●を掘りましょうか、高市さん

 『しんぶん赤旗日曜版』(26.3.29)に掲載されていた「世界.net イラン攻撃 米政権 世界で孤立」という記事に、下記の表が併記されていました。
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 ●を掘りましょうか、高市さん。

 追記です。『東京新聞』(26.4.1)に中島岳志氏による「トランプ論理 矛盾と危うさ ベネズエラからイラン」という優れた論説がありましたので、一部を紹介します。

 敵対する国家の国際法違反には非難の声を上げる一方で、同盟国の違反には目をつぶるような行為は、違法行為への批判が「政治的敵対の表現」に成り下がり、法の支配を崩壊に導く。「『法の支配』の実現にとって、同盟国による真摯な批判こそが重要な意味を持つ」という西(※国際法学者の西平等氏)の的確な指摘は、日本政府には届いていない。高市政権は、アメリカのベネズエラに対する武力攻撃に対して、国際法違反の指摘をすることなく、事実上追認する姿勢を示している。このような同盟国の態度が、アメリカのイラン攻撃を後押ししてしまった可能性があるのではないか。

 ●を掘りましょうか、高市さん。part2

# by sabasaba13 | 2026-04-02 06:32 | 鶏肋 | Comments(0)

チクチクチクチクする親指

 拙ブログに、以前、下記の記事を上梓しました。『THE BIG ISSUE』(VOL.492 24.12.1)に掲載された浜矩子氏のエッセイを紹介する一文です。

浜矩子のストリートエコノミクス 迫り来る何かにどう対処するか
 
 「アタシの親指たちがチクチクするよ。だから、邪悪な何かが近づいて来る」("By the pricking of my thumbs something wicked this way comes")。ご存知、シェイクスピア大先生の『マクベス』の中に登場する第二の魔女の台詞だ(翻訳筆者)。
 このゾクっとするフレーズを、2人の作家が自分の小説のタイトルに援用している。ファンタジーSFの巨匠レイ・ブラッドベリと推理小説の女帝アガサ・クリスティーだ。ブラッドベリ先生は、上記の台詞の後半部分の「邪悪な何かが…」を使っている。クリスティー先生は前半の「親指チクチク」パートを採用している。前者は怪しげなでとてもダークなサーカスの話。後者は、おしどり探偵のトミーとタペンス夫婦が挑む怪奇なミステリーだ。
 いずれも60年代の作品だが、第二の魔女のつぶやきは今日の我々の時代にとても良く当てはまるように思う。四方八方から邪悪な何かが近づいて来ている。その名はドナルド・トランプだったりする。邪悪な何かは、邪悪な何かなのかがわからないから怖い。その邪悪さの本質がどこにあるのか。それを見極められなくては、どう立ち向かうべきなのかが見えてこない。
 米大統領選でトランプ氏に想定外の大敗を喫したカマラ・ハリス氏は、そこが甘かったのだと思う。トランプ的邪悪さを過小評価した。トランプ氏は偽預言者だ。偽預言者には、得意技が2つある。悪いのが誰で、敵はどこにいるのかを教えてくれる。これらの「教え」は生きるのがつらい人々を高揚させる。
 善良な米国市民が、トランプ式愚かな暴言に惑わされることなどない。そう思い込んだところが、ハリス氏の抜かりだったのではないか。トランプ氏の邪悪さを軽く見た。そこに大きな盲点があったのではないか。邪悪なるものとは真剣に対峙する。ブラッドベリ作品もクリスティー作品も、そのことの重要さを実によく教えてくれる。ハリスさんに、これらの両作品を読んでおいてほしかった。(p.8)

 浜矩子の炯眼には脱帽です。いや、氏の予感をはるかに超える、想像を絶するような邪悪さをトランプ氏はフルスロットルで現出させています。ベネズエラ、そしてイランと、国際法や国連憲章を踏みにじる軍事行動。その一方で、国内では武装し覆面をした移民・関税執行局(ICE)の職員が移民の取り締まりで暴力を伴う事例が相次いでいます。海外では爆撃、国内では移民への強権的取り締まり-。経済学者のロバート・ライシュ氏は、こうしたトランプ政治を「全方位への宣戦布告」と呼びました。
 シェイクスピア大先生の台詞を『ハムレット』(第一章五場)から借りれば、「この世の関節がはずれている」("The time is out of joint")というところでしょう。もちろん、はずしたのはトランプ氏です。

 そしてゆめ忘れてはならないのは、こうした邪悪さはトランプ氏の専売特許ではなく、ネタニヤフ氏やプーチン氏も平然と行なっているということです。
 こうした邪悪さの本質について真摯に考え抜き、そして真剣に対峙すること。この邪悪さは気候危機にも通底する、いま自然と人間をもっとも脅かしている心性であり行動パターンだと考えます。うまく言えなくて申し訳ないのですが… 

 親指のうずきには常に注意しましょう。

 チクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチク…

# by sabasaba13 | 2026-04-01 06:27 | 鶏肋 | Comments(0)

『ヒポクラテスの盲点』

 コロナ・ウィルスによる災禍は完全に終息したのでしょうか。わかりません。日本社会の悪い癖で、どんなに大きな災禍でも喉元過ぎれば、忘却の彼方に追いやり、記憶から消し去り、なかったことにしてしまいたがります。そうすれば、その災禍の過程で亡くなられた方や被害を受けた方に対する責任を、為政者たちは問われなくて済みますから。戦争しかり、公害しかり、原発事故しかり、自然災害しかり。もう済んだことさ、忘れよう…
 だから同じような犠牲や被害や悲劇が繰り返されるのだと考えます。それを防ぐために、私たちがしなければならないことは、忘れないこと、関心を失わないことです。そして専門家やメディアに求めたいのは、記録として残すこと、その災禍への対応において、成功したのは何か、失敗したのは何かについてできるだけ正確に論理的に検証すること。その失敗によってどのような犠牲と被害が生まれたのか、その責任を果たすべき者は誰かを検証することです。
 当然、コロナ禍についても私たちは忘却の淵に沈めてはならないし、前述の検証がなされるべきだと思います。私も拙ブログで政府の対応における問題点を批判しましたが、ワクチンの有効性については山ノ神とともに三回接種するなど、ほぼ信用していました。しかしこのワクチンについての大きな問題点を追求したドキュメンタリー映画『ヒポクラテスの盲点』が上映されていることを知り、さっそくアップリンク吉祥で観てきました。上映後に監督によるアフター・トークがあるということでほぼ満席。真実について本当のことが知りたいというみなさんの熱気が伝わってきました。
 公式サイトから紹介文を転記します。

あの時「喧伝」されたことは正しかったのか?
 新型コロナウィルス蔓延という未曽有の危機を経て国の感染症対策は変化を重ねた。しかし、今となって様々な情報が報道され始めているのが、従来のワクチンとは根本的に異なる新技術で開発された新型コロナワクチン(mRNA遺伝子製剤)による後遺症被害の問題だ。過去に例のない「新薬」の認可と流通は、大変な危険を伴った賭けであったことが医学的に明らかになりつつある。当初からその安全性を不安視する声もあったが、ワクチン接種はあくまで強制ではなく努力義務・推奨とし、思いやりという同調圧力が日本中を覆っていた。多くの国では2~3回接種までが主流であったが、日本ではその安全性に「重大な懸念はない」とされ、一度も中断することなく特に高齢者らに対して7回目のブースター接種まで推奨が続けられた。

新型ワクチン、「次」も打ちますか?
 新型コロナワクチンは新型コロナ禍での「希望の光」だったことは誰しも疑いようのない事実だろう。しかし、ワクチン接種によって、感染者は減るどころか増えたというデータさえもある。なぜ日本はワクチンを打ち続けたのか? そして、現在においても公に検証がされないのはいったい何故だろうか? そこには、医学の盲点や限界のみならず、不都合な現実から目を逸らせるためのデータのトリック、アカデミアやメディアの政府に対する忖度など、日本社会のさまざまな問題が集約されていた…。

不都合な現実に蓋をして、見ないふりをするのか?
 それとも、疑問を抱き続けるのか? そんな中、大手メディアがでは殆ど報道しようとしない新型コロナワクチン後遺症の影響を科学的に究明しようとする人物がいる。医師、後遺症患者、遺族、そして当時のワクチン推進派などの様々な立場での意見を多角的にみることで、もう一つの現実が見えてくる。医学の祖・ヒポクラテスは言った、「何よりもまず、害をなすなかれ」と。わたしたち自身に、盲点はなかったか? まずは知ること。そして、考えること。未来に向かうために。同じ過ちを起こさないために-。

 監督の大西隼氏はディレクター/プロデューサーであると同時に、東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了した理学博士でもあります。医学に関する専門知識を駆使しながら、私たち素人にもわかりやすく問題点を提示してくれました。
 映画に登場するのは福島雅典氏、藤沢明徳氏、児玉慎一郎氏をはじめとする、ワクチンの危険性を主張し、ワクチン後遺症の治療法開発に力を尽くす医師たちです。映画のいくつかのシーンにも表れますが、新型コロナワクチンの後遺症に苦しむ患者や、接種直後に死亡した方の遺族の悲痛な声を聞き、時には涙ぐみ時には絶句しながらも何とかしなければいけないという思いに駆られます。
 普通なら10年掛かるところを2年で作ったコロナワクチンは果たして安全なのか? 多くの被害、多くの死亡例があるのに、それでもなぜ接種が推奨され続けているのか? 専門家でもある大西監督は、根拠のない陰謀論ではなく、科学的なデータを手際よくわかりやすく提示してくれます。
 そして、福島氏らは全接種者を対象とした各製薬会社のワクチンの安全性試験のデータと、ワクチン接種歴別のコロナ陽性数・重症化率・死亡率についての情報開示請求を厚生労働省に対して行ないます。しかし、ほぼすべての回答はいわゆるのり弁(黒塗り)でした。このあたりは既視感(デジャ・ヴ)を覚えます。官僚組織において最優先される生理は「保身」と「組織防衛」、それに都合の悪い情報は徹底的に隠蔽する。そういうことではないでしょうか。
 私はこの映画で初めて知ったのですが、厚生労働省前に「誓いの碑」があるそうです。

誓いの碑

 命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する

 千数百名もの感染者を出した「薬害エイズ」事件このような事件の発生を反省しこの碑を建立した

 平成11年8月  厚生省
歯科
 厚生労働省はこの誓いを破り、再び「コロナ・ワクチン」という薬害をおこしてしまったのではないかという疑念がわいてきます。

 というわけで、絶対に忘れてはいけないこと、検証を続けなければいけないことを提起してくれる重要な映画です。
 印象的なシーンは、ある歯科医師が科学的データをもとにワクチンの安全性への疑問を述べた時に若い医師から「先生は反ワク(※ワクチン反対派)なんですね」と言われたと語った場面です。遺族や患者の思いをよそに、ワクチン賛否で医師たちを二分してしまう発想にはちょっと寒気を覚えました。福島氏はこう嘆きます。「タブー視してできるだけ関わらないようにしたい。知性の崩壊、人間性の崩壊だよ」
 もう一つはこれだけ危険性に関する明証があるのに、ワクチン接種を推し進める官僚や医師たちに対して、福島氏は怒気を含ませながらこう言い放ちます。「深刻に危機感を持っています。科学の危機、それから民主主義の危機、医療の危機ですよ」 医療に関係する方々には「害をなすなかれ」というヒポクラテスの誓いを思い起こしてほしいものです。

 さてそれでは、政府と厚生労働省と多くの医師は、これほど問題のあるワクチンをなぜ推奨したのでしょうか。しかも映画にもあったように、"(あなたの大切な誰かのために)おもいやりワクチン"という同調圧力まで利用して、なぜワクチンを接種させようとしたのか。
 本作ではそこまで踏み込んではいませんが、ぜひ知りたいところです。大西監督、ぜひ第二弾を期待しています。

 アフター・トークに登壇したのはジャーナリストの藤江成光氏と大西隼監督。藤江氏から「なぜこのタイトルにしたのか」という質問がありましたが、監督は医師や官僚の過ちを「罪」ではなく「盲点」ととらえることによって赦したいという気持ちがあったと答えられていました。また映画に登場した医師たちは、みなさん強い信念を持った「侍」のような人たちであったと称賛されていました。
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# by sabasaba13 | 2026-03-31 15:27 | 映画 | Comments(0)

殺すな!

 気候危機にパンデミック、破滅か生存かという岐路に立っている今、人類が英知を結集し一致団結して行動しなければならない今、戦争をしている場合ですか?

 『国のない男』(NHK出版)にあった、今は亡きカート・ヴォネガットの言葉です。

 現在直視すべきもっとも重要な事実は―そのことを思うと、わたしはこれから死ぬまで冗談も言えなくなってしまいそうだが―、人間はこの地球がどうなろうとちっともかまわないと思っているということだ。わたしには、みんなそろってその日暮らしのアル中のようだとしか思えない。あと数日生きられれば、それで十分だと言わんばかりだ。自分の孫の世代が生きる世界を夢見ている人など、わたしのまわりにはほんの数人しかいない。

 戦争なんかしている場合ではない。殺すな。

 先哲たちの言葉と、叡智ある人びとのメッセージを、愚かな指導者たちに贈ります。

 説得はただ理性と人間性にかなった方法であるだけではありません。それは、今日では自己防衛の唯一の方法でもあります。ですから、われわれはみな、国や身分を問わず、きびしい二者択一の前に立たされています。説得せよ、さもなくば破壊あるのみ。Persuade, or perish. (E・H・ノーマン)

 戦争に抗議しない人間は共謀者である。(クリストフ・ニーロップ)

 戦争は人間の日常性を破壊する。日常性とはつまらないもののように見えて、じつは、人間の世界を立ち上げているものなのだ。これを剥ぎとられたとき、人間性は喪失し、世界は崩壊する。二十世紀の暴力がしでかしたのはそのことだった。それはアウシュビッツと広島において頂点に達した。(多木浩二)

 戦争とは嘘の体系である。(カルル・クラウス)

 若し世界が、彼らの紛争を解決する方法を、今日もなほ-然り、二十年前に斃れたものの死骸をなほ発見しては葬りつつある今日もなほ-戦争以外に見出しえぬとするならば、それなら、こんな世界は滅びて了つてもよい! (ボールドウィン)

 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(ユネスコ憲章)

 戦争は、人類の宿命ではない。(佐原真)

 戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある。(丸山眞男)

 戦争とはこれほど不幸なことか。(マルクス・アウレーリウス)

 およそいかなる平和も、たとえそれがどんなに正しくないものであろうと、最も正しいとされる戦争よりは良いものなのです。(『平和の訴え』 エラスムス)

 男が戦争好きなのは、その時だけ立派に見えるからだ。女に笑われないですむ唯一の機会だからだ。(ジョン・ファウルズ)

 良い戦争というものはないし、悪い平和というものもない。(ベンジャミン・フランクリン)

 民衆の自由に対する敵のなかで、いちばん恐れなければならないのは戦争である。なぜならそれは、それ以外のすべての敵の萌芽を内包し、それを成長させるからだ。戦争は軍隊を生みだす。そこから負債と税が発生する。軍隊、負債、税といったものは、少数派が多数派を支配下に置くための既知の道具である。(ジェームズ・マディスン)

戦争絶滅受合法案
 戦争が開始されたら、10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大臣、各省の次官。第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。(フリッツ・ホルム)

 戦争は想像力の恐るべき欠如である。(フランツ・カフカ)

 戦争の種子は経済の拡大によって蒔かれる。(サティシュ・クマール)

 戦争は自然現象ではない。一から十まで人間の行為である。(『夢の泪』 井上ひさし)

 たとえ腐っていても、平和の方が戦争よりもいいに決まっている。でもね、腐り過ぎると戦争が始まるんですよ。(八杉康夫)

 戦争は人を殺す。それがすべてである。(マイケル・ウォルツァー)

 戦争において、もっとも嫌悪すべきものは、戦争によって生じる廃墟ではなく、戦時にあらわれる無知と愚かさだ。(アナトール・フランス)

 戦争なんて始まらないって、みんな頭のどこかで思っているだろ。だけど、もう始まるよ。(福島菊次郎)

 戦争だ。ウソが始まる。(ヘティ・バウアーの父)

 金持ちどもが戦争をするとき、死んでいくのは貧乏人なのだ。(『悪魔と神』 ジャン・ポール・サルトル)

 戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。そのながれた血が、むなしく 地についこまれてしまふことだ。…瓦を作るように型にはめて、人間を戦力としておくりだすことだ。…十九の子供も 五十の父親も 一つの命令に服従して、左をむき 右をむき 一つの標的にひき金をひく。敵の父親や 敵の子供については 考へる必要は毛頭ない。それは、敵なのだから。(『戦争』 金子光晴)

 いまの戦争が、単に少数階級を利するだけで、一般国民の平和をかきみだし、幸福を損傷し、進歩を阻害する。きわめて悲惨な事実である…。しかも事がここにいたったのは、野心ある政治家がこれを唱え、功を急ぐ軍人がこれを喜び、ずるがしこい投機師がこれに賛成し、そのうえ多くの新聞記者がこれに付和雷同し、競争で無邪気な一般国民を扇動教唆したためではないのか。(『平民新聞』 幸徳秋水)

 平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにおりましょうや。平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ。(『歴史』 ヘロドトス)

 戦争は人を不道理になすのみならず、彼を不人情になします。戦争によって、人は敵を憎むのみならず、同胞をも省みざるに至ります。人情を無視し、社会をその根底において破壊するものにして戦争のごときはありません。戦争は実に人を禽獣化するものであります。(内村鑑三)

 沖縄戦の実相にふれるたびに/戦争というものは/これほど残忍で/これほど汚辱にまみれたものはない/と思うのです/この/なまなましい体験の前では/いかなる人でも/戦争を肯定し美化することは/できないはずです/戦争を起こすのは/たしかに/人間です/しかし/それ以上に/戦争を許さない努力のできるのも/私たち/人間/ではないでしょうか (『不戦の誓い』 沖縄)

 「大きな人間」が戦争を起こそうとしても、「小さな人間」がいないと戦争はできない。これはもう古今東西の歴史に残っている事実です。いくら「大きな人間」がやっきになって戦争をしろと叫んでも、「小さな人間」が動かないと結局戦争はできない。…つまり「小さな人間」が自分たちの力を信じて戦争に反対する限り、戦争はできない。あるいは戦争をやめさせることができる。(小田実)

 もし母が死んでいたら、私も、私の子どもも生まれていなかった。当然だ。でも、この当然のことを壊すのが戦争だ。生きたい人の命をうばうのが、戦争だ。(石川文洋)

 歴史を冷たくみれば、権力者あるいは侵略者たちが戦争を起こす条件は次の三つであろう。
 一、自国が戦争を仕掛けている相手の国よりはるかに強い武力をもっていて、その戦争の勝利が確実であること。
 二、相手の国が自国に対して敵意をもっていること。
 三、戦争で勝利を収めることによって巨大な利権が得られること。(梅原猛)

 戦争というのは、いちばん弱い者のところに、ダメージを与えるようにできているのです。(愛川欽也)

 私たちが音楽の美しさを共有したとき、私は私たちが兄弟姉妹であり、おなじ家族の一員なのだと知った。恐ろしい戦争が時を隔てようと、国と国とがばかげた縄張りを争おうと、私はずっとこの認識をもちつづけた。それは最後まで変わらないだろう。私は世界中の人びとが、幸福と、美を愛する心で結ばれて、一つの大きなコンサート会場にいるかのようにともに坐る日を待ち望んでいる。(パブロ・カザルス)

 毎日、戦争のために何百万というお金を使いながら、どうして医療施設や、芸術家や、貧しい人のために使うお金が一文もないのでしょう? 世界には食物があまって、腐らしているところがあるというのに、どうして餓死しなければならない人がいるのでしょうか? (アンネ・フランク)

 僕は若いヤツらには、電信柱にしがみついて、身体を鎖でくくりつけてでも戦争には行ったらあかん、親兄弟にまで国賊と罵られても山の中に逃げろと言いたい。(井筒和幸)

 戦争を起こすのも人間なら、それを許さないで止めようと努力できるのも人間だということ。ここに一番の基本がある。(品川政治)

 戦争とは何だろうか。相互の大量殺人、大量破壊行為なのだが、国家が認知さえすれば合法となり、殺人も罰せられない。なぜなら、自衛のための戦争は、近代国家の固有の主権行為であり、それは国際法でも認められているからだという。ただし、「自衛のため」と条件を付けても、最初から「侵略のために」戦争をしたと認める国はないのだから、実際上はすべての戦争が合法化されてしまうことになる。(色川大吉)

 戦争が 廊下の奥に 立つてゐた (渡辺白泉)

 みんなふたことめには醜い戦争、醜い戦争っていいたがるが、醜くない戦争があったらお目にかかりたいな。(『岸辺の祭り』 開高健)

 今も戦争は続いていて、イラクやアフガンでは毎日死者が出ています。その死者のひとりひとりの人生や家族の悲しみについて思いをはせること、懸命に想像することが平和への力になるのではないか。(山田洋次)

 歴史を通して、戦争というものは、征服と掠奪を目的に行なわれてきた。戦争とは、つまるところそういうものだ。常に支配階級が戦争を宣言し、実際の戦闘は常に被支配階級がおこなってきた。(ユージン・デブス)

 愛国心と言う卵から、戦争が孵化する。(モーパッサン)

 メディアは地球上に平和をもたらす最強の武器になりえる。それなのに、現在は戦争の武器として使われている。すべての政府は嘘をつく。特に戦争の最中には。(I・F・ストーン)

 人間は戦争よりずっと大きい。(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ)

 戦争の法は存在しない。戦時下において悪を抑止するのは法ではなく、恐怖や利得なのである。(ヴォルテール)

 戦争はみんなが敗者になる。(バヒド・ハリルホジッチ)

 戦争をしたくばうぬらが征きてせよ命の予備をわれら持たざり (草野比佐男)

 人の痛みがわかる人間になりなさい。他人の為に涙を流せる人になりなさい。そうすれば、世の中に戦争という愚かなものは無くなるから。(加藤剛)

 もし国民がほんとうにそれを知ったなら、明日にでも戦争はやめられるだろう。しかし、もちろん彼らは知らないし、知ることもできない。(デイヴィッド・ロイド・ジョージ)

 戦争は人間を下等な動物のように堕落させてしまうという点で、国民や民族やイデオロギーの違いなど関係ない。(ジョン・ハーシー)

 なによりも戦争や基地は、最大の環境破壊です。(山内徳信)

 だますものとだまされるものがそろわなければ戦争は起らない。(伊丹万作)

 神聖な年神様にたったひとつお願いごとをしたい。今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。いえ、どちらでもよろしゅうございます。洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。どうか戦争だけはございませんように。(野上弥生子)

 戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私たちに近づく。(石垣りん)

 戦争は犬死になんですよ。お国のためでも悔しい。(伊東正治)

 戦争をする人間は戦場に行かない。(unknown)

 みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな。(山下清)

 戦争の中では人間ではなくなります。犬です、犬。戦場の中にいる人は、人ではありません。(金学順)

 戦争は嫌でございます。散らかりますから。(岡本文弥)

 けんかはよせ。腹がへるぞ。(ねずみ男)


 1967年、ベトナム戦争が激化の一途をたどっていたころ、淡谷のり子、永六輔、小田実開高健、加藤芳郎、桑原武夫、小松左京、鶴見俊輔松本清張たちの呼びかけによって、日本の市民たちが「ワシントンポスト」に出した、反戦を訴える全面意見広告です。岡本太郎がインパクトのあるこの文字を書きました。
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 クロアチア内戦の時の写真です。クロアチア旅行の際に訪れたドブロブニクの本屋さんの店先に飾られていました。
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 ベトナム戦争に反対するアメリカの若者たちです。
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 天安門事件(1989)の際に、戦車を止めた男です。
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 ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵士です。
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 バンクシーの「Flower Bomber」です。
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# by sabasaba13 | 2026-03-28 06:37 | 鶏肋 | Comments(0)

彼女ら/彼らの目を見よ

 米軍による攻撃で、多くの子どもを含むイランの民間人が殺害されたこと。その戦争犯罪に日本が加担していること。これに対する批判は拙ブログに記事として上梓しました。
 そして国際法を無視して先制攻撃を行い多くの民間人を殺傷したトランプ氏の"砲艦外交"、その非道な人物を「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはトランプ氏だけ」とヨイショした高市氏の無恥な"幇間外交"についても一文を上梓しました。よろしければご照覧ください。

 私と同じく、トランプおよび高市外交に羞恥と憤怒を感じておられる大矢英代氏の、切れ味鋭いコラムが『東京新聞』(26.3.23)に掲載されましたのでぜひ紹介します。

<本音のコラム+> 「ドナルドだけ」高市首相が世界に示したアメリカへの従属 日本もイラン攻撃の加害者側にいることの危うさ 大矢英代(カリフォルニア州立大助教授)

 たいこ持ち、腰巾着、コバンザメ、ごますり。
 日本語には、権力者や強い者に群がり、媚びへつらう人を皮肉る表現が実に豊かだ。では、トランプ政権に対する、いまの日本政府の姿勢を表す言葉として、いちばんしっくりくるのはどれだろうか。
 先日、ホワイトハウスで開かれた日米首脳会談で、高市早苗首相は「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」とまで持ち上げた。そこまで言うのか、と耳を疑った。
 イラン奇襲攻撃をめぐっては、米国内でもトランプ政権への批判が高まっている。そんな中で、ここまで媚びへつらう発言が世界に報じられたことを、私は日本人として恥ずかしく思う。日米関係の良好さを日本国民に演出したかったのかもしれない。だが、世界に映ったのは、従属的な日本の姿だったと思う。
 日米首脳会談と同じタイミングで、日本は、英国やフランスなど欧州5カ国と共同声明を出し、「最も強い言葉」でイランを一方的に非難した。声明は、国際海運への干渉やエネルギー供給網の混乱を「国際的な平和と安全に対する脅威」だと強調し、石油・ガス施設を含む民間インフラへの攻撃停止を求めている。
 だが、批判する相手を間違えていないか。武力に頼らない協議が続いていた最中に、国際法を踏みにじるような一方的攻撃を行ったのは、米国とイスラエルである。
戦争を仕掛けた側には目をつぶり、反撃した側だけを強く非難する。戦争の激化を止めるどころか、強い者の背後に隠れながら、いじめられた側を一方的に責め立てる。一連の日本政府の姿は、まるでドラえもんの「スネ夫」である。
 日本はエネルギーの多くを中東に依存してきた国だ。これまでイランとも友好関係を築いてきたように、中東地域の安定は、日本で暮らす人々の生活の安定、さらにはライフラインにも直結する。
 それなのに、高市首相が真っ先に向かったのはテヘランではなくワシントンだった。米メディアによれば、トランプ大統領は会談で、イラン戦争をめぐる日本の対米支援について話し合う予定だと述べ、「日本は本当に積極的に協力してくれている」と語ったという。
 では、日本は何を約束したのか。会談後、高市首相は「日本の法律の範囲内でできることとできないことがある。これについては詳細に説明した」と述べたものの、その具体的内容は明かさなかった。ここがいちばん恐ろしい。
 日本の将来を左右しかねない重要な話が、国民の見えないところで進んでいるかもしれないのに、その中身が見えない。しかも、メディアもそれを徹底的に追及しているようには見えない。
 かつて日本は、泥沼化した対テロ戦争に、自衛隊派遣という形で引きずり込まれていった。今回もまた、駄々をこねる子どものようなトランプ大統領に振り回される形で、イラン戦争に引きずり込まれるのではないかと、私は危惧している。
 もしも、自衛隊派遣そのものは免れたとしても、ここまで米国とイスラエルの肩を持ち、在日米軍基地という形で米国の軍事作戦を支える日本は、すでに米国の戦争の加害者側に回っている。そのことを、どれだけの日本国民が意識しているだろうか。
 この戦争では、軍事施設が真っ先に標的となっただけではなく、小学校や民家など民間施設も攻撃されている。私は一人でも多くの日本人が、この状況を日本に当てはめて考えられるようになってほしいと切に願う。米国の戦争を支えるということは、沖縄だけではなく、全国各地130の在日米軍基地・施設が標的になり得るということだ。そして、その周辺の民間地域もまた、同じように犠牲になり得る。
 米国に追随することは、ただ軽んじられるというだけの話ではない。これを読んでいるあなたの命と安全に関わる問題なのである。

 まったく同感です。高市氏がトランプ氏に、具体的に何を約束したのか、ぜひ国会の場で明らかにしていただきたい。それをしない場合には、首相として信任できないという意思表示を多くの人が何らかの形で発言・発信してくれることを期待します。と同時に、隠蔽された約束を究明しようとしないヘタレなメディアに対する批判も大いにしたいですね。
 そして在日米軍基地が攻撃の標的となり、周辺の民間地域が犠牲になり得る。これも肝に銘じましょう。これまで日本は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争と、在日米軍基地の提供という形でアメリカの軍事作戦を支えてきました。よって相手側から攻撃される危険はいずれのケースでもあったのですが、相手側の意思または能力、あるいはその双方がなかったために、攻撃はされませんでした。しかし今次の戦争、あるいはこれからの戦争においても、そうであるという保障はありません。日本国内に米軍基地があり、そこを拠点に米軍が作戦行動を行い、日本政府にそれを抑止する意思がないかぎりは…

 イランの英字新聞テヘラン・タイムズの一面です。2月28日にイラン南部ミナブの女子小学校を襲った空爆の犠牲者とされる子どもたちの写真が掲載されています。この爆撃で、生徒や教職員など、少なくとも175人が死亡したと報じられています。
 イランであれ、ガザであれ、イスラエルであれ、レバノンであれ、もちろん日本であれ、このようなことを起こしては絶対にいけない。
 トランプ大統領よ、ネタニヤフ首相よ、プーチン大統領よ、そして殺戮を行う国の指導者よ。それに加担する指導者よ。彼女ら/彼らの目を見てください。

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# by sabasaba13 | 2026-03-27 06:35 | 鶏肋 | Comments(0)