スイス編(41):氷河急行(14.8)

 全長約290km、所要8時間、291の橋を渡り91ものトンネルを駆け抜ける氷河急行の旅、いよいよ始まりです。まずは車体を記念撮影、中に乗り込み席を見つけると、ちゃんと日本語で「予約済」と記されていました。窓も大きく、天井の一部も窓となっており、これなら眺望を堪能できそうです。なお一等車の指定席だったのですが、ガラガラ。向かいの席にいらした御夫婦に挨拶をすると、デュッセルドルフ在住のドイツの方でした。
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 10:02に列車は出発。緑の緩斜面にリフトが設置されていましたが、このあたりはすべて冬場にはスキー場になるのでしょう。サメーダン(Samedan)は、この地方独特のスグラフィット壁画の家が建ち並ぶ静かな町だそうです。たぶんあれかな、いちおう写真に撮っておきました。
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 係の方が配ってくれたメニュー(日本語表記あり)によると、食事は「ミソックス風野菜スープ」と「子牛の背肉ソテー ローズマリー風味」です。プレダ(Preda)を過ぎると、列車はいよいよ深い谷へと入っていき、次のベルギューン駅までの12.6kmの間に一気に416mを駆け下りていきます。名物の三連続ループもここにあり、トンネルの中で何度もループを描きながら進んでいきました。もうこれは写真の撮りようがありませんでした。あれ、通り過ぎた線路があんなところにある、今度はこっちに現れた、と視線を右往左往させるのみ。山岳鉄道の醍醐味を堪能させていただきました。
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 そしてダヴォス方面への分岐点、フィリズール(Filisur)に到着。さあいよいよお目当てのランドヴァッサーが近づいてきました。幸い席は進行方向の左側、美しくカーブする石橋が見られるはずです。駅を出発するとすぐに短いトンネルに入り、そして…ふわっ…まるで空中を疾走するように、高さ65mの見事な石橋の上を列車は駆け抜けていきました。実はこの橋を見るのは二度目、以前にダヴォスでスキーをした際、天気の悪い日にクール(Chur)に観光に行った帰りにこの橋を渡りました。チューリヒからサン・モリッツへ移動する際にここを通過するので、是非とも窓を開け、身を(ちょっとだけ)乗り出して見てみたいと満を持していたのですが、前述のように土砂崩れと脱線事故のために果たせませんでした。ちなみに氷河急行の窓は嵌め殺しなので、それは不可能です。もしまた来る機会があったらやってみたいし、フィリズールで降りてランドヴァッサー橋を下から見上げてみたいものです。なお事故があったのは橋を渡ってすこし行ったところ、現場は視認できませんでしたが、復旧してくれてほんとうに助かりました。レーティッシュ鉄道関係者のみなさまに、ディスプレイを借りてお礼を言いたいと思います。どうもありがとうございました。でも氷河急行が不通だったら、どうやってツェルマットに行けばよかったのだろう? 想像しただけでもぞっとします。

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2015-11-27 06:33 | 海外 | Comments(0)

殺すな

 パリ同時多発テロで亡くなられた方のご冥福を、心よりお祈りします。
 そして、どのようなかたちであれ、一般市民を標的とした殺戮がなくなるよう、心より願います。そう、どのようなかたちであれ。殺すな

 私がいま、一抹の戦慄とともに怖れているのは、ISに対する空爆の強化とそれに伴う一般市民の大量死、その報復として空爆当事国へのさらなるテロと一般市民の大量死、その報復としての空爆のさらなる強化… 果てしのない憎悪と報復と殺戮の連鎖です。笑みを浮かべているのは軍需産業と、その株主と、そこから資金やリベートを得ている政治家の皆々様だけでしょう。これはもう第四次世界大戦ではないのか。ちなみに環境破壊と資源の収奪という末来世代に対する戦争、第三次世界大戦はもうすでに始まっていると考えます。

 私たちが真摯に考えなければならないのは、いかにしてこの恐るべき螺旋を食い止めるか、ということだと思います。持てる限りの理性と知性と人間性を駆使して、テロを生む原因を探求し、その対策を講じる。
 なぜ彼ら/彼女らはテロルを行なうのか。なぜテロリストが跋扈するのか。いわゆる先進国の圧倒的軍事力をもってしても、テロリストたちを屈服させられないのは何故か。それを考えるヒントとしてたいへん有益な本が、以前に拙ブログで書評を書いた『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢﨑賢治 朝日新書485)です。もう一度、今だからこそ紹介したいと思います。
 なぜアメリカの圧倒的な軍事行動をもってしても、軍事力ではとるに足らないテロリストに勝てないのか? その理由の一つは、テロリストの側に、我々にはない圧倒的なまでの「非対称な怒り」が存在していることです。
 外地に赴く要員は、私のような民間人も、多国籍軍の兵士たちも、国家から与えられた使命感こそあるかもしれませんが、(基本的には)個人的な怒りを原動力として何千キロも離れた土地に赴くわけではありません。
 それに対し、我々を迎えるあちら側は、我々を傍若無人な侵略者(特に、イスラム教にとっての異教徒)であると見なしています。我々が黙ってそこに立っているだけで、彼ら個人個人とその集団を貫くのは、彼らのアイデンティティを賭けた怒りです。しかもそれは、我々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続けるのです。この「非対称な怒りの増幅」こそが、テロとの戦いに終わりがない所以です。(p.133~4)
 "我々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続ける"という点に注目すべきですね。テロリストによってパリで殺された130人の方々については、多くの報道がなされています。しかし、フランスの空爆によって殺された方々についての報道は皆無です。何人ぐらいだったのか、どういう死に方をしたのか、遺族はどのような気持ちなのか。それについて精査し、事実を明らかにすべきではないでしょうか。それを無視して空爆を継続・強化するのならば、もうそれは国家テロと言わざるを得ません。
 次に、テロリストたちは、なぜイスラム世界に強烈な根を張れているのか。引用します。
 どんな国でも、一般民衆は、不安な「銃による支配」ではなく「法による支配」の下で生活したいと思うでしょう。それが普通です。でも、その「法」の維持には、やはり「銃(統制力)」が必要です。みんなが信頼を寄せる国家が、国軍を持ち、法が支配する安全な環境を外敵から護ってくれる。そして、警察が、日常生活の中の法の違反者を取り締まってくれる。つまり、国軍と警察からなる最強の武力を国家が独占している状態-、それを私たちは「秩序」と呼んでいるのです。
 しかし、内戦などで国が混沌とし、その「秩序」を提供する国家自体が存在していない状態になると、そこでInsurgentsたちがスーッと忍び込んでくるのです。
 人間は、集団で生きる限り、夫婦喧嘩からお隣との土地争議まで、紛争の種をつくり続けます。そして、それらへの「沙汰」(裁きを下す者)を常に必要とします。
 もしも近所に手が付けられない暴れん坊がいたら? 警察に相談したらいいでしょう。でも、その警察が機能していなかったら? 何もしてくれないだけでなく、ワイロを強要されたり、逆に、その暴れん坊とつるんでいたりしていたとしたら? そこに、裏の実力者がいて、そちらに頼んだら、ある朝、その暴れん坊と、腐敗している警察がボコボコにされて木に吊るされていたら?
 こうやって、Insurgentsは、国家の「沙汰」の空白に、自分たちの「沙汰」を提供することで入り込んでくるのです。日本の田舎町で、ヤクザの親分が羽振りをきかせているみたいな感じで。
 それをきっかけに、Insurgentsは、少しずつ彼らの「教義」を民衆に浸透させていきます(原理化)。それはいつの間にか、恐怖政治に姿を変え、住民たちを服従させていくのです。その過程で、住民の中から職にあぶれたいきのいい若者を手下に引き込んで仲間にし、恐怖政治を確固たるものにしていきます(過激化)。これが、1990年代後半に、タリバンが急速にアフガニスタンを支配して政権を樹立し、現在でも「イスラム国」などが世界中の不安定な場所に浸透していく構造なのです。(p.134~5)
 多くの現場を見て聞いて体感してきた伊勢﨑の言だけあって、説得力があります。ではどうすればよいのか。しっかりとした国軍と公平な警察を中心に秩序を形成し、国民に安心を与え、福祉政策も実施し、国民が自ら安心してネーションに帰依できる政府をつくる。気の遠くなる作業ですが、対テロ戦の"戦い方"は、これしかないと氏は断言されています。(p.137) 要するに、安心して暮らせる日常があれば、テロリスト集団への支持も霧消していくということですね。ということは、そうした日常を破壊する行為、例えば空爆は、人びとのテロリスト集団への期待や依存を増していく、言うなればテロリズムの温床をつくってしまう結果になると思います。また、大国の軍事力や政治力をバックに、大企業が世界を股にかけて人びとから富を収奪するシステム、グローバリゼーションも同じ結果を生んでいるのではないか。ん? 一般民衆が安心して暮らせる日常を破壊する行為? よく考えるとそれもテロですよね。空爆は国家テロであり、ドイツの雑誌『シュピーゲル』曰く"グローバリゼーションは日々のテロである"。

 そう考えると、第三次・第四次世界大戦をくいとめる方途も見えてきます。無辜の民を殺さないこと、世界中の人びとが安心して暮らせるようにすること。
 You may say I'm a dreamer. But I'm not the only one.
# by sabasaba13 | 2015-11-26 06:40 | 鶏肋 | Comments(1)

『証言と遺言』

 『証言と遺言』(福島菊次郎 DAYS JAPAN)読了。
 硬骨・反骨の写真家、福島菊次郎が2015年9月24日に逝去されました。享年94歳。ご冥福を祈ります。いや、きっと「祈らなくてもいいから闘え」と言われるでしょうね。
 氏のことをはじめて知ったのは『DAYS JAPAN』誌上でした。広島の被爆者、三里塚闘争、ベトナム反戦市民運動、全共闘運動、自衛隊と兵器産業、公害問題など、常に時代と関わりあいながら民衆を撮り続けた方です。その迫力ある写真と真摯なメッセージに圧倒され、さっそく購入した写真集が本書です。残念ながら、その直後に訃報に接しました。
 彼の志は、前書きの「すべての同志に向けて」を読めばわかります。
 「死なない写真」を撮らなければならない。そのためにカメラマンは歴史認識に支えられた撮影者としての基盤を持ち、状況の渦中に飛び込み、問題が続く限りシャッターを切り続け、発表しつづけなければならない。「一枚の写真が国家を動かす」。それは人間の尊厳を守るために、権力に迎合せずシャッターを切り続けたカメラマンだけに与えられた特権である。(p.3)
 氏がプロカメラマンになったきっかけを、写真「広島の被爆者 中村さんの記録」のコメントで語られています。中村さんは広島市内で被爆、全身の火傷は化膿して蛆がわき、髪も抜け落ちました。医療機関が全滅していたため、牛の糞を傷口に塗り、ドクダミ草を煎じて飲み、三か月後には奇跡的に回復しました。しかし奥さんが子宮がんで六人の子を残して死亡。金がないので、ABCC(原爆傷害調査委員会)に遺体を提供して3000円をもらい、やっと葬式をだしました。そして中村さんの原爆症が再発、一家は生活保護に頼って暮らしていきます。以下、引用します。
 ある日、日頃無口な中村さんが、「あんたに頼みがある、聞いてくれんか」と畳に両手をついて泣きながら言った。「ピカにやられてこのザマじゃ、口惜(くや)しうて死んでも死にきれん、あんた、わしの仇をとってくれんか」。予想もしない言葉に驚き「どうして仇をとればいいのですか」と聞いた。
「わしの写真を撮って皆に見てもろうてくれ。ピカに遭うた者がどんなに苦しんでいるか分かってもろうたら成仏できる。頼みます」と僕の手を握った。
「分かりました」と答えた。しかしこの家に写真を撮りにきてもう1年も過ぎたのに、極貧の生活にどうしてもカメラが向けられなかった僕は「本当に写してもいいのですか」と聞き返した。
「遠慮はいらん、何でもみんな写して世界中の人に見てもろうてくださいや」 (p.16)
 その日から福島氏は中村さんの病苦と一家の極貧生活を憑かれたように写します。そして写真集が出版されたのを見て、中村さんは65歳で死亡。氏は撮影のストレスで精神病院に入院し、退院後にプロの写真家になられたそうです。
 その壮絶な写真の数々には言葉も出ません。敷きっぱなしの継ぎはぎだらけの布団。病苦や貧困に耐え切れなくなった時に、その苦しみから逃れるためカミソリで切り裂いた内股の傷跡(※「キチガイだと言われるから写すのはやめてくれ」と懇願されたが、写したそうです) 発作が起こると全身を激しく痙攣させ悶絶、その時の硬直した足先。「頭がわれる、体がちぎれる」と叫びながら体を布団にうずくまる中村さん。「仇をうってくれ」という言葉が重く響きます。
 福島氏は、中村さんという人間の尊厳を守るために、アメリカという国家の行なった暴力と不正を写真によって暴こうとしたのだと思います。同時に、氏の眼差しは日本という国家の暴力と不正にも向けられます。3000万人のアジア人と連合軍、320万人の自国民と兵を犠牲にした侵略戦争、その結果としての原爆投下。しかしその後の日本人は、このヒロシマを「虚構の平和都市」として構築し、被害者意識一辺倒の戦後をつくり、侵略戦争の総括も、戦争責任の追及も放棄して戦争認識を誤らせてしまった。そう氏は批判されています。このあとに続く写真からもそれが感じられました。自衛隊の軍事ショーで愉しげに戦車に乗る家族、昭和天皇在位50周年式典で銀座をねりあるく人たちの屈託のない笑顔、三菱重工業の戦闘機組立工場で働く若者のはちきれんばかりの笑顔。どの写真からも、福島菊次郎氏の「見ろ、考えろ、闘え」という力強いメッセージが響いてきます。
 なお『DAYS JAPAN』の11月号は福島氏の追悼特集ですが、その中で写真家・同誌発行人の広河隆一氏が思い出を語っておられます。祝島の近くで、「折り入って頼みがある」と言われたそうです。
 いよいよ憲法が改憲される事態になったら、自分は焼身自殺という形で抗議するつもりだ。それを撮影してほしい…
 本号から、福島菊次郎氏の言葉をいくつか紹介します。
 問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない。

 憲法9条と自衛隊が同居する、正邪の理非も見失った異常事態がなおも続くなら、僕はこの国の戦後を告発し続けた一人のジャーナリストとしての、自己の良心的所在と尊厳を貫くため、これ以上この国で生きることを拒否する。

 戦争なんて始まらないって、みんな頭のどこかで思っているだろ。だけど、もう始まるよ。

 独りになることを怖れないで。集団の中にいると大切なものが見えなくなる。

 表にでないものを引っぱり出して、たたきつけてやりたい。

 獲物を倒すためには、権力にすり寄り、内臓から食い破ることもある。

 闘え

 本日の一枚、本写真集の掉尾を飾る、福島菊次郎氏の自筆による朱の刻印です。
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# by sabasaba13 | 2015-11-25 06:12 | | Comments(0)

言葉の花綵130

 もはやナショナリズムは、その正当性を自負しているとは言いきれない。(T・アドルノ)

 平和主義が暴力を放棄できるのは、ほかの人間が自分に代わって暴力を行使してくれるからだ。(ジョージ・オーウェル)

 最近、教養教育の再建が大学の課題であるとよく言われます。ただ、わたしが思うのは、しっかりとした新書と選書を100冊読めば、それだけで十分、教養が身に付くのではないか、ということです。(『ナショナリズム入門』 講談社現代新書 植村和秀)

 音楽を、人を尊敬して、それが自分に返ってくる。(『のだめカンタービレ』 千秋真一)

 ボクはね、やる気のない生徒にやる気を出させるほどやる気のある教師じゃないんだよ。(『のだめカンタービレ』 谷岡先生)

 オレとオヤジが三日三晩寝ながら考えて付けた名前だ。(『のだめカンタービレ』 峰龍太郎)

 最も残忍で無恥な奴隷は他人の自由の最も無慈悲かつ有力な強奪者となる。(E・H・ノーマン)

 一切合財怠けよう、恋するときと、飲むときと、怠けるときをのぞいては。(レッシング)

 休息は健康なり。(スペインの諺)

 貧しい国家とは、とりもなおさず国民が裕福な国家である。富んだ国家とは、国民が一般に貧しい国家である。(デステュット・ド・トラシー)

 わたしは世界の王、「資本」である。虚偽と羨望と吝嗇と詭弁と殺人に警護されてわたしは進む。わたしは、家庭に分裂、市に戦争をもたらす。わたしの行くところすべてに憎悪と絶望と悲惨と疾病と死の種をまく。(『怠ける権利』 ポール・ラファルグ)

 されど、死ぬのはいつも他人だ。(マルセル・デュシャンの墓碑銘)
# by sabasaba13 | 2015-11-24 18:21 | 言葉の花綵 | Comments(0)

2015年紅葉便り:箱根

 土曜日に、箱根に行って紅葉狩りをしてきました。強羅のあたりでは見頃でしたが、湯本ではまだ色づきは進んでいません。警戒レベルが下がったことでたいへんな混雑でした。

 本日の六枚、上から白雲洞茶苑(強羅公園)、箱根美術館(二枚)、飛烟の滝、蓬莱園、千世倭楼(風祭)です。
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# by sabasaba13 | 2015-11-23 07:08 | 鶏肋 | Comments(0)