京都錦秋編(13):八瀬(21.11)

 道端で、農家の女性が甘夏を売っていたので購入、二つで100円とは安い。さらに一つおまけしてくれのですが…さすがに三つは重い。ま、仕方ない、それがシェルパのお仕事さ。
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 そして大原のバス停に到着。ゆっくり過ごしたので時間が押しています。これからの行程ですが、とりあえず坂本に行き日吉大社と「床もみじ」の旧竹林院を訪れたいと思います。第一案はケーブルカーとバスで横川へ、ケーブルカーで坂本へ。第二案は比叡山をスルーして電車で坂本へ。山ノ神にお伺いをたてると「ケーブルカーに乗りたい」という託宣が出て第一案に決定。
 バスに乗り込み、八瀬で下車。しぶい駅舎の叡山電車の八瀬比叡山口駅に寄ってみると、大きな楕円が先頭部を飾る異形の列車が停まっていました。何じゃこれは???
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 いまインターネットで調べてみると観光列車「ひえい」でした。解説を引用します。

 叡山電車の2つの終着点にある「比叡山」と「鞍馬山」の持つ荘厳で神聖な空気感や深淵な歴史、木漏れ日や静寂な空間から感じる大地の気やパワーなど、「神秘的な雰囲気」や「時空を超えたダイナミズム」といったイメージを「楕円」というモチーフで大胆に表現しています。
また、側面に配されたストライプは比叡山の山霧をイメージしています。

 うーん、よくわかりません。

# by sabasaba13 | 2026-04-07 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(12):大原(21.11)

 それではバス停に行きましょう。ふと見やると「2019秋 香港人 Fighting ! 加油!」という絵馬がありました。2019年といえば、6月に激しい民主化運動が起きた時ですね。"加油"とは中国語で"頑張れ"という意味です。「2019秋」ということはこの運動が暴力的に鎮圧され中国政府が香港の自治と自由を本気で奪い始めた時期だと思います。そうした状況の中での「Fighting ! 加油!」という激励の言葉、香港の方が自らを鼓舞するために書いたのか、あるいは他国の方が香港市民を激励するために書いたのかはわかりませんが、いたく胸に響きます。そして中国政府によって完全に屈服されられた感のある現在の香港。そんな今だからこそ、「加油、香港!」と叫びましょう。私にできることは何もないのですが、せめて香港の情勢については関心を持ち続けたいと思います。
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 さて、さすがにお腹がへりました。寂光院の近くにあった池谷茶屋で、にしんそばと湯豆腐と梅ごはんを注文して二人でシェア。
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 そして長閑な山里の景色を楽しみながら大原のバス停までのんびりと歩いていきました。途中できれいに色づいた紅葉が何本かありました。
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 ある畑にこんな掲示板が立っていました。

 希少な京都大原の赤紫蘇
 800年の歴史ある京都大原のしば漬。
 しば漬の原料として欠かせない大原の赤紫蘇は里人の手により雑種交配しないように、毎年自家採種をおこない受け継がれてきました。
 大切に守られてきた赤紫蘇は、今なお原種に近い特徴があり「色・香りとも最高級品である」との製薬会社の報告を受けております。
 良質な赤紫蘇無くして、京都大原のしば漬は作り得ません。
 わたしどもはこれからもこの希少な赤紫蘇を伝え守り続けてゆきます。
 大原観光保勝会

 赤紫蘇の原種の保護と皆さまへのお願い
 京都・大原の伝統漬物「しば漬」に欠かせない京都大原の赤紫蘇。
 ここ京都大原の里では、800年の昔から毎年「自家採種」をおこない、交雑しないように赤紫蘇を守り伝えております。
 原種に近く色・香りともにたいへん良い京都大原産の希少な赤紫蘇、これからも未来へ伝えゆかなければなりません。
 赤紫蘇は他のシソ科の植物(青紫蘇やエゴマなど)と交雑が起こりやすい特徴があります。一度交雑してしまうと取り返しがつかないため、農業に従事する皆さまは下記の禁止事項をご覧いただきご協力をお願いいたします。
 ・他のシソ科の植物を出来る限り植えない
 ・他のシソ科の植物を自家採種しない(花を咲かせない)
 ・他のシソ科の植物を植えた際には、収穫後残らないよう管理する。
 大原産の赤紫蘇は未来に残す「里の宝」です。何卒ご協力いただきますようよろしくお願いいたします。
 大原観光保勝会

 へえー、知らなかった。あの美味しいしば漬けには、大原特産の赤紫蘇が欠かせなかったのですね。旅をするといろいろと勉強になります。
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# by sabasaba13 | 2026-04-06 06:44 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(11):寂光院(21.11)

 そしてタクシーに乗り込み、寂光院に到着。ここでタクシーとはお別れです。門前には大原女(おはらめ)の顔はめ看板がありました。
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 その近くには「阿波内侍がモデルの大原女発祥の寺」と記された看板。へえー知らなかった。
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 いま、インターネットで「大原観光保勝会」を見てみると下記の説明がありました。

 大原女は、頭に「柴」を乗せて、京の町へ行商に出かけた大原の働く女性のことです。大原女の服装は時代を遡ると、平安時代、寂光院に穏棲された建礼門院に仕えた阿波内侍(あわのないし)が山仕事をする際に着ていた衣装がその原型と言われています。

 はい、勉強になりました。なおこの看板を見た山ノ神から「"あわうちざむらい"って何?」と訊かれたので簡単に説明しました。本人曰く"ギター侍"みたいなものと思っていたそうです。
 ま、それはさておき、拝観いたしましょう。楓はそれほど多くはありませんが、木柿葺(こけらぶき)の本堂や山門、四方正面の池、苔むした屋根の門など、風情のある物件が紅葉を引き立てていました。
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 なお「建礼門院御庵室跡」の解説が、建礼門院徳子の晩年をよくまとめてあるので転記します。

 ここは建礼門院御庵室跡と伝えられるところです。右手にある御使用の清水は、今もこんこんと湧き水をたたえています。
 『平家物語』のなかの悲劇のヒロイン建礼門院徳子。権勢を誇った平相国入道清盛の二女に生まれ、高倉天皇の中宮となって御子安徳天皇を生みました。絶頂の日々もつかの間のことでした。源平争乱が勃発するや、6歳の安徳天皇を奉じて平家一門とともに西国い赴くこととなり、ついに文治元年(1185)3月長門壇ノ浦での合戦に義経軍に敗れました。女院は安徳天皇とともい入水しましたが、一人敵に助けられて生きながらえて京都に送還され落飾されました。秋も押しせまった9月末になって憂きことの多い都を遠く離れた洛北の地大原寂光院に閑居し、昼夜絶えることなく念仏を唱えて夫高倉天皇とわが子安徳天皇、および平家一門の菩提を弔う日々を送りました。
 文治2年(1186)の春、大原寂光院に閑居する建礼門院のもとを後白河法皇が訪れた話が、『平家物語』の最終を飾る「潅頂の巻」に載っています。法皇が見た女院の御庵室の様子は「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「杉の葺き目もまばらにて、時雨も霜もおく露も、もる月影にあらそひて、たまるべしとも見えざりけり、後ろは山、前は野辺」という有様で、「来る人まれなる所」でした。
 突然の法皇の行幸に、女院は翠黛山に女房らと花摘みに行って留守でした。侍女の老尼阿波内侍に案内を請うて御庵室の中を御覧になった法皇は、一丈四方の仏間と寝所だけという昔の栄華に比べて余りの簡素な生活にただただ落涙するばかりでした。しばらくして花摘みから帰ってきた女院は、はじめ逢うことを拒みますが、阿波内侍に説得されて涙ながらに法皇と対面します。先帝や御子や平家一門を弔いながらの今の苦境は後世菩提のための喜びであると述べ、六道になぞらえて己が半生を語る女院に、法皇はじめ供の者も落涙するばかりでした。
 建久2年(1191)2月中旬のころ、女院はこの地で往生の時を迎え、侍たちに看取られてその生涯をそっと閉じました。
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# by sabasaba13 | 2026-04-05 06:27 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(10):三千院・阿弥陀寺(21.11)

 そして三千院へ、きれいな紅葉と緑なす苔を楽しみました。
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 それにしてもたいへんな大混雑です。でもこれからもっと混むでしょうね、桑原桑原。ふたたび大原女の小径を歩いてバスターミナルに戻るとタクシーが二台客待ちをしていました。やった。運転手さんに、まず古知谷(こちだに)の阿弥陀寺へ、そして寂光院へ行ってもらうよう依頼しました。十分ほどで阿弥陀寺に到着、やはり歩くにはきつい距離でした。タクシーに乗ってよかった。
 それでは阿弥陀寺について「大原観光保勝会」の公式サイトから転記します。

古知谷(こちだに)阿弥陀寺

 光明山法国院阿弥陀寺は、慶長十四年(1609年)三月、弾誓上人が開基なされた如法念佛の道場です。弾誓上人は、尾張国海辺村に生まれた方ですが、9歳の折りに自ら出家し、美濃国塚尾の観音堂に参篭し、さらに同国武芸の山奥において念佛三昧、二十余年の修行を積みました。その後、諸国行脚で各地を回って苦行修練を重ねた末、最後の修行の地、古知谷へ赴きました。
 天然記念物の樹齢800年以上の楓も参道南側にあります。大原は紅葉の美しい所が至る所にありますが、中でも阿弥陀寺の紅葉は一際美しく、江戸時代から紅葉の名所として知られています。数百本の楓が赤く色づく様は壮観です。
 正面には弾誓上人の自作自像植髪の尊像が安置してあります。現在もこの植髪は両耳の近くにすこし残っています。正面右脇には鎌倉時代(作者不詳)の作品で、重要文化財の阿弥陀如来坐像が安置されています。
 弾誓上人が入定される一年前に当時修行中の僧らに頼んで掘らせた巌窟があります。ここには弾誓上人が石龕に生きながら入られ「ミイラ佛」となられた上人のミイラが端座合掌の姿勢で安置されています。

 凄い… 寺一面を楓がおおいつくし、見事に紅葉していました。おまけに観光客の「か」の字…くらいはあったかな。それでも三千院の超過密な混雑とは段違い。静謐な雰囲気のなかで心ゆくまで錦秋を楽しめました。
 運転手さんはとても親切な方で、写真を撮るポイントを伝授してくれたり、われらのツーショットを撮ったりしてくれました。ここは穴場のなかの穴場です、お薦め。
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# by sabasaba13 | 2026-04-04 06:36 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(9):宝泉院(21.11)

 そして宝泉院に到着。そそくさと額縁庭園を見られる客殿の広間へと行きましたが…すでにたくさんの参拝客が最前面に座っており額縁になっていませんでした。残念。広間の真ん中に座り、みなさんの背中越しに庭園を見ながら、拝観料に含まれている美味しい茶菓をいただきました。
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 入口のところに「丁度よい」という法語が貼ってありましたが、なかなか含蓄に富むお言葉ですね。2018年10月5日放映の「チコちゃんに叱られる」にも取り上げられたそうです。
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 転記しておきます。

 丁度よい

 お前はお前で丁度よい
 顔も身体も名前も姓も
 お前にそれは丁度よい
 貧も富も親も子も
 息子の嫁もその孫も
 それはお前に丁度よい
 幸も不幸も喜びも
 悲しみさえも丁度よい
 歩いたお前の人生は
 悪くもなければ良くもない
 お前にとって丁度よい
 地獄へ行こうと極楽へ行こうと
 行ったところが丁度よい
 卑下する要もない
 上もなければ下もない
 死ぬ月日さえも丁度よい
 佛さまと二人連の人生
 丁度よくないはずがない
 南無阿弥陀仏

 「吾唯足知(われただたることをしる)」にも通底する珠玉の言葉ですね。またホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ氏もこう言われていました。

 貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではない。無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。

 いくらあっても満足しない無限の欲望と、「今だけ金だけ自分だけ」という心の貧しさに駆動されて働き続ける人間を不可欠の要素とする新自由主義。この無慈悲な機械を止めるには、「丁度よさ」と「吾唯足知」を心に刻むことが必要だと思います。

 そして宝楽園という新しくつくられら庭園をそぞろ歩き、特記事項はありません。
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 追記です。今日は4月3日、1948年に四・三事件が起きた日です。この事件をテーマとした韓国映画『済州島四・三事件 ハラン』が公開されるので、午後には「ポレポレ東中野」に観にいきます。

# by sabasaba13 | 2026-04-03 06:23 | 京都 | Comments(0)