京都錦秋編(11):修学院離宮・圓光寺(19.11)

 そして石段をおりてしばらく歩くと、万松塢と中島に架かる屋根がついた千歳橋が見えてきましたが、後水尾院の作庭時にはなく、1824(文政7)年の大改修の際に、内藤信敦が石橋台を、水野忠邦が屋形を寄進したそうです。ブルーノ・タウトが「環境に似つかわしくない中国風の橋」と言ったそうな。
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 このあたりのモミジは散っておらず、ちょうど見頃でした。
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 そして中島にある窮邃(きゅうすい)亭へ。後水尾院によって造営された上御茶屋・下御茶屋の建物のほとんどが滅失・再建されているなかで、ここが唯一、創建当時のものとされているそうです。内部は間仕切りのない18畳の大広間で、開放的な空間です。ここで昼寝をしたら気持ちいいだろうなあ。
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 そして土橋を渡り、池の堰堤である西浜を歩き、松並木をふたたび歩いて表総門から退出。
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 これにて参観は終了です。雄大なパノラマや霞棚など、桂離宮とはまた違った景観や趣向を楽しめました。

 さて時刻は午後三時前、紅葉を求めてこのあたりをもう少し散策しましょう。曼殊院に寄ろうとしましたが、山ノ神の「どうせ落葉しているぞよ」という神託がありました。御意。妻の意見と茄子の花にゃ千に一つの無駄もない。それではすこし寄り道をして紅葉の名所・圓光寺に行ってみましょう。うーん、かろうじて残ってはいるもののやはりほとんど散っていました。でも散り紅葉がきれいだったぞと引かれ者の小唄。
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 寺宝を展示してある瑞雲閣に入ると、どこかで見たことのある障壁画が展示されていました。近づいてみると…「米點山水圖 富岡鉄斎画」、うんやはり鉄斎でした。眼福眼福。
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 それでは近くにある詩仙堂に行ってみましょう。ん、待てよ、転ばぬ先の杖、山ノ神にスマートフォンで「京都新聞」の紅葉情報を調べてもらいました。やはり地元の新聞であるこちらの紅葉情報が一番信頼できます。すると…「落葉」、よかった、入場料もとい拝観料を払わずにすみました。

# by sabasaba13 | 2025-11-01 07:04 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(10):修学院離宮(19.11)

 表門は国公賓が訪れたときのみ開かれる門で、われわれの如き下賤な衆生は入れません。
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 脇にある通用門をくぐり、洒落た飛び石や石橋を歩いていくと楽只軒に着きました。朱宮御所創建当時からあり、中離宮では最も古い建物です。
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 楽只軒とつながっている客殿の見どころは、五枚の欅板を高さを変えて設置し、霞のたなびく様に似せた「霞棚」です。桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに天下三名棚の一とされております。その優美で洒落た動的な造形には惚れ惚れしますが、背面に貼られた和歌・漢詩の色紙のリズミカルなバランスと、両脇にある襖腰張の群青と金箔のモダンな菱形模様も素晴らしいですね。
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 座敷の杉戸には鯉が描かれていますが、全体が網で覆われています。夜毎に杉戸を抜け出して池で遊ぶので、金色の網を描かせたといわれています。鯉の絵の作者は不明、網は円山応挙の筆と伝えられていますがほんとかな。ちがう杉戸には、祇園祭の山鉾が描かれており、作者は住吉具慶と言われています。
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 客殿の北側、仏間の外側の縁には、数本の直線で構成される手摺がありました。「網干(あぼし)の欄干」と呼ばれるもので,漁の網を干した姿を現しているとのことです。
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 それでは上離宮へと参りましょう。先ほど歩いた松並木を戻り、どんつきのT字路を右に曲がってさらに松並木道をのぼっていくと、柿葺の屋根を持つ御成門に着きました。おっここはわれわれのような庶民もくぐらせてくれるのですね。中に入ると急な石段を上りますが、左右は背の高い刈り込みで視界を遮られています。広大な浴龍池(よくりゅうち)を見せずにじらすための工夫ですね。
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 石段を上り切ると突然視界が開け、眼下に浴龍池と借景の山々を望む大パノラマが広がります。ブンダバー! 縁に腰かけてしばし胸のすくような眺望を堪能しました。なお池には万松塢・中島・三保ヶ島という島がありますが、それらが龍が水浴びしている姿にみえることから「浴龍池」と名付けられたそうです。
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 この雄大な景色を堪能できるビュー・ポイントに建つのが隣雲亭、純粋に景色を眺めるために装飾はほとんどありません。白い漆喰で固められた三和土には、鞍馬の赤石と賀茂川の真黒石が埋められており、一個・二個・三個の組み合わせによって点々と模様を描かいているので「一二三(ひふみ)石」と呼ばれるそうです。
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# by sabasaba13 | 2025-10-31 07:12 | 京都 | Comments(0)

言葉の花綵312

 三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで
 はじめのはきみの顔を隈なく見るため
 つぎはきみの目をみるため
 最後のはきみのくちびるを見るため
 残りのくらやみは今のすべてを想い出すため
 きみを抱きしめながら。(ジャック・プレヴェール)

 それを考えることしばしばであり、かつ長きにおよぶにしたがい、つねに新たなるいやます感嘆と畏敬とをもって心を充たすものが二つある。わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則がそれである。二つながら、私はそれらを、暗黒あるいははるか境を絶したところに閉ざされたものとして、私の視界の外にもとめたり、たんに推し測ったりするにはおよばない。それらのものは私の眼前に見え、私の存在の意識とじかにつながっている。(『実践理性批判』 イマニエル・カント)

 一体人間は、二つの魂の誕生をもっているといえよう。世界がこんなに美しく、世の中がこんなに面白いものかと驚嘆する時がある。これが第一の誕生である。そしていつか、それとまったく反対に、人間がこんなに愚劣であったのか、また自分も、こんなに下らないものだったのかと驚嘆し、驚きはてる時がくる。これが第二の、魂の誕生なのである。しかし、この時、人々は、ほんとうの人生を知ったというべきであろう。(中井正一)

 人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来るのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。(『自省録』 マルクス・アウレリウス)

 19世紀においては神が死んだことが問題だったが、20世紀では人間が死んだことが問題なのだ。19世紀において、非人間性とは残忍という意味だったが、20世紀では、非人間性は精神分裂病的な自己疎外を意味する。人間が奴隷になることが、過去の危険だった。未来の危険は、人間がロボットとなるかもしれないことである。たしかにロボットは反逆しない。しかし人間の本性を与えられていると、ロボットは生きられず、正気でいられない。(『正気の社会』 エーリッヒ・フロム)

 愚かさは悪よりもはるかに危険な善の敵である。悪に対しては抗議することができる。それを暴露し、万一の場合には、これを力ずくで妨害することもできる。悪は、少なくとも人間の中に不快さを残していくことによって、いつも自己解体の萌芽をひそませている。愚かさに対してはどうしようもない。(ディートリヒ・ボンヘッファー)

 いかなる保守主義的イデオロギーをも持たぬ保守的な国家であるアメリカは、今や、むき出しの、恣意的な権力として、全世界の前に立ち現れている。その政策決定者たちは、現実主義の名において、世界の現実について気狂いじみた定義を下し、それを押しつけている。精神的能力においては第二級の人物が支配的地位を占め、凡庸なことを重々しくしゃべっている。そこでは自由主義的言辞と保守的ムードが蔓延し、前者では曖昧さが、後者では非合理性が原則となっている。(『パワー・エリート』 ライト・ミルズ)
# by sabasaba13 | 2025-10-30 07:08 | 言葉の花綵 | Comments(0)

よくわかりません、高市首相

 2025年10月24日に行なわれた高市早苗首相の所信表明演説には、よく理解できないところが多々ありました。私の能力不足か、高市氏が有耶無耶にしているためかは、よくわかりませんが。
 たとえば「10 外交・安全保障」です。

 我々が慣れ親しんだ自由で開かれた安定的な国際秩序は、パワーバランスの歴史的変化と地政学的競争の激化に伴い、大きく揺らいでいます。
 同時に、我が国周辺では、いずれも隣国である、中国、北朝鮮、ロシアの軍事的動向等が深刻な懸念となっています。
 こうした国際情勢の下、世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻します。
 日米同盟は日本の外交・安全保障政策の基軸です。日米両国が直面する課題に対し、しっかりと連携し、日米同盟の抑止力・対処力を高めていきます。

 「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻します」 ? 「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」って具体的にはどういうことですか? きちんと説明していただきたいものです。敗戦後、アメリカから自立した外交政策をとって世界中から称賛をあびた事例はあるのですか? もしあったのなら一つでいいですから挙げてください。

 そして自由で開かれた安定的な国際秩序が「パワーバランスの歴史的変化と地政学的競争の激化」に伴い、大きく揺らいでいる? 「自由で開かれた安定的な国際秩序」が存在したことはあったのですか? あったとしたらいつ頃? 「パワーバランスの歴史的変化と地政学的競争の激化」という表現もあまりにも曖昧模糊としています。歴史的変化と競争の激化について、具体的に述べてほしい。それとも"脅威"を煽り立てて軍産複合体の存在を正当化するためなのでしょうか。『「核抑止論」の虚構』(豊下楢彦 集英社新書1272)の中に、下記の記述がありました。

 ゴルバチョフにとって軍組織の改革とともに、さらに重要は意味を持ったのが、外交分野の抜本的な刷新であった。なぜなら、軍産複合体が大きな影響力を維持してきたのは、「冷戦の脅威に対抗するため、この装備は疑問の余地もないほど絶対的に必要なのだ」と言い立ててきたからであり、"脅威"の存在とそれを煽り立てることは、軍産複合体の存続にとって「圧倒的な根拠」であり続けてきたからである。(p.115)

 「日米同盟の抑止力・対処力」という表現も、よくわかりません。アメリカが日本を鉄砲玉にして中国と戦わせるというシナリオも排除できないのではないでしょうか。孫崎享氏の講演会から引用します。

 アメリカが、対中国戦争をシミュレートした結果、18戦で18敗だったとのこと。つまり現状では、アメリカは中国に戦争では勝てないという冷厳たる事実です。そこでフィリピン・台湾・日本にミサイルを配備させ中国を攻撃させる。結果として中国の反撃によりこの三国は壊滅的打撃を受け、アメリカは中国の蛮行を非難し、世界に訴えてボイコットや経済制裁を呼びかける。結果として中国の国際的な地位が大きく傷つけられ、相対的にアメリカの地位があがる。あり得ない話ではないですね。

 というわけで、分からないところだらけの所信表明演説でした。全体的な印象としては、われら一般市民をなめているということです。「外交や安全保障のことなど難しくて、理解できないでしょ。あたしのことを信じて黙ってついてくればいいのよ」という"上から目線"を強く感じます。
 仰せの通りとしたがい自民党に投票するのも、嫌だね自分で考えるよと自民党以外の(少しでもマシに思える)政党に投票するのも、決めるのはわれわれです。私は後者を選びますが。

# by sabasaba13 | 2025-10-29 07:05 | 鶏肋 | Comments(0)

ATMと鉄砲玉

 『東京新聞デジタル』(25.10.27)の<本音のコラム+>に、大矢英代氏の重要で面白く、やがて悲しくなるエッセイが掲載されていました。ぜひ紹介します。

<本音のコラム+> 不毛な恋愛、もうやめませんか? トランプ来日報道にみる日本人の勘違い 大矢英代(カリフォルニア州立大助教授)

 「もう何十年も付き合ってる彼がいて、今後も関係を大事にしていきたい」
 友人からそう打ち明けられたら、あなたはどんなアドバイスをするだろうか。人柄も素晴らしい相手ならば応援したくもなるが、詳しく聞けば、今年に入ってから「僕たちの関係は不公平だ」などと言って一方的な条件を突きつけられて、わざわざ彼の家まで出向いて話し合ったものの、らちが明かない。結局、何十兆円規模の大金を払う羽目になったらしい。それも今に始まったことではなく、彼には以前から「思いやり」と称して定期的に大金を渡したり、自分の家の敷地を軍事訓練場として好き放題に使わせたり、数年前には売りつけてきた高額の戦闘機を買わされたり…。しかも、彼は自分の家族に対してもめちゃくちゃで、この1カ月、家庭内は機能停止状態。彼を守ろうという側と間違いを正そうという側で真っ二つに割れているという。「それでも彼が好き。彼は、私を誰よりも大事に思ってくれている」などと言う友人には、?をひっぱたいてでも「目を覚ませ」と、私なら言うだろう。
 この不毛で不健康な関係を続けているのが、日本である。自民党政権がアピールし続ける「日米同盟」の本当の姿だ。
 「米国はどこの国よりも日本を大事に思っている」という日本人の凄まじい思い込みは、最近の報道にも透けて見える。もう読者も聞き飽きたであろう、「トランプ来日」関連のニュースである。
 このコラムが公開された今日は、「いよいよ来日」の話題で持ちきりだろう。天皇との面会や日米首脳会談、在日米軍基地への訪問などが予定されているという。高市首相は、ここぞとばかりに「日米同盟の強化」をアピールするだろう。しかし、はっきりと伝えておきたい。トランプ政権も米メディアも、日本人が思うほど日本を重視していない、と。
 米国内の報道を見ていると、「日本訪問」を主題として扱う報道など、ほとんど見かけない。むしろ「アジア訪問の一環」として広い枠組みで伝えられており、日本はその一部にすぎない。
 トランプ大統領にとって最大の目的地は、今月31日から2日間、今年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催される韓国だ。そこで待ち受けているのが、中国の習近平国家主席との会談だ。特に、レアアース(希土類)の輸出規制をめぐって米中のバトルが続いている今、トランプの関心はそちらに向かっている。
 次に重視しているのが、韓国政府との交渉だろう。韓国は自国の自動車産業に影響を与えかねないという懸念から、米国の関税措置に抵抗を続けており、トランプ大統領の未解決問題の一つだ。トランプ大統領は、日本と同じように、韓国にも3500億ドル規模の投資ファンドの設置を求めているが、韓国は米の「現金払い」案を拒み続けている。「我々は日本とは違う」とはっきり言い切った。
 要するに、すでに5500億ドル(約84兆円)の投資を約束した日本は、すでに米国の「ATM」になっているわけで、「便利な金づるには協議は必要ない」というのがトランプ側の本音だろう。したがって、米メディアの紙面が日本に多く割かれることもない。
 米国にとって日本は50カ国以上ある同盟国の一つにすぎない。恋愛に例えるならば、複数の相手との同時交際を双方で認める「オープン・リレーションシップ」状態の相手に対して、なぜか日本は「日米関係が最重要」「相手も同じく大事に思ってくれている」と一方的に思い込み、「関係強化」を叫び続けている。感覚がずれているのは、日本のほうだ。
 不毛な恋愛なら、本人が痛い目を見て、そこから学んで這い上がってもらうしかない。だが、日本国民の血税と未来がかかっている以上、黙っているわけにはいかない。「こんな相手との関係を続けても、幸せにはなれないよ。もういいかげんに、あなたも自立しなさい」
 同じ言葉を、トランプ来日歓迎と叫ぶ日本人に送る。

 まったくもって同感ですね。特にトランプ政権が再登場してから、もはや彼は日本を「暗証番号のないATM」および「アメリカのために体を張る鉄砲玉」としか見ていないでしょう。
 『「核抑止論」の虚構』(集英社新書1272)で、豊下楢彦はこう指摘されています。

 1979年1月に米国が中国と外交関係を樹立し台湾と断交したことを受けて、米議会は同年4月に「台湾関係法」を成立させた。同法の第二条B項では、平和的な手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試みは米国の「重大関心事」と位置づけられ、台湾への「いかなる武力行使または強制的な方式にも対抗しうる米国の能力を維持」し、防御的な兵器を台湾に供給すると規定された。つまり、米国は台湾の防衛に深くコミットしていくことを法律で定めているのだ。しかし日本は台湾との間で、こうした法的な関係を持っていない。
 とすれば、「台湾有事」が切迫するなかで米国が真に台湾を防衛する意思があるのであれば、それこそ台湾本島に本格的な米軍基地を設けるべきであろう。しかし現実に行われていることは、台湾周辺の沖縄やフィリピンでの米軍のプレゼンスを強化する事であって、米軍自らが中国軍と戦い合うか否かは「あいまいさ」が残されているのである。こうした状況で「日本有事」論に翻弄される日本が正面に立つならば、文字通り梯子を外されて「代理戦争」を戦うはめになりかねない。(p.251~2)

 まず、トランプ新政権において日米同盟はいかに位置づけられているかを問わねばならない。これまで日米同盟は建前であれ、自由、人権、民主主義、法の支配といった「共通の価値観」にもとづいて成り立ってきた。しかし、そもそもトランプは「共通の価値観」などとは無縁である。おそらく、同盟関係の前提である「共通敵」という概念も存在しないであろう。
 彼にとって重要な問題は、二国間における「取引(deal)」であって、これさえ成立すればロシアであれ北朝鮮であれ、それこそ中国であっても昨日の敵はたちまち友となり、逆に取引が失敗すれば、長年の友も敵として位置づけられることになる。ちなみに、トランプは習近平を「鉄拳で14億の人々を支配する賢い男」とも評している。
 新たなトランプ政権は日本に対し、防衛費をGDP比2%から3%に引き上げよとの要求を突きつけてくるであろう。日本の財政を破綻させかねないこの強引な要求をめぐって、日本の政界は揺れ動くことになる。しかし、ここで問われるべきは、そもそも「何のための防衛費増額」なのか、という根本問題である。「共通敵」に対する抑止力を高めるためであろうか。しかし、トランプにあって「共通敵」など存在しない以上は、彼が防衛費の大幅増額を求めてくるのは、要するに「米国の軍需産業の兵器を買え」ということであろう。日本が買えば買うほど米国の軍需産業は儲かり、大幅に雇用が増える、という構図である。(p.279~80)

 ま、米国製の武器をガバガバ買ってくれる「暗証番号のないATM」、そしてその武器を使って中国を攻撃し多大な犠牲を引き受けてくれる「アメリカのために体を張る鉄砲玉」が、日本です。
 それでもなぜ日本政府はここまで、およそ想像を絶するほどアメリカに卑屈に従属するのか? これは真剣に考えるべきテーマだと思います。その一つのヒントとなるのが、内田樹氏の分析です。『週刊金曜日』(№1418 23.3.31)から引用します。

 日本の指導者たちは、ある時期から、徹底的に対米従属することによって米国から「属国の代官」の官位を「冊封」されてきた。かつて中華帝国の「東夷」として「日本国王」の官位を受けていたのと構図は変わらない。東西の方位が入れ替わっただけで、いま日本はアメリカ帝国の西の辺境、西太平洋戦略の前線基地である。
 日本の国防政策を決定するのはホワイトハウスであって、永田町ではない。防衛費がGDPの2パーセントというのもアメリカがNATO諸国に対して要求した数字に揃えただけで、岸田政権の発意ではないし、F35を「爆買い」したのもトマホークを購入したのも、米政府の指令に従っただけである。米国の指令に素直に従っていれば、米国は自民党政権が半永久的に続くことを保証してくれると信じてそうしているのである。(p.15)

 アメリカの受けが良い政治家・官僚は周囲から尊敬と羨望の目で見られ、日本における権力や権勢の確保につながる。と、政権の中枢にいる方々が信じていることなのでしょうか。
 それにしても、組織利益と己の保身のために、我らが納めた血税でアメリカ製武器を爆買いし、中国との戦争で自衛隊員や市民を犠牲にするなんて信じ難い行いです。こういう方々を"売国奴"と呼ぶのではないでしょうか。私たちの生活苦を放置し、福祉・医療・教育予算を削り、気候危機対策や防災対策には関心がなく、あらゆる差別や核(原子力)発電を野放しにして、組織利益と己の保身のためにアメリカの*を舐める。彼らの脳裡には、市民の安全や安心を守るなどという発想はひとかけらもないのでしょうね。あるのは組織と大企業とアメリカの利益と、己の保身のみ。

 アメリカのATMにして鉄砲玉、これが"世界の真ん中で咲き誇る日本外交"なのでしょうか。高市首相、どこが?

# by sabasaba13 | 2025-10-28 07:02 | 鶏肋 | Comments(0)