「仰臥漫録」

 「仰臥漫録」(正岡子規 岩波文庫)読了。脊椎カリエスにより病床にあった子規が、死ぬ前年の1901(明治34)年の9、10月を中心に書き残した日記です。公表を前提としていないので、彼の想いがストレートに伝わってきます。日々の食事、訪問者との面会、雑感、俳句づくり、そして病苦について、簡潔にして締まった散文で書き綴ります。特に病苦についての記述は、凄絶にして鬼気迫ります。これほど凄まじいものだったのか… 歯茎や腹部の穴から出る膿み、激痛のため這うことも寝返りをうつこともできず、迫りくる死期をただ待つのみの日々。
(明治三十四年十月)五日ハ衰弱ヲ覚エシガ午後フト精神激昂夜ニ入リテ俄ニ烈シク乱叫乱罵スルホドニ頭イヨイヨ苦シク狂セントシテ狂スル能ハズ独リモガキテ益苦ム

明治三十五年三月十日 此日始メテ腹部ノ穴ヲ見テ驚ク穴トイフハ小キ穴ト思ヒシニガランドナリ心持悪クナリテ泣ク
 圧巻は十月十三日の部分。母が用事で出かけたので、「時々起ラウトスル自殺気」により枕元の小刀と錐を取り上げます。そして苦悶のすえ、死ぬまでの苦痛を恐れてとりやめ、泣きじゃくる子規。息を呑むような描写です。
 彼を介護し支えた母親と妹、彼の面倒を死ぬまで見続けた陸羯南、たびたび訪れて彼を慰める門人の高浜虚子たちの姿も感動的です。そして1902(明治35)年九月十九日、子規はその生涯を閉じました。享年三十六歳。死の十三時間前につくった三つの句を残して…
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糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず
をとゝひの へちまの水も 取らざりき
 厠上本として「漱石日記」を読んでおりますが、そのロンドン留学日記の中で友人子規についてふれている箇所がありました。1901(明治34)年1月22日、ビクトリア女王が逝去し、子規の病状が悪化した時のものです。
The Queen is sinking. Craig氏に行く。『ホトトギス』届く。子規なお生きてあり。
 最後の一文に、子規に対する漱石の万感の想いがこめられています。同年3月9日の日記では「今日は郵便日なるを以て正岡へ絵葉書十二枚と妻へ消息を遣わす。」とありますが、どのような絵葉書だったのでしょうか。

 そうそうラベルを見て躊躇なくすぐ買ったのですが、「獺祭(だっさい)」という山口県の地酒は美味しいですよ。子規の革新的な精神に学ぼうとしてつけた名だそうです。子規の別号は獺祭書屋主人といいます。獺(かわうそ)がとらえた魚を食べる前にならべておくのを祭に見立て、文を書く時に多くの参考書をならべひろげることを獺祭と言うそうです。子規の部屋の様子を思い浮かべ、ふと眼前に視線をやると… 我が家も獺祭でした。そういえば9月19日は子規の命日ですね。

 わが足で酒買いにゆく獺祭忌     邪想庵

●旭酒造 http://jizake.com/html/dassai/01.html
# by sabasaba13 | 2005-09-02 06:08 | | Comments(2)

「ヒトラー 最後の12日間」

 映画「ヒトラー 最後の12日間」を見てきました。見応えのあるたいへん面白い映画でした。第三帝国崩壊の日々を、ヒトラー周辺と、ベルリンにおけるソ連軍との市街戦、この二つの動きを軸に見事に描ききっています。原作は、歴史家ヨアヒム・フェストの「ダウンフォール:ヒトラーの地下要塞における第三帝国最後の日々」と、トラウドゥル・ユンゲの「最後の時間まで:ヒトラー最後の秘書」です。具体的な事実については前者を、ヒトラーやその周囲の人物の言動については後者を、それぞれ参考にしているようです。リアリティは感じますね、少なくとも絵空事に思えるシーンはありません。二時間強、手に汗を握り何度も息を呑みながら、見てしまいました。ナチスによる犯罪についてふれていない、ヒトラーを人間的に扱いすぎている、等々といった批判はあるようですが、少なくともどこかの国の何とかという映画のように、ヒトラーとナチスを免罪・弁護しようとするものではありません。彼らを支持したことによって、ドイツの人々がどういう結果を甘受しなければならなかったのかを直視しようとする意志を感じます。ベルリン市民の犠牲を少なくすべきという部下の意見に対して、ヒトラーはこう言います。「戦時には市民などいない。」 絶対に忘れてはならない言葉ですね、これは。
 それにしてもヒトラーを演じたブルーノ・ガンツという俳優は迫真の演技でした、脱帽。ゲッベルスを演じた役者にいたってはもう生き写し。そしてシュペーアという軍需大臣が、ナチスにおけるキー・パーソンの一人だということをはじめて知りました。ヒトラーが信頼した芸術家・建築家にして、軍需生産を向上させた有能なテクノクラートなのですね。彼は敗戦後、戦犯としてニュルンベルグ裁判で禁固二十年の刑を宣告され、1966年に、刑期満了で出所します。比較したいのは、有能な官僚として戦争経済を構築した商工大臣岸信介です。強制連行も彼の立案ですね。彼は敗戦後、A級戦犯とされますが、1948年に不起訴釈放され、平和条約発効後公職追放が解除され、1953年の総選挙で自由党から衆議院議員に当選し、政界復帰を果たし、そしてご存知のように1957年に内閣総理大臣となります。シュペーアが出所する9年前ですね。言うべき言葉もなく、沈黙してしまいます。しっかりとこの歴史的事実を受け止めましょう。

 さて、となるとぜひつくってほしい映画が、そう、「大日本帝国 最後の12日間」です。天皇制の存続のみを条件に軍部を切り捨ててポツダム宣言を受諾しようとする昭和天皇とその側近、そうはさせじと本土決戦をちらつかせながら免責を条件に入れようとする軍部、原爆投下により屈服させ戦後日本を勢力範囲に入れようとあせるトルーマン、そうはさせじと中立条約をやぶり満州侵攻を図るスターリン… 手に汗握るドラマチックな映画になると思います。昭和天皇、鈴木貫太郎、平沼騏一郎、米内光政、阿南惟幾、東郷茂徳、豊田副武、梅津美治郎、そして木戸幸一を誰が演じるか考えるだけでも、ワクワクします。個人的なイメージでは、昭和天皇の役は佐野史郎にやってもらいたいのですが、いかが。そんな映画をつくれるような成熟した国に、みんなの力で早くしていきましょう。21世紀中には無理かな。
# by sabasaba13 | 2005-09-01 06:06 | 映画 | Comments(0)

福岡・大分編(10):臼杵・杵築(03.9)

 ほんとうに臼杵は敬愛する大好きな街なのですが、一つだけ文句を言ってよかですか。野上弥生子成城の家への道案内板をもっとわかりやすいものにしてください! 私は呆然として数秒間立ち竦んでしまいました。土の中にあるのかい。大腹がへったので「木屋」という店で、臼杵名物のふぐさしをほおばりながら、ご主人からいろいろな話をきかせてもらいました。そうそう商店街のBGMでJ・レノンの「Starting over」が流れていたので、おっなかなかやるなと思ったら、次にかかった曲はキャンディーズの「危ない土曜日」でした。ヘナヘナヘナ こうした脱力感も臼杵の魅力です。ところでその次にかかった曲はなんだと思います?
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 そしてJRで杵築へ。ここは城下町の面影をよく残しており、二つの台地の上に武家屋敷、それに挟まれた低地に町人地というちょっとかわった町割りです。つまり街全体がV字の形をしているのですね。よって坂道の風情が見所。台地に立ちと、坂道と谷底の町屋を見下ろせ、向かい側の台地上にある屋敷群を眺められる変化に富んだロケーションが楽しめます。移動をするのがちょっと大変ですけれど。歩いて坂道をのぼりおりしながら、さまざまな光景を楽しみました。酢屋の坂、武家屋敷の大原邸、勘定場の坂、南台武家屋敷を徘徊して、代々藩主の典医をつとめた佐野家を見物。戦前の共産党の指導者で、鍋山貞親とともに転向し大きな衝撃を与えた佐野学の出身はここだったんですね。白壁や柿の木、クリアな秋の空を満喫しながら、杵築城へ。復元された天守閣から市内や別府湾を眺望し、バスの停留所に戻りました。杵築の守江湾はカブトガニの生息地だそうで、ここの観光案内所でカブトガニを見られます。そして大分空港へ。夕食は豊後牛のステーキ。締めくくりも脂っこくなってしまいました。ギトギト
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 日出、中津に行けなかったのが残念でしたが、ま、いいや、また来ましょう。実は大分県にはかなり惚れ込んでいます。海と山、史跡、懐かしい街並み、海の幸と山の幸、カボス、棚田、鏝絵、石橋、そして何よりも関サバ! 本気で臼杵に移住しようかな。

 人は生地を選べないが、死ぬ土地は自分で選ぶべきだ。
                        ~ジャン・グルニエ~

 本日の一枚は、杵築酢屋の坂です。
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# by sabasaba13 | 2005-08-31 06:23 | 九州 | Comments(4)

福岡・大分編(9):臼杵(03.9)

 朝一番で臼杵の石仏を見物。平安末期に製作された石仏群です。今回で二度目ですが、おおらかに物思いにふけるその表情にはあらためて惚れ惚れとしました。土産屋では何と「不安解消リストラお守り」を売っておりました。よろしければダウンロードしてご利用ください。
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 そして市内に戻り、駅でロハの自転車を借り、散策を開始。臼杵はいい街ですね。昭和三十年代をまるごとクール宅急便で送ってもらったような感じ。普通の何気ない木造家屋を大事に大事に使い続けています。タバコ屋が多く、自動販売機が少なく、コンビニエンス・ストアがほとんどないってことは、communityが息づいている証だと思います。臼杵小学校のそばを通ると、町中にガンガンと校内放送を鳴り響かせながら、運動会の真っ最中。塀ごしに覗き込むと、二宮金次郎像があります。金次郎ウオッチャーの小生としては見過ごせない。どさくさにまぎれて校内に侵入、撮影に成功しました。学校に忍び込むのって簡単なんですね。ここ臼杵には野上弥生子成城の家(非公開)、稲葉家下屋敷、野上弥生子文学記念館、仁王座歴史の道、直良信夫(明石原人の発見者)生家などの見所もありますが、メロンの皮のように不規則な道が縦横無尽に走る街を、昔ながらの風情あふれた民家や商店を眺めながら彷徨っているともうそれだけでカ、イ、カ、ン。横丁から正ちゃんとQ太郎が飛び出てきそう。街のあちこちから眺められる龍原寺三重塔が、いろいろ表情を変えていくのも興趣があります。唐人町などという地名も、歴史を感じさせてくれます。
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 そうそう、一つ気になったのが、①のような家屋です。一階の部分が道路から引っ込み、二階部分が張り出している家を時々見かけました。②の写真のように、一階部分を張り出して、公道を敷地に組み入れてしまうのが都市民の常道です。出桁(だしげた)造りといいます。(※②は東京たてもの園「小寺醤油店」) ううううむ、みんなで使う公共の道は互いに協力して広くしようという意識だとしたら、これは凄いことですね。私の考えでは、日本文化では「公共」という意識はきわめて弱い。公共心とはみんなのためにプラスになることをしようという意識だと思います。「公」、おおやけ(大きな家)、つまり財・権力をもつ人が決めたことに逆らわず従順に従うという意識はきわめて強いと思いますが。ちなみに、政治家・官僚・財界諸氏が叫ぶ「公共心」とは「公」を意味していますね。もしかすると、この臼杵は「公共心」が根付いている、日本においては大変例外的な街かもしれない。
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 本日の一枚は臼杵の石仏です。以前、ロゴ画像として使用していました。
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# by sabasaba13 | 2005-08-30 07:14 | 九州 | Comments(4)

福岡・大分編(8):別府(03.9)

 今日は棚田へのサイクリング。別府駅で電動でペダルが軽くなる自転車を貸してもらったので、楽勝でしょう。天気も素晴らしい秋晴れ。期待に小さな胸は膨らみます。駅からいきなりの坂道ですが、電動自転車のおかげで快調。行程の四分の一まで来るとかなり坂も急になりますが、何とかなりそう。ふとバッテリーランプを見ると、すでに三分の一を消費! おいおい話が違うよ、係りのおじさん。「満タンじゃけん、60kmはだいじょうぶじゃけんのう」って言ったじゃないか。おまけに山の中、ガソリンスタンドもなし。強行するか、撤退するか。ううううううううううううううむ… と煙草を吸いながら四分ほど呻吟して、撤退を決定。青春の蹉跌だ。すごすごと別府市内へ引き返しました。“散歩の変人”の矜持をズタズタに引き裂かれ、虚ろな目で傷心の時を市内で過ごしました。京大地球熱学研究所のレトロなビル①、見事な洋館の聴潮閣、飯塚の石炭王麻生太吉別荘、柳原白蓮の歌碑、野口病院②、カトリック教会③、アンパンが美味しいという友永パン屋④、竹瓦温泉⑤、鶴田家の鏝絵⑥を彷徨しているうちに心も癒され、立ち直りっ! それにしても別府はずいぶんさびれましたね。団体客を大広間に押し込めてトンカツを食わせるというような大名商売は、いいかげん考え直した方がいいと思います。このままさびれて熱海のように廃墟フリークを引きつけるというのも、一つの選択肢ですけれどね。
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 さて内成棚田へはタクシーで行くことにしました。運転手さんは「棚田に連れて行けと言った客ははじめてや」とぼやいてましたが、無線でルートを確認しながら快く引き受けてくれました。民家の間の急峻な坂道をのぼること約20分で到着。おおおおおおおおおおおおおおお、御見事!!! 休耕田も殆どなく、集落は生気に溢れ、山の斜面すべてに稲穂が揺れる黄金色の夢のような情景。何よりも生きるために想像を絶する労力によって山を削って棚田をつくった、その人間の営み。胸が熱くなりましたね。神々しささえ感じます。脱帽。はあっ…
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 この後、運転手さんが安くしてくれるというので誘いにのってやまなみハイウェイをドライブ。由布院・由布岳を抜けて長者原に行き、九重連山と硫黄山を堪能。そして別府・大分・高崎山・国東半島を一望できる絶好のビュー・ポイントに連れて行ってもらいました。
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 別府からJRで大分に行き、大友宗麟の銅像を写真に撮り、臼杵着。ナイト・キャップは豊後の麦焼酎「銀座のすずめ」。はあっ…

 本日の一枚は、内成の棚田。言葉もありません。ふうっ…
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# by sabasaba13 | 2005-08-29 09:01 | 九州 | Comments(0)

残暑見舞


 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。本日から二週間ほど重量が800gほどある本を(「<日本人>の境界」小熊英二)もって久米島・石垣島・渡嘉敷島に行ってまいりますので、しばらく新作のアップができません。「散歩の変人」沖縄編を書けないような、落ち着いたはんなりした旅にしたいと思っております。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中でもっとも涼しそうな一枚をどうぞ。インスブルック近郊のアクサマー・リーツムというスキー場です。
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# by sabasaba13 | 2005-08-15 08:03 | 鶏肋 | Comments(0)

福岡・大分編(7):安心院(03.9)

 鏝絵(こてえ)。土蔵や戸袋、壁の漆喰の表面に鏝を使って薄肉状に盛り上げた浮き彫りを施し、彩色したものです。江戸後期に伊豆の左官、入江長八が創始したといわれ、各地に広まり、特にここ安心院(あじむ)に多く残されています。運転手さんも未見の地らしく、とりあえず観光案内所によって情報を仕入れることにしました。するとたまたま鏝絵に詳しい地元の研究家のSさんがいて、わざわざ車で先導し案内してくれるとのこと。そりゃありがたい、さっそくご好意に甘えることにしました。七福神、竜虎、鶴亀、幸福・辟邪を願う人々の素朴な思いが託されたヘタウマな鏝絵がニコニコと出迎えてくれます。爽やかな秋空のもと、長閑な農村・街並みの光景によくマッチしていました。街でも観光資源として売り出そうとガイドマップをつくっているのですが、道標も未整備なのでわかりづらい。案内してもらい大変助かりました。彼曰く、最大の問題は保存。なんせ昼夜を問わず風雨に晒されているので、剥離や崩壊が甚だしい。おまけにもろい漆喰なので保存する方法も難しいとのことです。家の取り壊しが決まると、家主と折衝して鏝絵の部分だけを譲ってもらいはがして自宅に保存しているそうです。そのコレクションを拝見しましたが、その熱意には頭が下がります。
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 帰り際に「チューハイにすると美味しいよ」とカボスを八個もいただいてしまいました。重い… 捨ててしまえと悪魔が囁きましたが、それはできぬ。宅急便で自宅に送りました。後日、さっそくチューハイにしたところ[→カボチュー]、これが美味! これほど美味いチューハイは飲んだことがありません。どうもありがとうございました、Sさん。
 そして別府着。念願の関アジ・関サバのお造りを満喫。
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 本日の一枚は、私の一番好きな鏝絵です。
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# by sabasaba13 | 2005-08-14 08:22 | 九州 | Comments(2)

福岡・大分編(6):元寇防塁跡・院内(03.9)

 今日は早起きをして今津へ。お目当ては原型がもっともよく残る「元寇防塁跡」です。駅からタクシーに乗って運転手さんに案内してもらいました。お見事! 無骨ですが頑丈そうに積み上げられた石垣が、延々と良好な保存状態で残されていました。「蒙古襲来絵巻」の一場面を思い出します。幸い天気も快晴、海岸に出ると志賀島や能古島を望む絶好のロケーション。
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 そして日豊本線で宇佐へ向かいます。今日は院内の石橋と安心院(あじむ)の鏝絵(こてえ)めぐり。観光案内所で尋ねると駅付近に貸し自転車はなし。やむをえずタクシーを時間で貸し切ることに決定。運転手さんもあまり行ったことがないらしく、地図を片手に懇切丁寧に案内してくれました。このあたりは険しい谷が多く、棚田の石垣をつくるために石組みの技術も発達してので、多くの石橋が住民の寄付によって築造されました。いやあ、あるはあるは。石を投げると石橋に当たる。周囲の景観とマッチして、見事な風景を演出しています。そして両合の棚田へ。幸い刈り入れ前で、山を段々に削った棚田に黄金色の稲穂が揺れる景色を見られました。ただ三分の一くらいが休耕田で、そこかしこの石垣が崩れているのが悲しい。機械を使わず、こんな山奥で棚田を維持していくというのは、ほんとっに大変なことなんだなあ、とあらためて痛感しました。そして鏝絵を見に安心院(あじむ)へ。
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 本日の二枚。分寺橋と両合の棚田です。
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# by sabasaba13 | 2005-08-13 08:36 | 九州 | Comments(6)

福岡・大分編(5):柳川・三井三池炭鉱(03.9)

 そして西鉄特急で柳川へ。どんこ舟で堀割をまわり、昼食はうなぎのせいろ蒸し。御花・北原白秋生家を見物。観光地化されてしまいやや騒々しいのですが、柳が堀割にその姿を映すきれいな街でした。
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 また西鉄に乗り、大牟田へ。三井三池炭鉱の町です。駅で自転車を借り、まずは石炭産業科学館へ。三池炭坑の概要をチェックし、大牟田市内の「近代化遺産」に関する地図・資料をもらいました。展示の中に朝鮮人の落書きがあります。太平洋戦争中、朝鮮から強制連行され三池炭鉱で働かされた人々が住んでいた馬渡社宅の押入れの中に残されていたもの。補償はどうなっているのか不明ですが、こうした展示として残すその見識は評価できます。近くにある三井港倶楽部は残念ながら非公開。そして三池港閘門①へ。石炭積み出しのためにつくられた港ですが、遠浅なため船が入港するとこの水門を閉めて水位を上げるわけです。一目で仕組みがわかるローテクさと、無骨・剛毅な佇まいが秀逸。団琢磨らがつくった石炭積み込み施設「ダンクロ・ローダー」②を遠望しながら市街地へ。そして市街地の真ん中に残る三池炭坑跡を徘徊しました。万田坑跡③は立ち入り禁止で遠望できるのみ。宮原坑跡も金網が張り巡らされていますが、穴があいており侵入可能です。坑内に資材を搬入する櫓と付属施設がほぼ完全な形で残っており、圧倒的な迫力で周囲を睥睨しています。この付近は炭住(炭坑住宅)④が残る、迷宮のような街並みでした。宮浦坑跡⑤は記念公園として整備されすぎて、あまり迫力なし。1888(明治21)年につくられた赤レンガ煙突⑥は健在です。炭坑節で歌われた煙突の面影を残すのは、もうここだけだそうです。西鉄で博多へ戻り、夕食はもち博多ラーメン。ナイト・キャップは薩摩のいも焼酎「小松帯刀」! 幕末の薩摩藩士。島津久光の率兵上京に同行し、家老側詰となる。大久保利通らを用い、大政奉還・討幕を画策。維新後、総裁局顧問・外国官副知事など枢要の地位にあったが、病気のため辞職。という人物ですが、それにしてもすげえネーミング。
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 というわけでこの二日間は主に近代化遺産をめぐりました。日本の近代化という歴史の証言者として心惹かれるのですが、それだけではなさそう。坂口安吾に語ってもらいます。「ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。…ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。(日本文化私観)」 そう、留保なく美しいのです。こりゃしばらくはまりそう。彼は自分の文学もそうありたいと言っています。銘肝。

 本日の一枚は、宮原坑跡の櫓です。安らかに眠れ…
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# by sabasaba13 | 2005-08-12 07:31 | 九州 | Comments(4)

福岡・大分編(4):志免鉱業所竪坑櫓・筥崎八幡宮(03.9)

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 本日最大のお目当ては、この建造物。何だと思います? JR酒殿(さかど)駅から歩いて十五分という情報を得ていたので、とりあえず現地に行きましたが、見当たらん! おまけに無人駅、下車客も通行人も民家もなし! ホワイト・アウトしたまま呆然と立ち竦んでしまった… 幸い向かいのホームに巧言令色鮮なそうな男子高校生がいたので尋ねたところ、「あの信号の向こうの歩いてそこそこの距離にあるけん」と教えてくれました。十分ほど歩いて信号に着くと、おおっ、はるか彼方に見えるではないか。歩くにつれて、その物件がだんだん全貌をあらわしてきます。胸の高鳴りと高揚感。周辺の敷地は立入禁止のような気がしないでもないですが、近づかずにはいられない。緩んでいるロープをまたいで膝下に到着。その巨大で超現実的な異様さ、(おそらく)計算されつくした機能性に圧倒されました。実はこれ、ここ志免炭田での採掘作業のために1943年につくられた竪坑櫓(たてこうやぐら)です。廃坑となったのでもう使用されていませんが、あまりに巨大なため壊せないという話。しばらく口をあけたまま見惚れました。残念ながら塀で囲まれていて、内部へは入れません。しかしこれは必見の物件じゃけん。修復・保存した上での内部公開を強く望みます。誰も来ないかな。
 JRで筥崎に戻り、筥崎八幡宮へ。祭神は応神天皇と神宮皇后、日本三大八幡の一つで、蒙古襲来の際に護国の神として尊崇を集めました。ふと拝殿を覗き込むと、祝詞をとなえる神主の脇にジャージを着た数人の中学生がいます。「試合に勝つために神仏に頼るのか、このたわけもん」と口の中で罵倒しつつ、祝詞をよく聴くと「…がこーそこーそーくにをはじ…」。おおっと教育勅語ではぬぅわいか! 巫女さんに聞いたところ、中学校の体験学習で近頃増えているとのこと。拝殿を見上げると「敵国降伏」という額、鳥肌がたちましたね。ぞくっ。ここは鎮西…
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 本日の一枚は、夢(悪夢?)に出てきそうな志免鉱業所竪坑櫓の雄姿です。
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# by sabasaba13 | 2005-08-11 07:45 | 九州 | Comments(10)