ガブリエル・ガルシア・マルケスの手紙

 国連憲章を踏みにじり、第二次大戦後の国際法秩序を破壊し、「法の支配」を蔑ろにするアメリカとイスラエルの暴力を批判しつつ執筆しました。

 自国の利益と都合のために暴力を行使し、他国やその民衆を犠牲にするドナルド・トランプ米大統領。国際法を無視し、戦後の国際秩序を破壊するその行いには憤怒をたぎらせてしまいます。
 しかしこうした「力による支配」という悍ましい政策はトランプ大統領から始まったわけではありません。第二次世界大戦後、アメリカが広範に行ってきた外交政策です。そのことを歯に衣着せずに真っ向から批判したのがコロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア・マルケス氏(1928‐2014)です。アメリカのジョージ・ブッシュ大統領に対して、2003年2月6日に公開書簡を出しており、それを拙ブログで紹介しました。
 故マルケス氏に代わり、その手紙をトランプ大統領、およびその幇間である高市首相に贈ります。『しんぶん赤旗』(2003.2.16)からの引用です。

 どのように感じますか。戦慄が隣人の居間でなくて、あなたの庭を走っているのを見たとき、どう感じていますか。
 あなたの胸を締め付ける恐怖、耳をふさぎたくなるような騒音がもたらす大混乱、制御できない炎、倒壊する建物、肺の奥までしみとおる嫌なにおい、血と埃でおおわれて歩く無実の人々の目をどう感じますか。
 ある日あなたの家で何かわからないことが起きるかもしれないときどうしますか。
 どのようにショック状態から立ち上がりますか。そのショック状態の中で、1945年8月6日、広島の生存者たちは歩いたのです。
 アメリカ軍のエノラ・ゲイの砲撃手が爆弾を投下した後、その都市では立っているものは何もなくなりました。
 数秒にして8万人の男女、子どもたちが死にました。さらに25万人が放射能が原因でその後の数年間で死ぬことになりました。
 しかし、それはずっと遠いところの戦争で、その時はテレビもありませんでした。
 忌まわしい9月11日の事件が遠い土地で起きたのではなく、あなたの祖国で起きたことを、恐ろしいテレビの映像があなたに語るとき、今日、あなたは戦慄をどう感じるのでしょうか。
 もうひとつの9月11日、しかし28年前に、サルバドール・アジェンデという名前の大統領があなたの政府が計画したクーデターに抵抗して死にました。
 それもまた、恐怖の時でした。しかし、それは、あなたの国境から大変遠く離れた、南アメリカの無知の共和国もどきで起きたことでした。
 いくつかの共和国もどきが、あなたの裏庭にあり、あなたの海兵隊が血を流し、砲火を交え、自分たちの立場を他国に押し付けたとき、あなたは大して気にもかけませんでした。
 1824年から1994年の間に、ラテンアメリカ諸国を73回も侵略したことをあなたは知っていますか。犠牲者は、プエルトリコ、メキシコ、ニカラグア、パナマ、ハイチ、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、ドミニカ共和国、バージン諸島、エルサルバドル、グアテマラ、ぐほぼ1世紀前から、あなたの政府は戦争状態にあります。20世紀の初頭から、あなたの国防総省の人々が参加しなかった戦争は世界でほとんどありませんでした。
 もちろん、爆弾は常にあなたの国土の外で爆発しました。例外は、1941年日本の飛行機が第七艦隊を爆撃したパールハーバーの時でした。
 しかし、常に恐怖は、遠くにありました。
 ツインタワーが埃の中で倒壊したその朝、あなたはマンハッタンにいましたので、テレビの映像を見て、叫び声を聞きました。その時、あなたは、ベトナムの農民が長年にわたって感じたことを一寸たりとも考えましたか。マンハッタンでは、人々が、摩天楼から悲劇の操り人形のように落下しました。
 ベトナムでは、ナパーム弾が長い時間肉を焼き続けたので、人々は悲鳴をあげました。ちょうど空中に絶望的に身を投じて落下した人々と同じように、その死はすさまじいものでした。あなたの飛行機は、ユーゴスラビアでは工場や橋をひとつ残らず破壊しました。
 イラクでは50万人が死にました。
 50万の魂が、砂漠の嵐作戦で失われました…
 何人が、異国で、遠いところで、血を流したことでしょうか。ベトナム、イラク、イラン、アフガニスタン、リビア、アンゴラ、ソマリア、コンゴ、ニカラグア、ドミニカ共和国、カンボジア、ユーゴスラビア、スーダンで。それは、果てしないリストになります。
 それらのすべての場所で、使用されたミサイルは、あなたの国の工場で製造されたものであり、あなたの若者によって、あなたの国務省によって雇われた人々によって発射されたものです。これらは、あなたがアメリカ式生活様式を引き続き楽しむことができるようにするためだけでした。
 ほぼ1世紀前から、あなたの国は世界中で戦争状態にあります。
 奇妙なことに、あなたの政府は、自由と民主主義の名のもとに黙示録の騎士を投入します。
 しかし、世界の多くの国民にとって(この地球では、毎日2万4千人が飢えと治癒可能な病気で死んでいます)、アメリカ合衆国は自由を代表するものではないこと、そうではなくて、戦争、飢餓、恐怖、破壊をばらまいている遠くて恐ろしい敵であることを、あなたは知らなければなりません。あなたにとっては、戦争は、常に遠いものでしたが、しかし向こうに住んでいる人々にとっては、爆弾によって建物が破壊され、恐ろしい死をまのあたりにする戦争は、身近な痛ましい現実です。そして、犠牲者の90%は、住民、女性、老人、子どもでした(当然の結果ですが)。
 たとえほんの一日であっても、あなたの家の扉を恐怖が叩くとき、どのように感じますか。
 ニューヨークの犠牲者たちが、税金をきちんと納め、一匹のハエも殺せないような秘書や、証券市場のオペレーターや、清掃人であったならばどう考えますか。
 どのように恐怖を感じますか。
 アメリカ人よ、長い戦争が、最終的に9月11日にあなたの家に到着したとわかったならば、どう感じますか。
 ガブリエル・ガルシア・マルケス (新藤通弘氏訳)

 核兵器廃絶のためにも戦争や武力紛争をなくすためにも、まず止めるべきは、ロシアやイスラエルや北朝鮮や中国の暴走であり、それにも増してまずアメリカの暴走だと考えます。

 長い戦争を続けるアメリカ人よ、それを支持し支援する日本人よ、どう感じますか。

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 追記です。偶然ですが、『しんぶん赤旗』(26.2.28)に、ガブリエル・ガルシア・マルケスに関する記事が掲載されました。ぜひ紹介します。

Vive et mundo ! 世界に生きる コロンビア 文 工藤律子

 「子どもたちに、ガルシア・マルケスをその作品だけでなく、彼の生きざまを通して知ってほしいのです」
 そう話すのは、コロンビアのノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア・マルケスが高校時代を過ごした同国中部の町、シパキラの高校教師であるクリスティアン・サンチェス(38)だ。彼の提案で、町では2025年初めから、「ガボを探して」というプロジェクトが実施されている。「ガボ」は、ガルシア・マルケスの愛称。プロジェクトでは、クリスティンの案内で、地元の高校生が、カリブ海出身のガルシア・マルケスが降り立った駅に始まり、学んだ旧寄宿学校、影響を受けた音楽家の家など、ゆかりの地を巡る。
 このプロジェクトに参加し、筋金入りの「ガボ・ファン」になったマリアナ(17)は、興奮気味にこう語る。「ガボも私たちと同様、ひとりの若者だったことを思い、彼をより身近に感じました。作家と自分との関係を別の角度から見直すことで、彼の作品がどうやって生まれたのか、よりよく理解できるようになった気がします」。
 その言葉にうなずくダニエラ(17)も、「文学好きの私たちにとって、読んだことのある物語の作者自身の人生をたどることは、とても魅力的な営みです」と、言う。
 熱く陽気なカリブの空気をまとった青年ガボは、涼しく落ち着いたたたずまいの高原の町で、戸惑いながらも、各地から集まったユニークな仲間や教師に囲まれ、豊かな才能を育んだ。その作品は、「描写が細かく、感情移入しやすい」と、ダニエラ。中学2年の時に、初めて彼の小説を読んで「物書きになりたいと思った」マリアナは、こう告白する。
 「彼がもし同時代を生きていて、私に詩を贈ってくれたなら、きっと恋に落ちたわ」 (月1回掲載)

# by sabasaba13 | 2026-03-02 07:06 | 鶏肋 | Comments(0)

26 ビキニ・デー

 今日は三月一日、ビキニ・デーです。72年前の今日、アメリカが行った水爆実験が、第五福竜丸だけではなく多くの船舶や、マーシャル諸島の島民に甚大な被害を与えたことは周知の事実です。詳細については、拙ブログの記事をご参照ください。
 『しんぶん赤旗』(26.2.20)の社説を紹介します。

主張 3・1ビキニデー 非核平和の世論広げる契機に

 3月1日は、アメリカが南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験(1954年)から72年です。この核実験は、日本のマグロ漁船や周辺島民などに重大な被害をもたらしました。しかし日本政府は、約千隻の漁船が被ばくした事実を隠し被災者を放置してきたのです。被害の全容を明らかにし速やかに救済と補償を行うべきです。
 ビキニ被災は、ヒロシマ・ナガサキにつづいて、核兵器のむごたらしさ、放射能の恐ろしさを浮き彫りにし、国民的な原水爆禁止運動を生み出す契機になりました。
 米ロなど大国が「核抑止力」をふりかざし、核で威嚇する危機的な状況にある今日、「ビキニデー」を核兵器の非人道性をあらためて直視し、核兵器廃絶の世論を広げる機会としなければなりません。
 米国の原子科学雑誌『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』は1月27日、人類滅亡を午前零時にみたてた「終末時計」を昨年から4秒針をすすめ、「残り85秒」と史上最悪を更新しました。ウクライナ、ガザ、インド・パキスタンといった核保有国が関与する紛争と対立、核軍拡競争への懸念からです。「対策が遅れれば、破滅の可能性が高まる」と強い警告が表明されました。
 2月5日には、「抑止力」のため核戦力の優位を保とうとする米ロの間で唯一の核兵器に関する条約だった戦略兵器削減条約(新START)が失効しました。核威嚇をくりかえすロシア・プーチン政権と「力による平和」をごり押しする米・トランプ政権が、歯止めのない核軍拡に踏み出すことが懸念されます。
 核兵器が安全を守るという「核抑止力」論が、核軍縮の最大の障害であることが浮き彫りになっています。
 しかし、いま世界では「核抑止力」を否定し、核兵器の全面禁止と廃絶をめざす勢力がゆるがぬ多数派となっています。核兵器禁止条約に署名・批准した国は99カ国、国連加盟国の過半数に達します。ここに世界の本流があります。
 横暴勝手をくりかえす核大国といえども、この勢いを押しとどめることはできません。禁止条約に参加する国々は、国連憲章の順守を強く求めています。米国の暴走には同盟国からも「法の支配」を説く声が上がっています。
 禁止条約を生み出した非核国と被爆者を先頭とする市民社会の共同の力は、必ず核兵器のない平和な世界への展望を切り開くでしょう。
 4月には、米英仏ロ中の核五大国も参加する核不拡散条約再検討会議が開かれます。国際的な世論の発展が求められます。
 総選挙の結果、戦後かつてない「戦争国家づくり」の危険が生まれるもとで、3月1日のビキニデー集会(同実行委員会主催)は、反核平和運動の前進をきりひらく重要な集会となります。原水爆禁止日本協議会・全国集会も2月27、28日にひらかれます。
 日本共産党は高市強権政治を許さず、アメリカの「核の傘」から脱却し、禁止条約への日本の参加を実現するために尽力します。

 高市首相は核兵器に対する恐怖や忌避といった感覚をお持ちでないようです。「非核三原則」の見直しは持論のようですし、官邸官僚が「日本は核兵器を保有すべきだ」との考えを記者団に示しても更迭しませんでした。『週刊金曜日』(№1553 26.1.23)所収の半田滋氏のコラムによると、この官僚は首相補佐官で元航空自衛隊幹部の尾上定正氏で、米国に留学した理論派とされ、高市氏はコラムで「古くからの飲み友達」と伝えているとのことです。(p.50)
 高市首相を筆頭に、核兵器による抑止を本気で信奉されている方々の巣窟が自民党のようです。その核抑止力の正体は、究極のテロ兵器(核兵器)によって相手に恐怖を与え、場合によっては使用して無作為の殺戮を行うことであると分かっているのでしょうか。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が1984年に策定した「原爆被害者の基本要求」前文の一部にはこうあります。

 原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許しません。核兵器はもともと、「絶滅」だけを目的とした狂気の兵器です。人間として認めることのできない絶対悪の兵器なのです。

 あらためてノルウェー・ノーベル委員会のヨルゲン・ヴァトネ・フリードネス会長によるスピーチが脳裡に思い浮かびます。(ノーベル平和賞授与式 2024 年12月10日 オスロ)

 私たち人間は、過去の過ちを繰り返すことを運命づけられているわけではありません。なぜなら私たちは学ぶことができるからです。私たちは別の道を選ぶこともできるはずです。私たちは共通の人間性を信じるよう、子どもたちを育てることができます。ラッセルやアインシュタインに耳を傾け、私たちの人間性を思い起こすことができるはずです。
 核兵器のない世界への道のりは、まだ長いと言わねばなりません。前進と後退、進歩もあれば挫折もあることでしょう。しかし、だからといって、このビジョンが現実のものとならないわけではありません。核兵器が最後に戦場で使われてから100 年が経過した世界を想像してみましょう。きっとこれは私たち皆が共有できるはずのビジョンです。反核運動は無駄だという人々に耳を傾けることもできるでしょうが、被爆者たちの忍耐力と抵抗力に鼓舞される道を選ぶこともできるのです。
 世界の安全保障が核兵器に依存するような世界で、文明が存続できると信じるのは浅はかです。世界は、人類の壊滅を待つ牢獄ではないはずです。たとえどれほど長く困難な道のりであっても、私たちは日本被団協から学ぶべきでしょう。決して諦めてはなりません。
 だからこそ、被爆者たちの体験談に耳を傾けましょう。
 彼らの勇気が、私たちを鼓舞してくれるでしょう。
 彼らの忍耐強さが、私たちの原動力となるでしょう。
 私たち皆で、核のタブーを守り続けるために努力しようではありませんか。
 私たちの生存は、それにかかっているのですから。

 終末時計の針を少しでも押し戻すため私たちにできる第一歩は、核兵器に依存して安全を保障しようとする浅はかな政治家に退場していただくことです。手遅れにならぬうちに、一刻も早く。

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# by sabasaba13 | 2026-03-01 06:11 | 鶏肋 | Comments(0)

京都錦秋編(19):三室戸寺(20.11)

 そして三室戸寺に到着。山門をくぐって少し歩くと…長く急な石段がありました。案内所の方が「着いたと思ったら急な石段、きついですよ」と言われたのはこやつか。仕方ない、老骨に鞭打ち、転ばぬようゆっくりと慎重にのぼり切りました。ぜいぜい。
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 うーん、期待していたほどではありませんが、それなりにきれいな紅葉でした。なお三室戸寺はアジサイの名所だそうです。
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 なお公式サイトによると、『源氏物語』五十四帖の最後の十帖は、主に宇治を舞台にしており、「宇治十帖」として知られています。それにちなんで古来より「宇治十帖の古跡」が設けられ、多くの人々が「宇治十帖」を偲びながら、ゆかりの地として巡るようになりました。鐘楼脇に「浮舟古跡」と刻まれた古碑がありました。
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 他にも、いろいろな石碑や石造物があります。「山吹や宇治の焙炉(ほいろ)の匂ふとき」という松尾芭蕉の句碑。
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 三室戸寺に観音詣でをしていた富右衛門というお百姓が飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時に得た報奨金をもとに牛の仲買人として成功したという故事によりつくられた宝勝牛。この牛がくわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれるそうです。
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 胴体はとぐろを巻いた蛇、頭部は翁という不思議な石像は宇賀神。三室戸寺にはカニを助けた娘が蛇に嫁入りを迫られ、カニが蛇を退治した伝承があり、娘が蛇の供養のために奉納した宇賀神の木像(非公開)のレプリカです。蛇の尾には金運、翁のひげには健康長寿の御利益があるそうです。
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 狛犬ならぬ狛兎の石像もありました。仁徳天皇の弟・菟道(うじ)稚郎子が宇治に来た際、兎が道案内したとの伝承からつくられました。兎が抱く大きな玉の中に卵型の石があり、それが立てば願いが通じると云われています。
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 どういうわけか、貴乃花・若乃花の「運勝祈願の手形」の碑もありました。
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# by sabasaba13 | 2026-02-28 06:27 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(18):三室戸寺へ(20.11)

 11月30日の月曜日、朝目覚めてカーテンを開けると、お天道様が微笑んでおられます。テレビで気象情報を確認すると、今日の天気は良さそうです。ワールドニュースを見ると、車の排気ガスによりイギリスの少女が喘息で死亡というBBCのニュースが流れました。有害物質が少量でも危険とのことです。やはりパリの選択は正しかった。有害物質を含む排気ガス、二酸化炭素の排出、事故の危険、花粉症の原因など、ガソリン・エンジン自動車の弊害には多大なものがあります。一刻も早く、決別すべきだと思います。そのためにも自転車を利用しやすい環境を整備するべきですが、政府にはまったくやる気がないようです。自動車会社からの自民党への政治献金という鼻薬が効いているのかな。
 さて本日は宇治を徘徊する予定です。チェックアウトをしてJR琵琶湖線に乗り京都駅へ、コインロッカーに荷物を預け、近鉄京都線で丹波橋まで行き京阪電車に乗り換えます。すると「会話は控えめに」という車内アナウンスがありました。東京では聞いたことがありません。そういえば全体として車内での大声での会話はほとんどなく、高校生たちも囁くような会話をしています。山ノ神にスマート・フォンで調べてもらうと、新型コロナ・ウイルス感染者は京都で11/29は8人で累計2671人、東京で11/30は311人で累計40939人。なるほどかなり少ないようです。昨日、「蔵」の女将が言ったように「京都人は守りに入ると強い」のかな。
 そして京阪の宇治駅に到着、まず目指すは紅葉の隠れた名所という三室戸寺です。駅にあった観光案内所で訊ねると、バスは一時間に一本で行ったばかりとのこと。せんかたない、タクシーで三室戸寺へ行き、帰りは歩くことにしました。客待ちをしていたタクシーに乗り込んで走っていると、途中に「伊藤久右衛門」がありました。帰りに寄って、抹茶パフェを食べましょう。


# by sabasaba13 | 2026-02-27 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(17):「陶然亭」(20.11)

 それでは「陶然亭」に行って夕食をいただきましょう。京阪の祇園四条駅に向かって歩いていると「筝の内貴」というお店があり、シャッターの前に古くなった琴が無造作に置かれていました。京都だなあ、祇園だなあ。
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 その先には懐かしの手押しポンプがありましたが、現役で使われているのでしょうか。
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 祇園四条駅から京阪に乗って三条駅へ、地下鉄東西線に乗り換えて西大路御池駅で下車。地上に出て市バス203に乗って天満宮前で降りました。予約した時間までまだ余裕があるので、北野天満宮に寄って、御土居もみじ苑のライトアップを見ることにしました。去年はたくさんあった出店が、今回はありません。天満宮による新型コロナ・ウイルス対策でしょうが、露天商のみなさんの生業に思いを馳せてしまいます。紅葉はきれい…というか何というか、人工の光だとよくわかりません。やはり紅葉はお天道様のもとで愛でたいものです。
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 そして「陶然亭」へ、満面の笑顔で出迎えてくれた女将と久闊を叙しました。旦那も若旦那もお元気そうで何よりです。女将が言うには、今年は強風と雨で紅葉しないうちに落葉したとのことです。なるほど、道理であまりきれいではないわけだ。
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 そして次から次へと繰り出される美味しい料理に舌鼓を打ちました。味もさることながら、料理をひきたたせる器の選択にも刮目です。
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 ごちそうさまでした。お代を払って外へ出て歩いていると、山ノ神がお土産に買ったおジャコを忘れたようで、女将が走って届けてくれました。かたじけない。北野白梅町からバスに乗って西大路御池駅へ、地下鉄東西線に乗って山科駅で下車。地下一階に設置されているエレベーターに乗れば部屋の階まで直通です。ほんとにアクセスの良いホテルです。
 近くのコンビニエンス・ストアでビールとつまみを買い、部屋に戻ってシャワーを浴びてビールをくいっと飲み干して、昨日の残りの地酒をいただきました。いよいよ明日は最終日です。

# by sabasaba13 | 2026-02-26 06:42 | 京都 | Comments(0)