そしてこんな素晴らしい建築を壊して建て替えるという暴挙・愚行を何故したのかと常々思っていたのですが、本書を読んでその理由が分かりました。意匠としては見事なこの建物には、さまざまな欠陥があったのですね。帝国ホテルの敷地には軟らかいヘドロ状の粘土層があり、ライトはこの軟らかい地盤が地震に際してはクッションになると考え、海の上に船を浮かべるように、建物を粘土層に浮かべたのですね。これを「浮き基礎(フローティング・ファンデーション)」と言うそうですが、実際には部分的に沈下したり傾いたりして営業に耐えられないほど老朽化してしまいました。熱源が電気であるため、暖まるのに時間がかかり、火傷をする危険性があり、費用がかさんだこと。また、建物にあわせて家具や備品をデザインしたため、見た目は美しいが、宿泊客にとっては窮屈で余裕がなかったそうです。さらに意外なことに雨漏りがひどかったこと。柔らかく彫刻のしやすいことから、ライトは大谷石を多用したのですが、この石は雨に弱かったのですね。客室係の竹谷年子は著書『客室係がみた帝国ホテルの昭和史』の中でこう語っています。
こんなことをいうと、あの帝国ホテルが、と驚く方がいらっしゃるかもしれませんが、そのころ、ライト館は雨漏りがひどかったんです。どこからということはなく、雨が漏ってくるんですね。ですから私たちは、雨が降ると、バケツとモップを持って、雨漏りの場所にとんでいったものです。(p.175)なお、このライト館の落成披露宴が行われる二分前、1923(大正12)年9月1日午前11時58分に関東大震災が起きました。その揺れに耐えたという「ライト神話」がありますが、基礎部分こそ無事だったものの、柱が折れ壁に亀裂が走るなど無傷でなかったとのことです。記憶にとどめておきたいのは、ライト館が大震災の中で生き残ったのは、帝国ホテルの従業員が身を挺してライト館を火災から守ったからだということです。類焼しそうになる危機が四回ありましたが、そのたびに、従業員が壁や屋根によじ登り、宿泊客も加わったバケツリレーで、降りかかる火の粉を防いだそうです。 というわけで、手放しで礼賛するわけにはいかないのですが、下記のように考えればいいのかもしれません。 林七郎は、ライトについて辛辣な言葉を重ねながらも、ライトのことを称して「彼はデザイナーであって、建築家ではない」という言い方をしていた。この言葉は、ある意味で、的を得ている。建築家としての彼を否定するのではない。ライトの才能の本質は、建築の技術的な部分ではなく、その独創的なデザイン性にこそあると思うからだ。(p.190~1)日本で見学できるライトの作品は、自由学園明日館と山邑邸、いずれも逸品です。なおフランク・ロイド・ライトを描いたマンガ、『ギャラリー・フェイク』(細野不二彦 小学館)第7巻所収の「落水荘異聞」も面白いですよ。 本日の八枚、神が宿り給う細部です。 #
by sabasaba13
| 2016-06-08 06:41
| 中部
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そして最大のお目当て、フランク・ロイド・ライトによって設計され1923(大正12)年に完成した帝国ホテル中央玄関に到着です。まずは正面から写真撮影。まるで神殿のような荘厳な佇まいが、池の水面にきれに映しだされています。さまざまな装飾を施した大谷石と透しテラコッタ(立体焼き物)、味のあるスクラッチ・タイル、随所を飾るオブジェ、水平線と垂直線を幾重にも組み合わせた構成、建物というよりはもうアートです。
それでは中に入りましょう。中央には三階までの広大な吹き抜きがあり、各部屋や施設はこの廻りに展開されています。内部も、大谷石と透しテラコッタとスクラッチ・タイルが縦横無尽・天衣無縫に組み合わされ、装飾性にあふれた空間になっています。奥まで歩いて振り返ると…そこには劇的な光景が。さまざまな箇所から取り入れられた外光が陰影の多い装飾を浮かび上がらせ、光と影の饗宴をくりひろげています。窓枠、照明、家具にもライトの美意識が行き届き、見飽きることがありません。せっかくなので、ティー・ルームで珈琲をいただきましたが、こちらの椅子もライトのデザインですね。 なおこの建築に関しては、ライトの人生と帝国ホテルとの関わり、帝国ホテルをめぐるさまざまなドラマや確執を綴った『帝国ホテル・ライト館の謎 -天才建築家と日本人たち』(山口由美 集英社新書)という好著があります。その中に次のような一節がありました。 ライトは建築に関して、哲学めいた言葉をそれこそ山ほど残している。ひとつひとつを取りあげていたら、きりがないのだが、これだけは避けて通れないというのが「有機的建築(オーガニック・アーキテクチャー)」という概念である。 本日の九枚です。 #
by sabasaba13
| 2016-06-07 06:46
| 中部
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川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調とした本格的銀行建築で、竣工は1927(昭和2)年。設計者の矢部又吉は、ドイツのベルリン工科大学に学び、帰国後多くの銀行建築を設計しましたが、この建物はその代表作です。東京の中心地、日本橋のシンボルとして永く人々に親しまれてきたこの建物は、1986(昭和61)年にビル立て替えのため惜しくも取り壊され、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築されました。なお最上階からの眺望はなかなかいいですよ。
内閣文庫は、1873(明治6)年に赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館です。その後内閣文庫と改称され、1971(昭和46)年に国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に広く利用されました。この建物は本格的なルネッサンス様式のデザインで、明治のレンガ・石造建築の教科書的作品です。 宮津裁判所法廷は、京都府宮津にあった地方裁判所の刑事法廷棟です。明治初期において、上級審は洋風煉瓦造が多いのに対して、宮津裁判所は和洋折衷で建てられています。内部では、蝋人形によって裁判風景が復元されていました。高い壇上に裁判官と検事、書記が座を占め、弁護士、被告人は下段に置かれていますね。「人民は弱し、官吏と国家は強し」と、肉体に直截的に刻み込むための仕掛けなのでしょう。 高田小熊写真館は、昔から豪雪地として知られ、日本のスキー発祥の地である越後高田の街なかに、1908(明治41)年頃に建てられた洋風木造二階建ての写真館です。あっ、ちょっとここで半畳を入れましょう。お気づきのように明治村HPの解説をもとに(というかほとんどコピー)書いておりますが、「日本のスキー発祥の地である越後高田」という一文には留保をつけましょう。おそらくテオドール・フォン・レルヒ少佐のことを念頭においているのだと思いますが、実はそれをさかのぼること七年前、1904(明治37)年に、野辺地の豪商野村治三郎が外国の雑誌でスキーのことを知り、東京の丸善を通じてスキーを試作させ、自らも滑っているのですね。というわけでスキー発祥の地は野辺地です。 閑話休題。外観は愛らしい瀟洒な洋館で、きっと写真を撮りに来た人たちはわくわくしたでしょう。屋根に大きなガラス窓がありますが、これはやわらかい北からの外光を写場(スタジオ)に取り入れるためですね。階下には応接間、暗室、作業室兼用の居室があり、二階に写場が設けられています。光景を調節するための白黒天幕や、「書割」と呼ばれる背景もありました。 菊の世酒蔵は、和風瓦葺の蔵。もともとは穀物蔵として造られたものを、1895(明治28)年に移設されて菊廣瀬酒造の仕込み蔵として利用したそうです。吹き放ちの庇が重厚な雰囲気です。 #
by sabasaba13
| 2016-06-05 06:38
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大明寺聖パウロ教会堂は1873(明治6)年に禁教が解かれた後、1879(明治12)年頃、長崎湾の伊王島に創建された教会堂です。フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、地元伊王島に住んでいた大渡伊勢吉によって建てられました。若い頃、大浦天主堂の建設にも携わった伊勢吉は、当時の知識をこの教会堂に注ぎ込んだのですね。内部こそゴシック様式ですが、外観は普通の農家の姿に過ぎず、いまだキリスト教禁制の影響を色濃く残しています。なお珍しいのは、「ルルドの洞窟」が室内に設けられていることです。1858年、フランス、ピレネー山麓の町ルルドのとある洞窟で聖母マリアが出現するという奇跡が起こり、 それにあやかって世界各地の教会で「ルルドの洞窟」の再現が行われました。通常、「ルルドの洞窟」を設ける時には、教会敷地の一部に岩山を作り、洞窟を掘るのですが、この大明寺教会堂では室内の押入れのような凹みに小さな鳥籠状の竹小舞を編み上げ、岩の様に泥を塗りつけて仕上げてあります。ちなみにこうした明治期の教会を見るのでしたら、五島がお薦めです。
なお本を読んでいると、旅をした場所に関連する内容にでくわすことがままあるのですが、今回は『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子 中公新書2257)の中にルルドが登場しました。ユダヤ人である彼女がフランスにあったギュルス収容所から脱走した後、ルルドに立ち寄りますが、そこで偶然に友人のヴァルター・ベンヤミンに再会し、それからの数週間を一緒に過ごしたのですね。1941年10月17日付のゲルショーム・ショーレム宛ての長文の手紙のなかで、アーレントはそのときのことを次のように書いています。 六月半ばにギュルスから脱出したとき、私も偶然ルルドに行ったのですが、彼がいたので数週間そこにとどまりました。敗戦の直後で、数日後にはもう列車は動いていませんでした。家族や夫や子供や友人がどこにいるのか、誰も分かりませんでした。ベンジ〔ベンヤミン〕と私は朝から晩までチェスをして、新聞があるときには休憩時間に読んだものです。かの有名な引き渡し条項をふくむ休戦協定が公示される瞬間までは、何もかもそこそこうまくいっていました。それ以後はもちろん私たち二人にとって状況は厳しくなってきましたが、ベンジが実際にパニックに陥ったとは言えません。でも、ドイツ人を恐れて逃亡していた捕虜の最初の自殺の知らせが届きます。そしてベンヤミンは私に自殺について口にしはじめたのでした、この抜け道があるじゃないか、と。それにはまだ早い、という私の猛烈な説得にたいして、彼はいつも決まって、そんなことはけっして分からない、けっして手遅れになってはいけない、とくりかえしました。(p.70~1)フランスの出国ヴィザを持っていなかったベンヤミン(※彼もユダヤ人)は、非合法にピレネー山脈を越えて亡命しようとします。心臓に持病のあった彼は、時計を見ながら10分歩いては1分休むというペースを守りながら苦痛に耐え、どうにかスペイン側に辿り着くことができました。ところが、そこではすでに無国籍者が国境を通過できないというルールに変わっており、絶望したベンヤミンはその日のうちに大量のモルヒネを飲みました。時は1940年9月27日、享年48歳。(なお最近、暗殺説もあらわれたそうです) #
by sabasaba13
| 2016-06-04 07:56
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東京駅警備巡査派出所は、丸の内側駅前広場に建てられたもの。駅本屋との調和をはかるため、駅本屋のデザインを十二分に意識した設計がなされています。首府東京の表玄関であった東京駅では、天皇の地方巡幸や外国使節の従来など重要行事が多く、一時は12人もの巡査が詰めていたそうです。
金沢監獄中央看守所・監房は、八角形の看守所を中心に五つの監房棟が放射状にならぶ洋式の配置です。なお中央に置かれている看見室は、網走監獄で使用されたものです。 名鉄岩倉変電所は、名古屋電気鉄道(現名古屋鉄道)犬山線の変電所として岩倉駅構内に建てられたものです。内部に高価で大きな変電用機械を入れるため、背の高いレンガ造建物になっています。 さて、現在の時刻は午後12時半、さすがにお腹がへりました。途中にあった「明治の洋食屋 オムライス&グリル浪漫亭」で昼食をとろうとしたのですが、長蛇の列ができており断念。いたしかたない、眼前にあった「食道楽のコロツケー」という売店で挽肉のコロツケーと五福屋の串かつを食べて飢えをしのぐことにしました。なお前者は、明治時代にベストセラーになった小説「食道楽」で紹介している材料・調理法をもとに再現・アレンジしたもの、後者は知多半田の石川養豚場が誇るこだわりの豚肉「あいぽーく」を串かつにしたものだそうです。むしゃむしゃ。 隅田川新大橋は、隅田川に架けられた明治の五大橋(吾妻橋・厩橋・両国橋・新大橋・永代橋)の最後の橋。曲線を多用したアールヌーボー風の意匠が美しいですね。全長は180mありましたが、その8分の1が移築・保存されました。設計監理には東京市の技術陣が当たりましたが、鉄材は全てアメリカのカーネギー社の製品が使われています。これは、明治の末においても未だ我が国の鉄材の生産量が乏しかったためと考えられます。1923(大正12)年の関東大震災の折には、他の鉄橋が落ちる中で、この新大橋だけが残り、避難の道として多数の人命を救いました。多謝。 #
by sabasaba13
| 2016-06-02 06:34
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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