近江編(62):長浜(15.3)

 朝、目覚めてカーテンを開けると薄曇りですが、雨の心配はなさそうです。チェックアウトを済ませて自転車を借り受けて、まずは長浜の町を彷徨いましょう。
 後ほど訪れるつもりの慶雲館の前を通り過ぎて踏切を渡ると、「憲法を守り生かそう 9条は世界の宝」という看板がありました。現行憲法は、"怪物を縛る鎖"としてほぼ十全な内容を備えていると考えるので、基本的に賛成です。ただ手放しで第九条を礼賛することには躊躇を覚えますが。よろしければ以前に上梓した記事をご笑覧ください。
 その先は、昨晩写真を撮った、舟板塀と白壁が続く美しい通りです。おおっはるか前方に残雪を頂く霊峰伊吹山が見えました。
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 穴のあいた「馬つなぎ石」を撮影して明治ステーション通りを走ると、古いガス灯がかかっていました。
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 大きな蔵は、曳山を収蔵しているのですね。解説板を転記します。
長浜曳山祭り
 長浜曳山祭りは、秀吉公が男子の出生を祝って町民に贈った金子をもとに、長浜八幡宮の祭礼に曳山を造ったのが始まりです。
 祭りの華は子供歌舞伎。曳山の舞台で小さな男子が、浄瑠璃と三味線に合わせて見事な芸を披露します。
 当蔵に入っているのは月宮殿という曳山。亭は雲上の楼閣と称され、12基の曳山のうち最も美しく、町衆の美意識の高さを感じさせます。
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 その先にはコンクリート製の武骨な車寄せにマンサール屋根というけったいな洋館がありましたが、どういう由緒の建物なのでしょう。ご教示を乞う。
子供歌舞伎の像には、次のような解説がありました。
子供歌舞伎は祭りの華
 長浜曳山祭りは、山車のうえで6歳から12歳までの男の子が役者となって歌舞伎を演じます。歌舞伎の外題は毎年変わり、時代物から世話物までさまざま。子供たちは、20日あまりの厳しい練習を経て、曳山の晴舞台で名役者に変身します。
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 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-01-23 06:33 | 近畿 | Comments(0)

堀文子展

 新逗子駅から20分ほどバスに乗ると、神奈川県立近代美術館葉山館に着きました。私は以前に「ベン・シャーン展」を見に来たことがあるのですが、山ノ神ははじめてです。おっどこかで会ったことがある二人組がいます。そうだ、今はなきカマキン(神奈川県立近代美術館鎌倉館)にいたイサム・ノグチ作の「コケシ」です。よかった、こんな風光明媚な場所で余生を過ごせるんだね。御慶。受付で入場料を支払おうとすると、「三浦半島1DAYきっぷ」をもっているので100円割引となりました。こいつは冬から縁起がいいわいpart5。

c0051620_14312546.jpg それでは「堀文子展」を拝見しましょう。美術館の公式サイトから紹介文を転記します。
 未知のものを求め、自然と生命を描きつづける日本画家・堀文子の清新な世界を紹介する展覧会です。初期作品や絵本の原画をはじめ、メキシコ、イタリア、ネパールなど世界各地への旅や、四季と草花のうつろいを描いた代表作を展示し、その芸術と人間像に迫ります。
 寡聞にして知らなかった日本画家ですが、素晴らしい数々の絵に出会えて幸福でした。購入した図録によると、1918(大正7)年生まれ、よってこの展覧会開催時には99歳、白寿です。父親の反対を押し切って女子美術専門学校(現/女子美術大学)日本画部に入学。美術に自由を求めた彼女は、官展からは距離を置き、権威におもねらない姿勢を貫きました。

 どの絵からも、自然や動植物に対する愛情と畏敬が伝わってきます。澄んだ色調、自由な構成、そして的確な描写力に見惚れてしまいました。また海外に長く滞在したこともあり、異国の自然や人びと、異文化に対する飽くなき興味と敬意にも心打たれます。
 特に気に入った絵は三枚。まずは「トスカーナの花野」(1990)。起伏に富んだトスカーナの沃野、たちならぶ糸杉、そして百花繚乱に咲き乱れる花々、見ているだけで夢心地となりました。彼女の言です。
 二枚目は「霧氷」(1982)。彼女が住んでいた軽井沢の風景でしょうか、朝霧のなかに、霧氷を美しく纏った木々が描かれています。彼女の言です。
 厳冬の二月。この木の梢は、精緻なガラス細工に変るのだ。夜の中(うち)に、レースをかけたように細い枝が氷に包まれ、朝日を浴びて輝く霧氷の森となる。その神々しさは此の世のものではない。陽が昇るにつれ、枝のガラスはキラキラと身を躍らせ散り落ちる。歩く度に氷の梢が虹色に変り、ふりしきるガラスの糸に見とれて、私は気もそぞろに歩き廻る。
 三枚目は「アフガンの王女」(2003)です。図録の解説によると、ユニセフ親善大使をつとめる黒柳徹子から送られた絵葉書をもとに描いた絵です。山ノ神曰く、「徹子の部屋」にこの絵が飾られているとのこと。そういえばそこはかとなく彼女に似ています。青を基調とした美しい.っ民族衣装を着て、こちらを見つめる凛とした女性。心に残る一枚です。注目したいのは、この絵が2003年に描かれたということです。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を受け、アメリカ合州国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)がアフガニスタン戦争を始めたのが2001年10月。その二年後に描かれたのですね。無辜の人びとを苦しめる戦争、その戦争を引き起こした国々の指導者、それを支持した国民に対する、無言の厳しい抗議を感じます。

 海が見えるレストランに入って珈琲を飲みながら一休み。ベランダに出ると、空を真っ赤に染め上げる美しい夕映え、そして海の向こうには夕雲を纏った富士のシルエットがよく見えました。

 松輪サバ、海、猫、富士山、堀文子、三浦半島1DAYきっぷ、いろいろな良きものに出会えた良き一日でした。

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-01-22 14:33 | 美術 | Comments(0)

城ヶ島

 それでは城ヶ島へと参りましょう。食堂の近くに、おこぼれにあずかれなかったのでしょうか、ぶーたれた顔のが二匹いました。まあそういらつくな、ブラザー、写真を撮ってあげるから。三崎東岡行きのバスに乗ってしばらくすると、三浦大根畑越しにみごとな富士が見えました。三浦半島南端あたりでも見事に見えるのですね、畏るべし富嶽。城ヶ島へのアクセスを運転手さんに訊くと、「城ヶ島大橋」でおりて乗り換えればいいとのことです。バス停「城ヶ島大橋」で下車しましたが、バスの本数は多くはなさそうなので歩いていくことにしました。何気なく後ろを振り返ると…城ヶ島行きのバスが来るではありませんか。こいつは冬から縁起がいいわいpart4。手を挙げてバスを停めて乗り込みました。終着の停留所でおりましたが、けっこう距離があったのでバスに乗れて幸運でした。
 小高いところにある城ヶ島灯台に行こうとすると、階段のところで猫が腕枕をして寝ています。灯台を撮影して海の方へおりると、そこは波が砕ける岩場、そして海のかなたに雪を戴く富士山がくっきりと見える素晴らしいロケーションでした。しばし岩に腰を下ろして、富嶽をぼんやりと眺めました。
 さてそれでは葉山に行きましょう。お土産屋のショーウィンドウの中でうたた寝をする猫を撮影。そしてバスに乗って三崎口駅へと向かいます。三崎のあたりはたいへんな賑わいでしたが、まぐろ祭がひらかれているようです。花より団子、マグロよりサバ。三崎口駅から京急に乗って金沢八景で乗り換えて新逗子駅に着きました。申し遅れましたが、「三浦半島1DAYきっぷ」を1410円で購入していたので、京急電鉄・京急バスは乗り放題。たいへんお得でした。

 本日の六枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-01-20 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

松輪サバ

 が大好きです。"Vissi d'arte, Vissi d'saba"(でいいのかな)が座右の銘。これまで、東奔西走、美味しい鯖を求めて幾山河を旅してきました。思い出の鯖たちよ、関サバ、首折れサバ、岬サバ、前沖サバ、金華サバ… ところが灯台下暗し、三浦半島で松輪サバという美味しい鯖が食べられるという情報を手に入れました。「全国のプライドフィッシュ」から引用します。
 昔からサバの好漁場として知られる松輪周辺の海。沿岸部である東京湾口で漁が始まるのは5月ごろから。夏に向けてだんだん湾奥へ移動していくサバの群れを追い、晩秋には千葉の袖ヶ浦沖にまで漁に出ます。波が穏やかでエサが豊富という恵まれた環境で育つ東京湾のサバ。秋には皮が脂で黄色に輝き、「黄金サバ」と呼ばれています。
 一本釣りされ、人の手に触れることなく出荷直前まで生かされている松輪サバ。鮮度が保たれているため、生食でもおいしくいただけます。しっかり肉付いた体には脂がたっぷり。特に秋のものは格別で、築地市場でも高い評価を得ています。
 魚へんに青と書くサバは、その字の通り青魚の代表格。人間の体に必要とされる良質なアミノ酸、血栓を予防するEPAや脳の働きを活性化するDHA、さらに骨や歯を丈夫にするカルシウム、また美容や健康に欠かせないビタミン類も豊富に含まれています。
 いろいろと調べてみると、12月でも食べられそうです。よろしい松輪サバを食べに行きましょう。近くに未踏の地、城ヶ島があるので立ち寄りますか。山ノ神にこのプランを話すと、葉山にある「神奈川県立近代美術館葉山館」で開かれている「堀文子展」を見たいとのご託宣がおりました。葉山か、逗子からバスで行くので旅程に組み込めますね。
 というわけで、12月の好天の吉日、松輪サバ・城ヶ島・堀文子(ロートレアモンの詩のようですね)をめぐる旅に行ってきました。

 石橋を叩いたら毀れた、念のために前日に食堂「松輪」に電話をしてみると、松輪サバの炙りは食べられるとのことでした。よろしい、予定通り決行です。午前11時に予約しました。
 『新聞記者』(望月衣塑子 角川新書)をバッグにほうりこみ、午前11時ぴったりに「松輪」に着けるよう、家を午前8時に出て東京メトロ副都心線に乗って横浜駅へ。京急の窓口で「三浦半島1DAYきっぷ」を購入しましたが、これは大正解でした。京急に乗って三浦海岸駅に着いたのが10:08、ここから剱崎行きのバスに乗りました。終点の「剱崎」でおりて、次のバス停「松輪海岸」まで一区間歩きます。ここから三分ほど歩くと松輪漁港直営の「エナ・ヴィレッヂ」二階にある食堂「松輪」に着きました。海や漁港が一望できる気持の良い食堂でした。おおっ富士山の天辺が山越しに見えるではありませんか。こいつは冬から縁起がいいわい。
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 店の方曰く、今年は不漁で、11月は二回しか松輪サバを出せなかったそうです。こいつは冬から縁起がいいわいpart2。松輪サバの炙り定食を二つ注文すると、しめ鯖も食べられるとのことでした。こいつは冬から縁起がいいわいpart3。さっそくそれも注文しました。麗らかな陽を浴びて、"われてくだけてさけて散る"波や漁港や富士山を眺めていると、松輪サバのご来臨です。おおっ待ちかねたぞ、近う寄れ。ぱく。うまい。豊かな旨味にほどよくのった脂、はるばる来た甲斐があったというものです。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-01-19 06:35 | 鶏肋 | Comments(0)

『否定と肯定』

c0051620_6341437.jpg 竹橋の国立近代美術館で「熊谷守一展」を見て、竹橋駅から地下鉄東西線に乗って飯田橋駅へ、地下鉄有楽町線に乗り換えて有楽町駅に着きました。そして「TOHOシネマズシャンテ」で、映画『否定と肯定』を見ました。監督はミック・ジャクソン、公式サイトから、あらすじを転記します。
 1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする"ホロコースト否定論"の主張を看過できず、真っ向から否定していた。
 アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは"ホロコースト否定論"を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。
 そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…
 裁判を描いた映画には、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』、ビリー・ワイルダー監督の『情婦』、周防正行監督の『それでもボクはやってない』といった傑作がありますが、それらに勝るとも劣らない映画でした。
 まずは裁判ドラマとしての面白さを堪能しました。直情径行・猪突猛進型の主人公と、冷静沈着・理路整然型の英国弁護士たちの、丁々発止としたやりとりが面白い。自ら法廷に立ったり、強制収容所生存者に証言をしてもらったりして真っ向勝負を挑もうとする主人公を、弁護団は窘めます。一緒に土俵に立って相手のペースに乗せられてはいけない、その主張の荒唐無稽さを実証的に論駁するべきだとして、綿密な戦略を練る弁護団。はじめはぎくしゃくしていた両者の歯車が、やがて噛み合い、一致団結して歴史修正主義者に立ち向かっていく様子には軽い興奮を覚えました。またアーヴィングの日記を提供させて精査し、実際にアウシュビッツまで行って調査するなど、確実な証拠を集めようとする弁護団の努力もよく描かれていました。イギリスには裁判の準備と戦略を練る事務弁護士と、法廷で弁論に立つ法廷弁護士という役割分担があるそうですが、後者のリチャード・ランプトンを演じたトム・ウィルキンソンが実にいい味を出していました。ワインを紙コップで飲むなど、飄々とした好々爺然としているのですが、法廷での舌鋒鋭い弁論には見惚れてしまいました。また犠牲者のために闘う決意を秘めるためでしょうか、アウシュビッツで鉄条網の破片をポケットにしのばせるところも実に良いシーンでした。
 もう一つの重要なモチーフが、歴史修正主義者への批判です。さまざまな手練手管を用いて真実をねじ曲げる歴史家デイヴィッド・アーヴィングの下劣さを、ティモシー・スポールが見事に演じていました。(山ノ神が「ハリー・ポッター」に出てた、と呟く) そしてこの映画のほんとうの主人公は、"Post Truth"、客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況なのかもしれません。裁判所に向かうリップシュタットに罵声を浴びせ、アーヴィングを歓呼の声で迎える群衆の姿に慄然としました。「私たちはこう戦った。あなたはどう戦う?」というリップシュタットと弁護団の静かな声が耳朶に響きます。

 従軍慰安婦、南京大虐殺、沖縄戦などに関する歴史修正主義者が跋扈する現今の日本。また陰に陽にそうした動きを鼓舞する首相と政党が支持される日本。さあ、どうすればいいのか、この映画がひとつのヒントになると思います。

 たまたま持参していた『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(ティモシー・スナイダー 慶應義塾大学出版会)に次の一節がありました。
 真実である事実を放棄するのは自由を放棄することです。仮に何一つ真実たりうるものがなかったら、誰一人権力を批判できないことになってしまいます。批判しようにも根拠がなくなるからです。仮に何一つ真実たりうるものがなかったなら、すべては見せ物になってしまいます。誰よりもふんだんに金を使った者が、誰よりもよく人々の目を眩ますことができるのですから。(p.60)
 『週刊金曜日』(№1166 17.12.22/18.1.5)の中で、放送作家の町山広美氏が、この映画を見てこうコメントをされていました。
 歴史修正主義者の体質をよく描いています。映画を観てわかるのは、歴史修正主義者って、そうではないと私たちが思うほど、深く考えてはいない。充分な知識がなくても発現する。あの人たちはそれを勇気だとか、自分のパワーだとかと思っているんです。チキンレースだか度胸試しを勝手に始めて、勝手に勝ったつもりでいる。だから自信満々。(p.28)
 そして購入した映画パンフレットにおさめられていた木村草太氏(憲法学者)による「ディナイアル」というエッセイもたいへん参考になりました。長文ですが、後半部分を引用します。
 映画にある通り、彼らは「証拠」を無視するわけではない。文書の中から自分に有利な部分だけを取り出したり、外国語を翻訳したりして、自説の「証拠」だとする。オーソドックスな研究者にまとわりつき、無視されると「あいつは自分に対して有効に反論できなかった」と吹聴する。アウシュビッツの生存者に対しては、「ガス室のドアがあったのは左か右か」といった些事を質問し、言い間違いや記憶違いを引き出して侮辱する。
 彼らの口撃は、熱心でしつこい。そのエネルギーをボランティア活動に注ぎ込めば、社会はだいぶ豊かになるだろうに。なぜ彼らは、非生産的な活動にそこまでエネルギーを費やすのか。
 否認の背景には差別感情がある。ユダヤ人や中国人に対して差別感情を持つ人々は、ホロコーストや南京大虐殺の否認を喝采するだろう。差別主義者という歪んだコミュニティーではあっても、その中で上り詰めれば、それなりの「名誉」を獲得する。出版や講演を通じて、経済的にも得をする。政治家にとっては票にも結び付く。これだけの見返りがあれば、彼らが熱心になるのも当然だ。
 しかし、否認は、人権の理念、学問的誠実さ、一般社会での道徳など、ありとあらゆる人間的な徳目に反する。それを防ぐには、どうしたらよいのか。
 この映画は、メディアによる「両論併記」に大きな問題があることを示唆している。確かに、誠実に学問的検討をして議論が分かれる場合には、双方の主張を吟味することが不可欠だ。しかし、ホロコーストの否認と歴史学の一般的見解とを併記すれば、前者が後者と並び立つ重要な見解であるような錯覚を与えるだろう。弁護団は、リップシュタットとアーヴィングを、同じ土俵に立たせなかった。これこそが正しい対応なのだ。
 2015年夏、集団的自衛権行使容認の合憲性をめぐり、日本の憲法学者の見解は、違憲9対合憲1程度に分かれたと言われる。しかし、1対1の割合で「両論併記」するメディアも多かった。議論の質や比率を無視した「両論併記」は、公正でも中立でも誠実でもない。
 私は当時、集団的自衛権の行使は合憲だとする論拠をネッシーに例え、「ネッシーを探すよりも、『ネッシーはいる』と主張する有名人を探す方が簡単だ」と解説した。ネッシーがいる証拠を示せなくても、ネッシー学者の主張を毎日聞いていれば、大衆はネッシーの存在に親近感を覚えるようになるだろう。メディアには専門家を称する人々の主張内容を検証し、取捨選択するリテラシーが求められている。
 映画の結末において、リップシュタットは裁判に勝った。しかし、予想した通り、アーヴィングは裁判の正当性をも否認し、メディアで荒唐無稽なネッシー学説をまくしたてる。
 ネッシー学説を喝采する聴衆がいる限り、販売部数や視聴率あるいは広告収入を追い求めるメディアは、ネッシー学説を言論空間から追い出さないだろう。こうした現象を止められるのは、一般の人々だけだ。一般の人々の知的誠実さが、ネッシー学説に敢然とNOを突き付けられるか。社会の未来は、一般の人々にかかっている。(p.7)
 充実した一日が終わりました。さあそれでは帰りましょう。地下鉄有楽町駅に下りようとすると、眼前に北海道のアンテナ・ショップがあったので入店。今年の北海道旅行で購入していたく美味しかった町村農場特製バターを売っていたのには感激。さっそく購入、明日は美味しいバター・トーストが食べられます。
 地下鉄への階段のところにいたホームレスの方から、心優しい山ノ神が『ビッグイシュー』を購入。地下鉄の中で読ませてもらうと、今年刊行されたお薦め本が紹介されており、ウィリアム・メレル・ヴォーリズを描いた小説『屋根をかける人』(門井慶喜 角川書店)と『ジャック・プレヴェール詩集』(小笠原豊樹 岩波文庫)が目にとまりました。これは買いですね、家に着いたらすぐにインターネットで注文しましょう。
 そして池袋駅で途中下車して、東武デパート内にある「鼎泰豐」に入り、小籠包に舌鼓を打ちました。

 というわけで、良い絵、良い映画、良い本、美味しい食事に恵まれた、村上春樹氏曰く"小確幸(小さいけれど確固たる幸せ)"に満ちた一日でした。
# by sabasaba13 | 2018-01-18 06:34 | 映画 | Comments(0)

国立近代美術館

 時刻は12:00すこし前、予約しておいた美術館内のレストラン「ラー・エ・ミクニ(L'ART ET MIKUNI)」に参りましょう。中に入るとほぼ満席、つぎつぎとやって来る飛び込み客が入店を断られていました。予約をしておいてよかった。メニューは、パスタ・ランチ(2160円)、メニュー・ディ・ピッコロ(3500円)、メニュー・ディ・グランデ(5500円)、自称中産階級底辺層のわれわれとしては、メニュー・ディ・ピッコロが許容範囲ぎりぎりです。まあこういう高級レストランが美術館にあってもいいのですが、もうひとつ手軽に珈琲や軽食をいただけるカジュアルなカフェがあるべきではないかな。関係者各位の善処を期待します。

 まずは前菜、季節の根菜と苺のインサラータミスタ、リコッタチーズと一緒に。まるでカンディンスキーの絵のような美しい一皿、まず眼を喜ばせてくれます。さまざまな野菜の味が楽しめ、苺の濃密なドレッシングがきいています。
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 プリモ・ピアットは、北海道愛別町産王様エリンギ、ジャンボ舞茸、白アマトリチャーナの"フェデリーニ"。一番おいしかった一皿。二種のキノコの味、パスタの絶妙の茹で加減もさることながら、トマトを使っていないソース(白アマトリチャーナ)の複雑玄妙な味が素晴らしい。ただ惜しむらくは…量が少ない。せめてこの1.8倍は食べたいところです。
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 セコンド・ピアットは、真鯛のソテー、トピナンブールのクレマとクレソンのサルサ、ヴェルデと共に。真鯛はソースをかけずに、素材の味で真っ向勝負。皮のさくさくとした焼き加減が、舌を楽しませてくれました。
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 ドルチェは、イタリア産栗の焼きパンナコッタ、洋梨のジェラート添え。そしてコーヒーと小菓子でフィニート。
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 というわけで美味しうございました。窓のすぐ近くに桜並木があるので、春にまた来たいですね。
 ミュージアム・ショップで図録とクリア・ファイルとマグネットを購入。さて映画『否定と肯定』の上映開始まで一時間強あります。上映館は有楽町にあるので、移動にはそれほど時間はかからないでしょう。常設展を拝見して、時間に余裕があるようだったら、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用した工芸館に寄ることにしました。まずは常設展「MOMATコレクション」を拝見いたしましょう。入口のところに展示作品案内のモニターがありましたが、安井仲治が撮影した「流氓ユダヤ 窓」という写真が展示されているようです。戦前に関西で活躍したアマチュア写真家で、十数年前に渋谷の松濤美術館で出会って以来ファンとなっています。
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 拙ブログのロゴ画像で使わせていただいておりますが、このユダヤ人たちは、杉原千畝在リトアニア領事の発行した通過ビザにより亡命し、神戸に一時滞在していた方々です。安井は丹平写真倶楽部の仲間である手塚粲(手塚治虫の父)らとともに彼らを撮影し、共同で「流氓ユダヤ」シリーズとして発表したそうです。なお、当時少年であった手塚治虫もこの時同行していたそうな。この作品との再会も楽しみです。

 エレベーターで4階にあがり、安井曽太郎の「金蓉」や高村光太郎の「手」といった日本近代美術の名品を堪能。オスカー・ココシュカ作「アルマ・マーラーの肖像」との再会も果たせました。谷中安規の版画作品も数点展示してあったのも僥倖でした。摩訶不思議でシュールな世界にしばし耽溺。
 小野忠重という版画家は不学にして存じ上げなかったのですが、ストライキやピケを描いた力強い作品が心に残りました。プロレタリア版画というジャンルがあるのでしょうか。記憶に留めておきたいアーティストです。なお、いま調べてみたところ、世田谷区阿佐ヶ谷に「小野忠重版画館」があるそうです。ぜひ訪れてみましょう。
 さて、期待していた安井仲治の写真ですが、展示されていませんでした。見落としたかな、それはないと思いますが。美術館のサイトによると、「難民」をテーマとした特集を行なうそうなので、そこで展示されるのかもしれません。それはさておき、この世界的なアポリアである問題を、美術とからめて考えてもらおうとする美術館学芸員諸氏の姿勢に見識を感じ、敬意を表します。
 おっとそろそろ映画館に行かねば、無念ですが工芸館は省かざるを得ません。2階から外へ出ようとすると、ガラスにイサム・ノグチの「門」というプレートが貼ってありました。どこだどこだ…もしや美術館前にある巨大な黒と赤の巨大な柱、あれがそうか。近くにいた学芸員の方に訊ねたところ間違いありません。これまでこちらは何回も訪れているのに、気づきませんでした。己の眼が節穴であることを恥じ、外へ出て撮影。そして前川國男設計の建物をあらためて写真におさめ、有楽町へと向かいました。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-01-17 06:36 | 美術 | Comments(0)

熊谷守一展

c0051620_6333469.jpg とある休日、山ノ神と二人で、竹橋にある国立近代美術館で「熊谷守一展」を、有楽町にあるTOHOシネマズシャンテで映画『否定と肯定』を見てきました。リュックサックに読みかけの『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(ティモシー・スナイダー 慶應義塾大学出版会)をほうりこみ、車中で読みながらまずは地下鉄東西線で竹橋へ。前川國男設計による美術館のシャープな外観を撮影して、それでは展覧会を鑑賞いたしましょう。おっとその前に、美術館内にあるレストラン「ラー・エ・ミクニ」の予約をしておかなければ。泣いて馬謖を斬る…じゃない、石橋を叩いて渡りましょう。美術館のサイトによると、美術館60周年を記して三國清三氏がプロデュースした、「芸術と料理」をテーマにフレンチとイタリアンを融合させたレストランだそうです。なるほど、「L'ART ET MIKUNI」、芸術と食事ということですね。受付で教えてもらった電話番号で連絡をとると、12:00に席をおさえることができました。

 実は私も山ノ神も、以前から守一さんのファンで、豊島区にある熊谷守一美術館を訪ねたり、彼の作品「眠り猫」を壁紙に使ったりしています。今回はかなり大規模な展覧会のようなので楽しみです。
 まずは近代美術館のサイトから、紹介文を引用します。
 熊谷守一(くまがい・もりかず 1880‐1977)は、明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られます。特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています。
 その作品は一見ユーモラスで、何の苦もなく描かれたように思えます。しかし、70年以上に及ぶ制作活動をたどると、暗闇でのものの見え方を探ったり、同じ図柄を何度も使うための手順を編み出したりと、実にさまざまな探究を行っていたことがわかります。描かれた花や鳥が生き生きと見えるのも、色やかたちの高度な工夫があってのことです。穏やかな作品の背後には、科学者にも似た観察眼と、考え抜かれた制作手法とが隠されているのです。
 東京で久々となるこの回顧展では、200点以上の作品に加え、スケッチや日記などもご紹介し、画家の創造の秘密に迫ります。
 明治から昭和におよぶ97年の長い人生には、貧困や家族の死などさまざまなことがありました。しかし熊谷はひたすらに描き、95歳にしてなお「いつまでも生きていたい」と語りました。その驚くべき作品世界に、この冬、どうぞ触れてみて下さい。
 はい、触れてみましょう。展覧会は三部構成となっています。

【闇の守一:1900-10年代】 岐阜県恵那郡付知(つけち)村に生まれた守一は、1897(明治30)年に上京して、東京美術学校西洋画科撰科に入学し、黒田清輝、藤島武二らの指導を受けまず。この時期に描かれた絵は、後年の作風からは想像できないほど暗いものです。ロウソクのほのかな光に照らされて闇の中にかすかに浮かぶ自分を描いた「蝋燭」(1909)。線路に飛び込んで自殺した女性を描いた「轢死」(1908)にいたっては、絵の具の劣化もありますが、すべては闇の中に溶暗して何が描かれているのか判然としません。轢死体をテーマにすること自体も異様ですね。

【守一を探す守一:1920-50年代】 故郷に戻って木材運搬の仕事をしたあと、1915(大正4)年にふたたび上京し、画業に専念します。この時期の作品は、闇の世界から脱け出して、フォーヴィズムを思わせる荒々しいタッチで風景や裸婦を描いています。そしてユーモアをたたえた明晰なかたちと色という、独自の作風がじょじょに立ち現れていくのがわかります。もっとも心を打たれたのが「たまご」(1950)という絵です。茶一色を背景に、丸盆の上端の並ぶ四つの卵。彼には五人の子どもがいましたが、二人は早逝、このころ長女がなくなったので、互いを抱きしめるように生きる熊谷一家を表現したのでしょうか。色・構図・かたちがおりなす、ユーモアと緊張感にみちた小世界がみごとに表現されています。三枚の伸し餅と柄のとれた菜切り訪朝をシンプルに描いた「のしもち」(1949)もいいですね。解説によると、三個の餅を塗る際の筆の方向がすべて違うそうです。よく見ると、なるほどその通り。奥行きや立体感を表現するために、こうした細かい技も駆使しているのですね。このコーナーでは水墨画と書も展示されていましたが、「かみさま」「ほとけさま」「からす」「すゞめ」など、力が抜けた闊達なひらがなは魅力的でした。「蒼蠅」という書もすごい。普通、こんな言葉は選ばないと思いますが、さすがは守一さん。まるで蠅のように元気に飛び回るような字体が印象的です。生き2017(箱根・テニス部・富士宮・焼津・牧野記念庭園・小石川後楽園・京都・目黒川の桜・善福寺川緑地の桜・相模湖プレジャーフォレスト・長野の桜・三鷹・校内大会・長野・合唱コンクール・共謀罪反対集会・鎌倉の紫陽花・山城博治講演会・大平台の紫陽花・祇園祭・吉田博展・五山送り火・美瑛・記念祭・聖心女学院/豊多摩刑務所・体育祭・烏山神社・沖縄実踏・国会包囲大行動・富士山大周遊・渡良瀬渓谷・京都錦秋・歴博・旧朝倉家住宅・熊谷守一展・松輪サバ)とし生けるものへの、彼の愛情と興味がひしひしと伝わってきます。また貧窮のうちに餓死した長谷川利行が描いた、力強い「熊谷守一像」(制作年不詳)も展示されていました。二人は交流があったのですね、そういえば上野不忍池にある「利行碑」の揮毫も守一さんでした。
 このコーナーでは、彼が記した雑記帳も展示されていましたが、その内容が興味深い。カメラのレンズの焦点距離や現像液の成分、混色・補色など色彩の理論、音の振動数の計算など、科学者としての一面も有していたのですね。

【守一になった守一:1950-70年代】 明晰とユーモアにあふれたモリカズ・ワールドが全面開花した時期、もう言うことはありません。数多の名作を前に、眼を楽しませていただきました。「美の巨人たち」によると、52歳から亡くなるまでの45年、豊島区千早にある自宅(現熊谷守一美術館)からほとんど外出をしなかったそうです。そして庭の小動物や草花と向き合いながら、絵を描きつづけたのですね。猫、虻、蟻、蛙、地蜘蛛、亀、稚魚、蜻蛉、蝶、蜂、ハルシャ菊、かたばみ、いぬのふぐり、山茶花、げんげ、松虫草、向日葵、椿、彼岸花、水仙、雨垂れ、雪、池の水、霧、土塊、太陽、そして月。
 身近でありふれた生命と自然への敬愛、それと共にあることの喜びが、シンプルなかたちと色をもって伝わってきます。私が一番好きなのは「眠り猫」(1959)ですが、単純な円だけで描かれた「雨滴」(1961)も素敵です。ここまでくると、具象でも抽象でもなく、ただ"生きるよろこび"が画面に踊っているよう。出典は失念したのですが、彼が言ったとされる言葉です。
 絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです。石ころ一つそばにあれば、それをいじって何日でも過せます。(熊谷守一)
 絵を見る喜びに包まれた至上のひと時でした。

 余談ですが、沖田修一監督・山崎努主演で、熊谷守一を描いた映画『モリのいる場所』が近々公開されるそうです。これは愉しみ、ぜひ見に行きましょう。
# by sabasaba13 | 2018-01-16 06:34 | 美術 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 63

 もうひとつ。格差社会による不安とストレス、そこから逃避するための集団への埋没と弱者への差別・迫害は日本だけの減少ではないということです。世界史から学ぶことも重要ですね。いくつか例を挙げましょう。
人生と運命』(ワシーリー・グロスマン みすず書房)
 反ユダヤ主義は、自らの不幸と苦悩の原因を究明する力のない国民大衆の意識の低さの表れである。無知な人々は、自らの大きな不幸の原因が国家機構や社会制度にではなくユダヤ人にあると見る。(第2巻p.262)

『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言-』(マークレーン著 鈴木主税訳 鶴見良行解説 合同出版)
 [ジェームズ・D・ヘンリーの証言] だれについても口実はまったく存在しない。人種主義がその大部分を占めている。つまり、そのほとんどは、人種主義のせいだと思うんだ。純粋かつ単純な人種主義だ。ベトナム人は敵ではないからして、グックなのだ。彼らは白人ではなく、ただのグックなのだ。だれでも彼らよりは偉く、二等兵さえもそれより階級が上なのだ。彼らはちっぽけで、遅れていると考えられているが、それでも彼らは私にはできない多くのことをやってのける能力を持っている。とにかく、その理由のおおかたは人種主義なのだ。(p.178)

『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫 早川書房)
 [アフガニスタンで戦った後に無許可離隊した20歳の兵士の証言] 誓ってもいいが、俺はやつらがぜんぜん人間とは思えなかった。俺のような若くて熱烈な「ディック」-dedicated infantry combat killer(ひたむきな歩兵実戦殺人者)の略だよ-を仕立て上げる最善の方法は単純で、それは人種差別的な洗脳の効果だ。ロスかブルックリン、でなければテネシーの田舎町からでも、頭の空っぽなやつを連れてくる。今どき、そういうやつはアメリカには掃いて捨てるほどいるから。俺は、例の落ちこぼれゼロ運動の産物の一人だったのさ。ともかく、そういう間抜けを連れてきて、縮み上がらせ、心をずたずたにし、いっしょに苦しんでいるやつらと仲間意識や同志愛を育てさせ、人種差別のナンセンスで頭をあふれ返らせる。アラブ人やイラク人やアフガニスタン人はみんなハジ(イスラム教徒)だ、ハジはおまえたちを憎んでいる、ハジはおまえたちの家族を傷つけたがっている、ハジのガキどもは暇さえあれば物乞いをしているから最悪だ…という具合に。やたらに有害で馬鹿げた、ただのプロパガンダだが、俺たちの世代の兵士を育てるのにどれほど効果的だったか知ったら驚くだろう。(第3巻p.418~9)
 そして今、トランプ政権の誕生やヨーロッパにおける極右勢力の伸長が物語っているように、格差社会による不安とストレス、そこから逃避するための集団への埋没と弱者への差別・迫害が、世界的な現象になっています。テロリズムと難民の増加も、国際的な格差の広がりと絶望的な貧困という視点から理解できると思います。『丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2』(高橋源一郎 朝日新書594)の中に次の一文がありました。
 パリ同時多発テロが起こった後、ツィッターに、次のことばを大きく刻みつけた人がいるのを見つけた。…
 「Don't pray, think」 (祈る前に、考えて)
 凄惨なテロの後、おびただしいことばが、まずネットの上に現れた。怒り、哀しみ、当惑、混乱、懐疑。死者たちを悼む声、「イスラム国」への憤りの声、自分たちの無力さを嘆く声、あるいは、こんな世界にしてしまった真の原因を探ろうという小さな声。(p.57)
 こんな世界に、こんな日本にしてしまった真の原因を考えようと呼びかける小さな声、その声にハーモニーの不協和音として唱和しましょう。pray, and think.

 それでは最後に、ふたたび映画『ハンナ・アーレント』から引用して、キーボードを叩くのを終えようと思います。長い期間でしたが、ご通読していただきありがとうございました。
 ソクラテスやプラトン以来、私たちは"思考"をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。"思考の風"がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。

# by sabasaba13 | 2018-01-15 07:45 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

人はここまで卑劣になれるのか

 と思わず嘆息してしまいました。ちなみに「卑劣」とは、今話題の広辞苑(ただし第二版)の定義によると「品性・行為などのいやしく下劣なこと」です。

 さてその嘆息の理由ですが、『週刊金曜日』今週号(№1167 18.1.12)に掲載された三つの記事にあります。

 まず一つ目は、「名護市長選に向け、菅・二階両氏が沖縄入り 繰り返される自民の"土建選挙"」という、横田一氏による記事です。
 名護市長選(2月4日投開票)で自民党が"詐欺師紛い"の争点隠し選挙と露骨な土建選挙に再び乗り出した。昨年12月29日に菅義偉官房長官、今月4日には二階俊博幹事長が沖縄入りして自公推薦候補の渡具知武豊元市議や支援者らと面談。公共事業推進(予算増加)を強調しながら、最大の争点である辺野古新基地建設については「米海兵隊の県外・国外移転を求める」と基地反対派と同じ政策を掲げる一方、移設工事は粛々と進める二枚舌的な対応をしているためだ。
 沖縄北部の名護市にまで足を運んだ菅氏が訴えた市長選向けの目玉事業が、総事業費が約1000億円の「名護東道路」(8・4キロメートル)。工事現場を視察し、未完成区間(2・6キロメートル)の1年半の完成前倒しとさらなる延伸調査を関係省庁に指示したことを明らかにした。
 露骨で卑劣な土建選挙とはこのことだ。慢性的渋滞に悩まされる市民の弱みに付け込み、「道路整備を早くしてほしければ、自公推薦候補に投票をしろ!」と迫っているようにみえる。(p.4)
 二つ目は、「憲法を求める人びと 5」の中で、辺野古や高江での米軍基地反対運動の中心となって尽力されている山城博治さんについて、佐高信氏が書いた記事です。
 弾圧は警視庁が入ってきてから暴力的になった。沖縄県警とはある種の信頼関係があったのだが、それが断ち切られて山城は152日間も不当拘留される。
 真冬に靴下の差し入れも認められなかった。その理由として留置所は「靴下を口の中に押し込んで自殺する可能性があるから」とバカな説明をした。
 それで弁護士で代議士の照屋(※寛徳)は内閣に質問主意書を出す。靴下の差し入れを制限している憲法違反の留置所、拘置所は全国にどれだけあるのかと問うたのである。答は名護署だけだった。そして、内閣から回答がおりてくるその日の朝から、靴下の差し入れが認められるようになったのである。
 安倍政権の卑劣さ、狡猾さがどれほどのものかわかるだろう。その中心に官房長官の菅義偉がいる。(p.38)
 そして三つめは、沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志呼びかけ人である川名真理氏が書いた記事です。
 大阪の機動隊が基地反対運動に携わる人々を「土人」と呼んだことを『差別と断定できない』と閣議決定するなど政府自体が沖縄差別に加担している。偏見が広まると人々は簡単にウソを信じてしまいます。菅(義偉)官房長官の『迷惑料』の話(注)も印象操作の典型です。基地建設に反対する人々を貶めようとしています。事実に基づかない情報が横行すれば言葉は無力になり、議論が成り立たなくなります。これでは民主主義的な国家など成り立ちません。

(注) 昨年12月6日、菅官房長官が記者会見で、辺野古など3区に支出する直接振興費について「反対運動の違法駐車や交通量の増加で騒音が激しくなったことに対応するのは自然なこと」と、運動の「迷惑料」とも受け取れる発言をしたことを指す。(p.41)
 そう、辺野古新基地建設に反対する人びとに対する、官憲の卑劣な行為の数々です。自治体の財政難につけこみ、金をちらつかせて基地を受け入れさせようとする。(「死ね死ね団のテーマ」に♪金で心を汚してしまえ♪というフレーズがありました) 真冬に靴下をはかせないという下劣な嫌がらせをする。「土人」という差別的な言辞を容認する。反対運動は迷惑行為だという印象操作を行なう。やれやれ、人はここまで卑劣になれるのか。辺野古に新基地をつくるためには、なりふりかまわずにありとあらゆる手を使うという、国家権力の強烈な意志を感じます。その背景には、将来的に新基地を自衛隊が使いたいという思惑もあるのでしょうが、国家権力に抗う者は潰すという考えがより強くあるのだと思います。それにしても、ここまで卑劣な手段を使うとは…恐れ入谷の鬼子母神です。中でも後二者は「いじめ」ではありませんか。教育現場での「いじめ」をなくすために政府は道徳の教科化を進めていますが、新基地反対運動への「いじめ」をしている方々がそう唱えても説得力は皆無です。クレヨンしんちゃん風に言えば、「おめーにいわれたかねーよ」。隗より始めよ。
 ちなみに文部科学省による「いじめ」の定義はこうです。
 当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
 こうした卑劣な行為の責任はもちろん安倍上等兵にありますが、菅義偉官房長官の存在も注目すべきですね。いろいろな報道やルポルタージュを読んでいると、昨今の権力の暴走に、この御仁が大きく関与していることがわかります。例えば『週刊金曜日』(№1166 17.12.22/18.1.5)の対談「"忖度メディア" 再生への処方箋 幹部が安倍首相とメシ食っても、横でつながれ!で、室井佑月氏と古賀茂明氏が、こういう話をされています。
【室井】芸能人やテレビ局の人は今、菅さんとかに"おもてなし"されて、どんどん右に変わっちゃうから、もう寂しくて。仲のいい人がみんな消えていくからさ。
【古賀】それが菅さんの仕事だから。朝昼晩、夜は2回のこともあるらしい。ほとんどはテレビに出てる人と会食してると聞きました。それも、ちょっと政権に批判的だなって思う人と。そこで「先生のような方に是非お力をお貸しいただければ」と言う。これ、実は、「仕事をやるぞ」という意味なんですよね。
【室井】「大学教授」とか、「ワーキンググループメンバー」とか。偉そうな肩書がつくと、芸能人はうれしくてなびいちゃうよね。浮き草稼業だから。『朝日新聞』の曽我豪編集委員たちも相変わらず、安倍首相とご飯に行ってるし。行くな、っつうの。(p.19)
 東京新聞の望月衣塑子記者は、『新聞記者』(角川新書)で、次のように書かれています。
 ベッドでネットを見ていると、翌日に発売される『週刊文春』が、菅官房長官本人に関する疑惑を掲載することがわかった。
「『ばれたら面倒』 菅官房長官が政治資金公開を隠蔽指令」
 詳細は割愛するが、記事が事実なら政治資金規正法違反や国家公務員法の守秘義務違反に問われかねない大問題だ。(p.180)

 …500回以上の官邸会見を見続けてきた南記者によれば、会見で手を挙げているのに、内閣記者会の記者が質問を打ち切るという光景は、いまだかつて見たことがないという。
 なぜ同じ記者が打ち切るのか…
 信じられない思いで取材してみると、おどろくような事実がわかってきた。
 8月下旬、菅長官は幹事社を通じて菅番の担当記者に、会見時間を短縮したいとの趣旨を打診してきたという。番記者は「時間制限はできない」と突っぱね、要求は呑んでいないというが、あと「〇人」「あと〇回」と官邸の広報官が質問を打ち切っているのを認めているのが現状だあ。
 これは、メディアの自殺行為ではないか。
 あまりの出来事に呆然とし、愕然とした気持ちで涙があふれそうになった。日本のメディアの限界なのかと足が震えるほどの衝撃を受けた。
 さらに、事前に質問を渡すことも本格化しているように思える。この手法は以前からあり、官房長官会見に限らないが、最近は菅長官が手元のペーパーを見ながら答えることがほとんどになってきた。これをシャンシャン会見といわずになんというのか。
 以前私は、前川事務次官に対する「教育者としてあるまじき行為…」という非難の言葉までも菅氏が下を向いて発していたので、思わずこう聞いてしまった。
 「事前に準備されたペーパーを読み上げているのですか」
 すると菅氏が怒りをあらわにこういった。
 「あなたにそんなことを答える必要はない」
このごろは最初から手を上げてもぜんぜん指名してもらえない。挙手しているのが私しかいなくなると、やっと当てられるという状況だ。(p.185~7)
 こういう御仁が、官房長官という重責を務めているのが日本の現状です。メディアを懐柔し/屈服させ、国家権力に抗う者に様々な嫌がらせ・いじめをする、あるいは彼らを貶めるための印象操作を行なう、権力にすり寄る者には金をばらまき、権力にとって都合の悪い情報は隠す。ほんとうに卑劣ですね。何度でも言いますが、こんな御仁が官房長官を務めるこんな政府を支持する方々が多いのは何故なのでしょう。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-01-14 09:30 | 鶏肋 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 62

 やれやれ、立ち眩みしてしまいます。かつて虐殺・犯罪・いくさを生みだした文化(制度・社会構造・価値観)が十全に払拭されていないということは、また起きる危険があるということです。
 それでは、私たちは、私は、どうすればよいのか。まず過去の過ちを認め、それを生みだした文化の存在を認めて、眼を逸らさずに向き合うことから始めるしかないでしょう。これに関して、大沼保昭氏の言葉に勇気づけられました。
 過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中のどこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めるものであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない。私たちの優れた到達点を率直に評価し、同時に過ちを認めるごく自然な姿をもつ国家こそ、私たちが愛し誇ることのできる日本という国ではないか。私はそう思う。(「日本の戦争責任と戦後責任」 『国際問題』 501号 2001年12月号)
 ふたつめは、大沼氏も指摘されているように、日本に限らず国家は過ちを犯すものだと認めること。そして安易に国家と自分を同一視・同一化しないことです。国家とは悪辣な行為をしばしば行なうろくでもない存在であり、程度の差は少々あるとしても日本もアメリカも中国も韓国も北朝鮮もフィリピンもヴェトナムもタイも(以下略)似たようなものだと、醒めた目で見つめ距離を置くことが肝要だと思います。さもないとまた"スパイクをうちこんだ国家という車輪の下敷きに"されてしまいます。(『彼らは自由だと思っていた -元ナチ党員十人の思想と行動-』 M・マイヤー 未來社 p.184) いくつかの言葉を紹介しましょう。
永続敗戦論』(白井聡 太田出版)
 このように、国家の行動というレベルで日ソ両国の行なってきたことを振り返るならば、「どっちもロクでもない」としか論評の仕様がない。一般的に言って、国家の振りかざす「正義」なるものが高々この程度のものであることは、何度でも肝に銘じられるべきである。(p.87)

「私の個人主義」(『漱石文明論集』 岩波文庫)
 …国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくら八釜しくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きを置く方が、私にはどうしても当然のように思われます。(p.137)

 最高の愛国心とは、あなたの国が不名誉で、悪辣で、馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ。(ジュリアン・バーンズ)

# by sabasaba13 | 2018-01-13 06:54 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)