青森・岩手編(6):盛岡(02.9)

 雨で岩手山が見えないのは残念ですが、岩手銀行中ノ橋支店①や、盛岡信用金庫②など味のある建築をぶらぶらと見てまわりました。
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 必見は紺屋町番屋(盛岡消防団第五分団)ですね。1913(大正2)年につくられた何ともしぶい望楼が現役で活躍しています。小石川消防署の粋な望楼をつぶした人々とは、志が違います。火の見櫓ファンとしては、是非これからも保存して欲しいと切に望みます。そして啄木新婚の家へ。1905(明治38)年に、啄木は仙台で土井晩翠らと遊び、結婚式をすっぽかしたのですね。「花婿のいない結婚式」はこの家で行われました。夫妻はその後わずか3週間でここから引っ越します。
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 そして材木町へ行き、宮沢賢治の銅像と光原社を見物。彼が生前に刊行した童話集「注文の多い料理店」を出版した唯一の出版社がここで、命名は賢治自身によるものです。今は民芸品店になっていますが。 なおイーハトーブとは、岩手をエスペラント風に発音したものらしいですね。彼はこの童話集の新刊案内でこう言っています。
 イーハトーブとは一つの地名である。…実にこれは著者の心象中に、この様な情景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。そこではあらゆる事が可能である。
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 本当は不来方(こずかた)城跡に行って、私の大好きな啄木の歌を偲びたかったのですが、弘前へ移動する都合があり断念。残念。
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
 そうそう、金田一京助も米内光政も盛岡出身なのですね。

 本日の一枚は、紺屋町番屋です。
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# by sabasaba13 | 2005-07-06 06:12 | 東北 | Comments(3)

青森・岩手編(5):盛岡(02.9)

 今日は花巻から盛岡へ移動です。残念ながら小糠雨。とるものもとりあえず、石をもて啄木を追った渋民村へ。盛岡駅からバスで約四十分。ダンプカーが行き交う、何の変哲もないところです。さっそく石川啄木記念館を訪問。すぐわきに彼が通学し、代用教員として勤務していた渋民尋常小学校が移築保存されています。ここで彼は「日本一の代用教員」をめざして頑張っていたんだ。机が四つしかない小さな職員室に感無量。隣りには当時彼が下宿した民家も移築保存されています。1906(明治39)年から翌年の五月まで、啄木はここに住んでいました。この下宿で「雲は天才である」を書き、長女が生まれたことを知り、そしてこの下宿から北海道へ旅立ったのですね。感無量。(小樽函館の啄木物件めぐりは以前の記事をご覧ください) 記念館の展示もなかなか充実したものでした。帰郷したら、啄木がこの時期に書いた教育論「林中書」を読んでみよう。
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 バスで駅に戻り、乗り換えて「原敬記念館」へ。 原敬。政党政治家。岩手県生れ。新聞記者、外務省官僚、大阪毎日新聞社長を経て立憲政友会総裁。1918年首相となるが、21年政党の腐敗に憤った青年に暗殺される。この間、山県有朋を中心とする官僚勢力としたたかに粘り強く戦い続け、政党の勢力を飛躍的に強めた政治家です。官僚や軍人の弱みを的確につき、無理をせず、時には大胆に、しかも相手の逃げ道も用意しておく。「政治は可能性の芸術」といいますが、それを地で生きた男。私、尊敬しています。「富と貴とは卿等の取るに任す、難題と面倒とは乃公に一任せよ」 彼の言です。ちなみに、戊辰戦争で敗れた東北諸藩は「白河以北一山百文」と嘲られ蔑まれ苦難の道を歩むわけですが、原敬は「一山」という号を名のり東北の名誉回復に尽力しました。なかなか充実した記念館ですよ、ここは。帰りに大慈寺にある彼の墓所によってきました。遺言により、爵位や官位は一切刻まれていない「原敬墓」というシンプルな墓名。雨降りしきるなか、合掌してきました。

  わけ入りし霞の奥も霞かな  原敬
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# by sabasaba13 | 2005-07-05 06:15 | 東北 | Comments(0)

青森・岩手編(4):花巻(02.9)

 そして宮沢賢治記念館へ。賢治の生涯や作品を分かりやすく展示してあります。原稿や愛用品も展示されており、彼が弾いていたチェロをしげしげと見つめてしまいました。隣りにある「山猫軒」で昼食。注文は多くなかったですね、食べられなくてよかった。
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 すぐ近くにある復元された賢治設計の日時計を見学して、「新渡戸記念館」へ。新渡戸稲造は花巻出身だったのですね。記念館から出ると、妙齢、明眸皓歯の女性とすれ違いました。同じ店の貸自転車、同じガイドブック、かつ単独行動。同類であることを直感した二人は、微笑みあい挨拶を交わしたのでした。「お嬢さん、僕と新渡戸稲造について語りませんか」と、なぜその一言がいえなかったのだろう。ただただ慙愧。そして「雨ニモマケズ」の詩碑へ。ここは羅須地人協会があったところで、彼が農作業をしていた「下ノ畑」が眼下に広がっています。付近には羅須地人協会が使用していた木造の倉庫が残されています。市街地へ戻り、賢治の生家、生母の実家を訪れ、彼の墓所である身照寺へ。しばしたたずみて合掌いたしました。
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 花巻で見かけた面白い看板を二つ紹介します。その店で購入した自転車しか修理しないのが花巻流なのでしょうか。地縁共同体の強さなのかな。
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 花巻はいいところでした。連山と清流に囲まれた小宇宙。風に波打つ黄金色の稲穂。また今度訪れたら、萬鉄五郎記念美術館に是非行くつもりです。

 秋風やイーハトーヴを清めたり    邪想庵
# by sabasaba13 | 2005-07-04 06:26 | 東北 | Comments(0)

青森・岩手編(3):花巻(02.9)

 本日は花巻を自転車で徘徊。まずは宮沢賢治が命名したイギリス海岸に寄りました。白い泥岩と青い水の風情に、ドーバー海峡の白亜の壁を連想し、賢治は「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がする」といってイギリス海岸と名付けたのですね。残念ながら今では渇水時にしか見られないそうです。
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 そして花巻農業高校の敷地に移築された「羅須地人協会」へ。晩年の賢治が自耕生活をしながら、農民たちに農業技術や芸術を教えたところです。ちなみに、地人=農民、羅須については諸説あり、「修羅」をひっくりかえした、あるいは賢治が尊敬したウィリアム・モリスの師ジョン・ラスキンの「らす」からつけた… 後者の説が魅力的ですね、私も二人のファンなので。入口には「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書いた黒板が復元されています。質素な部屋には、火鉢を中心に五、六脚の椅子とオルガン。彼が今にもふらっと入ってきそうです。壁に掲示されている賢治自作の教授用プリント(地質や原子構造)に感激。「風景はなみだにゆすれ」てしまいました。集会の案内状に「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」とありました。臓腑を抉られる言葉ですね。
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 鍵を返却しに高校の事務室に行くと、玄関に「交通マナーアップ・自転車盗難防止推進モデル校」と大きな看板が。長閑でいいですね。つづいて童話村へ。宮沢賢治の童話を人形やジオラマで再現した、子供のための施設です。「セロ弾きのゴーシュ」の展示解説にあった「僕らはどんな意気地なしでも、喉から血が出るまでは叫ぶものです」というゴーシュの言葉を銘肝しましょう。入口のところに「月夜のでんしんばしら」に登場する電信柱の軍隊がつくられていたのは嬉しい、私あの童話がなぜか好きなのです。青森・岩手編(3):花巻(02.9)_c0051620_21585196.jpg

ドッテテドッテテドッテテド
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐひなし
ドッテテドッテテドッテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし
# by sabasaba13 | 2005-07-03 22:49 | 東北 | Comments(0)

青森・岩手編(2):青森(02.9)

青森・岩手編(2):青森(02.9)_c0051620_2149261.jpg 今日も快晴。自転車を借りて、キコキコとこぐこと四十分。実際に使用されたねぶたが展示されている「ねぶたの里」へ。いやあああああ、やはり本物だけが持つ迫力ですね。豪放な造形と色彩の競演。BGMで流れている「ラッセラー」というハネトの掛け声にアドレナリンがびしびし分泌していくのがわかります。これは女房を質に入れてでも、ねぶた祭りを見にこなきゃと思いました。「八甲田雪中行軍遭難資料館」に寄ったあと「青森県近代文学館」に行ったところ、残念ながら休館。しゃあない、「棟方志功記念館」に直行しようとペダルをこいでいたら、ゾゾゾゾゾと小生の霊界アンテナに妖気を感じました。こりゃおもろい看板があるなと周囲を見回すと「急(せ)ぐな 粟食な・横断は渡る橋の分れ道 荒川中校外委」という物件を発見。しばらく考えて「あわくうな=あわてるな」と合点がいき、またきょろきょろしていると「いい国造ろう鎌倉幕府 燃えよ荒中生 荒川中校外委」という物件をGET。いやはや一瞬呼吸が止まりましたね。なんなんだこれは。荒川中校外委という謎の組織について何か知っている方は、ぜひご教示ください。「死ね死ね団」と何か関係があるのでしょうか。???? 気をとりなおして「棟方志功記念館」へ。フォルムと色彩が乱舞する作品をじっくりと堪能いたしました。中でも「星座の花嫁」という版画に刻み込まれた「むなかたは 一すじみちを行く人 先を行く人じゃまです」という言葉にはまいりましたね。晩年、彼はほとんど視力を失い、写真のようにかじりついて版木を彫っていました。その様子を映像で見たことがありますが、己の命を刻み込むような凄まじいものです。縄文文化とねぶた祭りと棟方志功。「命の燃焼」という共通項でくくれそう。
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 東北本線で花巻へ。途中、車窓から「斗南藩観光村」という看板を見つけしばらく沈思黙考… ポンッ(手を打った音) 戊辰戦争で敗れた会津藩が、薩長新政府によって与えられた新領地でした。会津に対する報復は、陰惨・没義道なもので、戦死者の埋葬を許さず街中を死臭・腐敗臭まみれにしたそうです。おまけに28万石の会津領を没収され、与えられた新領地・斗南は実質七千石! その苦難は柴五郎の「ある明治人の記録」(中公文庫)を読んでください。ようやく最近、両者の間で和解が成立したのも頷けます。再訪を期しましょう

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-07-02 07:53 | 東北 | Comments(2)

青森・岩手編(1):三内丸山遺跡(02.9)

青森・岩手編(1):三内丸山遺跡(02.9)_c0051620_15384561.jpg 3年前に行った青森・岩手の旅行記です。飛行機で青森空港に到着。市内へのバスを待っていたら、いきなりロシア語の表示! やるでねがっ。そして青森駅前からバスにゆられて約三十分、今から約5500年前の縄文時代の巨大集落跡、三内丸山遺跡に到着です。あっ、そうそう、わたしゃ初めて路線バスで女性の運転手を見ました。ヨーロッパでは列車の車掌とともによく見かけるのですが、日本ではごく少数でしょう。こういうところからも女性の雇用差別をなくしていかないとね。謎の巨大掘立柱建物や大型集会所(?)の復元、資料館などを見物して、つくづくこりゃ都市だと実感。「農業を必要としないほど豊かな採集経済の時代」という評言が納得できます。これでまだ全体の1/7しか発掘していないというのだから、たまげた、こまげた、日和下駄、ブリキにタヌキに蓄音器、おどろき、桃の木、サンショの木、シイタケ、ゴボウにナツメの木、南天寒天ところてん… サグラダ・ファミリア教会の完成と、発掘の終了と、どちらが先になるか楽しみです。外尾悦郎さん、がんばってね。資料館では、木の皮で編んだ縄文ポシェット、復元した衣服、土器、ひすいの装身具などが展示されていました。土器の周囲に波型の装飾をつけた時に少しずれてしまったケースには、微笑みがわきました。うんうん私もやりそう。縄文時代が一気に身近に感じられました。それにしても青くて綺麗な空だったなあ。
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 バスで市内に戻り、県立郷土館を見学。海岸沿いにぶらぶらと歩きながら、宿へ。夕食はタラと大根・ねぎをみそ仕立てで煮込んだじゃっぱ汁。ナイト・キャップは純米酒「安東水軍」! 中世に東日流(つがる)十三湊(とさみなと)を本拠に暴れまわった北国の雄と聞けば、一歴史学徒としては飲まないわけにはいかないでしょう。それにしても思ったより津軽弁が聞けなくて残念でした。大学時代を仙台で過ごしたので、東北弁には愛着があるんです。牛乳を「ベコチッチ」と言った岩手出身の友人に感動し、「いずい」という仙台弁を「放尿の後、格納した一物が本来あるべき位置と微妙にずれているような居心地の悪い精神的状態」と明晰に解説してくれた宮城出身の友人に呆れた思い出が、走馬灯のように脳内を駆け巡ります。T君、元気ですか。


 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-07-01 06:17 | 東北 | Comments(0)

「競争社会をこえて」

 「競争社会をこえて ノーコンテストの時代」(アルフィ・コーン 法政大学出版会)読了。「行き過ぎはよくないが、競争は望ましい」というのが、一般的な考えだと思います。これに対してアメリカの評論家、アルフィ・コーン氏が、競争は人間にとって害悪であると容赦のない議論を展開したのが本書です。なお背表紙の書名が「競走社会」と誤植されていますので、注意してください。
 著者は競争を「ある人の成功が他の人の失敗によって成り立つようなシステム」と定義した上で、そのデメリットを様々なデータや例証をあげながら執拗に主張していきます。「他の人々が敗北するのをこの目で見ようという構造的な動機が、人間関係に楔をうちこみ、敵意を生じさせずにはおかない。」「競争的なやり方は、ほとんどいつも二倍の労力を必要とする。なぜなら、自分ひとりで課題に取り組むには、すでに誰か別の人がでくわして、すでに克服してしまったような問題に時間と能力とを費やさなければならないからである。」 そして当然の如く個人に不安やストレスがたまっていきます。こうした状況の中で生き残るには失敗を避けるようにするのが精一杯です。そして責任逃れ、ごまかし、隠蔽といった行為が横行していくのでしょう。
 しかし競争をしないと、人間は努力しなくなるという思い込みを持っている人もいます。著者はこう述べます。「構造的な協力は、相手を助けることが、同時に自分をも助けることになるというように、状況設定を行ってくれる。今ではもう相手と運命をともにしているのである。協力というのは、賢明で、成功する可能性がとても高い戦略であり、実践的な選択である。」「われわれ人間は、楽しんでやるものこそもっともうまくやれるものなのである。」 ううむ、後者の意見には首肯しますね。「楽しんでやらなきゃなにごとも身につきはしません。No profit grows where is no pleasure ta'en.」というシェークスピアの科白を思い出します。(『じゃじゃ馬ならし』)
 そして重要なのは、こうした競争的な状況により利益を得ているのは誰なのかという問題ですね。
 何の規制ももうけない資本主義こそ「本来的なもの」であるといった考え方や、あるものが現在の姿をとっているのはもともともちあわせていた構造に根ざしているからだといった考え方をすることによって、誰が利益をうるのだろうか。それは、あきらかに現状が維持されているおかげで有利な立場にいる人々である。
 同感。われわれがお互いの足をひっぱいあっているのを、安楽椅子に座ってロマネ・コンティを片手にそれを眺めている人々です。もう競争なんて、みんなでやめませんか。いっせーのせっ。
# by sabasaba13 | 2005-06-30 06:07 | | Comments(0)

「靖国問題」

 「靖国問題」(高橋哲哉 ちくま新書532)読了。哲学者の高橋哲哉氏が、靖国問題について、感情・歴史認識・宗教・文化・国立追悼施設という五つの観点から分析し自らの意見を述べた本です。この問題については、感情や面子やナショナリズムが複雑にからみあい、なかなか冷静な議論が成立しません。議論が成り立たないと、価値が共有できず、問題のより良い解決から遠ざかる一方です。議論の前提となる問題点をできるだけ整理して、論路的に明らかにするという著者の意図を感じます。
 読後の第一印象は、とにかくわかりやすいく論理的な言葉で書かれているなということ。他者を意識した、他者に理解してもらうための、他者に奉仕する文章です。日本語はじゅうぶんに論理的な言語であり、ただ非論理的な形で使用しているに過ぎないと痛感しました。内容について要約する力量が私にはありませんので、ぜひご一読ください。少なくとも、論理の破綻は見受けられません。
 一つ、氏の明晰な文章を紹介します。(「させていただきます」という表現が氾濫していますが何故なのでしょう? その意図は?) “戦争で「祖国のために死んだ」兵士たちを英雄として讃え、「感謝と敬意」を捧げ、「彼らの後に続け」と言って新たな戦争に国民を動員していくシステム(中略)は、近代の日本だけの問題ではなく、むしろ近代の日本国家が西欧の国民国家から模倣したものとさえ考えられる…”“この論理は、西欧諸国と日本との間で共通しているだけではない。日本の首相の靖国神社参拝を批判する韓国や中国にも、このようなシステムは存在する。” 戦争責任問題とは切り離して、このシステム・論理が世界に存在する限り、戦争が起きる可能性は常に存在し続けるといことですね。より大きな問題にまで、批判の射程が届いています。
 新たな国立追悼施設については、こう述べられています。靖国神社は“「無宗教の国立戦没者追悼施設」を装う「宗教的な国立戦没者顕彰施設であったのだ。” よって第二の靖国神社化して、前述のシステムが機能する可能性が大きいと。
 かなり売れているようですので、この本が与える影響はかなり大きいと思います。価値を共有するための冷静な議論が起きる一助となりそうな予感があります。
 そして遺族の方々にこうした言葉が届くのか。私がもっとも知りたいのは、肉親を死に追い込んだ責任者への怒り・批判は、遺族の方々にあるのでしょうか、ないのでしょうか。きちんとした感情的な怒りと論理的な批判を表明しないと、また同じ事が繰り返されます。もちろん、日本という国家の政治的意思により戦場に送られた戦没者の死に、意味を与えるべきなのか、与えるべきではないのかという問いへの答えによって違ってくるとは思いますが。
It's time we let the dead die in vain.
                                サリンジャー
 もう一つ。本来戦争責任を負うべき者たちが免罪され、A級戦犯とBC級戦犯がすべての責任を負わされて処刑されたことへの、後ろめたさもあるのではないか。もしそうだとすれば、A級戦犯合祀へのこだわりは十分に理解できます。
# by sabasaba13 | 2005-06-29 06:12 | | Comments(0)

「日本語で生きるとは」

 「日本語で生きるとは」(片岡義男 筑摩書房)読了。片岡義男? 「スローなブギにしてくれ」という小説を書いた人だったっけ、♪御中…♪という曲がついて映画化されたような気がするし、まあお手軽気軽に読める若者向けの作品を書いた小説家という貧困な印象しか持っていませんでした。しかし本作を読んで驚天動地。これだけ真剣に英語と日本語、さらには言葉について考えていたんだ。西洋中世史研究者、阿部謹也氏が述べていた、彼の師である上原専禄氏の話を思い出しました。(「自分のなかに歴史をよむ」 ちくまプリマーブックス15) 
 「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生があるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。もちろん、ある商品の値段や内容を知ったからといって、自分が変わることはないでしょう。何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような「解る」体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです。
 そういう意味で、片岡氏の言いたいことが少し解り、自分が少し変わったという気がします。

 彼の主張はこうです。言葉とは、自前の頭でものごとを考え抜くための道具である。そしてさまざまに異質な他者と、しがらみを離れて論理の言葉をつくして対等に論議をし、誰にとっても共通して作用する新しい価値を作り出すための道具である。つまり「公共性」を協力して作り出すのが、言葉の重要な機能であるということでしょう。「公共性」とは、原則として全員にプラスに作用する普遍的な価値のことです。
 しかし、日本語はそういう意味で機能していない。まずは日本語自体の性能が原因です。これはアッと息を呑んだ指摘なのですが、英語の“you”は和訳できないのですね。「あなた」「君」「お前」「てめえ」などと、常にその場の人間関係・上下関係・損得関係を配慮して使い分けないといけない。英語の“you”は、しがらみを離れてどんな他者に対しても使える二人称代名詞です。
 でもこれは日本語自体の責任ではないと、著者は言います。そもそも非論理的な言語などありえない、非論理的な使い方が問題なのだと。少し考えてみたのですが、会議の場で「私は、あなた方の考えは間違っていると思う。」と私は言えません。「みなさんの…」と言います。「私」と「あなた方」を切り離し向かい合わせるのを恐れます。だから両者をあいまいにぼかした「みなさん」という言い方をします。日本語では主体と客体を混然させる表現が好まれるのですね。英語だったら“I think your opinion is wrong.”ですむのにね。でも少し勇気を出せば、主体と客体をきちんと切り離した前述のような表現は可能です。
 要するに、事態や物事を曖昧にごまかすための道具として日本語が使われているのが問題だというのが著者の主張です。
 言葉とはなにのための道具なのか。日本語は良く言ってひとりひとりの心に奉仕するものだ。あらゆるものが、言葉によって、主観という曖昧さのなかに、安住の地を見つける。とにかくすべては主観のなかにある、ということで問題は完結してしまう。英語は人の心の外にあるものに奉仕する。事象や事柄、実際に起きたこと、現実、そこにあるその問題、などに奉仕する。奉仕するとは、それらを可能な限り正確にとらえ、観察し分析を加えて問題を見つけ、論理的に対応して解決していく作業の始まりから終わりまでを意味する。日本語世界では、これとは反対のことが、ごく普通のこととして、常に起こっているのではないか。
 下手に論理的に考えて「公共性」を実現しようとすると、時間がかかってしょうがない、つまり非効率的である。そこで、誰もがなにもわかっていないのに、わかったつもりで先へ進むことができるような言葉、何も考えずにすむ言葉として日本語は機能しているのではないか。著者は一つの例として「少子化」という言葉をあげています。
 (少子化のもっとも大きな原因は)いまこの国で子供を生んで育てるなんてまっぴらだ、と人々が身にしみて痛感しているからという理由だ。こんな理由で人々が子供を生まなくなるような国は、国の運営のしかたとしてはおそらく最大級の失敗を犯している。少子化という言葉を作った人は、そのことをよく承知している。承知しているからこそ、人々には事態を直視させずに隠蔽すべしという方針で、少子化という言葉をひねり出した。人々に事態を直視させないでおく利点は、問題の核心がぼかされ、したがってその核心に関して追求されることがなく、責任が発生しないということだ。
 日本語は責任を逃れるための道具でもあるのですね。この指摘で思いついたのですが、「公害」という言葉もそうですね。「大企業による環境・健康破壊」という事態を曖昧にぼかして責任逃れをするために作られた言葉でしょう。
 日本語は、まっとうに機能していない。その原因はわれわれの社会のシステムや生き方が原因であるということです。日本語の問題とは、このことですね。日本語は美しいと浮かれたり、日本語が乱れていると嘆いている場合ではありません。
 群れのなかの同調者たちには、自前で徹底して考え抜く作業は、単に不必要であるだけではなく、明らかに邪魔なものですらある。だから彼らには、その真の意味においては、じつは言葉すら必要ではない。
 もはや事態は、ここまで進んでいます。われわれが事態を直視し、異質な他者との「公共性」を求めて自前の頭で考え抜いて行動しなければ、日本語は永劫に物事を曖昧にごまかすための道具として腐敗していくしかないでしょう。

 というわけで大変刺激的な本でした。他者に奉仕するという意識を常にもちつつ、下手な文章を書き綴っていこうと思います。なお著者が言う英語とは、ある程度アメリカやイギリスの文化から切り離された、どこの国の人も、その国の人のままで駆使することの出来る、中立度の高い正用法のなかで使っていく英語、という種類のものだということも補足しておきます。また日本の英語教育に対する痛烈かつ根本的な批判も述べられているので、英語教育に関係している方にもぜひ一読して欲しいと思います。
# by sabasaba13 | 2005-06-28 06:14 | | Comments(0)

ロンドン戦争博物館

 遊就館に行った後で、ロンドンの戦争博物館のことを思い出しました。ヨーロッパの都市へ行くと、戦争博物館がよくあることに気づき時間が許す限り見学することにしています。ウィーンの軍事史博物館ではサラエボで暗殺されたフェルディナン皇太子の血塗れの軍服に息を呑み、ストックホルムの武器博物館では剥製の軍馬が機械仕掛けで突然バケツを蹴って心臓が一時止まったり、いろいろと思い出があります。やはりヨーロッパの絶対王政国家・国民国家は戦争と二人三脚で歩んできた歴史があるのだなあと思います。ただ遊就館のように自国の戦争を無条件で賛美するという姿勢はないようです。(もちろん言語が十分に理解できないので雰囲気を感じただけですが) 中でも忘れられないのが、ロンドンの戦争博物館です。機関銃、戦車、毒ガス用マスクなど第一次大戦で使用された新兵器の数々にも興味を惹かれましたが、「Trench experience (塹壕体験)」という展示に圧倒されました。第一次世界大戦は、機関銃が使用されたことにより白兵戦が不可能となり、塹壕を掘って対峙しあう戦いが中心となりました。(塹壕の中で着るためにつくられたのがトレンチコート) その塹壕をまるごと本物そっくりに復元し実際にその様子を体験させてくれるのが、この展示です。塹壕の各所に戦う兵士、傷ついた兵士、倒れた兵士などのリアルな人形が配置され、その隙間をぬって塹壕の中を見学者は歩いていきます。すごいのは、リアルな戦争を五感すべてで体験してもらおうという努力・工夫です。触るとざらざらする塹壕の質感、爆弾の破裂する轟音、不愉快でじめじめした湿度と温度、そしてえもいわれぬ何と表現していいかわからない匂い! 身も心も圧倒されました。お化け屋敷なぞ屁とも思わぬ気丈な山ノ神が、途中で「もういやっ」とうずくまってしまったほどです。今までは頭でしか分かっていなかったことを、私は全身・全神経で理解しました。戦争とは汚いものだ。
 あらためてこうした展示を考えた方々、その実現に尽力したスタッフに、心の底から感謝したいと思います。学芸員が子供たちに展示の解説をしている光景もよく見かけました。賛美するのではなく、目を背けるのでもなく、戦争というものをできるだけ客観的にかつリアルに、次の世代に伝えていこうという姿勢を強く感じました。ぜひ日本でもこうした博物館をつくってほしい。特に「沖縄戦体験」という展示は早急に次の世代に体験して欲しいですね。「軍隊はまず自分たちを、次に給料を払ってくれる政府を守る」という冷厳なる事実をぜひ伝えるべきです。なお、保護者の財政的負担の軽減を理由に、修学旅行費用の上限を厳しく抑える自治体・教育委員会が増えていると聞きました。そのため沖縄への修学旅行が激減しているそうです。これは戦争の真実を子供たちに知らせたいための措置ではないかと、勘ぐってしまいます。
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# by sabasaba13 | 2005-06-27 06:15 | 鶏肋 | Comments(0)