伊勢・美濃編(32):深野(14.9)

 素晴らしい景観を撮影しようとあちこち歩き回っていると…猪木ピンチ…でも大丈夫、ちゃんときれいな公衆便所がありました。はあああああああああ。交通安全路上表示透かしブロックがあったので撮影。
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 さてそれではそろそろバス停へと戻りましょう。バスの発車時刻は10:38、今十時ちょっと過ぎなので余裕の横山大観で間に合うで…ん? どことなく風景が違うな… やばっ! 道を間違えた。あわてて分岐点へと戻り、早足で歩を進めましたが、停留所に着いたときにはすでにバスは走り去っていきました。やれやれ。ま、こんなこともあるさ。So it goes on.次のバスまで約一時間、深野の町を散策することにしましょう。ここ深野は櫛田川沿いの道に家屋が建ち並ぶ、宿場町の風情です。まず目に入ったのは、恰幅のよい商家と蔵。登録有形文化財に登録されている佐野家住宅という説明板がありました。江戸時代後期より薬種問屋を営んでいたそうです。あとは「あかぶくろ胃腸薬」という看板を撮影して町の散策は終わり。
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 川辺におりると流れ橋があったので、大雨のときはかなり増水するのでしょう。
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 さてバスが来るまでまだ三十分ほどあるので、JA松坂深野の前にあったベンチに座って読書をすることにしました。窓ガラスに「TPP交渉参加反対!」というポスターが貼ってありましたが、満腔の意をもって賛成します。知的怠惰と謗られそうですが、四人の論客による鋭い指摘を紹介します。
 グローバリズムとナショナリズムは矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせてその企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。
 そのために国民は低賃金を受け容れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け入れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。(『街場の憂国論』 内田樹 晶文社 p.26~7)

 TPPは、今世界中で同時進行で進んでいる、人、モノ、カネ、情報など、あらゆるものの国境を越えた流動化を目指す、グローバリゼーションの集大成になっている。
 実施されればそれぞれの国が持つ規制や独自経済政策能力といった主権が制限され、投資家と多国籍企業は完全に法治国家を超えた強大な力を持つことになる。(『(株)貧困大国アメリカ』 堤未果 岩波新書1430 p.165~6)

 「投資家対国家間の紛争解決条項」(Investor State Dispute Settlement):自由貿易協定(FTA)を結んだ国の企業が、相手国の政府が外国資本や企業に対して差別的対応をとったことで損害をこうむったと判断した場合、その国の政府に対して賠償を求めることができるとした条項。2012年に発効した米韓FTAにも導入されています。
 …日本における「条約>国内法」という関係と同じく、韓国の憲法解釈においても「国際条約は既存の国内法に優先する」とされています。ところがなんと米韓FTAの条文のなかで、「アメリカの国内法は米韓FTAの条項に優先する」ことが決められているのです! (「米韓FTA実施法」第102条a項-1 「合衆国のいかなる法に反する協定のいかなる条項も、またそうしたいかなる条項のいかなる人または状況への適用も、効力を有しない」)
 つまり「アメリカの国内法>米韓FTA実施法>韓国の国内法」となり、韓国の経済植民地化が確定してしまいました。日本がTPPに参加すれば、同じことが起こることは確実です。(『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』 前泊博盛編著 創元社 p.270)

 ひとつには、TPP問題に代表される経済戦争の新形態の展開である。1970年代から衰退を露呈し始めた米国経済は、新自由主義と経済システム全体の金融バブル経済化、そして旧共産主義圏の市場のこじ開け・統合によって延命を図ってきた。しかし、こうした努力も利潤率の傾向的低下、経済成長の鈍化を食い止めることはできず、限界に逢着したことを示すのが、2008年のリーマン・ショックであった。米国のTPP戦略は、この窮状からの脱出を目指す戦略のひとつである。多数の識者が指摘するように、保険・医療・金融・農業といった諸分野における米国主導のルール設定と日本市場の獲得という、米国による露骨な帝国主義的策動がTPPの枠組みに含まれている恐れは十分に存在する。…低成長を運命づけられている新自由主義体制のなかでは、ゼロサム・ゲームを前提としたパイの奪い合い(その手段には物理的暴力の行使も含まれる)が起こるほかない。そこにおいては、「身内」(=同盟諸国の住民)からも奪うという行為も当然選択肢のなかに含まれてくる。まして、冷戦崩壊以降、米国にとっての日本は無条件的な同盟者ではあり得ない。(『永続敗戦論 戦後日本の核心』 白井聡 太田出版 p.130~1)


 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-04-17 08:17 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(31):深野のだんだん田(14.9)

 そして三十分ほど歩くと、深野のだんだん田に着きました。いやあこれは凄い、大小さまざまな石を精緻に積み上げた石垣が、幾重にも幾重にも屏風のように連なっています。まるで、野外に展示されたモダン・アートのようです。これははるばる来た甲斐があったというもの、眼福です。解説板が二つあったので転記しておきます。
石の芸術 「深野だんだん田」
深野だんだん田は標高820mの白猪山南麓に位置し、室町時代に北畠氏の重要な拠点であったこの地区は、白猪山の西に「のろし場」があり、見張りに詰めている侍たちの食料確保のため棚田が開墾されたと伝えられています。もともと深野地区は耕地に恵まれず、古くから木地・蚕・和紙等で生計を立てていたことから、この棚田は特に貴重でした。

石の芸術 深野棚田
 飯南町の深野地区は、優れた松阪牛を育てる肥育農家がたくさんあることと、古くから「深野和紙」と呼ばれる和紙の生産で知られています。
 ここ棚田は、堀坂山・局ケ岳とともに伊勢の三峰と呼ばれてきた白猪山南側の急斜面に開けただんだん田で、室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓されたと言われています。
 城塞を思わせるように幾重にも積まれた自然石が織り成す風景は、まさに石の芸術です。先人の知恵と技術・努力には想像を絶えするもので(ママ)山村の歴史を物語る貴重な文化遺産です。
〈概要〉
       ●石垣の段数/約120段
       ●延長/およそ120キロメートル
       ●石垣の総面積/約135,000平方メートル
       ●積み上げられた石の数/約3,010,000個
 それにしても、何故これほどの石垣を築いたのでしょうか。多雨による棚田の崩壊を防ぐため、手ごろな石を産出した、腕のいい石工集団がいた、などが考えられます。いずれにせよ、村人たちの気の遠くなるような作業の賜物ですね。ただその艱難辛苦を支えたのは、間違いなく末来の世代への配慮、子孫たちがこの村で未来永劫幸せに暮らせるようにとの思いだと考えます。未来への世代に棚田を残した人たちと、放射性廃棄物を残した人たち。その志の違いは、月とスッポン、釣鐘と提灯、雲と泥、鯨と鰯、雪と墨、マハトマ・ガンディーと安倍伍長です。

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-04-16 06:40 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵139

 賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。(オルテガ・イ・ガセット)

 われわれの隣人が訴えてゆける規則がないところに文化はない。(オルテガ・イ・ガセット)

 人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮である。(オルテガ・イ・ガセット)

 何かを学びましたな。それはいつも、はじめは何かを失ったような気がするものです。(バーナード・ショー)

 犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニバータ)

 人が驚かないときに驚き、人が驚かされるときに驚かされない。(内田樹)

 民主政治は最悪の政治形態である。これまで試みられてきた他のあらゆる政治形態を除けば。(ウィンストン・チャーチル)

 親族関係は静的な現象ではない。親族は自己を存続させるためにのみ存在する。(レヴィ=ストロース)

 問われているのは、戦時中に竹槍戦術が施行されているとき、「それはB29にはとどかない」と言えるかどうかである。(中島岳志)

 請われれば一差し舞える人物になれ。(梅棹忠夫)

 無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。(ロラン・バルト)

 豊葦原、瑞穂の国に生まれ来て、米が食へぬとは、うそのよな話。
 言魂の、幸はふ国に生まれ来て、ものが言へぬとは、うそのよな話。(安成二郎)

 よい結婚はあるけれども、愉しい結婚はない。(ラ・ロシュフコー)

 たまには休むのもひとつの仕事じゃない? (スナフキン)

 いい子は天国に行ける。でも悪女はどこへでも行ける。(メイ・ウェスト)
# by sabasaba13 | 2016-04-15 06:34 | 言葉の花綵 | Comments(0)

伊勢・美濃編(30):深野のだんだん田(14.9)

 JR参宮線で伊勢市駅へ、近鉄山田線に乗り換えて松阪駅に着いたのが午前八時ちょっと過ぎ。駅前で8:20発の飯高地域振興局方面行きバスに乗り、深野をめざします。途中でサイクリングを楽しむグループを見かけましたが、いいですね。人間は良いものもろくでもないものも発明しましたが、最良の発明品は自転車だと思います。おっ、土砂崩れ防止のためのコンクリート壁に、野猿がちょこんと座っていました。
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 四十分ほどで深野に到着、帰りのバスの発車時刻を確認するため停留所をさがしましたが付近に見当たりません。中心部らしき方向へ行きましたが、ありません。通行人もおらずお店もなし。やっと散歩をしているご老人に出会えて教えてもらったところ、逆方向でした。やれやれ、時間をくってしまった。10:38のバスに乗り遅れると次は11:48か、かなりのタイム・ロスですね。でも現在の時刻は午前九時ちょっと過ぎなのでたぶん間に合うでしょう。たぶん…近くに交通安全路上表示(正式には何と呼ぶのでしょう?)があったので撮影。
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 棚田へと誘う道標や、「深野棚田まつり」というどでかい看板があったので、道を迷わずにすみそうです。「深野散策絵図」という大雑把な地図も貼ってあったので写真におさめました。それでは棚田に向かって出発、ゆるやかな坂道をのぼっていきましょう。途中にこんな看板がありました。
 深野は山紫水明・人心豊かな土地柄なれども耕地に恵まれず、古くから木地・蚕・和紙等を生計の一助としてきましたが近代の文明開化・西欧食文化の変遷を先取りした先駆者の指導により邑を挙げて、和牛肥育と販路の拡大に誠意を尽くしてきました。今では、世界のブランド「松阪牛発祥の地」として、有名であります。
 村に歴史あり、ですね。
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 そういえば途中で材木屋を見かけましたが、木地師の末裔でしょうか。二匹のにも出会えました。にゃあにゃあ。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-04-14 06:32 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(29):二見浦(14.9)

 ぱっちりと目覚めてテレビの天気予報を見ると、なんと、今日から三日間は晴れる模様です。旅行直前の予報ではすべて曇り時々雨だったのに、天下無双の晴れ男、ここに見参。さて、本日の予定ですが、まずは二見浦を見物、そして松阪へ移動して、深野のだんだん田を拝見。ここまでは確定していましたが、そのあとの行程についてはいまだに逡巡しております。松阪か(本居宣長物件・松阪牛)、四日市か(末広橋梁・潮吹き防波堤・近鉄内部線・ご当地B級グルメ「とんてき」・コンビナートの夜景)、一身田か(環濠の残る寺内町)、津か(ご当地B級グルメ「津ぎょうざ」)、桑名か(六華苑・古い街並み)。ちなみに今夜の宿泊地は犬山です。…(沈思黙考)…よろしい、決めた。四日市は見どころが多いので後日、再訪することにしましょう。松阪牛と津ぎょうざを食べて、一身田を見学して犬山に向かうことにしました。
 タイトな行程なので、泣いて馬謖を斬る、タクシーを利用。フロントに頼んでタクシーを呼んでもらい、まずは二見浦へ。鳥居の先の海面に、注連縄で結ばれた大小二つの岩が顔を出していますが、あれが有名な夫婦岩ですね。解説板によると、沖合700mの海中に鎮まる興玉(おきたま)神石の皇居として見なされているそうです。
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 そしてJR二見浦駅まで送ってもらいました。男岩(おいわ)と女岩(めいわ)を模した駅舎の中にはいろいろな展示物があったので、後学のため列車が来るまで拝読しました。二見小学校の校歌は、一番が明治天皇の、二番が昭憲皇太后の"御製"だそうです。何かの役に…立つかどうかわかりませんが、転記しておきましょう。
五十鈴川 清き流れの すえくみて こころをあらへ あきつしまびと
さしのぼる 朝日のごとく さわやかに もたまほしきは こころなりけり
 もしかすると、ジャズのスタンダード・ナンバー「Softly, as in a Morning Sunrise」の日本語タイトルはここからとられたのかな。それはさておき、解説は「ありがたい校歌である」と断定していますが、ありがたいかどうかは私が決めます。それ以前に、音楽を愛する者として、音楽を何かのために、例えば集団の一体感を高めるために利用することは好きではありません。よって、国歌も校歌も社歌も御免蒙りたいですね。ましてや歌うことを強制するなんて言語道断です。もうひとつの展示には、「夫婦岩の二見といえば…修学旅行のメッカです。晩ご飯を終えた夜8時前、旅館街では小学生が賑やかに走り回って歓声が」とありました。へえそうだったんだ。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-04-13 06:33 | 近畿 | Comments(0)