の本質をも鋭く剔抉しています。社会保障制度を骨抜きにし、労働環境の悪化を放置し、疲労感と無力感に苛まれる庶民に、それらを忘れさせるために国家権力が与える麻薬。東京オリンピックも、この種の麻薬かもしれません。
by sabasaba13 | 2020-02-14 06:21 | 映画 | Comments(0)

信州編(9):上田(16.8)

 それでは御代田駅へと向かいましょう。帰りは下り坂、広大な風景を楽しみながらペダルを踏まずに一気に下ります。そしてしなの鉄道御代田駅に到着、ブロンプトンを折りたたんで一服していると、「ここが世界一小さなテレビ局」という看板があるほんとに小さなスタジオがありました。
信州編(9):上田(16.8)_c0051620_1141167.jpg

 そしてしなの鉄道に乗り込み、小諸で乗り換えて上田に着きました。お目当ては上田交通真田傍陽線の廃線跡です。しかし好事魔多し、駅前に出ると粉糠雨が降っています。せんかたない、コンビニエンス・ストアで雨合羽を買い、持参の帽子をかぶって走ることにしました。なおさすが雨の多いイギリスでつくられたブロンプトン、大きなゴム製のベロがついたしっかりとしたマッド・ガードが備え付けられ、雨天時の走行にまったく支障がありません。
 さて、上田交通真田傍陽線は、長野県上田市の上田駅と真田町(現・上田市)の傍陽駅・真田駅を結んでいた上田交通の鉄道路線です。1927(昭和2)年に開通し、菅平高原や群馬県への交通手段として、さらに上田市と真田町で収穫された高原野菜・リンゴなどの農産物を輸送するための路線としても盛んに利用されましたが、上田駅から直接菅平高原、群馬県へ行くバスが増発されたり、農産物の輸送がトラックに移行したりしため赤字路線に転落。1972(昭和47)年2月20日に廃止となりました。現在、上田城跡公園の東側に、その一部が遊歩道として残されています。それではのんびりと走ってみましょう。道路の下をくぐるトンネルには架線の碍子が残っていたり、川のあたりでは橋梁の跡があったりと、往時の姿を偲ばせてくれる物件がいくつかありました。
信州編(9):上田(16.8)_c0051620_1151246.jpg

 せっかくなので、古い町並みが残る北国(ほっこく)街道沿いも散策してみましょう。上田は以前にも何度か訪れたことがあるので、よろしければ旅行記をご笑覧ください。うん、あいかわらず素敵な街並みですね…と思いきや、雨が強くなってきました。これはたまらん、急いで上田駅へと退散。駅前にあった全国チェーンの珈琲屋に避難しました。

 本日の三枚です。
信州編(9):上田(16.8)_c0051620_116351.jpg

信州編(9):上田(16.8)_c0051620_116197.jpg

信州編(9):上田(16.8)_c0051620_1163193.jpg

by sabasaba13 | 2020-02-12 06:20 | 中部 | Comments(0)

信州編(8):御代田(16.8)

 ブロンプトンにまたがり、さらに西へと疾駆。途中で右折して緩やかな上り路を北へと向かいます。こういう時に六段変速は有効ですね。そして普賢寺にとうちゃこ。
信州編(8):御代田(16.8)_c0051620_1049485.jpg

 さて、なぜ御代田の普賢寺に来たのか。実はこのあたりに、故武満徹氏の別荘があるのです。日頃、氏の音楽を愛聴しているわけではありませんが、時々無性に聴きたくなることがあり、そのような時はその不思議で魅惑的な響きに身を浸らせます。聴き終わると心身の調律をすませたようで、すっきりとした気分になれます。私にとって必要な音楽家の一人ですね。さて、御代田に氏の別荘があるのをなぜ知ったのかというと、「クラシック音楽はワンダフル!」というサイトを偶然読んだおかげです。作者の方に謝意を表すとともに、転記させていただきます。
 役場で聞いたとおり、まっすぐ北へ向かってタクシーで約10分、普賢寺へと向かった。この寺のうら一帯が普賢山落とよばれる別荘群であるはずだ。寺の裏にまわると、目の前の小高いところ一帯が別荘地のようである。しかしそこに至るには、右と左に見えるどちらかの坂を上らなければならない。そして、上りきった二つの地点はずいぶん離れているようなので、右か左かうまく選ばないと、別荘を探し当てるのがかなり難しくなりそうだ。坂の上に広がるゆたかな緑にさそわれて、私たちは右側の坂をえらんだ。ところがその坂を上るには、先ず個人の家の裏庭を通らなければならないことに気がついた。夫は躊躇したが、私は腰をかがめ「すみません、通してください」と小さな声で繰り返しながら、夫の先にたって誰もいない裏庭を通りぬけ坂道にでた。上りきった角地は、生垣にかこまれた広い庭になっていた。生垣に沿っていくと、少々奥まったところに玄関がみえ、その脇の部屋に灯りがついていた。わけもなく懐かしくなるような、そのしっとりと落ちついた雰囲気に包まれて門の前を過ぎようとした時、低い門柱の表札が目にはいった。縦書きのはっきりした文字で「武満」とあった。
 普賢寺の門前にブロンプトンを停め、右側の坂を上るとたしかに個人宅の裏庭のような空間がありました。人の気配がないので「おじゃまします」と心の中で呟き、さらに坂道を上ると山荘群があります。そのうちのひとつ、大きな三角屋根が印象的なモダンな意匠の山荘の郵便ポストに「武満」と記されていました。ここだ。
 これだけでもう満足です。近くの森を歩き、清冽な空気を吸いながら、彼がこのあたりを散策しながら楽想をねっていたのかなと思うと、耳朶の奥で「弦楽のためのレクイエム」が響いてきました。

 本日の二枚です。
信州編(8):御代田(16.8)_c0051620_10512697.jpg

信州編(8):御代田(16.8)_c0051620_1051445.jpg

by sabasaba13 | 2020-02-10 07:23 | 中部 | Comments(0)

信州編(7):御代田へ(16.8)

 なお以前に近江八幡でいただいた『ウィリアム・メリル・ヴォーリズ展in近江八幡』に、彼と軽井沢の関係について、もう少し詳しい解説がありましたので、こちらも紹介します。
 ヴォーリズは、日露戦争中の1905年に来日し、近江八幡に着任した最初の夏を軽井沢で過ごしました。若くして異国の地に来た彼にとって、ここで同じクリスチャン仲間の宣教師たちと出会えたことは、心強かったことでしょう。満喜子夫人とのハネムーンも軽井沢でした。
 また、軽井沢には、夫妻の別荘(1920年)、ヴォーリズの実母が住んだ現浮田山荘(1922年)をはじめ数多くのヴォーリズ建築が建てられ、避暑地・軽井沢は、建築主との出会いの場でもありました。
 テニス愛好家だったヴォーリズは、軽井沢ではテニスコートのクラブハウスの設計も行いました。このテニスコートが、現天皇陛下と美智子皇后の出会いの場となったことは有名です。
 さらにヴォーリズが軽井沢に残した建物を、地図付きで紹介する掲示もありました。へえー、こんなにたくさんあるんだ。軽井沢会テニスコートクラブハウス、軽井沢集会堂、日本キリスト教団軽井沢教会、旧鈴木歯科診療所、旧ヴォーリズ別荘、アームストロング別荘、軽井沢夏季診療所(マンロー病院)などなど。写真におさめて、しばし沈思黙考。予定を変更してもう少し旧軽井沢を散策する選択肢もありますね。結論はもう少し先に延ばしましょう。
信州編(7):御代田へ(16.8)_c0051620_10302733.jpg

 それでは国道18号線を西へと走り、御代田へと向かいましょう。そろそろお腹がへってきたので、走りながら昼食をとるお店を物色していると「盛盛亭」というステーキ屋があったので入店。
信州編(7):御代田へ(16.8)_c0051620_10312038.jpg

 信州のステーキをいただきました。
信州編(7):御代田へ(16.8)_c0051620_10313867.jpg

by sabasaba13 | 2020-02-08 07:29 | 中部 | Comments(0)