「浅草博徒一代」

 「浅草博徒一代 アウトローが見た日本の闇」(佐賀純一 新潮文庫)読了。余命幾許もない博徒を治療した著者が、彼の人柄に惹かれて聞き取った話をまとめた本です。時代は大正から昭和、恋と駆け落ち、博打、中国での兵役、殺人と服役、関東大震災、そして大空襲。浅草一帯に勢力を張った博徒、伊地知栄治氏の波乱万丈のアウトロー人生に引き込まれてしまいました。日本近代史の裏面と闇を語る証言としても貴重です。一つ一つのエピソードももちろん面白いのですが、何より彼の語り口が魅力的。己の人生を誇りもせず卑下もせず、満足もせず後悔もせず、淡々とざっくばらんに語ってくれます。なるほど、ボブ・ディランがこの英訳を読んで影響を受け、アルバム『Love and Theft』の歌詞に類似性が認められると話題・問題になったのも頷けます。
 関東大震災の時に指のない水死体がたくさんあったという話は初耳でした。高価な指輪を盗むために、膨れた指を切り落としたらしいです。刑務所から脱走した者は受刑者から英雄扱いされると勝手に思い込んでいたのですが、さにあらず。捜索費用捻出のため囚人の食費が減らされるので、凄まじい憎悪を向けられるのですね。もし仮に刑務所に入ることになったら、ちゃんと服役しましょう。敗戦直後の証言も興味深い。軍人も民衆も、軍の物資をかたっぱしから隠匿し盗み売り払った状況がよおくわかりました。「例の天皇陛下の放送だ、…あれでみんなが泥棒になった」という三郎の言葉、かみしめましょう。
 彼の語り口の魅力にふれてほしいので、長文ですが引用します。
 囚人の中には、…ご機嫌とりをやらないものもいます。そんな人間は、自分を絶対に曲げない、意地になっている。自分が相手に勝てるか勝てないかを考えないで、がむしゃらに喧嘩する野良犬のようなもんです。そんな囚人は、刑務所から出てもなに一ついいことが待っているわけじゃない人間が多いんですね。女房子どもがいるでなし、これという仲間がいるというわけでもない。もしそんなのがいれば、人間というものは目の前の苦しさには我慢出来るものです。

 バクチで儲けようなんて思って来るものはいましょうが、それは馬鹿というものです。バクチに金を賭けるということは、わたしに言わせれば擂鉢に金の延べ棒を入れてゴリゴリと擂るようなもんで、だんだん小さくなって、しまいにはなくなっちまう。…金は全部擂鉢、つまり胴元のところに吸われるように出来ているんですから…

 バクチ打ちというのは、今の暴力団とはまったく違います。バクチ打ちというのは、サイコロ一つで生きて行く一種の職人です。だから人情というものが大切で、人を痛めつけて自分だけ儲かりゃあいいというような考えでは、到底生きてはいけない世界ですよ。
 大事なのは希望と人情、そしてバクチに手を出さないこと。しかと受けとめました。それにしても最後の一文は、臓腑にずっしりと響きます。政治家・官僚・財界が声高に叫ぶ「市場原理・競争・自己責任・民営化」というのは、要するに人を痛めつけて自分だけ儲けりゃいいということですよね。堀江貴文氏を筆頭に、多くの企業経営者の行動基準だと思います。ま、彼は政治家の厚い庇護がないため逮捕されたのではないかな。けちらずにもっと自民党に政治献金をしていればよかった…と本人も悔やんでいるかもしれません。余談ですが日本の刑事裁判においては被告人の有罪率は99.95%(!!!!!!!!!!!)ということなので、起訴されたらほぼ間違いなく氏も有罪でしょう。それにしても、この数字には慄然とします。裁判所って何のためにあるのでしょうね。

 政官財関係諸氏に、博徒を見習えなどという無理無体な注文はしませんが、せめて彼らの人品・人格・人情に少しでも近づく努力をしてほしいものです。
# by sabasaba13 | 2006-01-24 06:05 | | Comments(2)

麻婆豆腐

 先日見た映画「SAYURI」のパンフレットで、中国人俳優がとにかくよく食べることに驚いたという渡辺謙と役所広司のコメントが印象的でした。それでいてチャン・ツィイーもミシェル・ヨーもあんなに痩せていて美しいのですから、中華料理の奥深さを感じます。もちろん私も大好き。中華料理の美味しさにはいつも敬意を表しております。今回は陳健一氏直伝の、麻婆豆腐のレシピを紹介しましょう。レトルト食品は当然、そんじょそこらの中華料理店を木っ端微塵に吹き飛ばす超弩級の美味しい麻婆豆腐が、素人にも簡単につくれます。なお超弩級の「弩」とは第一次大戦後にイギリスが建造した最新鋭艦ドレッドノートのことだと聞きかじりました。それを超えるような巨大戦艦をつくる競争が激化していたことを物語るかつての流行語ですね。
1.豚の挽肉とにんにくみじん切りを炒める。にんにくの量は好みですね、入れなくともよし。豚挽肉は油がにじみ出るくらいじっくり炒めたほうがいいでしょう。
2.豆鼓(ドウチ)小さじ2+豆板醤(トウバンジャン)大さじ2+甜麺醤(ティエンメンジャン)大さじ1を混ぜておいたものをぶちこんで、挽肉とよくからめる。
3.そこに鶏がらスープを溶かした湯180ccを入れ、煮立てる。そして角切りの木綿豆腐を入れてしばらく煮込む。木綿豆腐はあらかじめ水を切っておいた方がいいかな。
4.胡椒・醤油・紹興酒を目分量で入れる。胡椒はその場で挽いたものがいいですね。日本酒でも可ですが、紹興酒の方が美味しいです。夜中に寝酒が切れた時のエマージェンシー・リザーブにもなります。
5.ねぎみじん切りを散らし入れ、水溶き片栗粉を加えてとろみをつける。フィニート。
 中華調味料を買わねばならないという初期投資がありますが、きっちり回収できる味です。化学調味料を入れる必要はまったくありません。わが家ではその存在が消滅して何年にもなります。再見。
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# by sabasaba13 | 2006-01-23 06:07 | 鶏肋 | Comments(2)

「アンベードカルの生涯」

 「アンベードカルの生涯」(ダナンジャイ・キール 光文社新書195)読了。ふと何気なく本屋で手にして購入した本です。表紙の折り返しに記されている彼の言葉に興味を覚えたましたもので。
 もし私が、私がそこに生れ育った階級が呻吟する、忌わしい奴隷制と非人間的不正をやっつけることができなかったら、頭に弾丸をぶちこんで死んでみせる
 凄い。実は情けないことに、この方の名や事績を一切知りませんでした。こんな凄い人間がいたとは。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。Bhimrao Ramji Ambedkar (1891~1956) 現代インドの社会改革運動家、政治家。デカン西部の大カーストで、かつて不可触民カーストの一つとされていた「マハール」の出身。ボンベイ(現ムンバイ)の大学を卒業したあとアメリカ、イギリスに留学。1920年ごろから不可触民制撤廃運動に献身。社会改革団体や政党を組織し、大衆示威運動を指導した。独立達成よりも社会改革を優先させるという立場から、ガンディーの指導する国民会議派の民族運動を批判。30~32年のイギリス・インド円卓会議に、被抑圧階級の代表として出席した。インド独立後は初代ネルー内閣の法相となる。また、憲法起草委員会の委員長として共和国憲法の制定に中心的な役割を果たした。この間、下層民の教育向上にも尽力し、シッダールタ・カレッジをはじめ数多くの教育機関、教育施設を創設した。なお、不可触民制を是認するヒンドゥー教を棄てる決意を35年に表明していたが、死の2か月前の56年10月に数十万の大衆とともに仏教へ改宗した。
 彼の人生は、カースト制を叩き潰し、不可触民の人間としての権利を勝ち取るための闘争の連続であったことが、この伝記を読んでよくわかりました。現状についてはわかりませんが、当時の不可触民が、そして彼自身が強いられてきた差別にまず言葉を失います。例えば…
 人びとを何よりも惨めにし、苦しめたのは、村の共用井戸の使用をどこでも禁じられてきたことであり、自分たちの井戸を掘る力のない不可触民は、カーストヒンズーの憐れみにすがり、その人びとが水を汲んであたえてくれるまで朝から晩まで井戸の周りで待つしかなかった。夏の激しい渇き、労働の後の渇き、生命を維持するために絶対不可欠な“水”すら意のままにならず、それを癒す手段さえ奪われていた。人びとは仕方なく腐った溜り水や汚水を掬って飲み、伝染病や病に冒されてその最大の犠牲者になっていった。
 詳細はぜひこの本を読んで欲しいのですが、この困難な問題に対して、彼は不退転・不撓不屈の決意で臨み、長期の粘り強い戦い・運動・交渉の結果、差別を廃止する条項を憲法に盛り込むことに成功します。印象深いのはガンディーとの対決です。カースト制を維持したまま、不可触民の地位向上を図ろうとするガンディーと、真っ向からこれに反対しカースト制の即時廃止を求めるアンベードカル。妥協を強いるために、何千万(何億?)ものインド人の支持をちらつかせ威圧し、死を覚悟した断食まで行ってアンベードカルを追い詰めるガンディー。己の信念を曲げずに孤立無援の中、ガンディーに最後まで抗うアンベードカル。手に汗握る緊迫した箇所です。私の知らなかったマハトマの一面を垣間見ることができました。「中村屋とボース」(中島岳志 白水社)も出たことだし、この三人を通してインドの近現代史を見直してみようと考えております。
 印象に残った彼の言葉です。
 この国にとって愛国的となるようなことを私がしたとするなら、それは私自信の良心に恥じない心からそうしたのであり、愛国心からではありません。長い間虐げられつづけた同胞に基本的人権をかち取るためなら、この国のためにならないことを幾らでもやってのけるでしょう。それが罪になるとは思わないからです。
 わかりました、国家よりも、まず人間。しかし日本という国家では、自民党・公明党・官僚・財界が、「勝ち組」「負け組」という柔らかいカースト制をつくろうとしているのです、Mr.Ambedkar。そしてグローバル資本によって、世界全体に新たなカースト制が敷き詰められようとしています。
# by sabasaba13 | 2006-01-22 08:19 | | Comments(0)

北海道編(6):夕張石炭の歴史村(05.10)

 最終日、今日は夕張石炭の歴史村の見物です。夕張炭鉱、言うまでもなく近現代日本を支えた重要な炭鉱です。1960年前後には、出炭量が年産400万トンを突破するなどピークを向えます。しかしエネルギー革命が進み、国内炭の地位は急激に低下、夕張でも炭鉱の整理統合など合理化が進みました。1982年には前年のガス事故を契機として北炭夕張新鉱が閉山、そして1990年、最後まで残った三菱南大夕張鉱が閉山し、ついに夕張から炭鉱の灯が消えることになります。ここにつくられたアミューズメント・パークが「石炭の歴史村」です。まずは夕張の街を散策。やはり人影や商店も少なく、仕舞屋らしい飲み屋が軒を並べ、寂れた様子です。毎年映画祭が行われるらしいのですが、古い映画の看板がいやがおうにも哀愁をかきたてます。ホテル裏にある石切夕張神社には、錆付き動かない様子の小型ケーブルカーがぽつねんとありました。往時は参拝客で賑わったのでしょうね。門前に「炭鉱殉職者追悼之碑」があります。「国の宝の石炭を掘り起さんと地の底で倒れし御霊永えに安んじ給えと祈るなり 子に託す夢あり炭鉱(ヤマ)に埋もるる歌えし故人の悲願をば描いてここに建つるなり」
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 ホテルから歩いて数分で夕張石炭の歴史村に到着。幸せの黄色いハンカチがはたはたと淋しそうに風になびいています。巨大な櫓があったので、いそいそと近づくと残念、複製品でした。さてメインの施設、石炭博物館に入りましょう。石炭についての展示や、炭鉱の歴史・暮らし・文化の紹介など、なかなか充実した内容です。
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 そして実際の坑道をライト・キャップをつけて入ることができます。なお坑道入口にいたこの方の身元が分かりません。どこかで会ったことがあるような気がするなあ。(※筆者注:筆者ではありません) 掘削機械や蝋人形によるジオラマなど臨場感にあふれる展示でした。
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 外に出て大きく息を吸い、ふと見るとはめこみが二つ。コレクターの責務として、とりあえず撮影しておきます。そしてボタ山を見上げながら、夕張駅へと向かいました。
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 間違いなく夕張炭鉱関連物件がたくさんあるはずですが、今回は時間がないのでカットしました。ああ悔しい。そして一目散に新千歳空港に行き、帰郷。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2006-01-21 07:46 | 北海道 | Comments(2)

北海道編(5):有珠山(05.10)

 そして有珠ロープウェーで頂上へ上ります。係の方の話では、赤い紅葉はもう終わってしまったとか。しかしどうしてどうして、有珠山の紅葉は見事でした。黄色や橙を中心に、さまざまな色調で燃え上がる木々。もう夢のような眺めです。頂上の展望台は、360度の大パノラマ。太平洋、室蘭、昭和新山、洞爺湖が一望できます。残念ながら曇天のため、下北半島と尻屋岬は見えませんでしたが。
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 タクシーで洞爺湖温泉に戻り、電動レンタサイクルを借りて西山火口散策路へ向かいました。洞爺湖越しに顔を覗かせる羊蹄山を見ながら、15分程で到着。約1.3kmの遊歩道が整備されており、2000年3月に噴火した有珠山の西山火口が間近で見られます。圧倒的な噴煙を前にして、言葉を失いました。さらに隆起によって寸断された道路や、火山礫によって破壊された家屋が、当時のまま保存されているのも見もの(と言っては失礼ですが)。本当に地球が持つパワーは人智を超えているのですね。なお泥流に埋まった町営浴場・公営住宅を見てまわれる金比羅火口災害遺構散策路もあるのですが、時間の関係でこちらはカットしました。
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 バスで洞爺駅まで行き、JRに乗り南千歳で乗り換えて夕張へ。今夜は夕張泊です。

 本日の三枚は、有珠山展望台から見た昭和新山・洞爺湖と、有珠山西山火口です。
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# by sabasaba13 | 2006-01-20 06:06 | 北海道 | Comments(4)

北海道編(4):昭和新山(05.10)

 翌日は車軸のような雨。せんかたなし、予定通りバスで洞爺湖に行きましょう。車窓から見たかぎりでも、定山渓の紅葉は見事ですね、真っ盛りでした。途中で休憩した中山峠には、「アスパラガス栽培発祥の地」記念碑と、現如上人像がありました。1870(明治3)年に開拓使の要請を受けて、彼を総責任者とする東本願寺が、札幌-有珠間の新道開削工事を行ったとのこと。この道を本願寺街道というそうです。開拓使と東本願寺の関係は興味を引かれますね黒田清隆の宗旨は真宗だったのかな。
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 約二時間半で洞爺湖温泉に到着、嬉しいことに雨も上がりうっすら陽もさしています。さっそく日本有数の活火山である有珠山の噴火や被害の様子を展示してある火山博物館を見学しました。火山礫の直撃を受けてぼこぼこになった自動車も数台展示されており、火山爆発の凄まじさを実感させてくれます。
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 ここからバスで昭和新山に行こうとしたら、運休になっていました。温泉街の寂れ具合からして、観光客が激減しているようです。しかたなくタクシーに乗り、十分程で到着。1943(昭和18)年12月28日から1945(昭和20)年9月10日までの期間に火山活動によって畑地が隆起してできた標高406.9mの山です。今でも噴煙を上げているのですね、驚きました。そして戦時中という困難な時期に、昭和新山の生成を克明に記録し続けたのが郵便局員三松正夫氏です。巧みなデッサンと調査による彼の観測資料は「ミマツダイヤグラム」と命名され世界から絶賛を浴びているそうです。昭和新山のふもとに、山を観測している彼の銅像がありました。また三松正夫記念館も近くにありましたので、さっそく彼の偉業を見学しました。でも今だったら、近所の方から「公務員なのに勤務中に火山を観察しているぞっ、首にしろ!」などという密告が上部によせられるのだろうなあ。ああやだやだ。
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 本日の一枚は昭和新山です。モコッ
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# by sabasaba13 | 2006-01-19 06:08 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(3):モエレ沼公園(05.10)

 さて札幌に向かいますが、ここからが問題。イサム・ノグチ設計モエレ沼公園にある海の噴水ショー夜の部最終公演が18:30開始なのです。以前に訪れた時は噴水が未完成でしたので、今回の旅行の目玉として絶対に外したくない。が、しかあし、時刻表で確認したところ、札幌到着が17:52。ぎりぎりですね。札幌から直接タクシーで行くか(渋滞が心配)、地下鉄環状通東駅からタクシーで行くか(乗り継ぎ時間+タクシーがすぐつかまるか不安)… 乾坤一擲、後者に賭けてみましょう。札幌駅に着くと脱兎の如く階段を駆け下り風神の如く地下鉄に飛び乗り、環状通東駅の階段を阿修羅の如く駆け上り、地上に出ると        タクシー乗り場がぬぅわい。オオコノハズクの如く目をこらし空車を発見して飛び乗りました。やれやれ。運転手さんに行き先を告げると「場所は大体わかるけど行ったことないんだよなあ」とのお返事。一難去ってまた一難。幸い親切な方で、無線で仲間と連絡を取り場所を確認してくれました。やれやれ。そして18:25にモエレ沼公園に到着したのですが、すでに陽は落ちあたりは暗く、噴水の場所がわかりません。最後の手段、フォースの暗黒面を使い、森の中を突っ切ると、あった! 18:29に無事噴水に到着しました。巨木のように高く噴きあがり、そして様々な色のライトに照らし出され千変万化する噴水。わずか15分のショート・プログラムですが満喫できました。次は昼間に行われる45分のプログラムをぜひ見てみたいな。
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 本日の一枚です。
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 ●モエレ沼公園 http://www.sapporo-park.or.jp/moere/
# by sabasaba13 | 2006-01-18 06:05 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(2):白老(05.10)

 次の目的地は白老です。苫小牧で乗り換え時間が少しあったので下車し、駅前の回転寿司屋で昼食をとりました。さすがに美味しいですね。駅にこんなポスターがありましたが、しばし考えてアイス・ホッケーと北寄貝をかけた駄洒落と判明。座布団はあげない。白老で下車し、帰りの発車時刻を確認したらご覧の通りです。1~2時間に一本! 経営が苦しいのはわかりますが、これでは公共輸送機関の態をなしていないのでは。ゼネコンや土木業者を潤す公共事業を削減して、こうしたところに税金を使ってほしいですな。これでは車を買えって言っているようなものですよ。ま、それが狙いなのかもしれませんが。
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 駅から歩いて十分程でポロト・コタンに到着します。 コタンとはアイヌの人々が住む村のことですが、現在ではアイヌの伝統的な家屋を復元した野外博物館と資料館となっています。家屋の中では、ムックリの演奏や舞踊を見たり、衣装を借りて写真を撮ったりできます。資料館もなかなか充実した展示内容でした。
 明治維新以後、日本政府は、アイヌに対する「内民化政策」を推し進めました。つまり、アイヌ文化の抹殺、そして彼らの“日本人化”ですね。アイヌは日本式姓名によって戸籍に編入され、「旧土人」と呼ばれることになり江戸時代とは違う形の差別を受けることになりました。具体的に見ると、男子の耳環・女子の入墨・アイヌ固有の狩猟や漁撈方法[毒矢など…]の禁止、農業の強制、日本語の使用が奨励されます。例えば、薪として木を伐採すれば盗伐したと逮捕され、主食である鮭を捕ると密猟したと手錠をかけられるのです。(おそらく世界的に見て、主食まで奪われた少数民族はないでしょうね) そして1899(明治32)年には「旧土人保護法」が制定され、アイヌの農耕民化と日本式教育の徹底を通して、「皇国臣民」化の完成が目論まれたのです。朝鮮や台湾の人々に対する「皇民化政策」以前にすでに、他民族の文化の抹殺は実行されていたことは、記憶にとどめましょう。なお、現在日本政府は、アイヌを先住民族として認めようとしません。またカナダ・オーストラリアなど先住民族との間で条約を結ぶケースも多いのですが、日本政府にその意思はまったくないようです。なお「旧土人保護法」は、1997(平成9)年(!!!)に廃止され、かわりに「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」という、まるで読んでいるうちに昔の事を忘れてくれないかなあと期待するような長い長い名称の法律が制定されました。その目的を記した第一条が傑作なので、紹介します。
 この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。
 いやあ日本の官僚の顔の皮膚の厚さの平均値を、ぜひCTスキャンで測定してほしいですね。具体的な「状況」に触れず、しかもアイヌの人々を(悲惨で過酷な)「状況」に陥れた責任の所在や、迫害に関する歴史認識について一言半句も語っていません。まるで地震や津波や大雪といった天災で、アイヌ文化が苦境に陥っているような言い草。人の物を盗んだら、まず御免なさいと言うのがモラルだと思います。ま、御免ですんだら警察は要らないのですが。傲岸不遜、厚顔無恥、没義道、狼虎の言ですね。ご存知だと思いますが、日本国民が選挙で選んだ代表である衆議院・参議院で可決されないと基本的に法律にはなりません。
 アイヌである萱野茂氏(二風谷アイヌ資料館館長)の言葉を耳朶に刻みましょう。
 私たちは、アイヌ語という言葉を奪われ、アイヌモシリ=人間の静かな大地=北海道を侵略されたのです。…満ち足りた生活を破壊したのは和人であるあなた方の先祖です。…ただあなたの先祖がアイヌ民族に対して犯した過ちを、悔い改めようと思えば悔い改められる立場にあなたが居られることだけは確かなことです。
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 その眼前はポロト湖という小さな湖があり、「ポロトの森」という遊歩道・サイクリングコースとなっています。そろそろ色づきはじめた紅葉を見ながらの気持ちよい散策でした。残念ながら曇っていたのですが、鏡のような湖面に集落や色づいた森が写り、神秘的な光景です。「熊出没注意」という看板には思わず腰が引けましたね、モモンガだったら会いたいですけれど。フィトンチッドを何年か分思いっきり吸い込み、いい気持ち。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2006-01-17 06:14 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(1):サケのふるさと館(05.10)

 さる事情により、昨年の十月、二泊三日の駆け足で札幌周辺をまわってまいりました。羽田から飛行機で新千歳空港に到着。ターミナルへ行く通路からふと見下ろすと、荷物を運ぶスタッフの中に数人の女性がおります。最近よく見かける光景ですね。総務省調査(2003)によると男性の正規雇用者の割合は83.5%、女性は47.0%だそうです。派遣社員かアルバイトである可能性がありますね。いつでも簡単に馘首できるように雇用形態を変えつつある企業と、それを規制せず(規制緩和!)なすがままの官僚・政府・自民党。このまま放置しておくと、財界が言うとおり正規雇用者の割合は男女ともに10%を切っちまいますよ。目覚めよと、我らを呼ぶ声す… ん、誰の声?
 まずは「さけのふるさと館」へ行きましょう。JR千歳駅で降り歩き出すと、目の前を戦車を積んだトラックが走り去っていきました。北海道に来たのだなあと実感、でもロシアをいまだ仮想敵国と考えているのですかね。これ一台の値段でできること/しなくてはいけないことは一杯あるのに。縦長の信号機、背の高い消火栓やセンターライン表示棒、センターラインを示す矢印、ガラス戸で覆われた玄関などを見て、本当に本当に北海道に(略)。
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 歩いて15分程で到着、千歳川にやってくるサケに関する展示をしているのが「サケのふるさと館」です。向こう岸に歩いて渡れるほどのサケが川面を埋めつくすという光景を期待していたのですが、そんなことはありませんでした。ピークは過ぎたようですね。目玉は、千歳川の護岸に大きな窓を設け室内から川の中を観察できる水中観察室です。おおよく見えるよく見える。かなり早い流れに抗いながら、肩(ってあるのかな)を寄せ合うサケのカップルに、私と山ノ神の姿がオーバーラップしません、全然。箱のついた水車が回りながらサケを捕獲するというインディアン水車は、遠くから見るだけ。
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# by sabasaba13 | 2006-01-16 06:08 | 北海道 | Comments(0)

「SAYURI」

 声楽を習っている山ノ神が、先日ニコニコしながら帰ってきました。先生に「夜の女王のアリア(『魔笛』より「地獄の復讐がこの胸にたぎる」)の一番高い音(F♯?)が出てますね、素晴らしい」と褒められたそうです。CDにあわせて、アハハハハハハハハーと上機嫌で歌いながら、「私は夜の女王よお、あなたのことはパパゲーノと呼んであげる。」 やめてくれ。 クサンチッペと呼びかえすぞ。

c0051620_917227.jpg ま、それはさておき映画「SAYURI」を見てきました。竹:満足、元は取った、というところですね。スピルバーグ製作、ロブ・マーシャル監督による、二次大戦前後におけるある日本人芸者の一代記です。貧困の中、ある男性との出会いから一流の芸者となる決意をし、ライバルの妨害をはねのけ芸を磨き、花街一の芸者となるが戦争によりすべてを失い、そして最愛の男性と再会するというストーリー。単純な話なのですが、芸達者がそろっているので飽きさせません。中でも主演のチャン・ツィイーと主人公の子供時代を演じた大後寿々花のうるうるとした目の魅力にはまいりました。
 それにしてもなぜこのような映画をつくったのか疑問に思いました。パンフレットによると、製作者の意図は日本文化に対する興味と敬意を表現したかったとのことです。家屋、街並、庭園、歌舞、着物、化粧、そして何よりも芸者という存在。春を売らずに芸道を極める女性という存在は、欧米文化からすると珍しいのかもしれませんね。ステロタイプとなっている「ゲイシャ」というイメージを壊そうとしたのかもしれません。ただ丸窓の多い家屋や、中国風四阿(あずまや)のある庭園など、かなり違和感を感じました。出演者の証言によると、監督のイメージによる「日本の美」の再現したということなので、これは意図的なものですね。われわれが「日本の美」に対してもつイメージだって画一的で単純なものですから、別段責めるいわれはありません。
 確かに美しい映像と面白い話で満ちている映画なのですが、全体的に薄っぺらいという印象です。イツァーク・パールマンとヨー・ヨー・マが挿入曲を演奏しているのですが、この二人の演奏のように美しいけれど何も心に残らないという感じ。チョン・キョンファと故ジャクリーヌ・デュ・プレが演奏していたら相当違った印象になるでしょうね、無理だけれど。
 帰りながら、座席からしばらく立てなくなるような映画を見たいね、などと山ノ神と話しました。もし死ぬ間際に一本だけ映画を見られるとしたら、私は『ブラス』、彼女は『山の郵便配達』。
# by sabasaba13 | 2006-01-15 09:18 | 映画 | Comments(0)