伊予・讃岐編(10):淡路島(04.2)

 あらかじめ潮の流れを調べて、朝8時の渦潮観光船を予約していたのですが、ものすごい春一番。乗客は私一人。「どうします?」と訊かれたので、恐る恐る「危なくないですか?」と言ったら、「うちの会社は一隻しか船をもっていないので、沈んだら困ります」と切り返されました。納得、じゃあ安全だ。Here we go ! 小潮なので大きな渦潮はありませんが、それでも風にあおられザンザバザンザバと潮が暴れ舞うすごい迫力。なぜ渦巻きを見ると血沸き肉踊りアドレナリンがふつふつ分泌してくるのでしょう。眼福眼福。
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 そして路線バスで鳴門大橋を渡り洲本へ。バス乗り継ぎの間、約一時間ほど街並みを散策。また路線バスで北岸の五色町へ。ここは高田屋嘉兵衛の故郷です。彼は、江戸後期の海運業者、蝦夷地(北海道)の物産を運ぶ北前船の船頭です。幕府がロシアの開国要求を拒否したことで、外交関係が険悪となり、ロシア船による襲撃事件が多発します。これに対して幕府はロシア軍人ゴロウニンを捕縛(彼はこの一連の事件に無関係)、その報復としてロシアは嘉兵衛を拉致します。彼は豪胆かつ沈着冷静な態度でロシア側の信頼をかちとり、交渉の仲介として尽力、自らの解放とゴロウニンの釈放送還に成功します。詳細は、司馬遼太郎の『菜の花の沖』をどうぞ。まずは高田屋嘉兵衛翁記念館を見学。そして徒歩で高田屋嘉兵衛公園に行き、彼に関する展示のある菜の花ホールを見学。そうそう、途中にあった嘉兵衛の菩提寺で「飛び出しじいさん」を発見しました。「飛び出し小僧」はよく見かけますが、これは極めて珍しい物件です。ラムサール条約で保護してほしいですね。昼食は淡路牛の瓦焼き、ひさびさの肉でした。公園内にある嘉兵衛の墓参りをし、菜の花畑を眺め、タクシーで北淡町へ。
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 そう、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた町です。野島断層保存館を見学し、あらためて地震の凄まじさを思い知りました。断層の真上にあった家もその状態で保存されており、内部を見ることができます。台所の惨状もリアルに復元されていますが、うん? 雰囲気がうちの台所に似てるような。気のせい気のせい年のせい。
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 そしてタクシーで岩屋にあるフェリー乗り場へ。途中でちょっとおろしてもらい、江崎灯台を拝観。1871(明治4)年、イギリスの灯台技師ヘンリー・ブラントンの設計でつくられた白亜の美しい灯台です。日本の灯台の歴史を語る上で欠かせない人物で、彼の作品はこれからも追いかけます。灯台からの眺望もすばらしい。そして岩屋からたこフェリーで明石へ。新大阪駅の「ぼてじゅう」でねぎ焼きを食べて新幹線で帰郷しました。
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 今回の徘徊では、四国の人々の手厚いサポートにいろいろと助けられました。謝々。お遍路(旅人)を大事にする文化が脈々と息づいているような気がします。

 本日の一枚は、鳴門の渦潮です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-18 06:27 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(9):イサム・ノグチ庭園美術館(04.2)

 まず前半の30分は展示されている作品とアトリエを見学。私はまっさきに、古い民家を利用した展示館へ。係りの方が大きな引戸をごろごろと開けると、差し込む陽光とともに荘厳に浮かび上がったのが彼の代表作「Energy Void」です。忘れられない一瞬。黒色花崗岩による高さ3.6mの大きな彫刻で、微妙に捩じれていて見る角度でいろいろと表情を変えてくれます。そして人間の手で磨き上げた温もりに溢れた黒褐色の表面。現代彫刻に感銘を受けたのは初めての経験です。そして今にも彼がふらっと戻ってきそうな、当時のまま保存された作業場を見学。柱の穴や隙間に、定規や東海道五十三次マッチが無造作につっこんであります。そして庭に展示された作品の数々。作品名・制作日時等の表示は一切なし。作品そのものから何かを感じ取って欲しいという彼の要望だそうです。30分は短いと思いましたが、集中して作品に対峙するには程よい時間であることがわかりました。後半は、彼が住んでいた、古い民家を移築した「イサム家(や)」の外観と彼が設計した庭園の見学。巨大な土饅頭のような丘にのぼると、屋島が一望できる見事な眺望、背後をふりかえると五剣山。彼が世界で最も好きだった場所だと言ったそうです。そして天辺に高さ2mほどの卵形の巨石(岡山産安成石)が置かれ、屋島の方を沈黙しながら凝視しています。見た瞬間にわかりました、この石はイサム・ノグチだと。石となって、地球と一つになりたかったのだと。後で係りの方に尋ねたら、彼はこの石が大好きで、死ぬ直前に「二つに割って中に入りたい」と言ったそうです。本当に濃密な、凝縮された一時間でした。いろいろ美術館には行きましたが、ここが世界で一番好きです。
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 那須与一の駒立岩、景清の錣引きなど源平合戦ゆかりの史跡を見ながら、歩いて八栗駅まで行き再び琴平電鉄で志度へ。昼食はこちごの唐揚げ。昨日乗ったタクシーの運転手さんが「瀬戸内は小魚が一番旨い」と言っていましたが、ほんとですね。イサム・ノグチがよく散歩に来た四国八十八ヵ所第86番札所の志度寺へ。彼が好きだったという「海女の墓」が印象的でした。トイレの前に「遍路を真似た詐欺師に注意」というポスターがありました。なるほどこの手があったか。振込詐欺よりは人間的な犯罪のような気がしないでもないですね。「こわい鬼は自分がつくっている」というポスターに納得し、平賀源内の墓参りをして、源内遺品館を見物。そうそう「うだつがあがらぬ」の語源となった、うだつのある町屋をよく見かけました。キュートな琴平電鉄で高松へもどり、迷ったすえに高速船で未踏の地、小豆島へ向かいました。いやはや貧乏根性丸出しですな。
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 一天にわかにかき曇り小雨がぱらつく中、「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場をタクシーで訪問。木下恵介のファンなもので… ほんとは日本棚田百選に選ばれた池田町の千枚田も見たかったのですが、これは時間の関係で断念。尾崎放哉(ほうさい)記念館も泣く泣くカット。以前山ノ神に「屁をしても一人」という素晴らしい自由律俳句があると冗談で言ったら、それを信じて職場で吹聴し、さる方から「咳をしても一人」だと諭されて、「赤っ恥をかいたじゃないの!」と激しく叱責された美しい思い出が走馬灯のようによみがえってきました。へえー黒島伝治も小豆島出身だったんだ。寒霞渓の紅葉もいつか見てみたい。世界で一番狭い海峡を見せてもらい、池田港からふたたび高松へ高速船で戻り、今夜の宿鳴門へ。明日はまず鳴門の渦潮見物です。
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 本日の一枚は、やはり屋島遠望です。「イサム・ノグチの石」になったつもりでご覧ください。
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 ●イサム・ノグチ庭園美術館  http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm
# by sabasaba13 | 2005-03-17 07:26 | 四国 | Comments(10)

伊予・讃岐編(8):イサム・ノグチ庭園美術館(04.2)

 本日は屋島近辺の散策です。まずはノテノテと走る姿がキュートなおもちゃのような琴平電鉄で八栗へ。タクシーでケーブルカー乗車駅まで行き、それに乗って八栗寺へと登ります。四国八十八ヵ所第85番札所です。お遍路バス・ツァーご一行様と同乗いたしました。巡礼も時代とともに様変わりしつつありますね。この寺は五剣山という魁偉/怪異な形の山の麓にあり、眺望がいいのかなと期待しましたがそうでもなくがっかり。
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 すぐに下界におりて、石の民俗資料館へ。実はこのあたりは庵治石(あじいし)という細粒黒雲母花崗岩の産地でして、そこらじゅうに石屋・石材屋が林立しております。石切り作業のジオラマなど興味深い展示が多かったのですが、さる事情のため十五分そこそこで切り上げ次の目的地へ。お土産にカンカン石を購入しようとしたのですが、その重さに三歩あゆめず断念。そうそう、この資料館展望台からの屋島の眺めが素晴らしい! 穴場ですぜ。溜池も散見できるので、「大人の社会科見学」フリークの方にもお勧め。
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 さてさて、さる事情とはイサム・ノグチ庭園美術館の集合時間が近づいていたのです。イサム・ノグチ(1904~88)。アメリカの現代彫刻家。英文学者で詩人の野口米次郎と、作家レオニー・ギルモアとの間に生まれ、少年期は日本で育つ。渡米した後、彫刻家 を志し、アジア・ヨーロッパを旅して見聞を広めた。パリでは彫刻家ブランクーシの助手をつとめる。ニューヨークに居を定め、肖像彫刻、舞台美術をへて環境彫刻やランドスケープ・デザインにまで幅広い活動を開始する。戦後は日本でも陶器作品や、和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。その後、アメリカ国内外の各地で、彫刻、モニュメント、環境設計を続け、文字通り「地球を彫刻した男」と呼ばれる。1988年12月30日ニューヨークで没。実は先日、講談社文庫におさめられているドウス昌代著の伝記を読んで以来、その数奇な生涯と作品に魅せられてしまいました。彼が庵治石と屋島・五剣山とこの地の石工の技術に惹かれて、ここ牟礼にアトリエをかまえ一年のうち数ヶ月を必ず過ごしたそうです。そして生前から自分の作品を展示する庭園美術館としても構想し、設計・作品の配置をてがけていました。そのアトリエ・作業場・住居・庭園・美術館が渾然一体となったものが、イサム・ノグチ庭園美術館です。開館は週に三日のみ、往復葉書で予約、見学は案内にしたがい一時間、入館料二千円ということで、本日の午前十時の来館を予約していたわけです。ワクワク。来館者は四名。受付で、著作権等はNYの財団が所有しているので写真撮影は禁止との説明を受けます。
伊予・讃岐編(8):イサム・ノグチ庭園美術館(04.2)_c0051620_1524501.jpg 話はそれますが、桂離宮も撮影禁止なのですね。その理由は「苔の保護のため撮影禁止」! 驚き桃の木山椒の木ブリキに狸に蓄音機、噴飯ものですね。まあ伊勢神宮も撮影禁止だし、天皇制と「隠す」という行為は切っても切れない関係にあるのは理解できますが… 興味深いのは英文にはそうした理由付けはありません。そりゃあこんな理由では納得しませんよね、外国の方は。「公」(poblicではなく、オオヤケ=大きな家=権力と富をもつ者)に命令されると、その根拠を深く考えず鵜呑みにしてしまうわれらが伝統文化を上手に利用しています。さすが宮内庁。閑話休題、それでは中に入りましょう。



 本日の一枚は、梅と屋島です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-16 09:04 | 四国 | Comments(4)

伊予・讃岐編(7):豊稔池ダム(04.2)

 観音寺からタクシーで向かうは、豊稔池ダム。ここ讃岐平野、中でも大野原地区は、昔から水不足・干害に悩まされました。「嫁にやるなよ大野原の里へ 夜も夜伽のない里ぞ」といわれるほど水の確保に追われたのですね。その対策として多くの溜池があります。その溜池をつくるために、1930(昭和5年)に完成したのが豊稔池ダムです。そしてここは日本で唯一のマルチプルアーチ・ダム。小さなアーチを連続して並べて水の圧力を分散させ、そのアーチのつなぎ目をバットレス(支柱)で支えるという構造のダムです。写真を参照してください。材料費が安くて済む工法なのですが、実は普及しません。公共事業予算をぶんどれないので、業者が採用しなかったのだと邪推します。ま、それはともかく基本的に「ダムはムダ」という意見なのですが、このダムに関しては写真を見ただけでその風格・風貌に圧倒されました。そして実際にこの目で見て、期待は裏切られなかった… す、ご、い。存在感あふれ古色蒼然とした石積み。(受益者となる付近の農民が、石を切り出し組み上げて築造) 古城のように屹立するバットレス。支柱と支柱の間に入ると背後の石のアーチが数万トンの水を支えていることをひしひしと感じ、畏敬の念と恐怖さえ覚えます。ダムの上部にのぼり、「立入禁止」のチェーンを乗り越え水面の方を見ると、優雅に弧を連ねたアーチが湖面に映えます。近代化遺産の魅力は、人知・人力とローテクを駆使して、一生懸命に世のため人のために尽くそうという無骨なまでの佇まいだと思います。そういう意味でこのダムは至高の逸品。来て、見て、触れてよかった。なお梅雨時には「ゆるぬき」というダイナミックな放水も見られるそうです。ああああああああああああああ、見てみたい。
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 運転手さんの勧めで、琴弾公園から砂で作った巨大な「寛永通宝」の銭形を見て、観音寺駅へ。丸亀駅でおり、駅前の猪熊弦一郎美術館は残念ながら休館中なのでカット。三越の包装紙のデザイン、上野駅壁画は彼の手によるものですね。丸亀城を見物して本日の行程は終わり。今夜は高松で宿泊です。
 そういえば出がけに山ノ神に「おみやげを買ってこないと、月夜の晩は歩けないわよ」と言われたことを思い出しました。まずは腹ごなしと、ホテルのコンシェルジュにデリシャスでチープなウドンショップはないかと尋ねたところ、近くの「川福」という店を紹介してくれました。さっそく行ってざるうどんを注文。これがまた美味。宝石のように輝き歯ごたえのある、極上の讃岐うどん。お土産として宅配をしてもらいました。
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 本日の一枚は、やはり豊稔池ダムですね。
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# by sabasaba13 | 2005-03-12 05:40 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(6):別子銅山(04.2)

 本日は、松山から新居浜の別子銅山、観音寺の豊稔池ダム、丸亀城を経て高松へ移動します。左手に瀬戸内海、右手に四国山地や石鎚山を眺めながら、予讃線で新居浜へ。ここからバスで約30分、鉱山の展示と保養施設を組み合わせたマイントピア別子に到着しました。別子銅山は、1691年の開坑から1973年の閉山まで一貫して住友が経営した鉱山です。中でも近代に作られた産業遺跡・遺物が数多く点在するところから、「住友のインカ」「四国のマチュピチュ」と呼ばれているそうな。残念ながら最も遺跡が集中している東平(とうなる)・旧別子地区は冬季には閉鎖されているため、行けません。入口にあたる端出場(はでば)地区にあるマイントピア別子のみの見学となりました。幸いUさんという、ダイエットに成功した今いくよ(くるよ?)のような印象の方がガイドとして案内してくれました。多謝。
 まずは鉱山鉄道を再現した鉄道で約400m移動して、観光用に整備された坑道へ。途中、当時のまま残された煉瓦づくりの中尾トンネルを抜け、溶接せずにピンのみで留められたピントラスト鉄橋を渡ります。坑道の中は、人形によって当時の作業風景が復元されています。すんばらしいなと思ったのは、体験コーナーです。木製ポンプによる水の汲み上げや、棹銅を想定した重さ30kgの荷を背負子で背負うなどなど。体で体験した事って重みがありますよね。特に前者では、蒸気機関を発明した人の気持が少しわかりました。もう一つの印象的な鉄橋と第四通洞の入口を見て、川越しに見事なレンガづくりの旧水力発電所を遠望。ここは機械や設備も良好な状態で保存されているとのことなので、公開すべきだと思います。昼食はもちろん、うどん。タクシーで新居浜駅に行き、予讃線で観音寺へ。なお、別子銅山については「黄金伝説 (近代成金たちの夢の跡)」(荒俣宏 集英社)という本に詳しく書いてありますが、残念ながら絶版。復刻を望みます。
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 本日の一枚は、旧水力発電所です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-11 06:40 | 四国 | Comments(0)