孫崎享氏講演会

 8月30日の土曜日、ココネリ3階ホールで、孫崎享氏の講演会が開かれると聞き、行ってきました。タイトルは「戦後史80年の正体」、主催は東アジア近現代史セミナー実行委員会です。
 まずは孫崎氏のプロフィールです。

 1943年生まれ。1966年外務省入省。在ソビエト連邦大使館を経て、1985年在アメリカ大使館参事官(ハーバード大学国際問題研究所研究員)、1986年在イラク大使館公使、1989年在カナダ大使館公使を歴任。1991年から1993年まで総合研究開発機構へ出向。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。国際情報局長時代は各国情報機関と積極的に交流。
 著書 『日本外交 現場からの証言-握手と微笑とイエスでいいか』が山本七平賞を受賞。『戦後史の正体』がベストセラーに。

 それでは私の文責で、内容をまとめてみます。

 ツイッターでミサイル配備を批判し、「中国のミサイル3000発のうちどれくらい破壊できるのか?」「台湾は中国の一部。田中(角栄)-周(恩来)会談で確認している」と書き込んだところ、すぐに「お前は中国人だろ」「中国へ帰れ」という激しい反応があった。自分と同じ意見を持つ者が日本人で、違えば中国人ということか。何とも怖ろしい。
 参政党に対処しなければいけないのに、リベラルはできていない。情けない。
 対米従属は、ジャパンハンドラーのせいだけではなく、法的に確立したものである。1945年9月2日の降伏文書がわれらのスタート。そこには「司令官の命令に従う」と書かれている。
 警察予備隊に反対したメディアはレッド・パージにあった。クビにされた者は独立後も職場に戻れない。
 日本の裁判所は、憲法よりもアメリカの命令を重視している。
 ドイツは四分割占領されたので(※米英仏露)、アメリカにだけ従属していればよいというわけにはいかなかった。日本は、事実上アメリカによる単独占領であった。
 昭和天皇、アメリカに積極的に協力。①沖縄の提供、②米軍基地、③核の傘。
 岸信介、冷戦により自分の出番があると判断。戦犯としての追及を逃れた。
 重光葵はアメリカに抗う。国連加盟受諾演説で「中立」と言明するが、帰国後20日めに怪死。
 東大法学部教授が戦争を支えた。田中耕太郎。
 食料不足。アメリカに協力すればパージを免れる。
 経済同友会は個人参加。フジサンケイ、新日鉄、正田、麻生…
 安保、朝日新聞は七社声明で、学生運動を批判。緒方竹虎。
 小泉、米大使と福島でサーフィン。「ハッピー・アイランド」
 高市、安倍より危険。ウクライナ支援を主張。
 日米同盟の変化(2005) 「日米同盟 未来のための変革と再編」 自衛隊をアメリカのために使う。
 アメリカに対して、従属か自立か。自立の方がどんどん弱くなっている。
 孫崎がNHKで「TPPに反対、主権が失われる」と主張。国際放送番組審議会委員・大西洋 氏(株式会社三越伊勢丹ホールディングス 取締役)が「孫崎を出すな」と主張。
 自立を主張する者を各個撃破。国谷氏を誰も助けなかった。
 リベラルが動かない。シールズ、「二度と政治に関わらない」。
 1968年にソ連大使館に勤務していた。「プラハの春」に対し、ソルジェニーツィン、ロストロポーヴィチ、サハロフが批判。一般の人たちは「立ち上がれないが、彼らを支えよう」。日本では危機的状況になると沈黙。さみしい国。
 トランプ、エプスタイン問題。
 ノルドストリーム事件。バイデンが爆破。
 橋本龍太郎、ドルから離脱したかった。怪死。
 鳩山、米軍基地を県外へと主張して孤立、追いつめられる。戦勝記念日の式典に参加して非難をあびる。しかし、日中共同宣言(1972)で日本は「深く反省」と言明。これを言いに行くのがなぜ悪い? 過ちを繰り返さないように平和な国をつくる。しかし鳩山を守らない。知識人の役割とは何?
 イギリスのエコノミスト、「ゼレンスキーが東部二州の自治を認めていれば戦争は起きなかった」。
 事実をみる。信頼できるかどうか考える。
 奈良医科大学の福島教授、「山上の弾丸ではない」。
 陰謀論-事実。
 日本は大きく歪んでいる。リベラルやインテリ、事実を見極めるべき。
 どうしたら紛争にならない外交をするかを追求しない。
 ドイツ、徴兵制もあり得る。

【Q&A】
Q.アメリカは防衛ラインをグアムまでさげた。日本の負担は軽減するか。
A.アメリカ、中国と戦ったら必ず負けるというシミュレーション。(18/18) そこでフィリピン・台湾日本に中国を攻撃させる。中国の反撃で壊滅的打撃。アメリカは中国の蛮行を世界に訴えてボイコットを呼びかける。中国に攻撃させるために比・台・日にミサイルを配備させる。
Q.安倍殺害、担当医と県警の違いは。
A.全紙、同じ見出し。県警を信用する。
Q.9条に対する評価。
A.「9条を守れ」では国民はついてこない。個別の案件に対する具体的提案が必要。その上で9条を守る。すべてに問題解決の道はある。
Q.戦争を防ぐにはどうすればよいか。
A.事実を見つめ、多くの国民に知らせる。シン・スゴ「リベラルはSNSを利用していない」。「それは事実ではない」とSNSで共有する。
Q.誰が安倍を殺したのか?
A.安倍にしりぞいてほしい者がいた。動画が消えた。
Q.山田朗氏曰く「中国と命がけの交流」。
A.鳩山氏は、集中砲火をあびる覚悟で中国へ行った。インテリやリベラルのその覚悟はあるか。
Q.日米安保が崩壊した場合、日本の安全保障のビジョンはあるのか。
A.(大きな声で)いっぱいある。台湾は中国の一部だと認めれば、中国は日本を攻撃しない。武力で政権を覆す動きに反対すれば、北朝鮮は日本を攻撃しない。尖閣問題の前提は日中漁業協定。
主張の51%を実現する外交。
Q.安保なくせば、自衛隊によるクーデターはあるか。
A.安保廃棄を主張しているのは立民と共産で、支持率は20%。

 以上です。たいへんなマシンガン・トーク、コロコロ変わる論点、そして私の力不足のため、まとまりが悪くなりました。申しわけありません。眼から鱗が落ちてコンタクト・レンズがはまったような、鋭く斬新な指摘はほんとうに参考になりました。
 例えば、「日米安保が崩壊した場合、日本の安全保障のビジョンはあるのか」という質問に対して、「(大きな声で)いっぱいある」と即答したところ。トランプ大統領が舵取りをして迷走するアメリカを見ていると、日米安保条約を廃棄して、米軍にお引き取りしてもらい、新たな安全保障体制を構築することも選択肢のひとつに入れてよいと思います。
 もうひとつの信じ難く重要な指摘。アメリカが、対中国戦争をシミュレートした結果、18戦で18敗だったとのこと。つまり現状では、アメリカは中国に戦争では勝てないという冷厳たる事実です。そこでフィリピン・台湾・日本にミサイルを配備させ中国を攻撃させる。結果として中国の反撃によりこの三国は壊滅的打撃を受け、アメリカは中国の蛮行を非難し、世界に訴えてボイコットや経済制裁を呼びかける。結果として中国の国際的な地位が大きく傷つけられ、相対的にアメリカの地位があがる。あり得ない話ではないですね。

 アメリカとの間にもう少し距離を取った方がよいと思いますよ。
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# by sabasaba13 | 2025-10-27 07:00 | 講演会 | Comments(0)

Her master's voice

 さて、高市早苗政権が動き始めました。報道を見る限りでは、強い強い強い強い強い強い強い強い…と連呼するだけで、何のために何を強くするのかがまったく伝わってきません。われらが知りたいのは、日本をどのような国にするのかというヴィジョンなのですが、高市氏はぜんぜん言及しませんね。もともとそんなヴィジョンはないのか、あるいはわれら一般人に言えないようなヴィジョンなのか、よくわかりませんが。
 それでも彼女には、どうしてもやりたい二つの施策があるようです。『しんぶん赤旗』(25.10.23)から引用します。

 戦後最悪の反動政権となる危険をはらんだ高市内閣が本格始動しました。高市早苗首相は21日夜の記者会見で、「戦争国家」の指針となる安保3文書改定の意向を表明。全閣僚向けの指示書では、労働時間規制の緩和検討を明記するなど、早くも危険な姿を現しました。

【大軍拡 安保3文書の改定】
 高市首相は21日の記者会見で、違憲とされてきた敵基地攻撃能力の保有や軍事費の2倍化=国内総生産(GDP)比2%への増額などの大軍拡の方向を示した安保3文書の改定を指示すると表明しました。
 高市首相は、「日本にとって、まだまだ(安全保障上の)取り組みが足らない。もっともっと強くしていかなければならない分野もある」と述べた上で、2022年12月に決定された安保3文書について「もう見直しの作業に取りかかる。そういった指示を出したい」と表明しました。
 安保3文書は、「戦争国家」づくりを法制面で整備した安保法制を受けて、実践的な方向を固めたもの。このうち、「国家安全保障戦略」は、32年度までのおおむね10年、「防衛整備計画」は、27年度までのおおむね5年を目安としています。自民と日本維新の会の連立政権合意書は、安保3文書の「前倒し」改定を明記しており、政府は近く作業に着手するとみられます。
 トランプ米政権は日本に対し軍事費のGDP比3・5%=21兆円以上への大幅増額を要求しており、28年度以降の軍事費の規模などが重大争点になります。

【労働時間規制の緩和 検討】
 高市首相は、上野賢一郎厚生労働相に対しては「労働時間規制の緩和の検討を行う」よう指示しました。過労死が大問題の日本で、政府自身が決めた残業時間上限規制などの「働き方改革」にも逆行します。
 高市氏は自民党総裁当選後の4日にも「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく」と発言し、波紋を広げていました。
 今回の高市氏の発言に、Xでは「結局、自分の考えを国民にも押し付けようとしてる」「時代錯誤。サービス残業させる職場が後ろ指さされる時代にやっとなったのに」などの意見があがりました。全国労働組合総連合(全労連)も「労働組合として、これは絶対に認められない」と投稿しています。
 日本のフルタイム労働者の労働時間は欧州諸国に比べ年間300時間程度も長いといわれています。日本共産党の志位和夫議長は22日、Xに「フランスは週35時間から32時間への時短運動がおき、ドイツでは28~32時間(産業別協約で)というときに、過労死が大問題の日本で、『労働時間の規制緩和』という最悪の時代逆行を指示するとは」と批判しています。

 はい、大軍拡と労働時間の規制緩和ですね。前者については、内田樹氏が鋭く分析されています。『週刊金曜日』(№1418 23.3.31)から引用します。

 日本の指導者たちは、ある時期から、徹底的に対米従属することによって米国から「属国の代官」の官位を「冊封」されてきた。かつて中華帝国の「東夷」として「日本国王」の官位を受けていたのと構図は変わらない。東西の方位が入れ替わっただけで、いま日本はアメリカ帝国の西の辺境、西太平洋戦略の前線基地である。
 日本の国防政策を決定するのはホワイトハウスであって、永田町ではない。防衛費がGDPの2パーセントというのもアメリカがNATO諸国に対して要求した数字に揃えただけで、岸田政権の発意ではないし、F35を「爆買い」したのもトマホークを購入したのも、米政府の指令に従っただけである。米国の指令に素直に従っていれば、米国は自民党政権が半永久的に続くことを保証してくれると信じてそうしているのである。(p.15)

 アメリカというご主人様の声に耳を傾けているのですね。

 後者についてはどうか。『東京新聞』(25.10.24)の社説から引用します。

 経営者側は、人手不足の中で長時間労働を規制すれば、より働きたい、稼ぎたい、成長したいとの労働者のニーズを抑制するとして柔軟な対応を求めており、規制緩和の検討には経営者側の要求に応える意図があるのだろう。

 経営者側、つまり大企業の声に耳を傾けているのですね。ま、そりゃそうだ。自民党に莫大な額の政治献金をしてくれる大事な大事なご主人様ですから。

 というわけで、いまのところ高市首相は、アメリカと大企業というご主人様の声を聞くことしか頭にないようです。
 私たち弱い庶民の声を聞く気は毛頭なさそうですね。私らにはいろいろな願いがあると思いますが、「防災」については多くの人たちが共通して抱く願いであり要望でしょう。高市氏は、「防災」の"ぼ"の字も言いませんでしたが。

 半田滋氏が『週刊金曜日』(№1505 25.1.24)で述べられた言葉を、高市氏に熨斗をつけて進呈いたします。私たちの声にも耳を傾けてください。

 政府は24年度補正予算で防衛費に8268億円を計上。25年度当初予算では過去最大の8兆7005億円を積んだ。岸田氏も石破茂首相も日本の軍事大国化には熱心だが、国民の安全・安心とは戦争に備えて攻撃的な兵器を「爆買い」することではなく、「世界有数の災害大国」を「世界一の防災大国」にすることである。
 ドイツが第2次世界大戦で受けた自国民の戦災被害を賠償したのに対し、日本は「国民が等しく我慢しなければならない」という受忍論を振りかざす国柄だ。せめて今、苦しむ能登の被災者にまともに向き合え。1年後も変わらぬ風景を見て心が痛まないのか。(p.42)

 心が痛みませんか?

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# by sabasaba13 | 2025-10-26 07:00 | 鶏肋 | Comments(0)

京都錦秋編(9):修学院離宮(19.11)

 なおこれまでに修学院離宮は、2005年2015年の1.5回訪れたことがあるので、これで2.5回目です。
 表総門から入り、参観許可証を提示して参観者休所で待機。さて出発時間です。参観人数は二十人ほど、前に説明担当の方、後ろに歩みをせかす係の方が配置され、サンドウィッチ状態での見学となります。
 まずは下離宮の見学です。御幸門を通り抜けると右手奥に袖塀を持つ中門があります。石段をのぼると、後水尾院行幸時の御座所となった寿月観です。
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 肝心のモミジですが、残念ながらあらかた落葉。
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 東門を抜けると視界が開け、松並木の間を歩いて中離宮へと向かいます。この松並木は明治になって拡幅整備されたもので、かつては田んぼの畦道でした。なお綺麗に手入れされた松並木ですが、葉や枝を間引いて空間を開けて姿を整えつつも、あたかも人手を加えていないような柔らかな感じに仕上げる「御所透かし」という手法で手入れされているそうです。松並木の間からは,のどかな田園風景を眺めることができます。後水尾上皇は、離宮の造営の際に利用する域を最小限にとどめて他は耕作地として残し、耕作する農民の姿を自然景観に取り入れようとしたそうです。いい気なものですが。現在は農地を買い取り、地元の農家と賃貸契約を結んで耕作を依頼しているそうです。
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 そして中離宮に到着です。中離宮はそもそも創建当時の構想にはなかった御茶屋で、後水尾上皇の第八皇女である朱宮(あけのみや)光子内親王のために造営された山荘・楽只軒を中心とした朱宮御所が前身です。後に林丘寺(りんきゅうじ)の境内となりましたが、明治時代に皇室に返却され、中離宮として新たに修学院離宮に加えられたとのことです。素敵な垣根と石垣ですね、品格を感じます。
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 このあたりの紅葉はちょうど見頃でした。
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# by sabasaba13 | 2025-10-25 06:59 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(8):修学院離宮(19.11)

 先ほど教えてもらった長岡天神に寄る時間はもうありません。ふたたび自転車に乗って阪急の長岡天神駅へ、観光案内所に自転車を返却して阪急京都線に乗って京都河原町駅に到着。地上に出て東行、鴨川にかかる四条大橋を渡ります。ふと視界に入ったのが東華菜館、そうだ夕食はこちらでいただこうと山ノ神の託宣をあおいだところ「そちにまかせる」とのお答え。はい、決定です。
 祇園四条駅から京阪本線に乗って出町柳駅へ、叡山電鉄本線に乗り換えて修学院駅で下車。ここから修学院離宮まで歩いていくことにしました。てくてく…ああ嫌なものを見てしまった。まえはら誠司氏の後援会事務所でした。
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 20分ほどで修学院離宮にとうちゃこ。なお桂離宮と同様、修学院離宮でも当日受付がありました。もう終了でしたが。
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 「京都観光Navi」から紹介文を引用します。

 明暦2年~万治2年(1656-59)後水尾上皇が比叡山麓に造営した広大な山荘。約54万5000㎡の敷地に上・中・下3つの離宮から構成され、いずれも数奇な趣向の茶亭等が閑雅にめぐらせた池の傍らに立つ。自然と建物の調和が絶妙。

 当然、莫大な費用がかかりましたが、これには裏話があります。できたてのほやほやの江戸幕府は、朝廷の権威を利用するために秀忠の娘・和子を後水尾天皇に入内させるとともに、禁中並公家諸法度(1615)を制定するなど、その統制に細心の注意を払いました。さらに、幕府の許可なく天皇が高僧に"紫の僧衣"を与えとして、紫衣を取り上げ、抗議した沢庵らを処罰します。これが紫衣事件。以前から幕府に反発していた後水尾天皇はこれで怒髪天を衝き、幕府の制止も聞かずに、和子が産んだ明正天皇に譲位してしまいました。859年ぶりの女帝ですね。天皇に対する統制の難しさを痛感した幕府は以後、強引な統制をやめソフトな融和策をとることになります。例えば、修学院離宮造営に対する援助もその一環です。その結果、可哀相に東福門院和子は朝廷内において孤立を余儀なくされ、やがて"衣装狂い"にのめりこんでいきました。半年間に、約一億五千万円相当の着物を購入したというのですから、これはもう狂気に犯されていたのかもしれません。そしてその注文先が「雁金屋」、そう、尾形光琳の生家です。彼女が亡くなったのは1678年、その時光琳は二十歳です。薄幸の狂気が、一人の天才芸術家を育んだ…などと想像するのも歴史を知る喜びの一つです。
 余談ですが、沢庵の配流先である春雨庵の記事を以前に掲載しましたので、よろしければご笑覧ください。

# by sabasaba13 | 2025-10-24 07:00 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(7):光明寺(19.11)

 市バスに乗って桂駅へ、これから修学院離宮の見学ですが、集合時間は13:30。現在の時刻は午前十時半なのでかなり時間があります。よろしい、紅葉の名所・光明寺に寄り道をしましょう。たしか駅前に地元資本の喫茶店があったと記憶しているので、モーニング・サービスを食すのもいいですね。たしか煙草も吸えたし… 桂駅から阪急京都線に乗ること十分弱で長岡天神駅に到着。あったあった、そうそう、「カンパニュラ」という喫茶店だ。さっそく入店してモーニング・サービスを所望。食べ終わって人目を避けるようにして一服。
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 ちょいと席をはずして少し先にある観光案内所へ行き、地図をもらい、自転車を貸してもらいました。ついでに係の方に、光明寺の近くで紅葉のきれいなところはないかと訊ねると、長岡天神を勧めてくれました。よろしい、時間があったら寄ってみましょう。「カンパニュラ」に戻って山ノ神と合流、代金を支払って自転車にまたがり、十数分ぺダルを踏むと光明寺に到着です。西山(せいざん)浄土宗の総本山で、1198(建久9)年、熊谷入道蓮生(次郎直実)がここに一宇を建て、師の法然を請じて開山としたのに始まります。紅葉の名所で、この時期だけ「紅葉入山有料期間」となっています。こちらは紅葉がきれいなのに、それほど混雑していない穴場的存在で、私のお気に入りです。2009年2015年に訪れたので、今回で三度目になります。
 総門をくぐると、幅広く緩やかな石段の表参道です。女性でもお年寄りでも楽に登れるように配慮されているので、通称「女人坂」として知られているとのこと。ただ残念ながらモミジは散りはじめていました。遅かりし由良之助。
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 石段をのぼり御影堂・釈迦堂を廻って、もう一つの参道を下りますが、ここが本寺の白眉、通称「紅葉参道」です。途中にある薬医門をはさんで、緩やかにくだる幅の狭い参道の両側はモミジ・モミジ・モミジのトンネル。しかしこちらも散りはじめ、色づきもすこしくすんだ感じで例年より良くないようです。無念。
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# by sabasaba13 | 2025-10-23 06:54 | 京都 | Comments(0)