近江編(84):堅田(15.3)

 午後一時を過ぎたので観光案内所に行き、観光地図をいただき、レンタサイクルの有無をお訊ねしました。すると「湖族の郷資料館」で借りることができ、そこに行くバスが間もなく出発するとのこと。やった。さっそくバスで資料館に行き、一時間250円で電動式自転車を借り受けました。なお資料館には、丸子船の模型が展示してありました。しげしげと見ていると、係の御老人が「丸小船に乗せられたことがある。ふんどし一丁で船にしがみつけと言われた」と話してくれました。
c0051620_17141918.jpg

 資料館の前にあった公衆便所のトイレ表示は王朝貴族の男女。
c0051620_17173145.jpg

 それでは自転車にまたがって、日本基督教団堅田教会へと向かいましょう。竣工は1930(昭和5)年、ヴォーリズ建築事務所の設計です。チューダーアーチの窓と、トンガリ屋根の角塔がチャーミングですね。
c0051620_1718592.jpg

 なおこの教会についてインターネットで調べていると、たいへん気になる、そして憂慮すべき記事に出会いました。日本バプテスト連盟が滋賀県警大津警察署署長に宛てた抗議声明です。たいへん重要な内容ですので、長文ですが引用します。
日本基督教団堅田教会 竹内宙牧師の不当逮捕に対する抗議声明

 私たち日本バプテスト連盟理事会は、日本基督教団堅田教会竹内宙牧師が10月11日午前5 時に傷害罪にて逮捕され、10月21日まで長期にわたる不当な拘留と取り調べを受けたことに対し、強く抗議します。

 私たちは事態を次のように把握しています。竹内宙牧師は10日に開催された「さいなら原発・びわこ集会」の実行委員でありましたが、その集会からの帰宅途中であった午後8時30分頃、大津駅にて、駅構内にいる集会参加者が「在日外国人の特権を許さない市民の会」(以下「在特会」)メンバーに人権を侵害される罵声を浴びせられたことに端を発し、彼らと集会参加者とが小競り合いになりました。それは、駅改札口を挟んでのことでしたが、在特会メンバーは改札口を越えて乱入してきました。その状況において、竹内牧師は、実行委員として、暴力に発展しないよう仲裁に入ったところ、その横でビデオを撮影していた在特会のメンバーがバランスを崩してしゃがみこみ、左膝に擦過傷を負ったと主張しました。そして、そのことにより、竹内牧師は傷害罪で逮捕されました。

 第一に、竹内牧師は、この騒ぎの当事者ではなく、むしろ騒ぎを仲裁しようとし、ビデオ撮影 者に対しても押し倒すなどの暴力は全く加えておらず、注意をしただけであり、ビデオ撮影者の怪我には何ら責任がありません。正義と良識をもって市民社会に奉仕すべき警察が、騒ぎを起こした当事者である在特会メンバーを拘束することなく、仲裁に入った竹内牧師を傷害罪で逮捕したことは、事実誤認を超えて、何らかの予断と偏見に基づいた警察権の乱用であると言わざるを得ません。 第二に、竹内牧師に対する長期にわたる拘留、取調べが続いたことから、傷害に対するものとは異なる別の目的が逮捕の背景にあることを予見し、今後も平和を愛し人権を守る宗教者が逮捕される可能性があることに危惧を覚えます。第三に、在特会はこれまでに暴力で逮捕されたことのある団体であり、また逮捕されずとも、平和や人権を訴える集会に現われては、主催する宗教者などに、誹謗・中傷という言葉では言い表せないほどに卑劣な罵声を浴びせる人権侵害を繰り返している団体です。それにも拘わらず、上述の状況で警察が在特会の罵声による人権侵害に対し黙していたことに憤りを禁じ得ません。

 10月21日、竹内牧師は11日間にわたる不当な長期拘留を経て、ようやく釈放されましたが、私たちはこのたびの竹内宙牧師の不当逮捕と長期拘留に対し、重ねてここに強く抗議をいた します。 2011年10月22日
 "誹謗・中傷という言葉では言い表せないほどに卑劣な罵声"をあびせて在日の人びとの人権を脅かす、この「在日外国人の特権を許さない市民の会」という団体についてはしばしば耳にします。HPの設立主旨を読むかぎりでは、"戦後六〇年以上の自虐史観に基づく極左思想の蔓延が生み出した「日本を絶対悪とみなす加害者史観」という病的妄想"への反発からつくられた団体のようです。日本を絶対善とみなす自慰史観という病的妄想にとらわれた方々が設立・参加する団体なのですね。ま、それもひとつの考えですから、それを主張・流布するのはいいとして、なぜ在日の人権を侵害するのか、理解できません。さらに理解できないのは、なぜ反原発集会を妨害するのか、それと在日特権はどう関係するのか。そして警察は、何故この団体の人権侵害行為を取り締まらず、その対象となった牧師を不当逮捕・長期拘留したのか。うーん、わかりません。ただ、国策に抗う者を許さないという線で、この団体と警察がつながっているのだと想像します。そしてその背後により大きくて邪悪な存在がありそうなことも。メディアによる調査と報道を衷心より期待します。さもないと、安心して国策を批判できなくなってしまいますから。共謀罪法案成立によって、ますます警察の元気が出そうな状況だけに、憂慮します。
# by sabasaba13 | 2018-05-11 06:25 | 近畿 | Comments(0)

近江編(83):朽木(15.3)

 さて、安曇川に戻るバスの出発時刻まですこし時間があるので、朽木の町並みを散策しましょう。まず目に飛び込んできたのが、「丸八百貨店」です。1933(昭和8)年、下駄屋を営んでいた大鉢捨松氏の個人商店として建てられたモダンな擬洋風建築です。現在は地元女性が運営するコミュニティ・スポットとして利用されているそうです。
 道の片側には江戸時代の始めに整備された水路があり、かつては洗い物や消火用水に利用され、現在でも融雪に利用されているそうです。水際で仕事をするためのスペースである川戸(かわと)も残っていました。レンガ造りの小さな塔は立樋(たつどい)で、湧き水を導水してサイホンを利用して各家庭に送水する分水塔だそうです。
c0051620_1761413.jpg

 恰幅のある古い商家は、熊瀬家住宅。酒作りや醤油作りを本業とする一方で、藩の御用商人としての保護を受け、幅広い商業活動を行っていました。道が直角に曲がっているのは、敵兵が一気に城へ攻め寄せるのを防ぐためで、こちらでは鍵曲(かいまがり)と呼ばれています。
c0051620_1762660.jpg

 なお前記のホームページを見ていると、ヴォーリズが設計したと伝えられている旧郵便局舎を見損ねてしまいました。あるいは気づかなかった? ああ悔しい。できうればこの町歩き地図を、街角に掲示しておいていただけると幸甚です。

 10:36発のバスに乗って、11:04に安曇川駅前に到着。そろそろ小腹がへってきたので、近江今津に戻って、昨晩食指を動かされた「一番星」という洋食屋さんに行くことにしましょう。近江今津駅のホームからは、雪を頂く湖西の山並みがよく見えました。そして当該の店に入りメンチカツ…もとい関西ではミンチカツを注文、それなりに美味しうございました。なお広辞苑が置いてあるところに、オーナーのそこはかとない見識を感じます。
c0051620_177524.jpg

 近江今津駅から湖西線で堅田へ、駅前にあった観光案内所は12:00~13:00が昼休みでした。仕方がない、十数分ほど待つことにしましょう。
c0051620_1771733.jpg

 駅前には「志賀廼家淡海顕彰碑」があり、その前の石柱に寄進者である「藤山寛美」「松竹新喜劇」の名が刻んでありました。ちょっとそそられますね、帰宅後に調べてみようと思い写真におさめました。今調べてみると、志賀廼家淡海(しがのやたんかい)という、「淡海節」で一世を風靡した堅田出身の芸人で、藤山寛美はその孫弟子にあたるそうです。なお「ゲジデジ通信」に、彼の数奇な生涯が詳細に語られていました。その近くにあった公衆便所には、ガラスブロックで琵琶湖が描かれていました。
c0051620_1781170.jpg

 本日の五枚です。
c0051620_17832100.jpg

c0051620_1784373.jpg

c0051620_1785581.jpg

c0051620_179417.jpg

c0051620_1792079.jpg

# by sabasaba13 | 2018-05-09 06:23 | 近畿 | Comments(0)

近江編(82):朽木(15.3)

 バス停「朽木学校前」から十数分ほど歩くと、興聖寺に着きました。まずは本尊の釈迦如来像に合掌、秀麗眉目な御姿ですね。
c0051620_16181766.jpg

 トイレを拝借すると、「東司(トイレ)をきれいに」というポスターが貼ってありました。なかなか含蓄のある内容ですので転記します。
ただ心身をきよむるにあらず
国土樹下をもきよむるなり     道元禅師のおことば

 食事を大切にされた道元禅師さまは、同時に排泄、用便の後始末の仕方をていねいに教えられました。
 トイレをきれいにしようという心がけが、ひいては自然までもきよらかにすることにつながっていくのです。

「今日もきれいにそうじをしよう」
 そのそばには「もったいない もったいない」というポスター。
c0051620_16185652.jpg

 そして本堂のすぐ近くにある「旧秀隣寺庭園」へ。江戸時代のはじめ岩神館の跡地に、朽木宣綱が正室の菩提を弔うために建立した寺院が「秀隣寺」。そうしてこの庭は「秀隣寺の庭園」になりました。さらに江戸時代中期、上柏村にあった「興聖寺」が、「秀隣寺」の横に移ってきます。その後、両寺は幾度かの火災に遭い、秀隣寺は朽木の野尻に移りました。よって現在、庭園は興聖寺の境内にあるが、名前は「旧秀隣寺庭園」として残っているというわけです。
 解説板があったのですが、風雨にさらされて一部判読ができません。高島市のホームページから引用します。
 庭園は、安曇川が形成した段丘の縁にあり、安曇川の清流、そしてその背後に横たわる蛇谷ヶ峰を借景としています。池泉鑑賞式の庭園で、左手の築山に組まれた「鼓の滝」から流れ出た水は池に注ぎます。曲水で造り上げた池泉には石組みの亀島、鶴島を浮かべ、中央付近には見事な自然石の石橋を架けます。随所に豪快な石組を配する、全国屈指の武家の庭です。
 岩神館の庭園を作庭したのは、当時の政治的な有力者であり、かつ風流人としても名高い管領細川高国と伝えられています。
 どれくらい原形を保っているのかはわかりませんが、豪快な石組が印象的なお庭でした。やはりお庭の主役は石ですね。『シリーズ京の庭の巨匠たち 重森三玲Ⅱ』(京都通信社)の中で、重森三明氏はこう述べられています。
 通常、日本庭園の石組には自然石が使われる。彫刻されていない自然のままの素材を用いて、新たな超自然の美を創りだすのが庭園芸術である。したがって、どのような石を選び、それをどう配置するかによって、作品の完成度は左右され、庭の良し悪しが決まる。(p.102)

 本日の五枚です。
c0051620_16202563.jpg

c0051620_16203936.jpg

c0051620_16204941.jpg

c0051620_1621213.jpg

c0051620_16211363.jpg

# by sabasaba13 | 2018-05-07 07:31 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵175

 思想でも何でも信用するな、まず疑え、その人間がどういう飯の食い方をするかを見ろ。(標拓郎 『戦争と人間』)

 言論は未来への希望なくしては成り立たない。(大岡昇平)

 家畜のように死ぬもののために、どんな弔いの鐘がある? ただ虚しく大砲の音や何かが響くだけだ。(ウィルフレッド・オーウェン)

 いかなる犠牲を払っても無抵抗を。(ウィルフレッド・オーウェン)

 不名誉と恥辱に耐え、決して武力に訴えるな。殺されても殺すなかれ。(ウィルフレッド・オーウェン)

 死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞える声で、語り続けているのである。(大岡昇平 『レイテ戦記』)

 制度は人間の賢愚によって生きもし死にもする。(渡辺一夫)

 たとえ世界が亡びるとも正義は行なわれるべきである。(法諺)

 簡潔こそは智慧の心臓、冗漫はその手足、飾りにすぎませぬ。(シェークスピア 『ハムレット』)

 群衆こそは、シーザーの権力を支える翼。はびこりかけたその羽根さえむしり取ってしまえば、もはや、人並み以上に高く飛ぶことはできまい。(シェークスピア 『ジュリアス・シーザー』)

 私の破滅は、人生についてあまりに多く個人主義的であったことからでなく、あまりに個人主義的でなさすぎたことから起こったのだ。(オスカー・ワイルド)

 世の中に一人だって見殺しにされていい人類がないと同時に、正しい文化には一人だって置き去りにされていい人類がないのだ。(布施辰治)

 風車、風の吹くまで昼寝かな (広田弘毅)

 一言で国を滅ぼす言葉は「どうにかなろう」の一言なり。幕府が滅亡したるはこの一言なり。(小栗上野介忠順)

 子どもは親の鏡です。親のいうようにはしないが、親のするようにする。(賀川豊彦)
# by sabasaba13 | 2018-05-05 08:10 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『無私の日本人』

 『無私の日本人』(磯田道史 文春文庫)読了。普通でしたら私の食指が絶対に動かない書名ですね、やれやれ最近猖獗を極める「日本人万歳」という本か。しかし読書に関しては信頼できる知人から薦められて、だまされたと思って読んでみました。

 面白い。

 これは意外でした。藤原正彦氏が解説で、簡にして要を得た紹介をされているので引用します。
 さて本書は、歴史に埋もれた三人の人物に焦点をあてている。一人は穀田十三郎という、伊達藩の貧しい宿場町の商人である。彼はさびれていくばかりの町をどうにか立て直そうと数人の商人を誘い、説き伏せ、破産はもちろん一家離散をも覚悟でどうにか千両を集め、それを財政難の伊達藩に貸した。それの生み出す毎年の利息をそのまま貧しい町人に配る、という奇手で町を救ったのである。そればかりか、自分の行なった行為を善行と思ったり口外したりすることを、家訓として子孫代々に禁じたのだ。
 もう一人は、日本一の儒者、日本一の詩文家とも言われた中根東里である。一切の栄誉を望まなかったため、引く手あまたにもかかわらず仕官しようとせず、一生を極貧に甘んじた人物である。この不世出の詩人が世に知られていないのは、彼が自らの詩文を片端からかまどの火にくべてしまったからだ。稀有絶無の詩才と後に呼ばれたのは、わずかに残された遺稿によるものである。村民の作ってくれた小さな茅葺きの庵に住み、そこで細々と塾を開き、村人に万巻の書から?んだ人間の道を平易に語り続けたのである。
 三人目は津藩藤堂家の高貴な血を引きながら、訳あって身分の低い武士の養女となったことから、数奇な運命をたどった江戸後期の絶世の美人、大田垣蓮月である。二度の結婚で四人の子を産んだが、二人の夫に病死され四人の子には夭逝された。剃髪して出家した彼女は歌人として名をなすと同時に、自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りする蓮月流を創始した。彼女も自らの歌集の出版を強引に差し止めるなど名誉を求めなかった。焼き物で手にした金は飢饉のさいに私財を投げ打って貧者を助け、人々の便利のため加茂川(ママ)に橋をかけるなど慈善事業に勤んだ。旧幕府軍追討の旗を上げた西郷隆盛には、「あだ味方勝つも負けるも哀れなり同じ御国の人と思えば」の歌を送り自重を促したという。西郷が江戸城総攻撃を思い止まったのは、勝海舟や山岡鉄舟のおかげというよりこの歌のおかげとも言われる。(p.372~3)
 そう、現在、世上を跋扈する「今だけ、金だけ、自分だけ」しか眼中にない方々とは、対極にある人を描いた伝記です。すべてを投げうって町を救おうとした穀田十三郎、栄誉を求めず村人に人間としての道を説いた中根東里、極貧のなか貧者を助けた大田垣蓮月。いずれも劇的な事件とは無縁の、名も無き市井の人ですが、そのdecentな振る舞いや言葉にはいたく感銘を受けました。大言壮語や自己主張をするわけではなく、小さな言動を積み上げながら、人としてやるべきことをやり、してはいけないことはしない。真っ当な生き方を貫いた三人の姿を平易に描き、さわやかな読後感を残してくれました。
 思うに、この後に日本をも巻き込んだ「近代」という時代は、こうした生き方を真っ向から否定したうえで成り立ったのですね。あけすけな言葉で言えば、「他人より自分が大事」「金儲けのためなら共同体や未来を犠牲にしてよい」「金銭が権力と幸福を与えてくれる」ということでしょうか。それと引き換えに、物質的な豊かさが手に入ったわけですが、失ったものも大きいということがよくわかりました。

 中でも心に残ったのが穀田十三郎たちの闘いです。さまざまな手練手管を駆使して民衆から富を収奪しようとする仙台藩と、それに抗い、町と子孫と未来を守ろうとする彼ら。こんな一文がありました。
 (お上が、ここまで、汚いことをするとは…)
 このとき、誰もが発したかった一言である。いや、汚いというより、
 -はしたない
 と、いったほうがよかろう。仙台藩は、なりふりかまわぬ守銭奴と化しているのである。(p.156)
 うむむ、"お上・仙台藩"を"日本政府"と書き換えれば、今でも通用します。権力というものは、今も昔も変わらないのですね。それに対して「はしたない」という言葉を投げつけられるのは、金銭や栄誉や権力や己自身のためではなく、共同体とその未来のために生きているという矜持があるからでしょう。

 近代という時代は、共同体による束縛を廃し、個人を激烈な生存競争の坩堝に投げ込み、その創意工夫を全開させることによって、人類史上類例のない経済発展と豊かな暮らしを実現させたものだと思います。その功罪は多々あるでしょうが、"罪"の側面が破滅的なレベルに達している今、こうした前近代を真摯に生き抜いた、名も無き人びとから学ぶべき点はたくさんあると思います。もちろん、歴史の歯車を変えて、近代以前の社会の戻ることは不可能ですが。
 例えば、金銭に対する執着を弱める。金銭に執着しなくても、ほどほどに生きている社会システムを構築する。大田垣蓮月の言葉です。
 「金は、うちに残らぬのがよろしい。入るだけ出るのがめでたい」 (p.335)
 なおこうしたdesentな生き方は、日本人だけ限ったものではなく、前近代の世界においては普遍的なものだったのではないでしょうか。「こんな素晴らしい生き方は日本独自のもの、日本人は偉い、よって私も偉い」という視野狭窄に陥らないためにも、タイトルは「無私の人びと」でよかったなと思います。
# by sabasaba13 | 2018-05-01 06:23 | | Comments(0)

『知らなかった、ぼくらの戦争』

 『知らなかった、ぼくらの戦争』(アーサー・ビナード編著 小学館)読了。詩人のアーサー・ビナード氏が、23人の戦争世代からその体験談を聞くという内容です。そのインタビュイーが多彩で、私も知らないことが多く、たいへん興味深く面白い本となりました。たとえば、義母の栗原澪子さん、ゼロ戦パイロットの原田要さん、強制収容された日系人のリッチ日高さん、ソ連軍によって択捉島を追われた鳴海冨美子さん、大久野島の毒ガス製造工場に学徒動員された岡田黎子さん、硫黄島で戦った秋草鶴次さん、日本海軍特別少年兵だった西崎信夫さん、満州から引き揚げたちばてつやさん、台湾で暮らした与那国島出身の宮良作さん、鉄血勤皇隊員として沖縄戦を戦った大田昌秀さん、中島飛行機で働いていた古内竹二郎さん、岡山で空襲を体験した高畑勲さん。もちろん他の11人の方々のお話もたいへん貴重なものでした。
 戦争を経験した状況、場所、年齢はそれぞれ違いますが、みなさんの思いに通底しているのは「戦争は醜い」ということです。例えば原田要さんはこう語っています。
 軍医は重傷者を放っておいて。わたしのところにすぐ来て聴診器を当てるんです。
 「わたしは体がしびれているだけだから、こんなわたしじゃなくて、『水! 水をくれ!』って苦しんでいる人のほうを早く診てやってくれ」と頼んだ。すると軍医は、なんのためらいもなくこう答えた。「きみ、これが戦争なんだ。ちゃんと使える人間を先に診て。重傷を負ってもう使えなくなった者は、いちばん後回しだ。これが戦争の最前線の決まり」
 兵士は結局、機関銃や大砲や戦闘機と同じなんだ。使えなくなれば捨てられる。わたしはそのとき、戦争を憎むひとりになった。戦争で幸せになる人はひとりとしていない。(p.27)
 しかしこの醜い戦争に国民を協力させ加担させるには、カラクリや仕掛けが必要です。ビナード氏は、さまざまな方のさまざまな話を聞きながら、そうしたカラクリや仕掛けを、見事な手さばきで剔抉していきます。例えば…
 それなのに、強制収容所にぶち込まれたのは、なぜなのか?
 アメリカ政府の巧妙な手口が、徐々にぼくには見えてきた。
 1940年代の初め、多くの日系人はまじめに働き、それぞれの地域社会に貢献しながら日々、白人とも黒人ともラテン系とも中国系の人びととも触れ合っていた。そうすると「ジャパニーズも人間なんだなぁ」と、みんな日常生活の中で確認することになる。そんな状況がつづけば、焼夷弾で日本人を万人単位で焼き殺すような作戦は喜ばれず、非難されかねない。ましてや無防備の民間人に原子爆弾を投下するなんて、支持を得られる行為ではまったくない。
 だからこそ日系人を癌細胞のように扱い、アメリカ社会からさっさと摘出したのだろう。
 だれも彼らの人間性に触れることができないように、荒れ地のキャンプに閉じ込めて隔離したわけだ。1941年から大々的に始まった「ジャップ」を蔑むプロパガンダのネガティブキャンペーンにも、そんな狙いが透けて見える。
 1942年2月19日の大統領令は、真珠湾攻撃への対処というより、攻撃に乗じた長期計画の出発点だったんじゃないか。
 いずれにしろ、アメリカと日本の関係を考える際、アメリカ政府が日系人に対して行ったことを外してはならないと思う。今までそれが外されて、日米の歴史は盲点だらけだ。(p.39~40)

 いったいぜんたい、こんな有害な施設がなぜ竹原の美しい島に押しつけられたのだろう?
 疑問に思い、ぼくは「毒ガス資料館」のスタッフに尋ねた。
 「実は地元が積極的に誘致して、中央行政と折衝を重ね、来てもらったんです。もちろん経済効果を期待してのことでした」と話してくれた。
 これは各地に原子力発電所が造られた経緯とそっくりではないか。聞こえのいい「雇用創出」とか「地域振興策」が売り文句で、しかも事故の連続、隠蔽の連続、現場労働者の犠牲までも共通している。(p.61)

 瀬戸内海の島で毒ガスを作っていたという歴史を、日本の政府や企業、工場で働いていた多くの人たちも、できることなら、なかったことにしたかった。でも、なかったことにはできない。
 一人の市民が大きな組織的隠蔽にあらがうためには、何度も調査し検証して、裏を取らなければならない。そうしなければ、歴史から消されてしまいかねない。(p.68)

 また、上官から「残務整理」を命じられ、書類を一切合切焼く任務だったというエピソードは、日本の支配層の歴史の扱い方を如実に表していると思う。マヤカシの美化と記録を消す証拠隠滅とは、同じ体質から生じる現象だろう。
 「本土決戦」「一億火の玉」と庶民に残酷なプロパガンダを浴びせつつも、自分たちだけが助かる出口戦略を用意して、責任をとらずに再就職もできる準備をぬかりなく進めていたのだ。(p.111)

 敗色が濃くなるにつれ、精神力がいっそう強調された。戦車に模したリヤカーに向かって突撃を繰り返したり、空に向けて竹槍をひたすら振ったりといったエピソードをたくさん聞いた。国威発揚というより、むしろ反乱防止の効果が大きかった気がする。庶民をみんな、まったく余裕のない状態にしておくということ。そう考えるとこっけいどころか、ただ物悲しい。(p.132)

 沖縄の学校で、自分がかつて受けた教育を振り返り、大田さんは「生徒を試験管に入れて純粋培養」とたとえて語った。思想の自由とは相容れない「皇民化」が、その教育の最大の狙いであり、純度の高いカリキュラムを組み立てた政府は、社会の多様性を忌み嫌っていた。
 なぜなら、古今東西の哲学者や政治家や宗教家や篤農家や文学者の幅広い知恵に、人びとがアクセスできてしまうと、学校を通じた愚民教育はうまくいかないからだ。
 「お国のために命をささげることが人間としていちばん正しい生き方だ」と、しっかり教え込むためには、まず人間と動植物と地球と宇宙の過去と現在の大部分をシャットアウトする必要がある。「試験管に入れて純粋培養」とは言い得て妙だ。(p.154)

 言葉があふれ返っていることは間違いない。映像に至っては洪水状態だ。それらにアクセスする飛び道具も激増して、でも、多様性につながっている形跡がない。
 現代社会の議論が活発というわけでもなく、むしろ思想が萎えてしまっている印象が強い。大事な情報が一般に伝わっているとはとうていいえない。
 日本の学校に目を向ければ、一種の純粋培養が行われているようにも感じられる。「お国のため」というより「お受験のため」が名目だが、深く考えて本質を探る教育にはほど遠い。
 古本屋街に積まれている人類の英知が、宝の持ち腐れになってはいないか。スマホで簡単にタッチできるアイコンのほうが、ぼくらの思考回路において支配的かもしれない。
 試験管の中から抜け出て、現実を直視してきた大田さんと語り合って、最新型の試験管から抜け出るにはどうすればいいのか、ぼくは大きな宿題をもらった。(p.155)

 「敵性語」といったキャッチコピーは、筋が通っているように見えて、実態は矛盾だらけだ。「鬼畜米英の言葉など学んではダメだ!」と、大日本帝国はキャンペーンを張ったが、その真の目的は、一般市民が日本語以外の情報源にアクセスできないようにすることだったのだ。意地悪な言い方をすれば「愛国のパッケージに包んだ愚民政策」であった。(p.163)
 こうした貴重な証言を無駄にしないために、そして犠牲となった多くの人々を犬死としないためにも、戦争を促すカラクリや仕掛けに騙されない力、政府の嘘を見抜く力を身につけたいものです。

 なおちょっとジーンときたのが、ちばてつや氏のエピソードです。ちば一家は、敗戦時に多くの日本人が中国人による報復などの苦難に直面した中、無事に満州から引き揚げることができました。彼の父の同僚であった徐集川さんという中国人が、ちば家を救ってくれたそうです。それと聞いたビナード氏、はたと気づいて、『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈の名前は、徐(じょ)さんが源ではないかと訊ねます。ちばてつや氏はびっくりして、「そうか…そうかもしれないです」と答えます。実は他にも、『紫電改のタカ』の主人公は滝城太郎、『走れジョー』の主人公の名前も城太郎。無意識のうちに徐さんに恩を感じていたのかもしれない、と語ります。(p.121)

 というわけで、お薦めの一冊です。ただ惜しむらくは、加害者となった方の話がないことです。もちろんさまざまな難しい制約があることがわかってはいますが、戦争の全体像を把握するためには、欠かせないことだと思います。続編を待っています。
# by sabasaba13 | 2018-04-29 06:26 | | Comments(0)

『人生フルーツ』

c0051620_21382111.jpg 最近、面白い映画が目白押しです。というよりも、「週刊金曜日」「DAYS JAPAN」「しんぶん赤旗」「東京新聞」の映画評を丹念に読むようになったおかげかな。映画館に行くとまた面白そうな映画のチラシが見つかるという好循環が続いています。しかし今回は、われわれ御用達のお店、練馬駅近くの「マッシュポテト」の店員さんが強く薦めてくれた映画です。
 上映館はこちらもわれわれ御用達の「ポレポレ東中野」。映画を見た後に近くで夕食をとろうと、「食べログ」でいろいろ検索した結果、「タラキッチン」というカレー屋さんに決めました。インター―ネットで予約をして準備万端です。

 それでは公式サイトから、あらすじを転記しましょう。
 むかし、ある建築家が言いました。
 家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。

 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。
 そう、"暮らしの宝石箱"に住まいながら、平和で穏やかな暮らしを営む老夫婦のお話です。ただそれだけ。それだけなのに、何て愛おしい映画なのでしょう。つかず離れず、適度な距離感を保ちながら仲睦まじく暮らす90歳の修一さんと87歳の英子さん。野菜や果実の栽培、料理、編み物、機織りなど、手間ひまかけた手仕事にコツコツのんびりと勤しむ英子さん。家の修繕や英子さんの手伝い、得意のイラストで手紙を書いたり畑の立て札をつくったり、小さな手仕事にコツコツのんびりと勤しむ修一さん。そこには競争も、収奪も、過剰な欲望も消費も、ありません。言いかえれば、経済成長とは縁もゆかりもない暮らしです。吾唯足るを知り、協働と支え合いと思いやりに満ちた良質な暮らし。そこには、私たちがめざすべき懐かしい未来があるような気がします。

 数百年にわたって人間を呪縛してきた「経済の無限なる成長」がもはや不可能であることが明らかになりつつある現在。しかしそこから目をそむけ、弱者を犠牲にしながら経済成長をやめようとしない世界、そして何よりも日本。安倍伍長の唱える「働き方改革」とはそういうことですよね。
 無謀な経済成長を続けるのか、それともゼロ成長あるいは脱成長に転換するのか、そういう歴史的な岐路に私たちは立っていると考えます。ある方曰く、墜落か、胴体着陸か。でも最近読んだ『成長から成熟へ -さよなら経済大国』(天野祐吉 集英社新書0713)で紹介されていた先哲たちの言葉を噛み締めると、それほど酷いダメージではない胴体着陸ですみそうな気もします。
デニス・ガボール 『成熟社会-新しい文明の選択』(講談社)
 成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(homo sapiense)の性質と両立しうる世界である。(p.176)

E・F・シューマッハー 『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)
 それにしても、「成長は善である」とはなんたる言い草か。私の子供が成長するのなら至極結構であろうが、この私がいま突然、成長し始めようものなら、それはもう悲劇である。(p.177)

セルジュ・ラトゥーシュ 『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社) 『 〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社)
いまの消費社会は、成長経済によって支えられているが、その成長は人間のニーズを満たすための成長ではなく、成長をとめないための成長だ。(p.179)

 この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、エセエコノミストと馬鹿ばかりの世界になっている。 (p.181)

 もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら、われわれは十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて26倍も消費しているのですから。しかし、人びとがその頃よりも26倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です。(p.181)

 脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残すわれわれの痕跡を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす。(p.184)

浜矩子 (朝日新聞 2012.11.24)
 (かつての日本は)欧米諸国から「エコにミックアニマル」と言われました。
そのころの日本経済は「フローはあるが、ストックがない」とも言われていました。平たく言えば、フローは「勢い」、ストックは「蓄え」です。勢いは「経済成長率」「経済成長力」、蓄えは「富」「資産」と言い換えてもいいと思います。
 (…) (あのころから見ると)確かに、いまの日本に勢いはなくなっている。しかし、蓄えは世界で最大規模に到達しました。交通網の充実ぶりなど、生活インフラのレベルの高さを見ても、成熟度はすさまじい。
 ここまで成熟した日本が、経済規模において中国に抜かれて2位から3位になるのは当たり前です。成熟を受け止めて、それにふさわしい展開を考えていく必要があります。(…) 私はこれを老楽(おいらく)国家と名付けたい。「老いは楽し」という精神性の中で成り立つ国家です。成熟度を上手に受け止め、生かし、展開する。老楽国家を成り立たせる概念は二つあると思います。一つ目は「シェアからシェアへ」、二つ目は「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性の出あい」。包摂性は包容力と言っても良いでしょう。
 シェアという言葉で、一定の年齢より上の世代の人に思い浮かぶのは「市場占有率」になると思います。(…)
 シェアには、これと相反する意味もあります。友だちとご飯をたくさん注文してシェアするというときの「分かち合い」です。老楽国家では、奪い合いのシェアから、分かち合いのシェアへの切り替えが必要です。
 「多様性と包摂性の出あい」は、頭の中に座標平面をイメージしてください。縦軸が包摂性で、上に行くほど包摂性が高い。横軸が多様性で、右に行くほど多様性が高くなります。包摂性も多様性も高い、右上の第1象限が理想郷です。我々はそこに行きたいのです。
 グローバル時代に、ここまで成熟した経済社会は日本しかない。(…) 我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せることができる。(p.186~8)
 脱成長の時代に、地域はどうやって存続することができるかを描いた映画が『おだやかな革命』であり、個人はどう暮らしを楽しめるかを描いた映画が本作品だと思います。先哲の言葉を借りれば、生活の質、人間のニーズ。ゴミを減らし、環境に残すわれわれの痕跡を減らし、過剰生産を減らし、過剰消費を減らす。老楽、多様性と包摂性。
 「経済成長」という幻想をふりまき、自然と弱者を踏みにじりながら、より豊かになろうとする強者。そのおこぼれにあずかれると信じこみ、強者による経済運営を支持する弱者。「そろそろ目を覚ましたら?」という、二人の声が聞こえてきませんか。いい映画でした。

 映画を見終わり、予約をした「タラキッチン」へ。映画の感想を話し合いながら、美味しいカレーや、ナンや、タンドーリチキンや、カバブを納得のゆくお値段で堪能しました。新たなご用達のお店となりそうです。
c0051620_21423752.jpg

 東中野銀座商店街を駅へと歩いていくと、「ル・ジャルダン・ゴロワ」というちょっと気になるお店がありました。何の変哲もない普通の店構えなのですが、ショーウィンドウに並べられているのは美味しそうなフランス菓子と惣菜。値段もそれほど高くはありません。タルトの詰め合わせを購入して、帰宅後珈琲とともに食べましたが…言葉にできないのがもどかしいほどの美味しさ。こちらもご用達となりそうです。
c0051620_21425025.jpg

 良い映画と、美味しいカレー、美味しいタルト、そして気の合う伴侶。こういう一日に出会うと、長生きがしたくなります。
# by sabasaba13 | 2018-04-27 06:26 | 映画 | Comments(0)

「メモリアル・アルバム 1955-2014」

c0051620_10271012.jpg 入江宏というピアニストをご存知ですか。先日『週刊金曜日』のCD評で教示していただき、はじめて知りました。内科医として病院勤務の多忙な日々を送りつつ、東京や横浜などのジャズ・スポットで週末に数セットのライブ演奏をしたジャズ・ピアニスト。しかし円熟期に病となり、長い闘病生活を経て、2014年3月に逝去されました。享年58歳。彼の素敵なピアノ演奏をおさめたアルバム「メモリアル・アルバム 1955-2014」が発売されているとのこと、さっそく購入しました。
 まずジャケットが良いですね。地味な色合いの無地に、眼鏡と髭のみのイラストで描かれたシンプルで愛らしい似顔絵が中央に小さく置かれています。彼の人となりや演奏が彷彿としてくるようです。CD二枚組で、一枚目はソロ・ピアノ。家人にも知らせずに自宅でひそかに録音していたものが、死後偶然に見つかったもの。二枚目は彼がピアニスト、キーボード奏者としてジョージ大塚・山口真文・ミロスラフ・ヴィトゥス・神崎ひさあきらと共演したレコーディング・セッション。
 一曲目の「ラストナイト・ホエン・ウィー・ワー・ヤング」から、彼の世界に惹きこまれました。シャイな男性が、はにかみながら、思いのたけを言葉を選びながら愛する女性に告げるような演奏です。ほんとうに一音一音を大切にした暖かいピアノです。心や体の隙間や溝にたまった俗塵がきれいに洗い流されるようです。最近は、仕事に疲れて帰宅すると、まずこのCDを聴くようになりました。二枚目のセッションもわるくはないのですが、やはり一枚目のソロ・ピアノが出色の出来ですね。

 ご子息のブログで、入江宏氏の友人が書かれたライナーノーツが紹介されていました。引用します。
 自分より若い世代の医師たちが、検査データの数値が表示されたPC画面ばかりを見ていて患者の顔も見ず、聴診も触診も行わなくなっていることを、入江が嘆息まじりに口にするのを聞いたことがある。人間に対する、生に対する敬意と配慮は、医師・入江宏と音楽家・入江宏に共通する姿勢だった。そして、硬直した制度や組織、強ばった精神は入江宏が最も嫌うところだった。
 "生に対する敬意と配慮"、彼の素晴らしい音楽を理解するポイントはここにありそうですね。
# by sabasaba13 | 2018-04-25 06:27 | 音楽 | Comments(0)

セシル・マクロリン・サルヴァント頌

 『週刊金曜日』のCD評で、セシル・マクロリン・サルヴァントという若きジャズ・ボーカリストの存在を知りました。さっそく紹介されていた、グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に選ばれたアルバム「ドリームス・アンド・ダガーズ」を購入して聴きましたが、これがなかなかいける。近々来日して、「ブルーノート東京」でライヴを開くとのこと、ぜひ聴いてみたいですね。そういえば、最後にジャズの生演奏を聴いたのは、大学生のときに新宿の「ピットイン」以来です。最近合唱にはまっている山ノ神を誘ったら快諾、ジャズ・ボーカルにも興味があるようです。チケットぴあでチケットを購入したところ、お店に電話を入れて整理番号を得るとのことでした。連絡をしたところ、開演一時間前に来店して整理番号順に席を選べるとのことです。なるほど。でも一時間も店の中でぼーっとしているのもなんですし、近くに面白い場所はないでしょうか。インターネットで所在地を調べてみると、ぬぅわんと、すぐ隣が根津美術館、歩いて行ける距離位に青山霊園があります。時は3月24日、例年より早く東京では桜が満開になりつつあります。青山霊園で桜並木を愛で歴史上の人物のお墓を掃苔し、「ブルーノート東京」に行って席をおさえ、桜に期待して根津美術館のお庭を徘徊し、店に戻ってサルヴァントのライヴを聴く。おお、巨大な連関が音を立ててつながった。がしゃん。

 当日、すこし早めに家を出ようとすると、「きゃージャズ・クラブなんて初めて、何着ていこうかしら何着ていこうかしら」とはしゃぐ山ノ神。お召し物の選択に時間をとられ、出立の時刻が大幅に遅れてしまいました。せんかたない。掃苔は後日にゆっくりすることにして、まずは青山霊園の見事な桜並木を遊歩。その途中で小村寿太郎と川上操六のお墓を偶然見つけることができました。
c0051620_21451472.jpg

 そして十分ほど歩いて「ブルーノート東京」へ、地下へ降りる階段のあたりに所狭しと貼ってあるジャズメンの写真に血沸き肉躍ります。
c0051620_21501013.jpg

 フロントで整理券をもらって順番を待ち、さらに地下へ降りると意外に広い空間でした。さてどこに座ればよいか、係の方にお薦めの席を訊ねると、やはりステージ近くで歌い手を間近に見られる席がよいでしょうと案内してくれました。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(『徒然草』第52段)ですね。開演まで退席すると係の方に告げて再入場券をもらい、すぐ近くにある根津美術館に行きました。隈研吾の設計による竹を使った印象的なエントランスを抜けて、館内へ。「香合百花繚乱」という企画展が開催されていましたが、時間がないので庭園だけ見ることにしました。起伏のある池泉回遊庭園で、都心とは思えないほどの静寂な雰囲気に満ち満ちています。残念ながら桜は少なかったのですが、心洗うような緑、爽やかな潺の音、鳥の声と風の音を楽しみました。
c0051620_21485559.jpg

c0051620_2149587.jpg

 開演直前に「ブルーノート東京」に戻って席に着き、ジャマイカン・ジャークチキン、パスタ、シーザーサラダ、ビールを注文。不味くはないのですが、いかんせん値段が高い。次は、食事は違うところでいただいて、飲み物だけ注文することにしましょう。各テーブルには著名なジャズマンのプレートがありますが、われわれのテーブルにあったのはゲイリー・バートン。こいつは春から縁起がいいわい、私の大好きなヴィブラフォン奏者、チューリヒでライブ録音された「チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート」は愛聴盤です。用を足しにトイレに行くと、男女表示は音符。でもなぜ男性が四分音符で女性が八分音符なのでしょう? 女性は半人前ということですかい。
c0051620_2149192.jpg

 席に戻ってビールを飲みながらパスタを食していると、伴奏のアーロン・ディール(p)・ポール・シキヴィー(b)・カイル・プール(ds)を従えて、セシル・マクロリン・サルヴァント(vo)の登場です。ハイチ人の父とフランス人の母のもと、米国フロリダ州マイアミで誕生。5歳でピアノを始め、21歳の時に「セロニアス・モンク・コンペティション」のヴォーカル部門で優勝。2015年リリースの『フォー・ワン・トゥ・ラヴ』はグラミー賞の最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に輝いた気鋭のヴォーカリストです。貫頭衣のようなシンプルなワンピースとサンダル履き、リラックスした雰囲気ですが、その恰幅の良さには驚きました。大学生の時にオーケストラの先輩が「腹も楽器のうち」とよく言っていましたが、なるほど、声がよく響きそうです。
 そして歌が始まりましたが、一曲目から♪身も心も♪惹きこまれてしまいました。素晴らしい… 艶やかで張りのある声、伸びる高音と響く低音、気持ちのこもった節まわし。これぞジャズ・ボーカルという醍醐味を堪能しました。それに加えてバックをつとめるピアノ・トリオがお見事、サルヴァントの歌声を際立たせようと、隅々まで神経を使った繊細な演奏でした。なかでもカイル・プールのドラムがいいですね。ブラシやリム・ショットなどの多彩な小技を駆使したり、スティックを持つ位置を変えたりマレットを使ったりして、単調になりがちな太鼓の音に彩りを添えています。
 ニュー・アルバムを中心とした選曲で、スタンダード・ナンバーが少なかったのがすこし残念でしたが、十二分に楽しめました。アンコールで歌ってくれたのは、ア・カペラによるショパンの「別れの歌」。涙がにじむくらいに胸を打たれました。
 山ノ神もご満悦の様子。♪When you're smilin' The whole world smiles with you♪ 彼女の歌を、そしてジャズの生演奏を、また聴きに来るぞと、♪俺の闘志がまた燃える♪のでした。
c0051620_21502399.jpg

c0051620_21503992.jpg

# by sabasaba13 | 2018-04-23 08:11 | 音楽 | Comments(0)

赤道の下のマクベス

c0051620_18504893.jpg 『週刊金曜日』の演劇評で、「赤道の下のマクベス」という作品が紹介されていました。朝鮮人BC級戦犯をモチーフとした演劇、これは面白そうです。作・演出は鄭義信氏、主催は新国立劇場。さっそくチケットを購入し、山ノ神と東京・新国立劇場の小劇場に見に行くことにしました。
 劇場やホールに行くときは、その近くで美味しい料理に舌鼓を打つのが無上の喜びです。今回は初台ですので、東京オペラシティ53階にある「つな八」で天ぷらをいただきました。暮れなずむ東京を眼下に眺めながら、キスと小エビ、フキノトウ・新玉ねぎ・タラの芽、稚鮎と蛤、かき揚げのお茶漬けを堪能。
 そして新国立劇場の小劇場へ、ここは初めて訪れました。場末の芝居小屋の雰囲気をそこはかとなく感じさせる、なかなか良い雰囲気です。舞台装置は、刑務所の中庭とそこに面した牢獄の六つの扉、その上方に据え付けられた絞首台がこれからのドラマを雄弁に物語っています。
まずはプログラムからあらすじを転記します。
 1947年夏、シンガポール、チャンギ刑務所。
 死刑囚が収容される監獄・Pホールは、演劇にあこがれ、ぼろぼろになるまでシェイクスピアを読んでいる朴南星(パク・ナムソン)、戦犯となった自分の身を嘆いてはめそめそ泣く李文平(イ・ムンピョン)、一度無罪で釈放されたにも関わらず、再び捕まり二度目の死刑判決を受けるはめになった金春吉(キム・チュンギル)など朝鮮人の元捕虜監視員と、元日本軍人の山形や黒田、小西など、複雑なメンバーで構成されていた。
 BC級戦犯である彼らは、わずかばかりの食材に腹をすかし、時には看守からのリンチを受け、肉体的にも精神的にも熾烈極まる日々を送っていた。
ただただ死刑執行を待つ日々、そして、ついにその日が訪れた時…。
 購入したパンフレットを参考にしながら、この劇の背景を確認しましょう。大本営は、インパール作戦の物資輸送のためタイ・ビルマ間に泰緬鉄道を建設しました。日本軍は、ジャングルや乏しい食糧・医薬品という悪条件のなか、わずか1年余りで415キロの鉄道を突貫工事で完成させたのです。その際に、現地人のほか、英豪の連合軍捕虜延べ6万人を過酷な強制労働に駆り立てて、多くの犠牲者を出すという極めて非人道的な事業でした。この捕虜の監視にあたった軍属が、上官の命令により捕虜を虐待して強制労働を強いたのですが、戦後、それが連合国の憎悪を買いBC級戦犯として起訴されることになりました。上官の命令に服従しただけなのに、責任を肩代わりさせられ、場合によっては死刑にされるという不条理。しかも監視員には、植民地とされていた朝鮮・台湾の若者も含まれており、彼らが日本人戦犯として処罰されるというさらなる不条理も存在します。
 そうした不条理で理不尽な死がいつ訪れるかわからないという状況のなか、六人の人間がそれぞれの性格や立場に応じてさまざまな行動をとります。陽気に騒ぐ朴南星と黒田、故郷の母を思って悲しみにくれる李文平、日本人への怒りをぶちまける金春吉、泰緬鉄道の駅を思い出しながら監獄の壁に描き続ける小西。しかし理不尽な死をまぎらわすかのように遊び、歌い、踊り、互いをからかい、時には恐怖と絶望にうちひしがれる。俳優のみなさんの陰影のある、ダイナミックな演技には瞠目しました。
 印象的なのが、この五人から距離をとって孤立している山形、捕虜虐待を命じた上官です。彼を登場人物としたことで、劇に厚みが増したと思います。上官に命じられた捕虜虐待、それではその上官に責任があるのか。いや、彼も上官に命じられたのでしょう。この責任の連鎖をたどっていくと、大本営、さらには昭和天皇に行き着きます。しかし「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」(大日本帝国憲法第3条)、天皇の責任を問うことはできません。責任の所在がはっきりとせず、結局立場の弱い末端がその肩代わりをさせられる、大日本帝国の病理を暗示しているようです。山形は黙して語らず、その内心はわかりませんが、母国にいる家族への思いが伝わってくるシーンが挿入されています。
 そしてこの六人に共通しているのは、いつ訪れるかわからない理不尽な死を前にして、とにかく「生きたい」という強烈な意思です。結局、三人の死刑が執行されるのですが、池内博之氏演じる朴南星が死ぬ直前に絞り出すように呻く「生きてえ、生きてえなあ」という台詞がいまだに耳朶に残ります。
 もう一人は釈放され、黒田と李文平が監獄に取り残されます。死刑執行を待つ二人が、スコールを浴びながら、今生きている喜びをかみしめる最後の場面も印象的でした。

 パンフレットには、作・演出の鄭義信氏と芸術監督の宮田慶子氏の対談が掲載されていましたが、次のようなお話がありました。
[宮田] 戦後70年を過ぎると当時20歳の方が今93歳ですからね。その子どもの世代が70代前後。語り継がないと何も分からなくなります。分からないと興味ももたなくなる。歴史として残したいのではなく、生きていた証として、演劇で義信さんが残してくださることはとても大事なこと。演劇というのはやはり人間です。人間を基点にして物事を考えることがすべてに通じると思います。演劇のよさはそこですね。
[鄭] 結局、原始的ですからね、演劇は。演じているのも観るのも人間。そこには抗うことができない人間の感情がいっぱいある。(p.9)
 大日本帝国と連合国という強大な権力によって翻弄され、無残な死を強いられた朝鮮人BC級戦犯。その人間の悲劇を、生身の演技で再現し、彼らが生きていた証として体感させてくれた鄭義信氏に感謝したいと思います。

 ひとつ付言しておきたいのは、1952年に日本が独立を回復した時、鮮人らは一方的に日本国籍を剥奪され、朝鮮人軍人・軍属は軍人恩給などの支給がなされません。他方、朝鮮人戦犯は刑が科せられた時点で日本人だったからということで刑の執行は継続されます。朝鮮人を弊履の如く使い捨てた大日本帝国のおぞましさを痛感します。『普遍の再生』(岩波書店)の中で、井上達夫氏はこう述べられています。
 石田雄が指摘するように、1953年の軍人恩給復活以来、50年代から60年代にかけて教育二法制定、教科書検定、天皇が日本の戦死者を悼む言葉を述べる国家行事としての全国戦没者追悼式の恒例化、戦没者を含む叙勲制度の復活等を通じて、冷戦下の逆コース的ナショナリズム復活の動きに即応した「記憶の共同体」の再建が推し進められた。「これまでの国内における軍人を中心とした犠牲者に対する援護費が40兆円におよぶ〔中略〕にもかかわらず、2000万人にもおよぶ死者を出したともいわれるアジア諸国に対して支払った賠償およびそれに準ずるものが(在外資産の喪失額を加算して)1兆円であるという著しい不均衡」の事実に示されるように、戦後日本の「正史」は侵略者である「自国の死者」を「見殺し」にするどころか、手厚く国家的に追悼し顕彰すると同時に、彼らの遺族に膨大な物質的補償も与えてきたのである。この「正史」が「見殺し」にしてきたのはむしろ、未だ十分に償われぬ膨大な数のアジア諸国の犠牲者であり、侵略に加担させられて戦死したりBC級戦犯として処刑されたりしながら、追悼と補償の対象から戦後長く排除されてきた台湾・朝鮮の旧植民地の死者たちであった。
 そしていまだにこの問題の解決に尽力しない、日本国および日本国民のおぞましさも。『週刊金曜日』(№1180 18.4.13)に、「外国籍元BC級戦犯者問題 解決求める最優先課題だ」という記事は掲載されていたので転記します。
 4月3日、外国籍元BC級戦犯者問題解決の立法実現を今国会で求める集会が衆議院議員会館で開催され、韓国人元BC級戦犯の李鶴来(イ・ハンネ)さん(93歳)や遺族、与野党国会議員等が約50人が集まった。
 太平洋戦争末期、植民地下の朝鮮や台湾から約3000人の若者が東南アジア各地の日本軍の捕虜収容所監視員に軍属動員された。戦後、連合国軍軍事裁判でBC級戦犯として朝鮮人148人、台湾人173人が有罪、うち朝鮮人23人、台湾人26人が死刑執行された。
 李さんは1942年、17歳で故郷全羅南道から泰緬鉄道建設労働で多くの連合国軍捕虜が死亡したヒントク捕虜収容所に派遣。47年にシンガポールで死刑判決。奇跡的に禁錮20年に減刑され巣鴨プリズンに移監。56年に出所した。
 服役中にサンフランシスコ講和条約で日本国籍を剥奪、援護制度から排除され、韓国では「親日派」で帰国できず、在日生活は苛酷だった。刑死した同胞の名誉回復や仲間への日本政府の謝罪と補償等を求めて55年に「同進会」が結成。李さんも参加し、歴代政権への要請行動はじめ91年からは裁判闘争を開始、98年最高裁判決確定後は立法解決を求めてきた。
 2008年、当時の民主党政権が外国籍元BC級戦犯に対する「特別給付金支給法案」を国会提出したが廃案。16年以降日韓両国の議連が協力し法案準備したが政局等で足踏み状態。昨年11月、李さんは体調を崩し院内集会に参加できなかった。「同進会」生存者は李さんを含め3人のみ。李さんは、「今国会で解決して頂き、苦悩して亡くなった友人たち、殊に刑死した仲間たちの無念を晴らし、名誉回復して頂きたい」と挨拶した。
 超党派「日韓議連」の自民党北村誠吾議員は「今まで解決できず日本人として恥ずかしい。与党もしっかり取り組まなければ、ここで挨拶する意味はない」。
 5月開催予定の日韓首脳会談で未解決問題として最優先課題だ。(西中誠一郎) (p.7~8)
 それにしても、俳優志望の朴南星が、劇中で演じるのが、なぜシェイクスピアの『マクベス』なのでしょう。ウィキペディアによると、勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行ない、貴族や王子らの復讐に倒れるという劇です。策謀と暴力によってアジアの僭主となった日本が、さまざまな重圧によって錯乱し暴政を行ない、連合国によって倒された。そのメタファーなのかな。
# by sabasaba13 | 2018-04-21 06:27 | 演劇 | Comments(0)