スイス編(18):チューリヒ(14.8)

 朝、目覚めて窓を開けて空を見上げると、どんよりとした曇り空。テレビをつけて大雑把な天気予報を見ると、曇り時々晴れ、まあ雨が降らなければ諒としましょう。
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 なおスイス各地の観光地を映すライブ映像を見ていると、次の宿泊地サン・モリッツは曇り、ツェルマットは晴れでマッターホルンの天辺が拝められました。いいなあ、われわれが訪れる頃には天気が崩れそうだなあ、と弱気になる自分を叱咤し朝食会場に行きました。
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 ハム、チーズ、ゆで卵、フルーツ、ヨーグルトをいただいて、部屋に戻り荷づくり。今日は午前中にチューリヒの市内観光をして、午後にはサン・モリッツに移動します。なお枕銭を2スイス・フランおいたためか、新しいティッシュが置いてありました。「ツェルマットで泊まる二つ星ホテルのためにもらっていきましょう」とトランクにつめる山ノ神。さすがです、頼りにしてまっせ。
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 チェックアウトをして荷物をフロントに預け、いざ出発。ホテルの前にある坂道では、働くおじさんが重そうな荷車を押していました。今、写真を見て気づいたのですが、それほど広い道ではないのにちゃんと歩道がありました。自動車という悪魔から人間を守る配慮がなされていることがわかります。まずは昨晩に発見したポリバーン(POLYBAHN)に乗りましょう。駅に行くと、けっこうケーブルカーを待っている人がいます。市民や学生の足なのでしょう。
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 そして小さくてかわいい真っ赤なケーブルカーが降りてきました。チューリヒ・カードを提示して乗り込み、頂上駅へ。
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 目の前にあるのが連邦工科大学(ETH)、そして展望台からはチューリヒの町並みを一望することができました。しかし好事魔多し、雨がぽつぽつと降り出しました、やれやれ。
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 ケーブルカーに乗って下界へと降り、それでは遊覧船乗り場へ向かいましょう。バーンホフ通りを歩いていると、途中にあったのがペスタロッチ公園、教育者・教育思想家として著名な彼はここチューリヒで生まれたのですね。道を清掃する働くおじさんを撮影し、その先へ歩いて行くとオメガやローレックスの店が並び、高級感のあふれる雰囲気となります。このあたりがパラデ広場、「チューリヒの小鬼」たちが跋扈する金融の中心です。UBS銀行やクレディ・スイスなど名立たる大銀行が並んでいました。
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 なお以前に読んだ『私物化される世界 誰がわれわれを支配しているのか』(ジャン・ジグレール 阪急コミュニケーションズ)に、以下のような指摘があったので紹介します。
 マルコスが国外へ、特にヨーロッパとアメリカへ送った略奪資金の総額はどの程度か? 信頼できる見積もりによれば、クレディ・スイスを含む約40の銀行に蓄えられている資産額は10億ないし15億ドルにのぼる。
 略奪物の偽装工作は複雑な戦略に基づいておこなわれた。マニラに呼びつけられたチューリヒの銀行家とそのスタッフは(1968年以降)実際に四六時中、いかに金を疎開させてリサイクルするかに没頭した。独裁者とは毎日連絡を絶やさなかった-マルコスが1986年3月にホノルル郊外にあるアメリカのヒックハム空軍基地に抑留された後も。
 穢れた金の流れはまずチューリヒのクレディ・スイスのさまざまな匿名口座に入った。最初のマネーロンダリングである。それから、この略奪金はフィデス信託会社(クレディ・スイスの子会社)に送られた。二度目の名義変更である。最後に三度目のロンダリング。フィデスが水門を開けて、穢い流れがまた分かれる。今度の行き先はリヒテンシュタインである。(p.133)

 一言でいえば、今日フィリピンが崩壊の危機に瀕し、民衆の大部分が根深い貧困に苦しみ、さらにテロリズムが拡大する直接の責任はすべて、蔓延する汚職にある。この汚職の構造をつくったのはマルコス夫妻とクレディ・スイスという略奪者なのだ。(p.135)
 やれやれダビデのように石を投げつけてやりましょうか。

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2015-10-18 08:14 | 海外 | Comments(0)

スイス編(17):チューリヒ(14.8)

 路面電車の上部にあった宣伝には、"Best Sushi in Town ?"、"negishi SUSHI BAR"と記されていました。こんなところで根岸という地名に出会うとは、「懐かしや根岸の里の侘び住まい」と一句ひねってしまいました。トラムに乗り込んで中央駅に着く直前、道路の上に、急な角度で上方に伸びる鉄筋の橋が見えました。これはもしや… 中央駅で下車してそそくさと戻ると、やはりケーブルカーでした。その駅の入口には"POLYBAHN"と書かれており、2-5分間隔で運行されているとのことです。観光地図で確認すると、高台にある連邦工科大学(ETH)まで行けるようです。明日、ぜひとも乗ることにしましょう、チューリヒ・カードも使えそうだし。
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 中央駅構内で、目をつけておいた売店でケバブを食し、夕暮れのリマト川を眺めながらホテルへと戻りました。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2015-10-17 08:59 | 海外 | Comments(0)

スイス編(16):チューリヒ美術館(14.8)

 それではチューリヒ美術館が誇る近代絵画のコレクションを…あれ、その一画が封鎖されているぞ。そこには"Auf nach Japan !"という貼り紙と、「チューリヒ美術館展」と日本で記されたポスターが貼ってありました。なんてこったい、ジャパン・マネーによって根こそぎ持っていかれてしまった。本当に今回の外し方は尋常ではありません。しようがない、連行されずに留守番のようにぽつねんと佇むパウル・クレー、ホアン・ミロ、ジョルジュ・ブラック、ワシーリー・カンディンスキーの絵を拝見して溜飲を下げましょう。
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 でもおもしろい現代美術の作品もありました。小さなダイスを使った巨大なオブジェ、身の周りの品々を大きなパネルに詰め込んだ作品、自由の女神の一部だけを原寸大で再現した作品。「欲しい?」と言われたら「置く場所がないのでいらない」としか答えられませんが。
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 トイレで用を済ませ、アートな男女表示を撮影。それでは家路につきましょう。
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 本日の七枚です。
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# by sabasaba13 | 2015-10-16 06:39 | 海外 | Comments(0)

2015年紅葉便り:奥日光

 いよいよ紅葉の季節ですね。いつものことながら、この時期になると居ても立ってもいられなくなります。今年の紅葉狩り第一弾は奥日光、10月12日(日)に山ノ神と戦場ヶ原を歩いてきました。旅行記については後日に上梓するとして、とりあえず写真を掲載します。なおタクシーの運転手さんによると、中禅寺湖あたりは今度の土日が見ごろとのこと。凄まじい混雑が予想されますが、一見の価値はあると思います。

 本日の九枚、上から湯滝、戦場ヶ原(4枚)、竜頭の滝(2枚)、イタリア大使館別荘(2枚)です。

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# by sabasaba13 | 2015-10-15 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

スイス編(15):チューリヒ美術館(14.8)

 次はフェルディナン・ホドラーの作品を集めた部屋です。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
Ferdinand Hodler (1853‐1918) スイスの画家。ベルンの指物師の家に生まれ、5歳で父を、14歳で母を失い、苦学してジュネーブの美術学校に学ぶ。初期にはコローやクールベの影響を受け、職人や手工業者など身近な環境や風景をモチーフとする写実的な手法から出発した。のちしだいに画面に明晰で厳格な秩序を追求し、寓意画の大作『夜』(1890・ベルン美術館)で注目された。同一の色彩形態の反復を骨子とする彼の「平行の原理」は、個を超えた類型を求める一種の象徴主義といえる。ほかに『夜』と対をなす『昼』(1900・ベルン美術館)、イエナ大学の壁画『イエナ大学生の行進』(1908)が代表作。写実から象徴へ、装飾から寓意への転換を果たした彼は表現主義の先駆と目される。
 『巨匠に教わる絵画の見かた』(視覚デザイン研究所)に、ホドラーに関する下記のような解説がありました。
 1890年ごろまではごく普通に描かれていたが、作風はこの年を境に変わる。〈パラレリズム〉という平面的人物を繰り返すスタイルを使うようになる。象徴主義者たちの秘密結社・薔薇十字会に参加し、リアルな絵を否定し、神秘主義的な絵を描き進めた。(p.109)

ホードラーは、エジプト美術に影響を受け、人物の装飾的配置で独自の様式をうちたてたスイスの画家。「ベートーヴェン・フリーズ」は彼の様式を学んだ作品だ。(p.120)
 なるほど、平面的人物を繰り返すスタイルがクリムトに影響を与え、ウィーンのセセッションにある「ベートーヴェン・フリーズ」として結実したのですね。装飾的な群像も良いのですが、私は彼の風景画が好きです。山と湖と空と雲、何気ない風景なのですが、まるで吸い込まれそうな静謐さに惹かれます。

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2015-10-14 06:27 | 海外 | Comments(0)